ジルムートは兄を何処までも信じている
ローズから館に帰らないと言う話をされたのは、日勤が終わる直前の事だった。
「セレニー様に何かあったのか?」
俺の言葉をローズは否定した。
「少し、クザートに話があるのです」
「兄上に?」
中層の事件の事だろうか?
「ここずっと夜勤をしているそうなので、モイナも寝た後なら、話ができるかと」
「俺も一緒に居た方がいいか?」
ローズが一瞬だけ俺を見て目を逸らす。……何だか嫌な予感がする。
「行く」
俺が言うと、ローズが微妙な顔になった。
何だ、その顔は。
「面倒な話が更に面倒になると困るので、ちょっと嫌です」
「最近お前は俺に対して、率直に物を言い過ぎる。ちょっとは言葉を選べ」
「他の人には選んでいます」
その一言で、俺は少し舞い上がってしまう。
俺にだけローズは素直なのか?俺にだけ。
「嬉しそうにしているのは分かりますが、黒いのが出ているので止めてください」
ローズに言われて、慌てて意識を引き締める。
「とにかく私はクザートの話を聞きたいから、わざわざ会いに行く事にしたのです。何か言うのは聞いた後にしたいと思っています」
「一緒に話を聞くなら話の途中で口を挟まず、傍聴者に徹しろと言う事か」
「そうです。私としてはシュルツ様がお帰りになるまで、ジルは聞かない方がいいかも知れないとも思っています」
「そんな言われ方をしたら、余計に気になる。黙って聞く努力はするが……保障はできない」
俺の返事にローズはため息を吐いた。
「そうですよね。……分かりました」
俺達は厨房へ寄って、軽食を作ってもらうと、それをローズの城に与えられた部屋で食べて、夜更けに話を聞きに行く事にした。
予備知識も無いまま、クザートの話を聞かす訳にはいかないと、ローズは自分の推察について語った。
その内容が衝撃的過ぎて、言葉を差し挟むどころか、俺は黙ってしまった。
「もしモイナがクザートの子だとしたら、どうしてポートに呼ばなかったのか、私には分からないのです」
「俺のせいかも知れない」
「ジルのせい?」
「俺が頑なに結婚を拒んでいたから、自分が先に結婚する訳にいかなくて、黙っていたのかも知れない」
「そうは言いますが、もう私達が結婚して半年以上が過ぎています。ルミカがパルネアに居るのですから、呼ぼうと思えばすぐにでも呼べたのに、呼んでいません」
ローズ曰く、クザートはしらばっくれて、モイナの事を誤魔化すつもりなのではないかと言うのだ。
「何故だ」
「だから聞くつもりです」
俺は食べ終わった軽食の皿を見ながら、クザートがモイナの警備を申し出た時の事、クザートとディアに違和感があった事を思い出す。
「ローズの言う通り、聞いてみないと始まらない様だな」
ローズは俺を見て恐る恐る言った。
「もっと、怒るかと思っていました。兄弟仲が良いので」
ああ、だから一緒に話を聞きに行くのを嫌がったのか。
俺は苦笑する。
「兄上の隠し事には慣れている。今回程の大事は初めてだが……よくある事だ」
俺はバウティ家の家長として立ち、拷問人形としての仕事にも二年程従事した。
俺は拷問人形として城の地下に居た時期の影響で、感情を表に出す事の出来ない時期があった。未だに得意では無い。親しい者には出せる様になったが、それ以外の者に対しては未だに身構えてしまう。
だから無表情とか鉄面皮だとか、言われるのだ。
クザートはその事に強い責任を感じていて、俺を他者から隔離しようとする。
武闘大会への出場を止めさせたり、下層の統括を自ら行ったり……俺を俗世から遠ざけようと必死だった。全て俺を傷つけない為だと知っている。
「兄上は俺に対して過保護なのだ。もういい大人なのに」
俺がそう言うと、ローズが不機嫌そうに言った。
「知っていますよ。クザートがジルを大好きな事なんて。でもだからって、こんな隠し事はあり得ないと思うのですが」
「兄上は賢い。何か必ず理由があるのだ。それは信じていい」
俺がそう言うと、ローズが半眼になって言った。
「私とクザート、どっちが大事ですか?」
……え?
「なんて事は聞きませんが、妬けますね。あなた達兄弟の絆が強過ぎて」
「ローズの事はちゃんと特別だ」
そうでなければ、無防備に耳かきなどされるものか。
ローズは笑った。
「いいんです。私もそんな風に信用してもらえる様になりますから」
ゾクゾクした物が背中を這って行く。思わず背筋を伸ばしてしまった。
「期待している……」
俺はとっくにローズが居ないとダメな男に成り下がっているのに、これ以上依存するのか?どうやって?……もう、期待しかない。
夜も遅くなりポート城の明かりが幾分減った時間になり、俺達は部屋を出て中層へと向かった。
夜間警備をしている騎士達は、俺の姿を見て緊張した面持ちになった。こんな時間に居るのだから、何かあったのだと思ったのだろう。
ラシッドが夜勤で残っていて、知らせを受けたらしく凄い勢いで走って来た。
ラシッドは事件の起こった日から、自分の館に帰っていないと聞いている。短気ではあるが、責任感も強い男なのだ。
「ジルムート様、中層に何か御用でもありましたか?」
「いや、兄上の様子を見に行くだけだ。兄上もずっと中層に留まっているらしいから」
ローズが、すかさず下げている籠から焼き菓子を出してラシッドに渡した。
「ご苦労様です。無理はなさらないで下さいね。ラシッド様」
ラシッドはそれを受け取って、泣き笑いの様な顔になった。
「俺も……結婚したい」
ラシッド・グリニス、二十七歳の騎士は、絶賛花嫁募集中だ。コピートに成り行きとは言え婚約で先を越され、実は物凄く落ち込んでいる。
「パルネアの使節が帰った後、俺の方で嫁の候補は探してみよう」
「本当ですか?」
……母さん達を頼れば、しっかりした家の娘は見つかる筈だ。多分。
ルミカが居なくなり、ナジームは頼りないから、ラシッドは中層でかなり苦労をしている。少しは報いてやりたい。
「探すだけで、必ず見つけるとは言っていないからな」
「はい。それでも有難いです。是非よろしくお願いします」
ラシッドが執務室へ戻って行くのを見送って、俺達は再び歩き始めた。
「やっぱり来ましたね。ラシッド様」
俺が厨房で軽食と一緒に菓子をもらっておいたのは、今の様な状況を考えての事だ。
断じて、俺が食べたかっただけでは無い。
「俺が中層をうろついているのを見逃す様な警備では、絵画が中層に保管されているし、モイナも危険だ」
「クザートが一緒なのですから、モイナは心配ありませんよ」
「確かに……」
そこで、廊下の先から声が聞こえて来た。
「やはり、モイナをパルネアに帰すんだ」
「嫌よ」
クザートとディアだとすぐ分かった。
俺達は顔を見合わせ息を潜めると、耳に意識を集中した。
「まさか、あそこまで俺に似ているとは思わなかった。あれではオーディスの連れ子として、俺の子に迎え入れるのは難しい」
「結婚して欲しいなんて言ってないわ!他人のままでいい!あの子と離れて暮らすなんて、私には出来ない」
「しかし俺の子と分かれば、まずい事になる」
そこで湿った声が聞こえた。ディアは泣いている様だ。
「あなたは、モイナを可愛いとは思ってくれないの?」
沈黙の後、クザートの真剣な声が聞こえた。
「可愛いに決まっている。だからこそ、ポートには置けない」
「守るとは……言ってくれないの?」
ディアのすすり泣く声が聞こえる。
「ごめん」
「謝って欲しくない。惨めになるわ」
クザートが沈黙して、ディアの鳴き声だけが聞こえてくる。
すると大きなため息が聞こえた。
「話す。ここはまずいから場所を移そう。……立ち聞きしている奴らが居るから、そいつらも一緒に」
ギクっとローズが体を揺らす。
クザートは、話している途中から気付いたのだろう。
「兄上……ディアが可哀そうです。俺達に気付いたなら、すぐにそう言ってやって下さい」
俺が近づいて行ってそう言うと、ディアが泣きながら真っ赤になっていた。恥ずかしさのピークを越えたのか、クザートに抱き着いて顔を隠した。
横に居るローズは顔を引きつらせている。……俺も気まずい。凄く。
クザートはディアの背中に片手を回しながら、苦笑した。
「俺だって、かなり一杯一杯なんだよ。こう見えて」
確かにそうなのかも知れない。
クザートは上手く女性をあしらうし、逃げる。それで今まで上手くやって来たのだ。こんな風に踏みとどまって対応している所など、見た事が無い。
「場所を変えると言っても、何処で話を?」
「モイナには聞かせたくないが、護衛が居なくなる訳にもいかない。……不本意だが、モイナの寝ている部屋しかないな」
「ラシッドにでも護衛を頼みますか?」
「あいつ、あんまり寝ていないんだ。可哀そうだからやめておく」
クザートは、ディアの背中をぽんぽんと叩く。
「それに、今まで何もしてやれなかった分、出来る事は俺がやってやりたい」
俺の娘だから。
そんな声が聞こえた気がした。
「分かりました。あまり大声にならない様に気を付けましょう」
俺の言葉で、場所は廊下から部屋の中になった。
ディアが落ち着くまで待つ間、ローズが菓子を並べ、お湯を用意して来て茶も淹れてくれた。
子供の為の部屋なので、来客を予想していない事からソファーが一つしか無い。
ソファーには、クザートとディアが座った。
俺が部屋の端にある椅子と、ベッドサイドの椅子をソファーの側に寄せて来て、テーブルの前に置く。俺とローズ用だ。
ベッドサイドの椅子を持つ際に見ると、モイナはぐっすりと眠っていた。寝顔を見て思う。クザートに似ていると。特に俺は子供の頃のクザートを覚えているから、目を閉じていても似ていると分かる。
ローズが全ての準備を終えて座ると、クザートが口を開いた。
「ずっと黙っていて悪かった」
ローズはクザートを睨んでいる。
「よくもディア様を酷い目に遭わせてくれましたね。返答次第では、私はあなたを一生許しませんから」
「許さないってどうするつもりだ?」
「ジルをけしかけます」
「どうやって?」
「クザートを殴らないなら、耳かきをしないと言います。そうすれば、毎日でも殴ってくれますよね?ジル」
何という酷い選択肢。どっちも俺は嫌だ。
「とにかく話を聞いてからだ」
俺がローズにそう言うと、クザートが渋い顔になった。
「ジル、そこは殴らない一択だろうに」
「俺はローズの耳かきが無いと生きていけない体なので、兄上が俺に殴られない様な話をしてくれる事を望みます」
クザートの顔が更に渋くなった。
「お前ら、耳かきに日常を支配され過ぎだ」
恥かしそうに俯いていたディアが、そこで軽く噴き出した。
「ローズは変わっていないのね。あの道具で殿方まで捕まえてしまうなんて」
ローズは得意そうに言った。
「当たり前です。私は、死ぬまで耳かきを広めて生きて行きます。勿論セレニー様へのご奉仕も怠りませんし、ディア様は永遠に私の目標です」
ディアはようやく落ち着いたのか、顔を上げた。
「私からも謝らせて。何も言わなくてごめんなさい」
「ディア様はいいのです。全然悪くありません。女一人の子育てを舐めているクザートが許せないだけです」
ローズは本気だ。耳かき文明で生きていた頃、母親だけに育てられる事になり、かなり苦労をしたと聞いた。その記憶が色濃く残っている事は理解している。
クザートの返答次第では、俺は本当にクザートを殴らなくてはならなくなる。
どうか、納得の行く説明をして欲しい。
俺は心底そう思った。




