ローズ、クザートに事情を聞かされる
幼い頃から、私の別世界で暮らしていた記憶は発熱の都度はっきりしていた。
大抵、大きなショックを受けた時に発熱し、記憶がボロボロと落ちてくる。
地方の屋敷を処分して、城下町に引っ越した頃までが一番発熱が多かった。それからは徐々に減って、殆どこんな事は起こらなかった。だから、私の別世界の記憶はそこまでなのだと思っていた。
しかし今日、その先があった事を思い知る事になった。
結婚を強く拒むジルムートの言葉と、自分がバウティ家のお荷物であると言う事実が衝撃的で、思い出した。
私の両親は、離婚をしていた。この世界には無い風習。結婚を辞めると言う事だ。
それまで家族は三人だったのに、一人一人バラバラになってしまった。
父は去り、母は私の養育が重荷になっていた。
一軒家に住んでいたのに小さなアパートに移り住み、朝から晩まで母は働いていて、家に居なかった。
大好きだった家族もペットのカメも居なくなって、私は酷く寂しかったのだ。だから、去ってしまった父にしてもらった耳かきの思い出に浸って、寂しさをやり過ごしていたのだ。
そうやって高校生になった年、私はアルバイトへ行く途中、雨でスリップしたバイクの直撃を受けてあの世界での生を終えたのだ。
だったら心機一転、楽しく過ごせば良かったのに……思い切り前世を引きずっている。
働くのが好きなのは、働ければ誰の重荷にもならなくて済むと知っているから。
結婚したくないのは、どんなにお互いを想っていても心変わりすると知っているから。
この考えは、思い出せなくてもずっと根底にあったのだ。
ジルムートの抱えている事情は知らない。ただ結婚しないといけないのであれば、相手は誰でもいいなと、思ったのは事実だ。
だから鼻血も出ていたので、口実にして早退したついでにクザートを呼んで、話を持ち掛けようとしたのだ。
「立ち聞きしていて、いきなりドアが開いたから怪我をしたのか?」
「はい……」
「それは護衛騎士が、部屋の外に気配を感じた時にする定番の方法だ。ジルは王の護衛だから、そりゃ、するだろう」
立ち聞きなんてするものじゃない。もう二度としない。
「それで、何を聞いたの?」
「私が未婚だから他の騎士に任せられないって話と、ジルが結婚をしないと言う話です」
クザートが、げっそりした表情になった。
「ああ、それね」
「ごめんなさい。お迎えはてっきり同じ家に住んでいるから、ついでなのだと思い込んでいました」
「それもある意味正しい。他の騎士に頼むのは手間でもあるし」
クザートは苦笑した。
「ポートの騎士団と言うのは競争社会だから、仲間意識があってもライバルは蹴落としたいって思う心理も働く。ジルは騎士団の頂点に長い間居るから、どうしても若い騎士は代替わりを夢見てしまう。無理だけどね」
「私が、クザートとジルの弱点になっているって事ですよね?」
「そうでも無いよ」
クザートは、けろっとして言う。
「仕掛けた方が後悔するのは目に見えているからね」
クザートが武闘大会で戦っているのを、去年初めて見た。
恐ろしく強かった。決勝戦にいきなり出て来たので、何かと思ったが圧勝だった。
「一度、仕掛けてくるといいんだ。ジルの強さを思い出すから。それで事は収まる。ローズちゃんが心配する事は無いよ」
恐ろしい事を言っている。それは、暗に私を囮にすると言っているも同然だ。心配するなと言うが、不安だ。
第一、ジルムートは黒いのを飼っている。あれを解放して暴れたら、地面から草一本生えないのではないだろうか。
「だから、俺と結婚するとか言わないでね」
いきなり、釘を刺されてしまった。
「俺はまだ死にたくないから」
意味が分からないが、クザートはダメらしい。
「他の奴もダメだよ」
また先回りされる。……この変人は頭が切れ過ぎだ。
「大事なのは、ローズちゃんが頑張る事だ」
「頑張るのですか?」
「そう。ジルが結婚しないって言っても、見捨てないでやって」
「見捨てるも何も……関係ありません」
「突き放さないで。頼むから」
クザートの顔が真剣になる。
「あいつは自分で自分を縛って、身動きが取れない。助けられる女性は、もうローズちゃんしか居ない」
「そんな事……」
「ジルの中身を好きになってくれているよね?本当は争いが嫌いで、騎士なんて向かなくて、耳かきが好きな、優しいジルを」
好き?私がジルムートを?
そう思った途端、出ていた熱が一気に上がった気がする。
「ローズちゃん……もしかして熱がある?」
泣きそうな顔になってしまったのは言うまでも無い。
誤魔化せると思っていたのに、バレたから。
クザートに促されて城の医者に診てもらって、不味い解熱のお茶を飲まされた。そんなのでは治らないのは自分が一番知っている。
後は寝ているしかないと言われ、クザートに城の部屋で寝ている様に言われた。
部屋に一通りの物を準備してくれた後、クザートが言った。
「ローズちゃんも、お互いを好きで夫婦になれる者が少ないのは知っているよね?」
この世界では当たり前の政略結婚。
分かっているから頷くと、クザートは続けた。
「だったら好きな者同士が結婚できるのに、しないなんて……贅沢と言うよりも、馬鹿だと俺は思う」
馬鹿……。
「俺だって君の事は好きだよ」
「え……」
「でも、君の気持ちが俺に向いていない。ジルの気持ちに勝てるとは思わないから、俺は黙っているだけだよ」
「どう、して?」
「ジルがどれだけローズちゃんを大事にしているのか、分からない訳じゃないだろう?」
城から出られない筈だった私を城から連れ出し、身の安全の為にバウティ家に入れて義妹に据えた。その後もずっと守ってくれている。
バウティ家の権力を振い、ジルムートは私を守り続けている。
クザートは、家長であるジルムートの決定に従っているだけなのだ。クザートの中では、私よりもジルムートの方が大きな存在だから。
ルミカの好きも、ジルムートに対する敬意に遠く及ばなかった気がする。
二人共、ジルムートになら何でも差し出しそうな態度をいつも取っている。ジルムートが何も望まないから分からないだけで、ずっとそうだった。
「何で、そんなに、ジルは……特別なの、ですか?」
熱で呼吸が浅くて、上手く喋れない。
「熱で浮かされて見た夢だって思ってくれるなら、話すよ」
つまり、誰にも言うなと言う事だ。
「そう、します。誓います」
クザートは言葉を選びながら、静かに話を始めた。
拷問人形と呼ばれる、ポート王国の建国前から存在する王を守る家系の事。その家に生まれた男児が、家長に如何に扱われるか。
そしてルミカとクザートを守る為に、ジルムートが命を懸けて父親に逆らった事。結果、父親が亡くなってしまった事。
そして家族を守る為に、十歳で城に出仕しなくてはならなくなった事。
「父上が生きて起き上がったら、ジルは間違いなく殺されていた。だから俺もルミカも、あれで良かったのだと思っている。俺が不甲斐ないせいで、十歳のジルムートを城に出仕させてしまったのは後悔している。……俺は父上の訓練で体を壊し、肺を病んでいて治すのに時間がかかった。出仕している間にあいつは父殺しと呼ばれ、すっかりそう思い込んでしまった」
結果、死なせてしまったけれど、意図して殺そうとした訳じゃない。
クザートは、ジルムートがその部分を理解しない事に腹を立てていた。
「ジルは強かった。跡継ぎのあいつは黙って、俺とルミカが死ぬのを見ていれば良かったんだ。歴代の騎士達も、代々そうして家長を継いで来たのだから。でも、ただ見ている事が出来なくて……優しいから俺達を救ってくれたのに、今も傷ついたままだ。俺達の言葉は届かない」
ジルムート達と父親は、どちらかが居なくならない限り潰し合う関係だったのだ。
仕方ないで割り切れない何かを、ジルムートは胸に抱えて生きている。
それが誰とも結婚しない理由なら、理解出来る。……子供を持ちたくないのだ。
「しかもジルは父上に瓜二つだ……父上を知る者達は、ジルを見て顔を強張らせる程に。中身が全く違うのは話せばすぐに分かるのに」
亡くなった父親と姿がそっくりだとしたら、鏡を見る都度思い出すだろう。自分が何をしたのか。それは辛すぎる。
自分の為でなく、人の為に泣きたくなったのは初めてかも知れない。
クザートは、私の頭をそっと撫でた。
「ジルの気持ちに寄り添ってくれる者しか、俺もルミカも家族とは認めない。母さん達も同じだ。君だけだ」
泣かない様に我慢しているのに、視界が歪んでくる。
「君に他に好きな人が居るなら、こんな事は言わない。でもジルの境遇を受け入れて泣くのは……好きだからだよね」
否定できない自分に困惑していると、クザートは私の涙を指ですくいながら苦笑して言う。
「そんな君だから、俺は好きなんだ」
クザートは、頬をするりと撫でて手を離した。クザートにとって、ジルムートの幸福が一番大事なのだ。だからクザートの私に対する好きは、完全に兄としてのそれなのだ。
「私……どうしたら……」
「ジルがきっと様子を見に来るから、その時に素直になって。それだけでいい」
一瞬で涙は引っ込んだ。
そんな!せめて考える時間が欲しい。
「ジルが、明日まで、ここに、来ない様に、出来ませんか?」
「出来るけどしない」
「え?」
「二人共、色々考え過ぎなんだよ。考える時間が無い方がいい」
私もジルムートも大人ですから、そこまでしなくていいです!
「やめて……ください」
立ち上がりながら、クザートは言った。
「それは無理。いい機会だからちゃんと話してね。……ジルが最近おかしいんだけど、心当たり無い?」
ギクっと体が跳ねる。
耳かきされた日以来、ジルムートの空気が大きく変化したのは私にも分かっている。
必死に築いていた壁が壊れて、一気に距離を詰められた感覚はあった。でも深入りはして来なくて、ほっとしていた。
たまに自分の世界に入り込んで、真っ黒に空気を染めてニヤニヤしているのは知っている。……私の弱みを握っているのが凄く嬉しいだけなのだと私は知っているけれど、他の人は知らない。当然、怖い。人類抹殺計画でも考えていそうに見える。
護衛中にもしばしばやっているらしくて、クルルス様が困っているとセレニー様から聞いたけれど知らないフリをした。
「あのまま放って置くと、クルルス様の政務に差し支える」
そこまで酷いのか、ジルムート。
「ローズちゃんを好きなのに口に出来ないから、こじれてあんな風になる。ローズちゃんから歩み寄って、あの黒いのを消してくれ。頼んだよ」
クザートはそれだけ言うと去って行った。クザートは逃げ足が恐ろしく早い。熱が出ている私が、引き留めるのは無理だった。
ジルムートは、もう少しで三十歳にもなるのに公私混同して……何を考えているのやら。
「うわ」
そこで結論に辿り着いて、声が出た。隠せない程に、私を好きだと言う事だ。
……出会った頃から頭の何処かで知っていた。
まるで子供みたいな感情をこちらに向けて来る事もあるし、私の中にも平気で踏み込んで来ようとした。あれは、好きな相手を知りたいと言う純粋な気持ちだけで出来ていた。
ジルムートは無自覚だったかも知れないが、鉄面皮で普段は無表情なのに、私にだけ表情豊かで従順なのだから明け透けもいい所だった。
そんな純度の高過ぎる気持ちに、私は及び腰になったのだ。
あれを受け入れてしまったらジルムートの気持ちに引きずられて、自分の考えが持てなくなりそうだと思ったのだ。
異常に高い熱に翻弄された挙句に冷めてしまうなんて、考えるのも嫌だった。
どうせ冷める。長続きはしない。
私の予想は裏切られた。四年経ってもジルムートは変わらなかった。
そして私は、うっかり内面を晒してしまった。ジルムートの抱えている過去も知ってしまった。
もう逃げられない。ジルムートからも自分の気持ちからも。
私はため息を吐いた。
そして……ジルムートが、来たのだ。