国王夫妻の痴話喧嘩
ルミカ・バウティ……バウティ家の三男。騎士序列三席。パルネアで外交官をしている。
幸いクルルス様は会議中では無く、執務室で書類に目を通しながら役人と話をしているだけだった。
俺がいきなり中に入って来て役人は驚いていたが、俺は緊急事態なのでとにかく追い払い、セレニー様の機嫌が非常に悪いと言う事だけを伝えた。
「ローズの手に負えない状況でして、クルルス様のお力をお借りしたいのです」
「何が起こった?」
俺からは何も言えません。
そう思いつつ俺が黙っていると、クルルス様は立ち上がって足早にセレニー様の部屋へ向かった。
「セレニー?どうした」
セレニー様はソファーに座って、クッションを抱きしめて俯いたまま何も言わない。
……これは重症だ。優しい女神の様なセレニー様がどん底まで落ち込んでいる。
他の侍女達は部屋から閉め出されているらしく、部屋の中には見当たらない。たった一人、側に控えているローズの距離はいつもより遠い。
「ローズ、何があった?説明しろ」
一瞬ローズに恨みがましい目で見られたが、俺は慌てて視線を逸らした。
俺から説明した後で連れて来ると思っていたのか……。そんな事、出来る訳なかろう。
ローズがすぐに答えないので、クルルス様がイラついて再度問う。
「説明しろ」
ローズは一瞬困った顔をした後、侍女の顔になって冷静な声で告げた。
「夫の命令で私は最近、下着をポート流にしました」
いきなりの話に、クルルス様が固まっている。俺も固まる。
ちょっと待て、お前がずれる様な下着を着用していた事実は無かった事にして、俺だけ悪者にするのか?
俺のそんな気持ちを無視して、ローズは続ける。
「セレニー様は結婚されて四年、腰から下はパルネア流の下着を着用し続けています。こちらの流儀を知らなかった事に強い衝撃を受けておいでです」
そこでセレニー様が、がばっと顔を上げて言った。
「クルルス様は、どうして私に……あの小さな下着を身に付けさせなかったのですか?」
「パンツの事か?」
もっと言い方がありますよね!
俺もローズも真っ青になってクルルス様を見たが、クルルス様はケロっとしている。
セレニー様は俺をちらりと見て真っ赤になりながら叫んだ。……完全にやけくそだ。
「そうです!私はポートの王妃なのに履いた事がありません。おかしいじゃないですか」
クルルス様はきょとんとしている。
「ジルムートはローズが好き過ぎて下着まで変えさせてしまう程なのに、クルルス様は私に興味が無いのですか?」
確かにローズは大好きですが、完全な誤解です!
セレニー様は確かに普段と違って、情緒が不安定な様だ。
クルルス様は、女性の趣味が徹底している。
興味の無い女は女とも思わない。そんなクルルス様が子供まで望む相手などセレニー様しか居ない。もしかしたら一夫多妻制だったとしても、他の妃を娶らなかったのでは無いだろうか。
そこまで好かれているのに、何故そんな考え方になるのか。
「セレニーで無くては意味が無い。下着なんてどうでもいい」
クルルス様はそう言いながら、セレニー様の隣に座って抱きしめる。
「美しい服も宝石も、セレニー自身の輝きには到底敵わない」
何も着ていない状態が一番好きだから、身に着ける物には興味が無いとはっきり言っているに等しい。
セレニー様は、それを聞いて泣き出した。
「お腹が……大きくなって、クルルス様のお好みの姿では……こんな私は嫌いですよね?」
容姿ばかり賞賛するから、そんな風に思われるのだ。もしかしてそれが情緒不安定の原因か?だとしたら下着の話は、きっかけに過ぎない。
クルルス様が戸惑って俺に視線を向けて来る。俺に救いを求めないでくれ!
俺も視線を彷徨わせると、ローズが物凄く怖い顔で俺を睨んでいるのに気付いた。ここで何も言わないで居たら、後で地獄を見そうだ。
俺は平静を装いつつ言った。
「クルルス様……セレニー様にきちんとお伝えすべき事があるかと」
クルルス様は焦った様に言った。
「子も出来たと言うのに、今更何を言えと」
「ご自分で、セレニー様に分かる様に言うべきかと」
セレニー様が、涙目でクルルス様を見ている。それに気付いてクルルス様は困った顔になった。
クルルス様は少し赤くなって言った。
「嫌いな訳なかろう。お、俺はお前の姿だけでなく、優しい心も愛している」
セレニー様が、ぽかんとした顔でクルルス様を見てから言った。
「もう一度、言って下さい」
クルルス様が赤くなって不機嫌そうに口をつぐんでいる。パンツとか平気で言うのに、これは照れるのか。
「お願いです」
セレニー様の声には、切迫した響きがある。
「何度も言える事では無い」
クルルス様が不機嫌そうに呟く。
その途端、
「急に眩暈が」
ローズが、演技がかった仕草で額を押えた。
「それは大変だ。少し外します」
と俺が棒読みで言うと、クルルス様が吠えた。
「わざとらしいわ!」
主人思いだと言って欲しい。
「待て!置いて行く気か!」
吠えているクルルス様を放置して、二人でさっさと部屋を出た。
扉から少し離れた廊下で、俺達は立ち止まって出て来た扉を見た。
「どうなる事かと思った。後はお二人で何とかしてもらおう」
ほっとして呟くと、ローズが不服そうに言った。
「酷いです。何も話していないなんて」
俺は半眼でローズを見た。
「俺をしっかり悪者にしておいて、よく言う。そもそも膝枕が違うと言うのが、俺には分からない」
ローズが苦笑した。
「感触が全く違うそうですよ」
ローズが下着を変えて以来、俺は耳かきをしてもらっていない。
夜、館に戻ってから渋るローズに耳かきをしてもらった。……あまりの破壊力に俺はまた鼻血を出す事になった。確かに違う。今までの膝枕は何だったのだとまで思った。
何を履いていたのか気になって聞いてみると、結構厚手の生地で出来た下履きに、リボンやレースが付いたものだったそうだ。
パルネアは冬になるとジュマ山脈からの冷たい風が吹き下ろしてくる為、冬は寒い。だから女性は腰を冷やさない為に、厚手の下着を着用する様になったらしい。
年中暖かいポートとは気候が違うのだから、下着に差があっても仕方ない。
ちなみに耳かき文明の下着はポートにかなり近い物だったそうで、着こなしに問題は無い様だ。ただ二か月に一度、ミロに採寸をされる事が辛いと言っていた。
下着屋にしろ、服屋にしろ、客を他の店に持って行かれない為に定期的に採寸するのがポート流だ。
相手のご機嫌伺いをし、注文を取るのと同時に急遽入用の場合に採寸せずに短時間で品を渡せる様にするのが目的だ。
騎士で序列上位の家は上客だ。ミロがローズの採寸を忘れる事は無いだろう。
クルルス様があの後、何を言ったのかは分からないが、セレニー様の情緒不安定はすっかり鳴りを潜めた。相変わらず良く食べるものの暴食と言う程では無くなり、上層の皆をほっとさせた。
クルルス様がもっと早くセレニー様を安心させていれば、ローズはやつれなくて済んだのだ。俺だって、下着に口出しせずに済んだかも知れない。……とにかく、もう下着の話はしたくない。
セレニー様もお腹の子も順調だと言う事になり、仕える身としてはとても安心した。ローズの心配が減った事が何よりも嬉しい。
ただ、俺が妻の下着にまで口出しをすると言う噂だけが、クルルス様によって流され(何度も恥ずかしい事を言わされた恨みだそうだ)、俺をよく知らない下層の騎士や役人達に、更に馬鹿にされる事になった様だ。
詳しい事情を知らないクザートに慰められてしまった。
「パルネア女性のあの色気の無い下履きは、下着とは言わない。お前が口出しするのは当然だ。気にするな」
強くないかも知れない疑惑だけでなく、妻に異常な要求をする変態騎士と言われているそうだ。
もう呆れて笑うしかない。
最近は自由意志で騎士になる者が増えているから、拷問人形の家系の騎士について理解していない者が多いのは事実だが……。そんな者が一席に居たら国が滅びるし、他の騎士も黙っていない。
同じ拷問人形の家系から、自分達も馬鹿にされている気がするから何とかして欲しいと不満が出ているのも事実で、どうするべきかと思っていたら、
「ジル、今年は武闘大会に出ろ」
唐突にクルルス様が言った。
「構いませんが……いいのですか?」
クザートの進言に納得して、俺の出場を止めさせたのはクルルス様だ。
「最初に顔を出して、剣を一振りするだけでいい。序列一席の力をちゃんと見せて、他国にポートを敵にまわしたらどうなるか、知らしめろ」
俺の醜聞のせいでポートが舐められたら困るから、俺は迷わず了承した。
「武闘大会の時期にシュルツも来るから、見せておきたい。盗人は俺達が何とかするから、心配するなと」
やはり……パルネアからの盗品が流出するルートにポートの港を使われた事が、許せない様だ。
俺としても、城の噂よりそちらの方が気になる。
「盗んだ国や人物の目星は付いているのですか?」
「ああ、ルミカにパルネアで調べさせたから間違いない」
ルミカは、あらゆる場所で諜報活動をする工作員に向いている。
クザートが人を掌握して情報を集めるのに対して、ルミカは一人であらゆる場所へ赴き、秘密裏に情報を集めるのが得意だ。
あの派手な見た目でも、気配を消されると何処に居るのか分からなくなる。気配断ちの上手さは、俺やクザートよりも上だ。
「俺の方でも城の警備に指示を出したいので、資料を読ませてもらってもいいですか?」
「許す。お前に任せるから絶対に逃すな」
「はい」
そして、シュルツ殿下がポートにやって来た。




