ミラの茶会
ジャハル・ゴードン……ポート城の下層で、長年クザートの副官を務めていた。今は退役してポート市内で貴人護衛の仕事をしている。アネイラの夫。
ローズはいきなり会いに来たオリヴィエ・レイシスと懇意になり、毎年誕生日を祝う事にしたらしい。そうなった経緯を聞いたが、俺にはローズの気持ちが理解できなかった。
「俺達の子を殺めたかも知れない女だぞ?そこまでしてやる必要を感じない」
「オリヴィエは、旦那様になる獣人の方だけを頼りに海を渡るのよ」
「それでも良いとあの女が決めた事だ。放っておけばいいではないか」
ローズは俺を睨んだ。
「ジル、聞いて。夫となる人は人間ではないの。獣人よ。……悪いと言うのではないけれど、同族ではないから同じ感覚を共有できるか分からない。セイレーンと対話したあなたなら分かるでしょう?」
一瞬、言葉に詰まる。異種族が全てああだとは言わないが、同じ感覚を持ち合わせていると考える事もできない。
「獣人の旦那様が、オリヴィエの望む愛情を理解してくれるとは限らないのよ。同じ人間でも、文化が違うと言うだけですれ違ってしまうのに」
「だから、肩入れすると言うのか?」
「そうよ。オリヴィエは私にした事を反省しているし、自分の望みが何なのか理解しているわ。その上で思い切った決断をしたのに報われないなんて、可哀想よ」
「お前が気にかければ報われるのか?」
ローズを怒らせるのは分かっているが、あえて言う。子の命を奪う可能性のあった女に対して、気安く接し過ぎだからだ。何でもかんでも赦す考えに俺は反対だ。相手をつけあがらせる。
ローズは厳しい表情を消す様に、侍女の笑顔を張り付けて言った。
「誰もがオリヴィエを忘れてしまうよりは良いと思っているわ。私みたいな女が気にかけているだけだとしてもね」
やはり怒った。『私みたいな女が』の部分で声音が強くなった。
ローズは続ける。
「ジルの言いたい事は分かるよ。でもね、この子は世界が守っているから心配はいらない。だからその分、どうなるか分からないオリヴィエに優しくしてあげてもいいと思うの」
「理解出来ない」
悪事を働いた侍女と自分の子を同列に扱う様な事、俺には無理だ。俺がそう言って軽く頭を振ると、ローズは俺の手に手を重ねてくる。
「もし、あなたと私が出会った時の行いを私が赦さなかったら……私達はどうなっていたと思う?」
思わずゾクリとしてローズの顔を見る。
「赦せない事なら、赦さないわ。けれど、私の中にはもうオリヴィエに対する怒りは無いのよ。あの子は自分の望みだと言っていたけれど、私に対して罪を償う気なのだと強く感じたから」
「何故そう思う?」
「オリヴィエは妊娠する度、私にした事を思い出すわ。……獣人の妻は、産める限り子供を産み続けるとドルガ様がおっしゃったって話はさっきしたでしょう?それを甘んじて受け入れると言うのは、余程の覚悟が無いと無理なの」
「子供の好きな女なら、平気なのではないのか?」
「そういう女性も確かに居るわ。でもオリヴィエはそんなタイプじゃない。自分が多くの姉妹に埋もれてしまった事に苦しんだのに、沢山の子供を産みたいと思う訳ないじゃない」
そう言われてみると、確かにそうかも知れない。しかしそうだとしても、ローズがそこまでしなくてはならない理由にはならない。
「それに私は嫌いな相手でも、苦しめた所で良い気分になんてなれないの。偽善だと言われても、共感を得られなくてもね」
確かに悪意を持って接してきた相手に復讐をして気持ちを晴らす様な方法を取るなど、ローズの考え方ではない。しかし……
「論点がずれている。俺は過ちの重さの話をしているのだ。オリヴィエのやった事は一歩間違えば殺人だった。ちょっとした過ちでは済まない。俺は、その重さに無頓着なお前の考えが理解できないと言っているのだ」
ローズは眉間に皺を寄せた後、侍女の時に見せる笑顔になると言った。
「やはり赦せないので、誕生日にカードを贈れませんとオリヴィエに手紙を書けと言う事でしょうか?命令ならやります」
俺が怒らせたからやり返してきたのだろう。分かっていても声が大きくなった。
「ローズ!」
ローズは怯えるでもなく、真剣な表情になって俺を見据えた。
「私は騎士の名誉席は持っているけれど、騎士じゃないわ。あなたと同じ感覚を持つ事は出来ない。ジルが私の感覚を持てないのと同じ。それでも一緒に居たいなら……お互いに譲歩するべきじゃないかしら」
無言で互いを見る。
絶対にすり合わせられない価値観が俺達の間には存在する。どんなに近づいても、その部分に関しては平行線である為、俺はあえて自分の考え方を明確に口にした事が無い。俺の考え方はローズの言う人は平等だとか人権があると言う思考とかけ離れた場所にある。
ローズが俺の言い分を認められる人間になったら、侍女としてセレニー様を支える事が出来なくなる。逆に俺がローズの言い分を認めたら、俺は誰も守れなくなってしまう。
同じ親として共感できない事に納得出来ていないが、ここはローズの言い分に従うべきだろう。話した所で落とし所があるか分からないからだ。
「分かった」
「だったら、この話は終わり。いいよね?」
「ああ」
ローズは俺の返事にほっとした様子で言った。
「オリヴィエが帰った後、城から私に届いたの」
ローズはそう言って手紙を差し出してきた。高級な紙で、パルネア王家の刻印がちらりと見える。俺ではなく、ローズに直接何の用なのか。
「シュルツ様か?」
「ううん、ミラ妃から。体調が良ければ、帰国前に会いたいってお茶のお誘いが来たの」
「……なるほど」
きっとその場にはシュルツ陛下も同席するのだろう。俺も護衛として一緒に居たいところだが、そうもいかない。俺の予定は、賓客が帰国するまで目一杯に詰まっている。
「セレニー様が出席なさるから心配しないで。それよりもね、パルネア人の侍女は皆招待される事になったの」
「アネイラとディアか……」
「うん」
アネイラの事は明るい話題になるだろう。ルミカとの破局の末に国を追われる様にポートに来たアネイラが結婚して家族を得たのだ。しかし、ディアに関してはミラと同席させて良いのか?
「アネイラは、チェルシーをジャハル様に預けて出席するそうなの。私も妊婦で長居しないからそれで良いと思ってる。……問題はさっきディア様からのお使いが来て、ディア様はクザートと一緒に出席するそうなのよ」
楽しい茶会とは程遠い、修羅場になる予感しかしない。
「欠席してもいいぞ」
ローズは困ったように言った。
「そうはいかないのよ。クザートにシュルツ様への謝罪を勧めたのは私だから」
クザートはシュルツ陛下に、ディアを略奪した事を謝罪するらしい。ローズはクザートの過去を清算する為に謝罪を勧めたらしいが……弟の俺から見れば、ディアを一人でシュルツ陛下に近付けない為に同行するとしか思えない。
「夫婦で決めた事なら、お前が責任を感じる必要など無い」
「うん。……でもね、私が欠席したらアネイラも凄く困ると思う。私からディア様の過去を勝手に話す訳にはいかなくて、まだ何も話していないの」
アネイラは、モイナの父親がクザートだった事しか知らない。ディアが皇太子妃の内定を受けていた事を知らないのだ。事情を知らないまま、一人で修羅場に放り出される可能性のあるアネイラを思うと確かに不憫だ。
アネイラが居なければ、俺がグルニアに行っている間、ローズは心細い思いをしていただろう。それにアネイラの夫であるジャハルは、俺が過去から立ち直るきっかけをくれた男だ。クザートの副官を長年務め、騎士団を支えてくれた存在でもある。それを思えば、このまま放置してローズだけを体調不良で欠席させる訳にはいかない。ローズは、本当に体調不良で行けない可能性もあるのだ。
「まずは茶会の前に、アネイラにディアと兄上の事情を話しておくべきだな」
「私から話すより、ディア様がアネイラに直接話す方がいいと思う」
どうすべきか少し考えて口にする。
「まず俺から兄上に話をする。さすがに、何も教えないままアネイラをその面子の茶会に同席させろとは言わない筈だ。……もし兄上のの反応が良くない時には、お前にディアへ手紙を書く様に頼む事になるかも知れない。その時は頼む」
「分かったわ」
翌日。
クザートに昼の休憩中にローズとしていた話をした。空中庭園の木の下で日差しを避けながら二人で並んで座り、持ってきて携帯食を食べる。王族の庭である空中庭園で食事が出来るのは、上層に上がる許可を得ている騎士や使用人の特権だ。
「お前達にも迷惑をかけてしまったな……すまない。アネイラちゃんには、ディアから事情を話す様にするから、心配するなとローズちゃんにも伝えておいてくれ」
「分かりました」
心配事が一つ減りほっとする。
騎士団の事で少し話をした後、二人で黙って景色を眺めているとクザートがぽつりと言った。
「……今、幸せか?」
思わずクザートの顔を見てしまう。クザートは景色を見たままだった。肺を病んで外を見ていた時の表情と重なる。そのせいで『幸せか?』と聞かれたのに『不幸ではなくなったか?』と聞かれた様に感じ、答えていた。
「俺は、自分が不幸だなどと考えた事はありません」
クザートがこちらを向く。
「本当の不幸があったとすれば、兄上もルミカも居なくなり、ローズとも出会えないままだった事だと思います」
クザートは俺をじっと見た後、少し笑う。
「ジルは強いな。今だから言えるが……俺はお前に良からぬ感情を抱いていた時期がかなりあった」
初めて聞く話に俺は目を見張る。
「意外か?俺はお前が思う程立派な兄ではないよ。……跡取りはお前だと分かっていたからな。それを考えると不幸になれば良いと思ったよ。それなのにお前は俺の考えなどお構いなしに、兄上、兄上と慕ってくる。大きな体をしている癖に人懐こい笑顔が可愛くて、どうしても嫌いになれなかった」
どう答えて良いのか分からず、俺はクザートを見る事しか出来ない。
「そんな風に思っていた弟に庇われた。……しかも全く笑わなくなった。望み通り弟は不幸になったのに少しも嬉しくなかった。だから、弟を不幸にした罪を償わねばならないと思った」
それが……俺に対する過剰なまでの過保護の原因だったのか。
「何度でも言います。俺は不幸だった事などありません。罪など無いのです。だからそんな考え方はしないで下さい」
真面目にそう言うと笑われた。
「それだよ。昔からお前は俺に甘過ぎる。これを話せば、お前が俺を赦すのは分かっていた。だからこそお前に全てを背負わせて逃げるみたいで、ずっと言えなかったんだ。……でも今は自然に言えた。どうしてだろうな」
「兄上が変わられたからでしょう。……それは歓迎すべき変化だと思います」
「ジルがそう言ってくれるなら、そう思う事にする」
そう言った後、俺達は同時に前を向く。
「うちの三男が来たぞ」
ズカズカと大股で歩いて来るルミカを見て、二人して苦笑する。良い大人なのだが、子供っぽさが抜けない。俺達の扱いのせいなのか本人の性質なのか。見た目も年齢不詳なせいか、それを周囲が許容するのも問題なのかも知れない。
俺達の前まで来たルミカは、不服そうに言う。
「三人が日勤で重なるなど滅多にないのに、二人だけで飯を食うのはずるいと思います」
「すねるな。俺から兄上とディアに頼み事があって、その話をしたかっただけだ」
俺がそう言うと、ルミカは表情を緩めた。
「パルネア王妃主催の茶会の事ですか?」
「そうだ。ローズが出席するが、俺は出られないからな」
ルミカは俺の隣に来ると、並んで座った。
「クザート兄上は出席されるのですよね?」
「ああ。ディアに同伴させてもらう事にした」
ルミカは事情を全て知っている。モイナの出生を調べた時点で、シュルツ陛下とディアの関係を知っていたのだ。
「本当に行くのですか?やめた方がいいですよ」
俺を挟んで反対側に顔を出し心配そうに言うルミカに、クザートは首を横に振った。
「今回を逃すと、シュルツ陛下に次お会いする機会が何時になるか分からない。ディアは俺の妻だ。それを理解していただいた上で、やはり俺のやり方は間違えていたと思うから謝罪したい」
クザートの言葉にルミカはため息を吐く。
「わざわざ嫌な思いをしなくても、このまま一生会わないって事でいいのではありませんか?」
「シュルツ陛下がどれだけ苦しまれたかを考えれば、逃げ隠れは出来ない。それにディアにも、二度と置いて行かないと分かってもらいたいんだ」
クザートはきっぱりと言い切る。それを見たルミカは少し驚いた後で苦笑した。
「クザート兄上は、逃げ足の速さでは兄弟一だと思っていたのに……」
「一人で逃げる訳にいかなくなったから、逃げるのは止めたんだよ」
クザートの言葉に、俺もルミカも笑う。
問題はいつもあった。これからもそれは続くだろう。しかし俺にはその問題を分かち合う兄弟が居た。その後も仲間が増えた。だから自分を不幸だと思わずに済んだのだ。
ローズの言う通り、俺達の子には味方が必要だ。一人でも多く、信頼できる者を残したい。
「もう少し落ち着いたら、話があります。……できれば兄上やルミカだけでなく、ナジームやラシッド、コピートにも話したいと思っています」
二人は怪訝そうに俺を見る。
「俺達の子供の事です」
二人はすぐに納得した様子で言った。
「パルネアとの二重国籍の事か」
「リヴァイアサンの騎士が別国籍を持つなど、過去に例がありませんからね」
そうでは無いのだが……と思いつつもあえて口をつぐむ。昼の休憩程度の時間で話せる事ではない。その後は兄弟で他愛無い話をして休憩時間を過ごした。
そしてミラ主宰の茶会が開催される日を迎えた。




