ポートの下着事情
リエンヌ・バウティ……クザートの母親。癒し系熟女。
アイリス・バウティ……ジルムートの母親。クール系熟女。
カリン・バウティ……ルミカの母親。可愛い系熟女。
ミロ……王都ポーリアの下着工房の店主。
ジルムートの命令で、お昼過ぎに仕事を切り上げてお母さん達の耳かきサロンへ行く事になった。
「ローズは今日、お義母様にお呼ばれしているそうね。ジルムートに聞いたわ」
セレニー様がにこにこして言う。
正しくは『お義母様達』なのだが、そこはさらっと流す事にする。
ジルムートは、城では必要な事以外殆ど話さないで影みたいに護衛をしている癖に、いざとなるとセレニー様相手でもちゃんと喋る。
結婚する時もそうだった。こうと決めた事に関しては、口を挟む隙も無い程に手回しが早い。
私からのプロポーズを受けた翌日の夕方には、私は書類上ジルムートの妻になっていた。
義妹からの手続き変更だから、普通は半年程かかる手続きだとか。……何をしたのか知らないが、例の黒いのを出してクルルス様や可哀そうな役人達に圧力をかけたのは、何となく分かっている。
「急なお呼ばれだけど、何かあったの?」
下着がなってないと叱られたので、作り直しに行ってきます。……とは言えないので、当たり障りの無い言い訳をする。
「結婚してから一度も訪ねていませんので、心配なさっているだけです。急ですいません」
「いいのよ。私が妊娠して忙しかったせいね。ゆっくりして来て頂戴。今日は午後から、若い侍女達とお茶会をしようと思っているの」
十代の侍女達は、頬を赤らめて目を輝かせている。
もう権力を傘に着て悪さをする様な者達はセレニー様に近づかない。近づけない。クルルス様の逆鱗に触れるからだ。
仕事をちゃんとやり遂げて自信を持つのも、セレニー様の信頼を得るのも、侍女達には良い事だ。セレニー様も体調がよくなったのだから気分転換は必要だ。
私は素直に身支度をして城を出ると、お母さん達のサロンへと向かう事にした。
「で、何でクザートが付いて来るの?」
「ジルが今日はどうしても外せないって言うから、代わりに俺なんだってさ」
そうだ。今日は午後からパルネアの高官との会議があるのだった。セレニー様は出席したがっていたが、クルルス様が、中層へ下りる階段が危険だと止めたのだ。
相変わらずクザート以外の騎士に私の護衛を任せないジルムート。どっちも過保護だと思う。
「一体、何したのさ?ジルがおかしかったんだけど」
「それはちょっと……夫婦の秘密と言いますか」
「新婚は大変だねぇ」
相変わらずの女たらしは、一人暮らしを良い事に娼館通いが激しくなっていると聞いた。
「クザートは結婚したくないのですか?」
「ローズちゃんは結婚しちゃったし……俺の女神は居ないなぁ」
女神……。ポート人男性の癖に口から砂を吐きそうなセリフを女性に吐くから、クザートはモテる。
しかし一般の女性に本気にされると困るから、娼館にしか行かないと言うのがクザートの持論だ。
「コロっと騙されておいて、思い詰めて死ぬとか言い出す女は本当に困る。ローズちゃんみたいに冗談と本気を見抜ける様な女が居れば、俺も考えるんだけどね」
冗談と本気って……全部冗談だろうにクザートの場合は。
「それは、本気で女性の相手をした事がある人の言う言葉だと思いますけど」
「そう言う所が、ローズちゃんは最高だと思うよ」
ケラケラ笑うクザートの足を思い切り踏んでやった。
フロントホックの製作に協力したお針子さんは信用出来ないとジルムートは言った。
いい加減な下着を作って代金を取るのは、プロとしての意識が低いと言うのだ。
……私が希望して作ってもらっただけに申し訳ないと思うが、お針子さんを擁護してもジルムートは折れないのが分かったので、大人しく従う事にした。
「母さん達に相談して、ちゃんとした物を身に着けろ」
ブラジャーの事は、ブラジャーの先輩に聞けと言う事らしい。
確かに日本では十六歳までしか生きていなかったから、ブラジャーのお世話になった期間が短かった。しかもスポーツブラと呼ばれる被るだけのお手軽下着だった。
伸び縮みする布は今この世界に無い。私もどうやって編めばあんな布になるのか知らない。だからスポーツブラの再現は諦めてフロントホックにしてみたのだが……。耳かきの完成にだって何年もかかったのだから、もっと慎重になるべきだった。
そんな訳でお母さん達の所を訪ねると、カリンさんとアイリスさんはお客様の相手中で、クザートの実母であるリエンヌさんが笑顔で迎えてくれた。
「いらっしゃい。もっと早く教えてくれれば、皆で待っていたのに」
なんて笑顔で言う。お母さん達は皆美人だ。リエンヌさんは美人と言うよりも、優しい印象が強い。安心して思わず色々喋ってしまいたくなる。
しかし今は、クザートが横に居るので事情を口に出来ない。
ジルムートからお母さん達に渡すように言われた手紙をそっと差し出して、読んでもらう。……ジルムートは本当に手回しが良い。
リエンヌさんの顔がみるみる厳しくなって、クザートの方を向くと言った。
「クザート、ミロの工房からお針子を連れて来なさい。私達が呼んでいると言えば、すぐに寄越してくれるから」
「分かった」
特に逆らうでもなくクザートは部屋を出て行った。女性下着の店に使い走りで行くポーリアの守護神。
申し訳ないのか恥かしいのか、訳が分からなくなる。
「ミロ工房はね、私達が結婚以来ずっと使っているバウティ家にはなじみの店なの。店主は変わったけれどずっと取引しているから品は確かよ」
リエンヌさんは、眉間に皺を寄せて言った。
「いい?下着でしっかり補正しないと胸は垂れちゃうものなの。若い内からちゃんとしないと後悔するわよ」
「垂れる程の大きさがありません」
私がしょんぼりして言うと、リエンヌさんは苦笑した。
「ジルムートはそれでいいと言っているのだから、綺麗に保ってあげるべきじゃないかしら?」
まさか裸を見られる様な関係ではありませんとは言えないので、力なく認める。
「そうですね……」
リエンヌさんは、珍しく怒った顔になった。
「簡単に脱がせられる下着は男を誘う娼婦のものよ。騎士の妻には騎士の妻にふさわしい下着があるの。貞操を守る義務があるから。ジルの妻なのだから、それに相応しい下着を付けなさい」
「はい」
やっぱり叱られるのは仕方ない。きちんとした身なりで夫は暮らしているのに、妻がだらしない恰好で居るのだから、夫も義母も怒って然るべきなのだ。
するとリエンヌさんは、すぐに笑顔になって言った。
「あの子達は力だけはあるから、下着を締めるのによく使ったのよ」
「へ?」
聞いてみるとジルムートを始め、バウティ家の兄弟は長年、母親のブラジャーを着ける手伝いをしていたそうだ。
女性の使用人が未婚女性だけであるポートでは、女性のブラジャーの紐をきっちり縛るのは時間がかかるのだ。
「大助かりだったわ」
ジルムートが、私の下着の異変を素早く察知した理由を理解した。ブラジャーの構造を知っていたのだ。……ずれているのに気付いて背中を確認したのかも知れない。結び目も何も無いのだからポートの下着では無いと気付いた筈だ。
「メイドにやってもらうのが嫌ならジルに頼めばいいのよ。あの子にやってもらうと早いわよ」
あり得ない。それは無理です!
とか言えば、今の状態を感知されそうなので黙っていると、リエンヌさんはふふっと笑った。
「初々しいわね。私達は三人同時にお嫁入りしたから、凄かったのよ」
同時に?
そうか……ポートではお茶会に出席した女性は全員、一人の男性にお嫁入りするんだったっけ。
「最初はカリンもアイリスも旦那様を奪う敵だったから、物凄く険悪だったのよ」
「お母さん達が険悪って、信じられないです」
「ポートの騎士の妻はやる事が無いから、お互いを蹴落とし合うの。伝統ね」
同じ立場の妻が数人、暇を持て余して一つ屋根の下に……。怖い世界だ。考えるのも恐ろしい。
それがどうやって今の関係になったのかは……聞かない方がいいだろう。気にはなるが、肝心の旦那様がお亡くなりになっている。
そこへクザートが戻って来た。
「ミロ本人が来たぞ」
「まぁ!」
リエンヌさんが嬉しそうに立ち上がるので、私も立ち上がってドアの方を向いて……絶句した。
来たのは、男の人だったのだ。
「バウティ家のリエンヌ様。お呼びにより参上しました。店主のミロでございます」
髭は綺麗に剃られ、こざっぱりとしているけれど、やっぱり男性だ。
「若奥様がいらっしゃるとお聞きして、ご挨拶にお伺いしました」
まさかこの人に下着を作ってもらうの?
「この子よ。ローズと言うの。お城で王妃様の侍女をしているの」
「ポートの女神たる王妃、セレニー様の侍女だとお聞きしています。櫛工房のカルクからも聞き及んでおります。素晴らしいお方だと」
櫛工房は、今耳かきで大儲けをしている。カルクは初対面の時と違って私に優しくなった。仏頂面のジルムートにも気さくに声をかける明るい人なのだと言う事は後で分かった。工房の職人なのに、材料の仕入れを任されているのは、この性格が仕入れに向いているからだと思う。
ミロと言う男が、私の前にやって来る。
「ローズ様、下着職人のミロでございます。今後ともよろしくお願いします」
もう決定?これから先もずっと?
戸惑っているとクザートが手を挙げた。
「じゃあ、俺はこれで」
クザートは相変わらず逃げ足が速い。あっと言う間に居なくなった。
焦っていると、リエンヌさんが言った。
「大丈夫よ。おかしな事があれば商売が成り立たない世界だから、恥じる様な事は無いわ」
ポートは男社会。女性が職人になるなんて長年あり得なかったのだ。つまり服も下着も、お針子さんが女性じゃない環境だったと言う事だ。
王宮ではセレニー様の為に外国から女性のお針子さんを雇い入れていた。そして同じく女性であるお弟子さんを私は紹介してもらったから、ずっとポートのお針子事情を知らないままだった。
フロントホックに挑戦したせいで、こんな事になるなんて!
「職人の誇りにかけて、ジルムート様にご満足いただける下着をご用意します」
プロ意識は半端ないけれど、物凄く不安だ。私じゃなくて、ジルムートを満足させるって考え方が絶対おかしい。
「採寸からお願い」
リエンヌさんがそう言うと、ドアから控えていた数人の男性お針子さんが登場した。
ギャアアアアアアアア!
しかしリエンヌさんはニコニコ笑っているし男性達も平然としている。ポートではこれが普通らしい。
「パルネアでは夫以外の男性に肌を晒すのは、不義とされていまして……その」
「うちの工房を利用しているご婦人方は、夫を裏切る不埒者だとおっしゃるのですか?」
「とんでもないです!」
抵抗……できない。
「分かって頂ければ良いのです。海外から来られたお客様も若奥様と同じ反応をなさいますが、出来上がった下着にはご満足いただいております。どうぞお任せ下さい」
気絶したい。本気で気絶したい。ウミガメの話の時みたいにバタっと行くのよ!ローズ。
しかし気を失う事は出来なかった。あの当時よりもポートの社会に慣れて、強くなってしまったせいだ。
そうだ。お医者さんが男でも目の前で服を脱ぐのだから、下着職人の人が男性でも多分平気……。うわぁぁん。平気じゃないよう。誰か助けて。
助手のお針子さん達が出て行った後、テーブルにはリエンヌさんと、採寸した寸法を見ているミロ、そして脱力してぐったりした私が残された。
私が呆然としている横でリエンヌさんとミロが、デザインの話をしている。
「明日お届けする物は染色できませんが、若奥様はポート人と違い肌の色が白いので、淡い水色やピンク色に染めた布を使用して同じ色に染めたレースをあしらえば美しいと思います」
「いいわね。それで刺繍をしてもらえるかしら?」
「お名前にちなんで、薔薇の花など如何でしょう?」
「素敵ね。でもそれだけでは寂しいから、一枚は蝶も一緒に刺繍して頂戴」
「かしこまりました」
そうしていると、勢いよく扉が開いた。
「リエンヌ、ローズが来たそうね」
入って来たのはアイリスさんとカリンさんだった。
立ち上がって、ミロが頭を下げる。
「あらぁ、ミロじゃないの」
お母さん達が三人揃い、ジルムートの手紙が回し読みされ、ミロが苦笑する中で残る二人にもお説教される事になった。
酷い一日だった。