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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
耳かきしたら、騎士に懐かれました
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新しい関係

 ローズの熱は、夜中には落ち着いた。

 あんなに苦しそうだったのに、すっかり元通りだ。今はベッドで座っている。本当に記憶が戻る際に出る熱だったらしい。

 ほっとしたら、腹が減って来た。

「腹は、空いていないか?」

 ローズは、はっとした様子で立ち上がろうとする。

「ジルも食べていないですね。厨房で貰って来ます」

「その恰好で行くのは止せ。俺が行って来る」

 ローズは改めて、自分が寝間着姿で汗をかいていた事に気付いたらしく、恥かしそうに俯く。

「俺が居ない間に着替えて置け。冷えると風邪を引く」

 俺としても、首に汗で張り付いた髪の毛なんかを見ているのは、胸がざわざわして落ち着かない。

「分かりました」

 俺は部屋を出ると、城にある上層の不寝番の護衛が詰めている部屋で、少し雑談をして夜食を分けてもらった。

 戻って来てノックをした。

「入っても大丈夫か?」

「……はい」

 片手に夜食と水の瓶の入った籠を下げて中に入ると、いつか見た覚えのある普段着を着たローズがベッドの端に座っていた。

 初めて城の外へ出た時に着ていた服だ。

 あの時、子供の様に泣いていたのは未だに鮮明に思い出す。

 あの頃より、俺はずっとローズの事を知っている。あの時、追い詰める様に話を聞いてしまった理由も今なら分かっている。

 気持ちから目を背け続け、ずっと苦しんだ。今も苦しい。でも、どんなに苦しんでも離れようとは思わない。

 俺がじっと見ていると、居たたまれない様子でローズが言った。

「それ、食べませんか?」

「あ、あぁ」

 俺が椅子に座ると、ローズが籠を渡すように手を差し出したので、素直に手渡す。

 ローズは、それを小さなサイドテーブルに置くと言った。

「この服しか、ここに予備が無かったので……」

 館で着ているのを一度も見なかったのは、城に置いて来たからだったのだ。

 サイドテーブルの脇の椅子に俺が座り、ローズがベッドに腰かけて夜食を食べる事になった。

 保存食として焼かれた、ドライフルーツの入った塩味の強い焼き菓子と水を、二人でもそもそと食べる。

 無言のまま食べ続けた後、ローズが視線を膝に落として言った。

「今からする話は、あくまでも私からの提案です。嫌なら断って下さい」

 一体、何を言うつもりなのか。心配になりつつ続きを待っていると、ローズはこちらをじっと見て言った。

「私と、結婚してくれませんか?」

 俺は、何も言えずに硬直した。

 ローズが俺に、プロポーズしている!

「夫婦として形だけでいいのです。同じ部屋で寝る必要はありません。ただ、私があなたの妻であると周知して欲しいのです。私の安全の為に」

 嬉しいのに、酷く落胆している自分が居る。俺は複雑な気持ちで聞いた。

「……そんな結婚でいいのか?」

 ローズは一つ頷いた。

「身勝手なお願いだと分かっています。けれど、結婚するなら……ずっと一緒に居るなら、あなたがいいと私は思っています」

 頭の中に、何か甘くてどろりとした物を流し込まれた気がする。

 鈍ってしまった頭を一度振って、再度ローズを見るが、ローズは落ち着いて居て全く動じていない。

「私は別の世界で一度死んで、この世界に産まれました。折角生まれ直したのに、後悔する様な生き方をしたくないのです」

 やはり俺と人生を共にする事を、強く望んでいると言う言葉が聞こえる。幻聴じゃない。

 どんな顔をしているのか自分でも分からないが、さっきから上手く呼吸が出来ていないのは分かる。

 ローズは、そんな俺を見たまま俺の手を握る。

 戸惑っている俺の様子も分かっているだろうに、ローズは続けた。

「あなたは、前世の記憶持ちの私を受け入れてくれました。ずっと守ってくれました。だから、あなたがいいのです。他の人ではダメです。だから断るなら……守るのは大変でしょうが、妹としてこれからも側に置いてください」

 これは……都合の良い夢なんじゃなかろうか。俺にとって都合が良過ぎる。

 俺が空いている手をローズの手の上に重ねても、ローズの手は逃げなかった。

 暖かい感触も本物だ。

「夢じゃない……」

 俺が言うと、ローズが少し笑った。

「あなたが熱を出した私をずっと心配そうに見ているから、どうすればいいのか、一生懸命考えていました」

 俺はローズが心配し過ぎて、自分の言った事や今後の態度について、どうしたら良いのか全く考えられなかったのに。苦しそうだったのに、こんな事を考えていたとは……。

 俺は、お前に対する気持ちを、偽らなくてもいいのか?

 思わず抱きしめたい衝動に駆られ、手を持ち上げると、ローズが慌てて俺の手を止めた。

「必要以上に、私に触れてはいけません」

「何故だ?」

「私は一生セレニー様に仕えるつもりです。あなたの妻になりたいのは、気持ちと利害の上での事です」

 ローズは、見慣れた侍女の表情で言った。

「私の心は一生あなたのものです。でも、体が奉仕するのはセレニー様に対してだけです」

 息を詰めてローズを見たが、ローズは決めているのか全く動じていなかった。

 セレニー様に焼き付く様な羨望と憎しみを覚えたが……俺がそもそも結婚を拒んでいたのは、自分が嫌いで、自分に似た子供が欲しくないからだ。

 ローズの申し出を有難いと思えども、批判する事は出来ない。

 それでも一縷の望みを込めて、俺は聞いていた。

「耳かきは、いいんだよな?」

「妻にして下さるなら、お好きな時に」

 妻にすれば……。確かに妻なら、そうしていても誰も咎めない。

「どうされますか?」

 ローズのこの顔には覚えがある。……初めて会った時、耳かきを続けるか否か、聞かれた時の表情だ。

 絶対に負けない勝負をしようと、必死に考え俺に挑む顔だ。

 俺に挑む女はこの世界では、ローズだけだろう。こんなに小さな手で、華奢な体で、俺を屈服させに来る。

 俺はこの気持ちの強さに一瞬で惹かれたのだ。

 また負ける。……ローズの事をどれだけ知っても、俺は勝てないのかも知れない。それでもいい。この女が俺の側に居てくれるのなら。

 俺は、ローズの手を強く握って言った。

「お前と、結婚する」

 昼間と逆の事を言う自分に対して、もう思う所は無い。逆に清々しい程に素直になれて、気分の晴れる自分に気付く。

 改めて、とても苦しかった事に思い至る。もう……ローズを好きだと思う気持ちから目を逸らさなくて良いのだと思うだけで、強張っていた気持ちが楽になっていく。

 今まで言いたくても言えなかった言葉が口を突いて出て来る。

「俺の妻だと言わせてくれ」

「はい」

「一生、側に居てくれ」

「はい」

 一瞬、父の顔が思い出され、自分に重なる。傲慢な願いを口にしたかも知れない。

 やはり好きと言う言葉は、口に出来なかった。

 ローズに自分がどう見えるのか考えて、思わず目を強く閉じてしまう。

「俺を……嫌いにならないでくれ」

 ローズの手が、俺の手を強く握る感触を感じる。

「ジル」

 呼ばれて目を開けると、苦笑したローズの顔が見えた。

「あなたは最強の騎士なのでしょう?侍女相手に、情けない事を言わないで下さい」

 俺は首を左右に振った。情けないなんて少しも思っていない。

「お前の秘密を知った時、俺は少しだけ有利になったと思った。でも間違いだった」

 俺はローズの手を握ったまま、椅子から立ってローズの前にひざまずき、ローズの手に額を押し当てた。

「ローズが居ないと、俺は生きて行けない」

 父殺しの罪人だから、全てを諦めたつもりだったのにローズだけは諦めきれなかった。

「俺は、セレニー様にすら嫉妬する狭量な男だ。夫にしたら逃げ出したくなるかも知れない」

 だからと言って、他の男の元にお前を嫁がせる事も出来ない。

 浅ましい心をそのまま映した言葉を言い澱んでいると、声が降って来た。

「逃げません。逃げられないから結婚すると言っているのです」

 顔を上げると、ローズが不服そうな顔をしていた。

「出会った時に、自分の手に負えない者を手懐けてしまったのだと、後になって思い知りました。物凄く怖い狼に懐かれたら、誰だって戸惑うし警戒します」

 物凄く怖い狼って、俺の事か?

「でも一緒に居続ければ慣れます。どんな性質なのかも分かります。怖くないなら、飼うしか無いじゃないですか」

 ローズは不機嫌そうなまま視線を逸らし、少し赤くなった。

「私にしか懐かなかったのですから、いらないなんて言ったら、私が捨てる事になるじゃないですか。そんな酷い事、出来ません」

 カメの死ですら気絶する様な女が、狂暴な狼の飼い主になるのは、相当勇気が必要だった筈だ。

「ありがとう……」

「感謝してどうするんですか!飼うとか言われているのですから、少しは怒って下さい」

 呆れた声で言われたが、俺は気にならなかった。

 こうして、ローズ・バウティは、俺の義妹から妻になる事になった。

 周囲は驚いたり呆れたりしていたが、俺はそんな事どうでも良かった。母さん達は勿論、クルルス様とクザートは、心底喜んでくれたから、それでいい。

 とにかく、結婚して良かった。の一言に尽きる。

 談話室で耳かきをしてもらっていても、誰も咎めないのは最高だ。

「こら!」

 犬の様に叱られながら、俺はローズの膝枕で腰に腕を回して腹に抱き付く。

「そう言うのはダメだって、結婚前からの約束でしたよね?」

 赤くなって、少しプルプルしながらローズが言っているのが妙にくすぐったい。嫌じゃないのだ。照れているのだ。

 それを感じたくて、悪いと思いつつ繰り返してしまう。

「そうだったかな?」

 そう言いながら腰から腕を放し、頭も太腿の中心へと移す。

 注意を受け入れれば、ローズは追及して来ない。最近、俺はそれを学習した。

「談話室のソファーが広いのも考えものですね」

 俺が、足を延ばして耳かきの出来る場所はここだけだ。

 ここなら俺が体を反転させるだけで、両方の耳を手入れできる。

「じゃあ、俺の部屋に同じソファーを入れよう。使用人にも見られないで済む」

 見上げると、ローズは真っ赤になって口をへの字にしていた。

「ここで、いいです」

 可愛い嫁との暮らしは、まだ始まったばかりだ。

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