表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
救世主の親になる
160/164

茶会の前に

ライナス・ゴードン……ポート人ハーフの元孤児。ロヴィスで傭兵をしていたジャハルが戦場で助けた。その後、ジャハルはライナスを養子にしてポートに帰国した。

 昼の茶会の服装は、ヴィジティングドレスと呼ばれる物になる。城の外から着たまま入場し、そのまま退場出来る服装だ。ポートでは城に招待される女性の服装の中で、最もくだけた格好になる。

 形はワンピースやツーピースなど色々と選べる。スカートの丈に規定はないが、スカート丈より下の部分は編み上げのブーツで隠すのが一般的だ。

 ポートは年中暖かい上に、ポーリアの街でも裸足の女性が歩いている事があるくらいなので、女性が素足を見せる事に対して寛容だ。しかし、男性に素足を見せてはいけないと言う風潮のある国はとても多い。異国の賓客相手に素足を見せる訳にはいかないので、こう言う風に落ち着いたそうだ。

 私は妊婦ではあるがまだ体形に大きな変化はないので、少しだけ直してもらったピンクのワンピースで茶会に行く事にした。ピンクと言っても、日本風に言うならサーモンピンクの様なオレンジ系のピンクだ。つわりで顔色が悪くても、この色に合う化粧をすればマシに見える筈だ。

 当日になり、アネイラ共々ライナスに城まで送ってもらう事になった。

 ライナスは今年騎士団で序列三百番台に入り、今は城の中層に勤めている。ロヴィス語が出来る上に見目も良いので、すぐに中層に配属になった。お陰で城の中層まで護衛してもらえる事になった。

 ライナスは階段を上がる際に、私に手を差し出した。

「お手をどうぞ、ローズ様」

「まあ、ありがとうございます」

 思いがけない気遣いに、顔がほころんでしまった。

 ポートでは他人の妻に触れるなど言語道断と言う風潮があったが、セレニー様が王妃となり、海外からの賓客に女性が増えて以来、こういう気遣いをしなければ後進国だと見なされると言う認識が生まれつつある。だから、警備をしている騎士達は何も言わない。

 お茶会に関しては、全てを把握したアネイラとは既に打ち合わせ済みで、修羅場になりそうな雰囲気になったら、私が具合が悪いと言う事で一緒に茶会を抜けると決めている。

「私達が抜けた後、ディア様にはクザート様が付いているけれど、ミラ妃は可哀そうだね」

 シュルツ様は確かに言った。愛したのはディア様だけだと。修羅場になり過去の出来事を知った所で、苦しむだけだ。

 ミラは人を殺しているのだから、この程度の待遇は我慢すべきだとジルムートは言うかも知れない。しかし罰と言うのは反省しない人に与えられるもので、反省している人を追い詰めるのは、罰とは言わないのではないかと思うのだ。

 確かに人の頭の中なんて分からない。嘘なんていくらでも吐ける。失われた命は帰ってこない。ジルムートの様に犯罪者を大勢見ていると、反省したなんて言葉を全く受け付けないのは当然だろうし、そこで『反省しているから、この罪人は罰しない』と言えない事も理解している。

 でも、私がそれに合わせる必要は無いと思っている。ここで相手を否定する様な事も勿論しない。ただ答えをあえて出さずに曖昧にしておくのだ。

 何でも白黒はっきりさせようとすれば、それは勝敗と言う事になる。……そうなると言葉も尖って反発や悪意が産まれる。絶対的な善も悪もそうそう存在しないもので、大抵は相手との衝突の末に相手を悪に仕立てたくなってしまうと言う、感情的な諍いだ。曖昧にしたまま、相手と一緒に居たいと思う気持ちを大事にしていれば、考えが違っても折り合いを付けて生きていけると、私は考えている。

 答えの出ない事を抱えていたくないとか、好きだからこそ近しい人間には理解されたいと言う気持ちはある。しかしそれを強く通せば私達の場合、きっと夫婦関係を失う事になる。そこまでして自分の我にこだわり、ジルムートの気持ちを失うなんて私には考えられない。それくらいジルムートの事は想っている。だからこそミラに同情してしまうのだ。

 ミラとは式典でも宴でも殆ど話が出来なかったのだが、シュルツ様に好意を持ち妃として尽くそうと言う強い気持ちがあった事は知っている。それなのに愛されていないと知ったら、どれだけ悲しいだろう。しかも……逃げ場が何処にも無いのだ。国は勿論無いし、ガルゴやレフ達との面会は禁止されている。アレクセイの事に至っては、生きている事すら知らないのだ。

「もう、修羅場にならないまま茶会が終わるのに期待するしかないよ」

 アネイラもライナスも、苦笑する。本当にそれ以外に出来る事が無いのだ。

 そして……お茶会の部屋に入った途端、その期待は打ち砕かれる事になった。

 険しい表情のままシュルツ様を見据えるクザートとディア様。そして、握りこぶしを見たまま涙をボロボロと零して俯くミラ。私達の到着に気付いても、三人共こちらを全く見もしない。アネイラと私は、ライナスが慌てて閉めた扉の内側で、立ち尽くす事になった。

「そこまでおっしゃる必要は無い筈です。悪いのは私です」

 クザートが口を開く。

「そうだよ。君が悪いからミラは泣いている。でもね、王族の結婚に愛情を求めるのが間違いだとしたら、君は何も悪くない。それどころかグルニアを併合してパルネアの領土を拡大したのだから、私は感謝すべきだろうね」

 シュルツ様は痛烈な皮肉を言い返し、クザートは唇を噛み締めて黙った。更にシュルツ様はディア様を見据えて言った。

「君が妃になっていれば、ミラはこんな風に泣かなくて済んだのではないかな?」

「私には皇太子妃も王妃も務まらないと幾度もお断りしました。お聞き入れ下さらなかったのはシュルツ様ではありませんか」

「私は君に妃の役目を求めたのではなく、妻になって欲しかったのだ」

「王族の妻には妃の役目が義務として付随します。私には務まらないと何度も申し上げました」

 するとシュルツ様は言った。

「私を男として見られないと言ってくれればすぐにでも解放したのに、君はいつもそう言った。だから諦めきれなかった」

「不敬罪に当たる様な事をディアが言えるとお思いですか?」

 クザートがディア様を庇う。その通りだ。皇太子を男性として見られないなどと、言える訳がない。それこそ人に知られたら罪に問われただろう。他に角の立たない断り方が無かったであろうに、そんな風に責めるなんて。

「それでも、私は言って欲しかった。君は私と恋愛関係にはなれないと言うべきだったのだよ」

 シュルツ様は隣で泣いているミラをちらりと見て、その頭に手を置いて言った。

「君に恋焦がれた時間が長過ぎた。それに比べ、ミラの事を愛すには出会ってからの時間があまりに短い。これから先も愛せないと言っている訳ではないよ。……少し、感情的になり過ぎた」

 シュルツ様は特別な存在である事に苦しんでいた。だから、普通の男としてディア様に扱ってほしかったのだ。例えそれが失恋であっても。

 王族と言うのは継承権の問題があるので、いつも周囲に見張られている。だから恋愛の経験なんて無いに等しい。初めての恋を失った後、シュルツ様は別の恋に逃げる事も出来ないままだったのだ。過去の恋を振り返りたくなくても、振り返ってしまう環境に居たと言える。……悲惨だ。

「お言葉ですが、シュルツ様」

 唐突に隣から声がして、私はアネイラの方を見る。

 浅い海の様な緑がかった青いボレロとワンピースを着たアネイラは、シュルツ様を睨みつけていた。……あ、切れてる。

「私がルミカと別れて、どうなったかご存じですよね?」

 追放同然の形でパルネアから出され、髪の毛まで切られたアネイラ。単に失恋したと言う域を超えた経験をしている。重い。……重過ぎる。

 思い出したのか、シュルツ様は気まずそうにしている。

「庶民の恋愛は自由気ままとパルネアでは言いますが、恋愛しても報われない所までが自由です。自由は都合の良い事ばかりではありません。……お気持ちを引きずるのは勝手ですが、それをミラ妃にぶつけるのは間違っています」

 アネイラの言い分は正しい。しかし相手は王族、それも一国の王だ。ハラハラして見ていると、アネイラは続けた。

「人間として同じ立場で話して欲しかったとディア様に言うなら、これくらいは当然受け止めて下さると信じていますが、まさか私を不敬罪で罰したりなさいませんよね?」

 言い過ぎだって。と言う言葉すら声に出来ず、隣でただ口をパクパクさせてしまう。

 クザートが異能を放っている訳でもないのに息苦しい空気が漂い、やがてシュルツ様が口を開いた。

「真綿で首を絞められるような嫌味も辛いが、真実は耳にこれほどに痛いのだな。……真実を告げる者に感謝しろと昔、城で指導を受けていた学者に言われた事があるが、腹が立つだけで感謝する気は微塵も起きない」

 そこでアネイラは表情を緩め、優しくシュルツ様に言う。

「お気持ちが定まった所で、ミラ妃のお気持ちを考えて差し上げて下さい」

 シュルツ様は自分が何を言ったのか思い出した様で、目を伏せた。

 ……何か、アネイラが強いんだけど。

 昔のまま、同じ事を言っていても小生意気に見えただけだろうが、妙な説得力がある。アネイラは色々と酷い経験を積み重ねた上で、同じ様に波乱万丈な人生を送ったジャハルを夫にし、母親になった。その経験がアネイラをここまでに成長させたのだとしたら、この迫力は簡単に身に付くものではない。アネイラの言葉は、容姿や口調のせいもあって軽く見られていた。その弱点が克服されたことになる。

 感心して部屋の空気が変わった所でどうするのかと期待していると、アネイラがちらりと私の方を見た。『後は任せたわよ』と目が告げてくる。十代の頃の記憶が蘇る。これってまさか……先の事は考えずにブチ切れて、残りの始末は私に任せるって事?パルネアに居た頃と全く変わってないじゃないの!

 私が万能ではないのに、頑張ってしまう理由。……この女と一緒に居た事も無関係ではないのかも知れない。とは言え、アネイラに文句を言うのは後回しだ。とにかくこのまま三人を一緒に居させる訳にはいかない事だけは分かる。それを元に必死に考える。長くは考えられないから、考えながら言葉を発する。

「シュルツ様、私達はミラ妃に招かれてお茶会に来ました。ミラ妃と女同士の話もあります。シュルツ様にも考える為の時間が必要かと思います。一度退出して頂けませんか?」

「……分かった」

 シュルツ様は、ぽつりとそう言って立ち上がる。

 私がクザートの方をちらりと見ると、クザートも私を見ていて小さく頷いた。

「部屋までお連れ下さい」

 クザートが立ち上がる。

 一国の王を護衛するなら、扉の外に立っている中層の騎士やライナスよりも、クザートが適任だろう。この後クザートには聞かれたくない話をするつもりだったので、退出してもらえるのはありがたい。

 二人が立ち去りすっかり冷めきったお茶を見て、アネイラがお茶を淹れる為に部屋を出ると、ディア様は不安そうに私を見た。ミラはまだ泣いている。ジルムートにもクザートにも叱られるだろう。……しかし、何も持っていないミラに武器を持たせてやりたい。どうしても。

 私はシュルツ様の座っていたミラの隣に座る。

「ミラ妃、お久しぶりです。ローズです」

 ミラは、泣きながら私の方を見る。

「隷属の魔法は外されたのですね?良うございました」

 ハンカチを出して涙を拭ってやると、更に涙を溢れさせる。

 ミラはポートに居た頃よりも、顔色が悪い上にやつれていた。お妃教育が進んでいない事はジルムートに聞いている。だから宴もすぐに退席していた。きっと慣れない暮らしとお妃教育を支える者が居ないのだろう。だから上手くいかないのだ。

 王があの調子なのだ。このままでは、妃であるミラが壊れてしまう。

「私がとっておきの話をしますので、泣き止んだら是非お聞き下さい」

 泣き続けるミラにそう告げて、背中をさすりながらハンカチを手渡すと、ミラは頷きながら泣き続けた。それから暫くしてアネイラと一緒にセレニー様が入って来て、ディア様が経緯を語ってくれた。

 ディア様とクザートの来る時間が早くにずらされていた事、ミラはそれを知らなかったが、中層で偶然二人に出くわす事となり、三人で話す場を設けたかったシュルツ様の目論見が外れた事。それに苛立っていたシュルツ様がミラに暴言を吐いた事。後は私達が入ってきた時の状況に繋がっている。

「お兄様ったら」

 ミラに好意を持っていないセレニー様だが、さすがにミラに同情した様だった。セレニー様はディア様の事情を知っていた。

「あの当時、ディアがお兄様の求婚を断っていると言う話は、議員達の間では良い事だとされていたの。強い魔法使いとしての血統を維持する為にも、やはり元貴族の女性と婚姻を結ぶべきだと言う意見が多かったから。最終的には皇太子の特権で、結婚を押し切りそうなお兄様の求婚を完全に振り切ったディアに感謝した人は多いのよ。だから、ディアがお兄様の気持ちに応じたとしても……祝福される結婚にはならなかった筈なのに、今更何を言っておいでなのかしらね」

 セレニー様の呆れ顔に、私達は苦笑してしまう。

「ところでローズ、とっておきの話って何なの?」

 私は全員を見まわしてから言った。

「本当は、私の一存で話してはいけない事です。……どうか、この部屋の外で口外なさいません様にお願いします」 

 アネイラはワクワクして顔で頷き、ディア様も困惑しつつ頷く。

「ローズがそう言うなら、私も口外しないと誓うわ。ミラ、どうするの?」

 泣き止み始めていたミラは、再び泣きそうな顔になってから言った。

「話さない。……そもそも話せる様な相手が居ないから」

 場の雰囲気が最悪になった所で私は話を始める事になった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ