王族の価値
「私が魔法喰いである事はご存知ですね?今ミラ妃にも触れました。つまりミラ妃は魔法使いでは無くなりました。……と言いたい所ですが、私にはもう魔法喰いの能力がありません」
全員が目を丸くする。
「どういう事なの?」
セレニー様の言葉に答えるべく、魔法喰いがお腹の子に移った事を話す。世界には意思があり、リンカーと呼ばれる魔法で増えているベルガー家の魔法使いの事も伝える。
戸惑うアネイラとディア様とは違い、セレニー様の顔が王妃の顔になり、ミラも涙を拭い、厳しい表情になった。……女性であっても王族だ。国が関わる有事となれば、他人事として切り離せないのだろう。
「私の子は、ベルガー家の魔法使いを倒す使命を帯びて産まれて来ます。クルルス様やシュルツ様のお力を借りねばならない時が来る事は、避けられないと思っています。しかし、何も始まっていない内から大事にするのは避けたいのです」
「そうね。ローズの子がベルガー家の魔法使いと対峙するまでに成長するには時間がかかるわ。警戒する隙を与えない為にも、公にするのは得策ではないわね」
セレニー様が少し考えて続ける。
「とにかくポートとパルネアが連携しなくてはならないわ。何が出来るか考えて、敵に気取られない様に密かに準備すべきね」
ミラは悲しそうに言う。
「私も力になりたい。しかし……出来る事が無い」
「あります。それで、お願いがあるのです」
私はミラの方を見る。
「グルニア皇帝を継ぐに値する人物がポートで存命中である事を、まずお話ししますね」
「どういう事だ?」
一度小さく深呼吸をしてから言う。
「実はミラ妃の弟君であるアレクセイ王子はご存命で、ポートにいらっしゃいます」
セレニー様の顔が強張り、ミラが目を見開く。
続けて、アレクセイがどのようにポートに入国し、今どうなっているのかを話す。ミラは真剣な表情で聞いていた。
話し終わると、セレニー様が言った。
「何故、私に相談してくれなかったの?って……私はポートの王妃だもの。グルニアの王子が生きているなんて、言える訳がないわね」
「黙っていてすいません」
「いいのよ。ジルムートの妻としてあなたは当然の事をしただけだもの」
セレニー様は顔を引き締め、王妃の顔で言った。
「ローズ、アレクセイ王子は王位継承を望んでいるのかしら?」
「望まれていません。……あの方は姉であるミラ妃に会って、謝罪したいとおっしゃっていました」
「謝罪ってどういう事なの?」
私は、グルニアの王宮で二人を担ぎ上げて派閥争いが起こっていた事を話し、ミラの方を向いた。
「ミラ妃がお辛い立場に追いやられたのは、ご自分のせいだとおっしゃっておいででした」
「違う。私が魔法恐怖症なのは、私自身の弱さが原因だ。アレクセイが責任を感じる必要はない」
「それでもお辛かったであろうから、とおっしゃっていましたよ」
ミラは再び目を潤ませたが、ぐっとこらえる様に口を引き結んだ。
「お優しい方の様ね」
「はい。私達が王子を匿う事も罪に問われてはいけないと心配されていました」
私の考えに気付いたのか、セレニー様は笑う。
「お優しい人格者で、王位継承権をお持ちの王子がご存命だと知ったら、お兄様はどうするかしらね」
ミラは、訳が分からないと言う様にセレニー様を見た。
「困るのではないのか?シュルツは今回の併合でとても苦労したのだから」
「そうよ。それでお兄様はどうするのかと言う話。どんなに困っても、王は決断を下さなくてはならないの。お兄様はどうすると思う?」
ミラは再度の問に黙って考え込む。やがて怖い考えに至ったのか、顔を引きつらせて言った。
「アレクセイを殺してしまうのではないのか?」
「出来ると思う?ジルムートが匿っている王子よ」
ジルムートの強さを身を持って知っているミラは更に青ざめて言った。
「不可能だ」
ミラの即答にセレニー様は頷く。
「ええ、アレクセイ王子の処刑は出来ない。だから存在が公に知られてしまった場合、それこそ皇帝代理の立場を失いかねないから、非公表にして欲しいとクルルス様に頼む事しか出来ないの」
セレニー様は続ける。
「ジルムートはポートだけでなくパルネアにとっても英雄。そしてクルルス様にとってジルムートは生涯の友。ジルムートが独断であれ助命した命を絶つなど、クルルス様はなさらない。アレクセイ王子は、王子と名乗れないにしても、ポートで保護されて安全に過ごす事になるでしょう」
ミラは安堵の息を吐く。
「つまりローズが何を言いたいかと言うと、アレクセイ王子はお兄様への切り札になるのよ」
「切り札……」
「あなたの産む子供が無事に王位を継ぐまで、アレクセイ王子の存在がお兄様を脅かす事になるの。政略的に結婚したあなたの重要性は、今まで以上になるでしょうね。あなたが子供を産まずに死ねば、グルニアはまた独立し、アレクセイ王子が継ぐ事も考えられるのだから」
セレニー様は、ミラを上から下まで見て言った。
「あなた、パルネアでどんな暮らしをしているの?こんなに痩せてしまったのに、お兄様が酷い言葉をぶつけるなんて、どうなっているの?」
ミラは悲しそうに言う。
「皆、つましい暮らしに歯を食いしばって耐えてきた。私はそんな場所にグルニアの王族として嫁いだのだから冷遇されて当たり前だ。併合を果たした今、誰もが私の死を願っている。私が居なくなって新しい妃がパルネア人から選ばれる事こそパルネアにとって良い事だから、シュルツが私を庇う事で得るものなど何もない」
アレクセイの存在を知らないのであれば、ミラが居なくなってグルニア王族が滅びる事を望む考えが出てくる事に、私は今まで思い至っていなかった。
ミラの言う通りにパルネア人が考えているなら大変な事が起こるだろう。ミラがパルネアで冷遇された末に命を落としたとアレクセイが知れば、シュルツ様の代理皇帝の地位を認めず、自分に地位を明け渡す様に言い出す可能性が高い。そうなればパルネアは、グルニアをアレクセイに返還する事になるかも知れない。
ポート騎士団が異常気象の根源を断ったと言うのに、領土がパルネアに併合された事に対しての疑問が各国から出ていた。私は宴に出た事で実際に見聞きして知る事になった。……ジルムートの妻である私に対して、それを話題にする人があまりに多かったのだ。
パルネアが農業国であり過去の戦争からの因縁もあり、他の地域に比べてグルニアに苦しめられた時間が長かった事を繰り返し説明したが、理解されない様子だった。強い隣国の騎士団を動かして領土を拡張しただけだと思われているのだ。
この状況の説明に、シュルツ様もクルルス様もセレニー様も追われていた。ジルムートもだ。併合記念式典を大々的に開催したものの、グルニアと言う国の存在が過去になるまでこの問題は付いて回る事になるだろうと、ジルムートが疲れた表情で言っていた。
「つまり、お兄様はあなたが居なくなれば良いと思っていると言う事かしら」
「そうだ。……最初は庇ってくれていたのだ。しかし、シュルツが私を庇えば庇うだけ、パルネア議会の反感を買うと何度も忠告を受けたから、庇わなくていいと何度も言った。だから、シュルツは悪くないんだ」
「その情報、誰に聞いたの?」
「私の世話をしてくれている侍女からだ」
聞けば知らない名前だった。まだ二十歳前の若い侍女らしい。
「あなたが教えて欲しいと頼んだの?」
「いや、親切で教えてくれたのだ」
私だけでなく、アネイラもディア様も険しい表情になった。聞かれてもいないのに、主人に偏った情報を吹き込むなど、あってはならない事だからだ。明らかに誰かの指図で動いている。
パルネアでは城に勤める侍女が政治的に利用された場合、侍女は一掃され新しい侍女が雇われると言う決まりがある。……つまり、一人の侍女の責任を侍女全員が背負う事になるのだ。だから、大勢の侍女がいきなり職を失う最大のタブーとも言える。それをミラの侍女はやらかしているのだ。
「パルネアの侍女は、ローズ達の様にしっかり仕事をするから信頼して良いとシュルツに言われた。だから頼りにしている」
ミラは侍女の言葉を忠告として受け入れている様子で、今も信じて疑っていない。
「その子、連れてきているの?」
「いや、ポートに侍女は十分に居るから不要だと、シュルツが言うから置いてきた」
セレニー様は少し考え込んでから言った。
「ミラに付けた侍女の行為を咎めて城の侍女を一掃するなんて、さすがのお兄様も出来なかったみたいね。だから一時ではあるけれど、引き離したのかしら」
私達三人が小さく頷く。ミラだけは訳が分からないと言う顔をしている。
今、不作の時代に親身になって仕えて来た侍女を全員辞めさせるような事になれば、多くの国民の信頼を失う事になりかねない。その状況を利用してミラを亡き者にしようとしている議員が居ると言う事だ。……シュルツ様は庇わないのではなく、庇えないのだろう。
「ミラ、ポートに残りなさい」
「何故だ?」
「このままパルネアに戻っても死ぬだけよ。ここで妃としての教育を施してあげるから、回復されたアレクセイ王子にも会って……それから帰りなさい」
「しかし、そんな事が許されるのか?」
「パルネアがポート騎士団に要請したのは、侵略ではない筈よ。でも、ポートが放棄したグルニアの大地をパルネアが手に入れた事から、周辺国ではパルネアだけが良い思いをしたと考える人が少なからず存在しているの。もしミラが戦乱でも無いパルネアで命を落とせば、どう思われるか分かるでしょう?」
セレニー様は政治家の顔で計画を語り始めた。
「時間が必要だわ。気候の回復で農作物の生産量が上がればパルネアの民心にも余裕が出てきて、自分達のしようとしていた事の恐ろしさに気付くわ。それを待たなくてはならなし、あなたは他国に姫としてお嫁に出される教育を一切受けていないのだから、妃としてパルネアでお兄様と並び立つなら、時間をかけて勉強しなくてはならないわ」
グルニア人には選民思想がある。他国の人間は下等生物だから婚姻を結ぶに値しないと言う考えがあったのだとか。だから、何千年も他国との間に政略結婚は結ばれていない。他国の文化になじもうとする心構えがないだけでなく、ミラは自分で自分の心を守れない。しかも守ってくれる人間も居ない。このままパルネアに戻っても、死んでしまうだろう。
私は、ミラに武器をと思いアレクセイの情報を与え、あわよくばお腹の子の権利をそれで守ってもらおうと思っていたのだが……話が全く違う方向に転んでしまった。
「ミラ、腹を括りなさい。あなたは王族の姫なの。国外に逃がされて生き延びた事に生涯をかけて意味を持たせなさい。それが、失ったグルニア帝国民に報いる事になる」
セレニー様の強い視線に、ミラは怯む。
「私は……私には……」
「出来ないなんて言わないで」
ミラが目を見開く。
「お兄様があなたに吐いた暴言はどうかと思うけれど、暴言を吐きたくなる程の苦境に、あなたはお兄様を置いている。それも理解しないまま自分だけを憐れんで死ぬなんて、許さない。今のままでは、あなたはお荷物よ」
「お荷物」
ミラの心に刺さる言葉だったらしい。ミラの目に強い光が宿る。
「このままだと、お荷物のまま死んで、更にその死がお荷物になるの。あなたはそれでいいの?」
「嫌だ!」
「決まりね。……この問題はね、あなたとお兄様が仲睦まじく各国の代表の前に現れて、笑顔で対応していればそれで済む事だったの。目標はそこまでに至る事。いいわね?」
「分かった」
その後、セレニー様はミラがパルネアでの暮らしで命を失う可能性を示唆し、ポートでミラを預かる事をクルルス様に了承させた。シュルツ様は不機嫌ながらも、安堵した様子でそれを受け入れたそうだ。そしてミラに必ず迎えに来ると言い残し、帰国したのだとか。
やはりシュルツ様が庇いたくても庇えない程、パルネアでは不作による人心の荒みが酷いのだろう。それが国を統べる王族に向いている今、ミラがパルネアに戻った所で良い事は起こらない。現在、ミラはお妃教育の為の留学という名目でポート城に残っている。この期間にパルネアの世論が変わればいいと思う。
「ローズちゃん、この前は悪かったね」
「いいんです」
目の前には、会いに来たクザートが居る。
茶会中、シュルツ様とクザートは二人で話をして無事に過去を清算した。その事をわざわざ伝えに来てくれたのだ。端的な説明だけだったので、どんな話をしたのかは分からないけれど、クザートの表情は明るいから、もういいのだと思う。
「ところでアレクセイ王子の事、セレニー様に喋ったね」
……こっちが本題だったのか。
「ジルが咎められて、処罰を受ける可能性を考えなかったの?」
痛い所を突かれた。考えなくもなかった。けれど、そうはならないとも思っていた。
「ジルは英雄です。ポートではクルルス様と並び立つ存在になりました。……もう、他国にとってもただの護衛騎士ではありませんから、その肩書に甘えました」
クザートは渋い表情になった。
「今回は色々と良い方向に結果が出そうだから問題にはならないけれど、やはりジルの妻である以上、夫の立場を守る義務がある事は忘れないで欲しいんだ。君がポートに来てくれて……俺達の人生は大きく変わった。良い方向にね。だから、無茶な事をしないで欲しい。ジルだけでなく、俺だって君を失いたくないんだ。ジルが肩書で守られても、君まで守れるとは限らないのだから」
クザートは私を妹と認め、大事にしてくれている。それがただ嬉しかったので、素直に謝った。




