ジルムート、セレニーに誤解される
ローズを迎えに行くと、酷く不貞腐れていた。俺に何か思う所があるのか、黙ったまま視線を逸らしている。
「食事くらいして行きなさい」
アイリス母さんはそう言ったが断った。
「悪いが明日も仕事だ。また今度」
とにかく、ローズがおかしいのを何とかしたい。
そう考えていると母さんが俺に近づいてきて耳打ちした。
「ローズは男の職人に採寸されるの、初めてだったみたいよ。パルネアでは女性がやる事だそうで、付き添っていたリエンヌも驚く程動揺していたそうよ」
そうか……。耳かき文明人である前にパルネア人だったな。すっかり忘れていた。
「分かった。ありがとう」
俺は母さんに礼を言って、ローズを館に連れ帰った。
ローズの食欲は、朝にも増して減っていた。
さすがに強引に色々やり過ぎている自覚があったから、また食べさせるのは、本気で泣くか怒るかしそうだ。
いつでも食べられる様に、果物と焼き菓子を籠に入れて部屋に持って来るだけに留めた。ローズも一緒に連れて来て、いつも話すソファーに座らせた。
ローズはそれが嫌なのか、さっさと自分の部屋に戻ろうとした。
「今日は疲れました。もう寝ます」
説得力のある、よれっぷりだがこのままにはできない。ローズは明らかに怒っている。
「不満があるなら言え」
怒っているローズ相手に下手に出ると言い負かされる。俺が悪いのなら仕方ないが今回の場合、俺は悪くない。
昨日の夜の衝撃を思えば、俺は頑張っているとすら思う。
暫く黙って待っていると、ローズは言った。
「男性がお針子だとは、聞いていませんでした」
アイリス母さんの情報通りだ。
「ポートでは当たり前だ」
さすがに妻の裸を丸々見せる様な事は、職人相手でも許す訳がない。
採寸前に、やわらかく細長い布を締め付けない程度に巻き付けて、体形だけをはっきりさせる様にしてから採寸した筈だ。
その事を言うと、ローズが荒んだ笑顔で言った。
「職人の連れてきた女性達にグルグル巻き巻きにされて、訳が分からない内に首から下がミイラでしたよ……ええ」
「裸を見られた訳じゃないだろう。何が不満なんだ」
するとローズが顔を真っ赤にして涙目になってから、顔を両手で覆った。
「あんな全身タイツ的な恰好で、ヒップまで男性に採寸されるとか、何の拷問かと思いましたよ!」
全身タイツ?よく分からないが下着を新調するなら、尻は測って当たり前だろう。
「女性下着は上下で一揃えがポートでは普通なのだが、パルネアは違うのか?」
ローズは顔を覆ったまま、首を左右に振った。
「パルネアではコルセットが主流で、パンツでは無くてドロワーズなのです!かぼちゃパンツだからヒップの採寸なんてしません。大体の大きさで、出来合いの物を使用するのが一般的です」
ドロワーズを俺は知らない。……とにかくポートとは違うらしい。
「セレニー様だってドロワーズなのに、何で私がブラとお揃いの刺繍入り紐パンなのよ」
くぐもった声に敬語は混じっていない。思わず出た心の叫びなのだろう。
もう夫婦なのだから、そうやって普通に話してくれていいのに。ローズは取り乱した時しか敬語が抜けない。
がばっと顔をあげて、ローズは呟く。
「大体、グルグル巻き巻きをした女性が採寸すればいいのに、何で巻くだけ巻いて出ていくのか分からない」
言葉遣いもそうだが、グルグル巻き巻きとか、言葉そのものが幼くなっている。耳かき文明で子供のまま記憶が止まっているからだろう。
心の声で俺に話しているつもりは無さそうだが、一応答えて置く。
「作る職人が採寸して体形を見なくては、仕事にならないだろう」
しばらく呆然としていたローズは、はっとして呟く。
「どうしよう……セレニー様に黙ってセクシー下着になった事がバレたら、口利いてもらえなくなるかも知れない」
ローズは、そこでこちらを向いた。
「クルルス様は、ポート女性の下着の常識を知らないのですか?」
あ、戻った。
「ご存知だと思う」
答えると、ローズは更に言い募る。
「じゃあ何故、セレニー様にはポート流の下着を着けさせないのですか?」
「護衛の俺では……さすがにそこまでは」
そこまで踏み込んだ話はしない。
というかセレニー様の下着についての話などしたら、間違いなく俺の首が飛ぶ。
「セレニー様は今、ご自分の体形が変わって来ている事を凄く不安に思っています」
「腹に子がいるのだから、仕方あるまい」
「そうは言いますが、初めての経験なのですよ?そこで私がドロワーズをこっそり卒業したのを知られたら、信頼関係にヒビが入ります」
下着の形の違いが、そこまでの問題になるのが俺には理解出来ない。
俺としてはいい加減な下着で、城に出仕させるのは絶対に許可できない。……昨晩のアレを他の男に城で悟られでもしたらどうするつもりなのだ?
「セレニー様が妊娠中は、私もドロワーズのままにしたいのですが……」
「ダメだ」
即答したらローズが絶望の表情になった。
「何故ですか?誰にも見せたりしません」
「見せないなら、セレニー様も気にしないだろうが」
反論できまい。
「それとも、俺に下もどうなっているのか調べさせたいのか?」
ローズは千切れんばかりに首を振る。
「使用人に手伝ってもらって紐はしっかりと縛れ。決してずれないように。言う事を聞かないなら俺が毎朝縛るからな」
俺でなくては解けない様にしてやる。
「そんな!」
「新調した下着をちゃんと身に着けていれば済む事だ」
俺は、この事で引く気はない。
「昨日俺がどれだけ衝撃を受けたか、お前は分かっていない」
胸を覆う筈のものが、まるで役目を果たしていない状態だと知った衝撃。その状態でローズが無防備に腕の中で寝ていると言う現実。
俺は思わず額で手を組んで俯く。
「お前は俺をどうしたいのだ……」
昨日のアレは、いきなり裸を見せられるよりも破壊力があった。
想像力というのは恐ろしいもので、あの時服の下がどうなっていたのか想像して悶絶すると言う妄想地獄が頭の中に出現した。
この地獄を消すには、服の中は母さん達と同じだと言う暗示が必要だ。そう思わなくては、妄想地獄から這い上がれない。
「頼むから俺の為だと思って、下着はミロの店で買った物だけにしてくれ」
俺の深刻な願いが伝わったのか、ローズは反論しようとした口を閉じて諦めた様に言った。
「分かりました」
翌朝、急いで仕上げてもらった下着が届き、ローズにはそれを身に付ける様に言った。
ローズは少し不安そうな顔で朝食に出て来た。見た目は特に変わっていない。
あれだけ脅したし、使用人もちゃんと部屋に入って行ったから大丈夫な筈だ。
また朝食をあまり食べなかったから、人払いをして食べさせた。反論を許す事無くしっかり食べさせて共に城に出仕した。
次の日から、ローズはきっちり一人前を自分で食べる様になった。
二度と食べさせられたくない。と言う強い意思が透けて見えて、俺は何だか複雑だった。
それから数日、何事も無く過ごしていたがローズにいきなり呼び出される事になった。
「お願いです。ジルからも話をして下さい」
仕事中にも関わらず、呼び出して来たローズはかなり焦っていた。
「どうした?」
「セレニー様に下着の事がバレました。このままでは私だけでなくクルルス様も巻き込まれます」
「何故……そんな事に」
ローズは青い顔で言った。
「耳かきです」
「耳かき?」
「……ドロワーズは膝近くまである下履きです。それが無くなった事に、耳かきの際の膝枕で気付かれたのです」
そんな物を履いていたのか。そうならそうと早く言え!
「それで、どう答えたのだ?」
「ジルの命令だと……言いました」
間違えてはいない。確かにミロの店の下着だけを身に付けろと命令したのは俺だ。しかし、だからと言ってそのまま言うのはおかしいだろう!
「おい……まさかお前の下着がどうなっていたかと言う話を、俺からさせる気か?」
夫婦揃って、恥辱で死ねるな。
「そうじゃないです!それは絶対に言わないで下さい。ただ、クルルス様がセレニー様をずっとドロワーズにさせていた事に対して、強い不信感を持っておられます」
不信感って……俺には何故そう思うのか、全く理解出来ない。
「パルネア流のままで居ても良いと広い心でお許しになっていただけだ。そうお伝えしておけ」
「私もそう言いました。けれど納得されないのです。今は体形の事でとても神経質になっていますから、悪い方に考えてしまわれるのです」
とは言え、クルルス様に俺達から『どうしてですか?』なんて聞ける訳が無い。
それはセレニー様が直接クルルス様に確認すべき事だ。
「俺に何を言えと?俺はドロワーズとやらも知らないのだぞ?」
ローズは、言い辛そうに言った。
「それこそ、言えません」
そうだった。普通の夫婦なら知らない訳が無いのだ。
「パルネア人にとってポートの下着は隠す場所が少なく、露出度の高い卑猥にも思えるものです。ポート下着の現実を信じられないご様子で……ジルの趣味じゃないのかと何度も聞かれました」
ローズが、もそもそと言う言葉を頭の中で繋げて俺は一気に青くなった。
「もしかして、俺の好みでローズに卑猥な下着を着用させているとお考えなのか?」
肯定と取れる沈黙に、俺は慌てて言った。
「ポートでは当たり前のものだ!」
ミロの店は高級で品のある下着が売りだ。母さん達は先代の頃からずっと愛用している。だから、俺はちゃんとした下着を指定したに過ぎない。
「とにかく来て下さい。私の言葉は今のセレニー様には届きません」
俺に何を言わせると言うのだ!
「ちょっと待て」
俺の顔をローズは泣きそうな顔で見ている。
「ジルのせいで主従関係が失われそうなのに、助けてくれないのですか?」
俺のせいなのか?俺は間違えていない。そもそもローズの作った下着が悪かったのだ。
これはどう考えても、俺達の手に負えない。
「……クルルス様を呼ぼう」
俺が力なく言うと、ローズはほっとした顔になった。




