城の中層で事件が起こった
ラシッド・グリニス……騎士序列五席。ルミカが中層の護衛隊長をしている頃から中層で副官をしている。笑っている様な人相で、気が短い。
ファナ・キンバルド……上層で侍女をしている役人の娘。
リンザ・オルレイ……上層で侍女をしている商人の娘。
ディア様が、来た!
私は完全に浮かれていた。
黒薔薇の君、ディア・マーニー(旧姓ダンテ)。私にとって、憧れの人だ。
ほんわりとした笑顔で、てきぱきと行き届いた仕事をする。お世話された者達の満足度はいつも満点。有能でありながら癒し系。スーパー侍女だ。
相変わらず麗しい姿でため息が出る。ディア様、素敵過ぎる。
でも仕事は仕事。浮かれてばかりは居られない。
今日は歓迎の宴が中層で行わる為、上層の侍女達も中層に来ている。
中層の騎士達は、十代の若い騎士も居る上に、少し横柄な態度が目立つ。上層勤めの侍女達が絡まれない様に、しっかり注意しなくてはならない。
上層の侍女達は、良家の出だ。
無理に襲ってでも関係を作ってしまえば、女は男の所有物になる。
ポートの古い考え方では、そうなる。つまり侍女の実家の後ろ盾欲しさに、侍女を襲うのだ。
「だから、中層にも上層にも、野心ばかり目立つ序列の低い騎士は入れない様にしているのだが……ルミカが居なくなって以来、中層はそうも行かなくなって、ナジームとラシッドが苦労している」
騎士と言うのは、政治的な駆け引きに関わってはいけない事になっている。
しかしルミカは腹黒いだけあって、その辺りにとても強くて、議員や役人達の思惑を巧くかわしていたそうだ。
今の中層の護衛隊隊長と副官を思い浮かべる。
ナジームは凄く怖い顔をしているし、ラシッドは笑って居ないのに、笑っているみたいな顔をしている。……あの二人が並んでいると、空気が微妙になる。
序列で言えば、四席と五席だから、凄く強い人達なのに、何故かアンバランスな見た目のせいで、そんな事を忘れてしまうのだ。
しかもナジームは、顔は怖いけれどお花大好き男子で、優しい人だ。
ジルムートの副官だった頃、セレニー様の護衛に付く事が多く、最初は怖がっていたセレニー様も、それに気付いてお気に入りになっていた。
中層へ移って、どす黒い議員や役人の思惑に振り回されているのかと思うと、可哀そうになる。
ラシッドの事は良く知らない。ナジームを隊長にするよりはいい気がするが。
「ラシッド様を中層の隊長にされないのはどうしてですか?」
ジルムートは、微妙な顔をしてから言った。
「ラシッドは見た目こそああだが、気が短い。ナジームみたいに我慢しないから、隊長は向かない」
ジルムートは、城の騎士隊長と副官を選ぶ立場にある。性格まで考慮に入れて人選するのだから、大変だと思う。
「俺達は兄弟で隊長をやっていたから、意思疎通が楽だった。でもずっとそうしている訳にもいかないのは、ルミカが居なくなって分かった。他の騎士達にも実務経験を積ませないといけない」
ナジームの後に上層でジルムートの副官になったコピートは若い。上層騎士の中でも最年少だ。
きっと修業させるつもりで抜擢したのだと思うが……コピートは手強い気がする。
やる気の無さが滲み出ている。
昼間に居なくなって、他の騎士達が探している所を何度も見た。ジルムートは叱っているみたいだが、懲りない。
バウティ家の兄弟を変態扱いしていたが、根が真面目で仕事人間だったのだと、しみじみ思う。
「とにかく、中層の騎士には議員の口添えであまり良くない奴らが混ざっている。くれぐれも気を付けてくれ」
騎士を全員集めて、ジルムートが黒いのを出して睨み付けてやれば、それで終わる気もするのだが……。
私には詳しく分からない事だから、ジルムートの言う通り、気を付ける事だけを考えた。
二人一組にして、一人で行動しない様にする事や、何処かへ行く時には、誰かに行き先を告げる事など、出来る事を考えた。
上層と中層の執事達も、侍女を家から預かっている立場なので私と共に気を配ってくれる事になった。
ジルムートの妻であると言う肩書があるので、私はそう言う目に遭わない。
そんな訳で私は自由に一人で歩き回れるので、指示を出しながら仕事に没頭する事にした。
セレニー様のお世話は、ディア様が手伝ってくれたのでとても楽になった。
座る場所のクッションの配置など、ディア様がアドバイスしてくれたお陰でセレニー様は最後まで宴を楽しむ事が出来た。
やっぱり、ディア様は最高です!
部屋にセレニー様が下がり寝る支度が整ったので、私は中層に戻り片づけの手伝いに入った。
片付けていると、会場の端で残り物を食べている騎士が目に入った。
「コピート様、シュルツ様の護衛はどうしたのですか?」
呆れて声をかけると、にやっと笑われた。
「クルルス様とご一緒だから、隊長が護衛をしている。俺の出番はない」
ジルムートに護衛を任せて残り物を貪り食っているとは……神経が図太過ぎる。
私よりも年下だが身分的に侍女より騎士の方が上だから、偉そうな事は言えない。
ちゃんとジルムートに言って来ているなら私が言う事など何もないから、そのまま放置する事にする。
片付けの続きをしていると、侍女であるリンザが私の所へ駆け寄ってきた。
「ファナが中層の騎士に連れていかれてしまいました。助けてください」
その声と同時に、緊張が一気に高まった。
「どこか場所は分かりますか?」
「……こちらです」
案内すると言う事の様だ。
ついて行こうとすると、横に誰かが立っていた。
「俺も行く」
コピートだった。
「助かります」
上層の騎士が居てくれると言うのはありがたい。
私はコピートと共に、リンザの後に付いて行った。
リンザがファナと別れて逃げ出した場所には、既にファナの姿は無かった。
「ここでファナが連れていかれて……あっちだと思います」
指さした方向は、中層の備品倉庫の方だった。用事が無ければ人の立ち入らない場所だ。
「急がなくては……リンザ、あなたは戻ってラシッド様にお伝えして」
私がそう言うと、一緒に付いてきた執事と共に走って行く。
「ローズ殿は来るのか?」
「当たり前です。行きますよ」
コピートが襲われたファナの気持ちを慰めるとは思えない。その部分は、私が担うべきだ。
コピートと一緒に進むと、悲鳴が聞こえた。
「うるさい!」
声と共に、何かが倒れる音がした。
慌てて駆け付けると、ファナが頬を張られて床に倒れていた。口の端から血が出ていて、ガクガクと震えている。
「何てことをするのですか!離れなさい」
私が怒鳴ると、騎士は背後に居るコピートに気付いて青ざめた。
腹は立つが、私など眼中に無い。コピートが怖いのだ。来てもらって良かった。
「コピート様……これは、その……」
騎士が言い始めると、コピートが言った。
「ローズ殿、ファナ殿を頼む」
「はい」
私はファナに駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
ファナは呆然としたまま、座り込んでいる。
立たせたいが、震えが止まらない。とても動けそうに無い。
頬がうっ血して赤黒くなっていた。……男の力で女性にこんな暴力を振うなんて!
コピートもそれが分かった様で、ため息を吐いた。
「誰だっけ?忘れたけど、女に暴力振るう様な下種、騎士団にはいらないから」
コピートに言われた騎士は、真っ青から真っ赤になった。
「俺だってリヴァイアサンの騎士だったら、こんな事はしていない!」
コピートは困った様に言った。
「そんないいものじゃないよ。リヴァイアサンの騎士って」
「うるさい!どんなに努力しても序列の上位へ行けない俺の気持ちが分かってたまるか!」
……見聞きしてはいけない話なのでは。
しかし震えるファナの肩を抱いたまま、私は見ているしかない。
空気がすっと冷たくなった気がした。
ジルムートの黒いのに似ている、怖い空気だ。
「分からないよ。俺の気持ちだって、お前に分からないだろう?同じだよ」
コピートはそう言って騎士の前にずいっと進み出て、無造作に腕を掴んだ。
途端、騎士が絶叫した。
腕を握っただけで?大袈裟なのでは?
唖然としていると、コピートが言った。
「力はね、ちゃんと制御できてこそ力なんだ」
何も聞いていなさそうな相手に、コピートは続ける。
「力の無い者に、制御できない力を振るう様な事があってはならないんだ。ほら、俺が制御しない力を振るって、あんたは今どうなっている?」
腕にコピートの手が食い込み、ミシミシと嫌な音が聞こえる。騎士は更に絶叫している。このままではよくない事が起こると思い、思わず叫ぶ。
「コピート様!」
私の声にはっとしたコピートは、手の力を抜いた。
騎士はその場に崩れ落ち、倒れて腕を抱え込んだ。
「……ローズ殿」
コピートは、情けない顔で私の方を見た。
「医者を呼んできてください。ファナとその方を診せなくてはなりません。上層の医者をお願いします」
目の前の事を何とかしなくてはならないので頼むと、コピートはすぐに走って行った。
入れ違いに、ラシッドが到着した。
私がファナの肩を抱きながら状況を説明すると、ラシッドは眉をしかめて笑った。
多分笑っていないのだろうが、笑っているように見える。
「こいつは医者に診せなくていい。こちらで処理する」
「しかし、そのままにしておく訳には……」
「俺が連れて行くよ」
それだけ言うと、痛みで倒れ込んでいる騎士をラシッドは腕を引っ張って起こした。
痛いに決まっている。
悲鳴を上げて脂汗を流している騎士に、
「この愚か者めが」
と言って、ラシッドは騎士を肩に担ぎあげるとさっさと行ってしまった。
気が短い……。そうは聞いていたが、確かにそうかも知れない。
あんなに大きな騎士を担いで連れて行くとか、医者を待てばいいのに。
ん?何だか、おかしい。
何だか凄い握力、体の大きな騎士を片手で持ち上げて担ぐ力。
『俺だってリヴァイアサンの騎士だったら』
リヴァイアサンの騎士って、何だっけ?
震えるファナを抱きしめながら考える頭に、答えが出て来そうで出て来ない。
そうしている内に、医者が到着した。
軽い手当が終わると、
「俺が運ぶ」
そう言ってコピートは、騎士の黒い制服を被せてファナを隠しながら横抱きにして、上層へと連れて行く。
ファナは、上層の医務室で眠り薬を垂らしたお茶を飲んで眠る事になった。
ショックが大きいのだろう。ずっと手を握っていたが震えていて、眠り薬の効きも悪かった。
心配して様子を見に来たリンザと交代して医務室を出ると、夜明け近かった。
医務室の外には壁にもたれかかって、コピートが立っていた。
「ここに居ていいのですか?」
シュルツ様の護衛なのに。
「隊長に報告しないといけないから、待っていた」
コピートは、何だか元気が無くて、落ち込んでいた。
「さすが隊長の妻だけある。怖くないんだ」
「怖いも何も、ファナを助けてくれたじゃないですか」
コピートは情けない顔をして笑った。
「あれは助けたんじゃない。八つ当たりだ」
八つ当たり?
「この力が無ければ、誰も俺を俺とは見てくれない」
どうも、強くないと意味が無いと周囲に思われていると考えている様だ。
いじけて腐っているのは分かる。……だから、やる気が無いのか。
「そんなに嫌なら、騎士を辞めればいいのです」
私がそう言うと、驚いてコピートは私の方を見た。
「なりたい者になればいいのです。王様は流石に無理でしょうが、商人でも職人でも漁師でも」
「俺はモルグ家の家長だ。……許されない」
ジルムートは、そうやって家を守って十歳で騎士になった。他の家でも同じ事が起こっているとすれば悲しむ筈だ。
「ジルに、相談してみませんか?」
「え?」
「決して悪い様にならないと思います」
「しかし……」
「ジルは優しい人です」
コピートは困った顔をして私を見ていたが、やがて小さく頷いた。
「考えてみるよ」
夜勤が終わり、私はコピートと共にジルムートに昨晩の事を話した。
ジルムートが全ての事情の聞き取りをするのに午前一杯かかり、結局昼間もそのまま仕事をして、夕方に一緒に館に戻る事になった。
ファナは実家に帰った。……多分、もう戻ってこない。
戻って来て欲しいとは言えなかった。私でも、男に人気の無い場所に連れて行かれて殴られたら怖い。それも、城に勤めている騎士であれば尚更だ。騎士はそこかしこに居る。
モヤモヤとした物を抱えながら、泥の様に疲れて館に戻り、風呂を出て眠ろうとしている時、ジルムートに声をかけられた。
「少し、話がある」
眠たいが、聞かねばならない様だ。
私は素直にジルムートの後に従った。




