誕生
ハディク・マハドル……アリ・マハドルの弟子で養子。元はバウティ家の従家騎士の子供だったが、父親がオズマ・カイマンに歯向かって殺害された際に、アリに引き取られる事になった。
俺が現役のリヴァイアサンの騎士を館に集め、俺とローズの間に生まれる子供の特殊な立場について話したのは、各国の賓客が居なくなった後の事だった。同時にリヴァイアサンの騎士がどういう状態なのかも語る事になり、全員がかなり複雑な表情になっていた。……セイレーンが同化している事が全ての根源だと分かったからだ。
全てを話した後も、沈黙が続く事になった。
やがて気分が悪いと言って、ずっと被っていた兜を外したのはハリードだった。久々に顔を見た気がする。全員が見つめる中、茶を一気に飲んで大きく息を吐く。対人恐怖症なのは相変わらずだが、最近はあらゆる場所に呼び出しても、大人しく出てくる様になった。
「見ないでくれ。吐くぞ」
ぼそりと言って俯くので、全員視線を元に戻す。
「ハリードの気持ちは分からんでもない。俺も得体の知れない者が体内に居る事を知って、恐怖を感じた。しかし今力を失う訳にはいかないし、セイレーンも己の使命を重要視しているから同化を解く事はないだろう」
俺の言葉を受けて、ルミカが肩をすくめて言う。
「気味が悪いけれど、仕方ないって事ですね」
全員がため息を吐く。感じ方に違いはあれど、気分の良い話で無かったのは事実だ。
「一つ聞いてもいいですか?モルニオンって何ですか?」
コピートからの質問に対して、返答に困る。セイレーンに聞いた程度の知識しかないからだ。
「魔法使いにはモルニオンを生み出し吸収する器官がある。俺達にはありません。この差がよく分からないし……見えないから今一ピンと来ないと言いますか」
クザートが困った様子で応じる。
「それはアリ先生とハディクの管轄だ。俺達が考えてどうこうする問題じゃない」
また全員がため息を吐く。アリ先生に話すと思うと気が重い。きっとセイレーンを目覚めさせようと俺達の体に色々な事をし始めるだろう。ハディクと言うのは、アリ先生の弟子でモイナとミハイルの教育をしている王立研究所の学者だ。アリ先生に比べると穏やかで大人しいのだが、リヴァイアサンの騎士相手に、研究となると一歩も譲らない。多分、アリ先生と同意見だ。
「アリ先生に話さないと言う訳にもいかない。迷惑をかける事になるが、研究に協力して欲しい……できる範囲で」
酷い要求もしてくるので、突っぱねても良いと言う意味で最後の言葉を吐き出す。
「それで、今回話を詳しくした一番の理由なのだが、ポート騎士団の序列制度を廃止したいと思うのだ」
「廃止ですか?」
ナジームの言葉に俺は頷く。
「これからも武闘大会は続けて行くし、武闘大会で一定以上の成績でなければ城の護衛になれないと言う部分は変えない。このラインは後々設定するが、これだけでは足りないから騎士学校の卒業生と言うのも資格に入れようと考えている」
「騎士の仕事は護衛ですが、海外からの賓客の護衛にはマナーも海外の文化知識も必要ですし、妥当だと思います」
ナジームがそう言うと、ラシッドが続ける。
「騎士団の書類の始末を、ほぼ全てリヴァイアサンの騎士だけがしているのはかなりの負担です。ジルムート様のお子様の支援を考えると、子供世代の負担を減らして何とかしなくてはならないでしょう。リヴァイアサンの騎士が居なくても、城の警備や予算を回せるような構造が必須かと」
「そう言ってもらえるとありがたい」
「当たり前です。迷惑をかけるからと黙っていられるよりも、ずっと良かったと思います。俺達の子孫がポートに延々と縛り付けられずに生きていくにも必要な流れだと思いますし、気にしないでください」
ラシッドがそう言えば、他の者達も肯定の意を示す。
「……やってみなければ分からない事も多いが、騎士学校の設立はクルルス様の希望でもあったから話はすぐに通るだろう。その後ある程度の骨子は俺達から提案し、王立研究所で細部まで詰めてもらおうと思っている」
「それで良いと思う。骨子のまとめは俺がやろう。意見を書いて各自提出してくれ」
クザートがそう言って話をまとめた。
「兄上、いいのですか?」
「モイナの事があるから、俺としてはやらせてもらった方がいい」
そう言われて、改めてモイナがクザートの娘ではあるが故に、騎士団への入団から逃れられない立場に居る事を思い出した。かつて、武闘大会で大々的にクザートの娘である事を俺が公言してしまったせいだ。
顔に出ていたのかも知れない。クザートに肩を叩かれた。
「どうせ俺の子である事は騎士団の一部に伝わっていたのだ。パルネアで誘拐されて行方不明になっていたら、それこそ俺もディアも目も当てられない状態になっていただろう。そうならずに今家族で暮らせているのは、俺達にとって良い事だ。全ての問題が排除された状態ではないが、それは俺達家族の問題で、お前の責任ではないよ」
「そう言って頂けるなら……お願いします」
「任せておけ」
クザートに任せておけば、騎士学校は上手くいく筈だ。また兄に頼っているとアリ先生に叱られそうだが、ここまで言われては任せない訳にはいかない。実働の負担を減らすにも良い筈だと結論付けて、俺は話題を変える。
「それで話は変わるのだが、アレクセイの事だ」
アレクセイには、ミラがポートに居て会いたがっている事を伝えている。アレクセイも、俺達に遠慮していたのだろう。ミラに会いたい気持ちが一気に強まったのか、ここ最近急激に回復し始めている。その事情を話した上で俺は話を続ける。
「できればミラ妃に会わせてやりたいが、王子として会わせる訳にはいかない。アレクセイ本人が、目や髪、肌の色は変えられるそうなのだが……肩書が無いのだ。城からミラ妃を勝手に連れ出す事が出来ない以上、アレクセイに肩書を与えて城に入れるようにせねばならない。知恵を貸して欲しい」
グルニア人以外の人種になりすます事は出来るのだが、城に入るだけの肩書が無ければ意味がない。これから先もポートで生きていくのに必要な事もあり、何とかしたい所なのだが良い案が無い。
暫く考えていると、ルミカが言った。
「生粋のグルニア人の容姿である上に、整っている顔立ちは嫌でも目立ちます。目の色や髪の色だけを変えてパルネア国籍を用意するのが無難かと思います。幸い、パルネア人はグルニア人と容姿が似ています。疑われる事は無いかと」
「問題は戸籍だな……」
「それなのですが、実はアネイラには行方不明になっている叔父が居ます」
ルミカの話ではアネイラの父親には弟が居て、パルネアの貴族制度が無くなる際に家を出てしまい、それから手紙が何年かに一度届いていたらしいのだが、ここ十年程それが途絶えていると言う。
「パルネアに居た頃、アネイラから俺に行方を捜して欲しいと相談を受けた事があるのです。俺の方で調べた限りですが、妻と息子が居ました。……一家の住んでいた家は、がけ崩れで無くなっていました」
よそ者だったアネイラの叔父は、立地の悪い場所に家を建てて細々と暮らしていた様だ。その後、妻子共々災害に巻き込まれたらしい。
「戸籍を調べてみると結婚と出生の届出がありました。息子が丁度アレクセイくらいの年頃なので、この戸籍を流用できるかと思います」
「死んでいるのに、死亡者扱いされていないと言う事か?」
「はい。元貴族である事に村の者達が気付いていた事もあって、親しくなろうとする者が居なかった様です。死亡の届け出は出ていませんでした」
「アネイラは届出をしなかったのか?」
「言えませんでした。崖の崩れた現場を放置しましたので」
ルミカは目を伏せる。……何年も野ざらしにされ、弔いもされていなかったらしい。土砂と瓦礫を掘り返し、遺体を弔うとなると調査に来ただけのルミカでは無理だった為、放置してきたと言う。何度も通って土砂を掘り起こす事も考えたが、ポート人であるルミカは目立つ。しかもそんな暇もないまま、グルニアへ一人旅立つ事になったらしい。
少し考える。俺達にとっては都合の良い話ではあるが、アネイラがどう思うかが問題だ。ルミカがまたアネイラを傷つける様な事があれば、ローズが良い顔をしないだろう。
「アネイラ殿には申し訳ないが、協力してもらわねばならないでしょう。魔法の使えるパルネア貴族の血筋でポート騎士団に縁があるとなると、ローズ様を除けばアネイラ殿しか居ません。アレクセイがとっさに魔法を使ってもおかしくない様な出自は、他に用意出来るか分かりませんしね」
沈黙を破る様にラシッドが言う。反論の要素は無いが……。
「ルミカ、アネイラに話せるのか?」
俺の問いに、ルミカは苦笑した。
「話しますよ。……これを言い出した時点で覚悟は出来ています」
「では、任せるぞ?」
「はい」
アネイラは、ルミカの話をジャハルと一緒に聞いた後、ルミカの顔を思い切り平手で張ったらしい。その後、泣きながら言ったそうだ。
「ルミカなら何とかしてくれるって、私思い込んでた。辛い思いさせてた。ごめんね」
アネイラは叔父一家の不幸を悲しんだが俺達に協力してくれる事になり、アレクセイは『タイラー・リルハイム』の戸籍を手に入れる事になった。
騎士学校の設立も無事に承認された。モイナが一期生として入学できる頃を目標に、調整がされる事になった。
そうして布石が打たれた頃、俺達の子が生まれた。
生まれるまで、丸一日かかった。部屋に入りたいのに入れてもらえず、アネイラとディアが交代で出産に付き添っていて部屋を出てくる都度、様子を聞く事になった。
中からは、聞いた事も無い様なローズの叫び声が聞こえてくる。心配で扉を開けようとすると、ジョゼとマクシミリアンに止められると言う事を繰り返した。
恐ろしい事実だが……これでも安産なのだそうだ。にわかには信じられなかったが、ディアもアネイラも同じ様に言う。事実、途中で食事が中に運ばれていた。あれだけ苦しんでいたのに、ローズは飯を食っていたらしい。
ただ生まれてから、ディアもアネイラも様子がおかしかった。子供もローズも元気だと言うばかりで、どうにも歯切れが悪い。しかもローズが動揺しているので、優しくしてやって欲しいとまで言われた。どうやら、生まれた子を見て動揺しているらしい。
もしや、セイレーンの姿で生まれたりしていないだろうな……。青い皮膚や鼻の無い顔を思い出して身震いする。いや、さすがにそれは無い筈だ。
そんな事を考えながら恐る恐る中に入ると、ローズと赤ん坊がベッドに並んで横になっていた。
「ジル」
ローズは憔悴しているが、元気そうで安心する。そして、隣に寝ている赤ん坊を見る。
赤ん坊は眠っていて目の色は分からない。ただ、俺程ではないが浅黒い肌で黒髪だった。ごく普通の赤ん坊である事に、内心ほっとする。
「無事でよかった。外でお前の悲鳴を聞いていて、寿命が縮んだ」
「なりふり構っていられない程痛かったの」
「そうか。よく頑張ったな。……赤ん坊も元気そうで良かった」
そう言ってベッド脇の椅子に腰かけると、ローズの目が不安そうに俺の動きを追っていた。
「どうした?」
一瞬迷うように視線をさ迷わせた後、ローズは小声で言った。まるで囁くような掠れた声は、音にならなかったが俺には分かった。
女の子なの。
ローズは確かにそう言った。
「……どうしよう」
ローズの途方に暮れた様子に俺も同じ気持ちになったが、気持ちを奮い立たせて言う。
「俺達で出来る限りの事をしてやろう。大丈夫だ。きっと何とかなる」
小さな手を握り締めて眠る様子は、想像以上に愛らしい。だからこそ、余計に胸の奥がチリチリと痛んだ。自分にそんな感情があるとは思ってもみなかった。ローズの目から涙が零れ落ちて、俺はそれを指で拭った。
「男の子だとずっと思っていたの」
俺もだ。パルネアでベルガー家の人間を狩るのが、まさか娘になるとは。
「こんなに可愛いのに……こんなに小さいのに……どうして……」
「……そうだな」
ローズの手を握り、俺は体をかがめてローズの額に自分の額を当てる。ただ、同じ感情を持っている事を伝えるのに、上手く言葉が出なかったからだ。ローズも目を閉じてじっとしている。
子供を愛おしいと思うが故の絶望。男の子であっても、無力な赤ん坊であると言うだけでこの感情は湧いたに違いないが、女の子であったが故に更に強くなった。それでも……生まれて来て俺達の目の前に居る。俺達の子として。
俺は暫くして、体を起こしてから言った。
「疲れただろう。ここに居るから眠れ。腹を空かせば、すぐに起きるぞ?カルロス様を思い出せ」
わざと明るく言えば、ローズは少しだけ笑う。
「そうだね。でも何でだろう。眠たくないの」
「だったらさっきまで部屋の中で何があったのか教えてくれ。俺は、拷問にでも遭っている様にしか思えなかったのだが」
ローズはいつもの調子を取り戻し、出産時の話を一通りするとようやく眠った。
「名前も、考え直さねばならないな」
一人つぶやく。俺達は当然の様に男の名前しか考えていなかった。眠っている赤ん坊の方を見て、俺は言う。
「どんな名前がいいんだろうな」
そう言った途端、赤ん坊が目を覚ました。それを見て一瞬息を飲む。瞳まで俺と同じ深い青だったからだ。一気に胸が詰まった。俺の娘なのだと改めて思う。俺の娘に生まれたが故に、花の様に笑う優しい女の生き方はさせてやれない。進む先には……。
俺はローズを起こさない様に、そっと娘を抱き上げる。余りにも小さい。
「ローズは寝たばかりだ。まだ泣かないでいてくれ」
今泣かれたら、俺も一緒に泣いてしまいそうだった。




