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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
救世主の親になる
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オリヴィエの選択

 魔法喰いが自分から消えてお腹の中の子に移ってしまった事を考えていると、来客があるとマクシミリアンが告げに来た。オリヴィエ・レイシスがいきなり来たとの事だった。

 最後に会った時、オリヴィエはかなり反省している様子だった。城勤めに関しては解雇されたらしいが、恨み言を言いに来た訳ではないだろう。

「会います」

 今の考えから思考を切り離したいと言う欲求に負けて、会う事にした。

 談話室に行くと、オリヴィエは少しやつれているもののさっぱりした顔をしていた。私を見ると立ち上がって頭を下げた。

「いきなりの訪問をお許しください」

 先ぶれや手紙で来訪の許可を取らないのだから、急ぎなのだろう。マクシミリアンが自己判断で追い返さずに私に取り次いだのも、何か事情を知っているからだろうと思っていたが……一体何があったのだろう。

「構いません」

 私の言葉でオリヴィエの表情が緩んだ。

 正面に座り、オリヴィエの前に置かれたハーブティーの匂いに少し気分が良くなる。ミントティーだ。匂いはあんなに良いのに、飲むと気分が悪くなると言うのはどういう事なのか。私の前には、いつも通りのレモン水が置かれている。

「お会い下さり、ありがとうございます。本日は、ローズ様にお別れのご挨拶をしに参りました」

 マクシミリアンがオリヴィエを通したのは、これが理由だったらしい。それにしてもお別れとは、どういう事なのか。

「まさか、ジルやクザートに恐ろしい目に遭わされているのですか?」

 やりかねない夫と義兄。思わず聞くと、首を大きく横に振られた。

「いいえ、とんでも無いです。両親に家の恥だと言われて縁を切られ、途方に暮れていた私達に職を斡旋し、住む場所を手配して下さいました。パルネアの町になりますが、美術館で外国の方を案内や接客する仕事です」

 ロヴィス語の話せる侍女となれば、うってつけだ。ジルムートからこの話を聞いていないから、仕事を斡旋したのはクザートだろう。ディア様に良いところを見せたかったのかも知れない。

「だったら、会えないと言うのはどういう事ですか?」

 ポーリアから出るだけで、凄く遠いと言う認識は無いのだが……。

「他の五人は、新しい職場で働き始める為の準備をしています。しかし私はお断りさせて頂きました」

 オリヴィエは、一旦言葉を区切って続けた。

「ドルガンダル陛下の配下のお一人に、嫁ぐ事にしました」

 まさか、獣人の国へたった一人で嫁ぐと言うのか。

「何故ですか?」

 戸惑って聞くと、オリヴィエは私をじっと見据えた。

「ローズ様、私はあなたにずっと憧れていました。騎士様達に様付けて呼ばれ、国王ご夫妻の信頼も厚く、どうしたら、あなたの様になれるのだろうと……ずっと思っていました」

 私は普通じゃない。異世界の記憶のせいで常識がずれている。それに加え、あらゆる要素が絡んで今に至っている。しかし、それをオリヴィエに分かってもらえる気がしない。

「運が良かっただけの話です」

 無難かと思ってこう返すと、オリヴィエは不服そうに言った。

「運だけなどとおっしゃらないでください。私がどんなに欲しても、得られなかったものです」

 そんな風に言われては、応じない訳にはいかない。頭の中で言葉を苦労して探す。分かりやすい、異世界とか魔法とかが絡まない方向で。

「私は、パルネアでセレニー様に唯一付けられる侍女に選ばれました。それだけの侍女として厳しい教育を受け、経験を積んできたつもりです。私の仕事が甘ければ、主であるセレニー様が恥をかく事になります。一国の王妃となられたセレニー様を、誰もが王妃として扱うように身なりを整え、健やかな日常生活を補佐するのが侍女の仕事です。こうして誠心誠意お仕えし続けて、十年以上になります。その結果が今です」

 オリヴィエとは、出来る仕事の幅も勤続年数も違う。私が侍女としてオリヴィエに劣っている部分は無いと暗に告げると、オリヴィエは納得した様子だった。

「それでこそ、私の憧れたローズ様です」

「憧れると言いますが、私よりもディア様の方が侍女としては優れておいでです」

 ディア様は私の様な目立つ事をしない。侍女は本来目立ってはいけないのだ。私はそう言う部分で立ち回りが下手だ。侍女として致命的だとも言える。

 パルネアに居た頃はアネイラの方が目立ったから、自分は侍女らしい侍女だと思っていたが、そうでなかった事をここ数年で痛感している。かつてラシッドに、侍女のタブーを冒しても私なら大丈夫だと言う意味合いの事も言われた。他人から見ても侍女らしくない侍女なのだと、心底落ち込んだのは言うまでもない。

「素晴らしい方だとは思いますが、ディア様のあり方は私の望みではありませんでした」

 オリヴィエはきっぱりと言う。

「それよりも不思議だったのは、ローズ様とディア様は同じ侍女でありながら、お互いを尊重しあっておられた事です。相手を疎ましく思わなかったのですか?」

 思わず、オリヴィエをまじまじと見てしまう。侍女の仕事に勝ち負けなど無い。一人で回せる仕事ではないのだ。そんな事を言っていたら、何でも自分一人でする事になってしまう。しかもディア様は私の教官だった人だ。お師匠様に当たる人と比較とか勝負とか、考えた事もない。

 それを告げると、オリヴィエは複雑な表情になった。オリヴィエも、私の様に考えた事が無かったのだ。

「ポートでは女に仕事が与えられません。故に夫に最も愛される唯一の存在になる事こそ、女の価値だと言う考え方が根強いのです。侍女の仕事をしていても、同じ様に考えていました。だから序列一席の奥方で王妃様の専属侍女であるローズ様の在り方以外、考えられませんでした」

 オリヴィエにとって私の立場は、この国で侍女と言う低い身分の存在に与えられる最も高い地位に見えているのだ。……ちなみに同じ上層で働く侍女同士に地位の差はない。侍女として先輩後輩であると言う事は意識にあるが、その程度だったりする。

 実は私もディア様も、侍女の教育や指導をしているがポート人侍女と給料に差はない。教育・指導手当を取るとポート人から反発が出る可能性を指摘され、当初からそれを受け入れているからだ。代わりに私もディア様も、余程の事情が無い限り上層の仕事から外れる事は無い。それがセレニー様専属と言う意味だ。手当が無い分、不当な扱いを受けない上層で保護されているのだ。

 パルネア人の女と言うだけで、差別の対象になる事がある。しかも私もディア様も既婚者だ。侍女に復帰するであろうアネイラも既婚者となる。既婚女性を働かせる習慣の無いポートで、不当な差別に遭わない様にする事はとても大事なのだ。……セレニー様もパルネア人の既婚者で王妃として政治の場で働いているからだ。

 ジルムートが夫である事に関しては、複雑な気分になる。ただ分かるのは、私達の置かれている侍女と騎士の立場は出会いに直結していたが、結婚には直結していなかった事だ。それに関しては、ディア様も同意見だと思う。私達は結婚するのに長い時間がかかった。そしてアネイラは、ルミカと長い付き合いの末に破局した。侍女の仕事が出来るから騎士に見初められて幸せになりましたなんて、単純な話ではなかったのだ。

 しかし、オリヴィエはそういう部分を知らない。

「羨ましくて仕方ありませんでした。そんな風に思えば思う程に、ローズ様の在り方と私の在り方は離れていく様に感じて、私は焦っていました。仕事ぶりで周囲に自分を認めさせる方法では、何時認められるか分かりません。だから、自分より目立つ存在を蹴落とす様になっていました」

 ポートの一夫多妻の歴史は長かった。それが女性の心理に濃い影を未だに落としているのだ。同じ家の中で、夫の寵愛を競って互いを蹴落とし合うと言う妻達。それを見て育ったオリヴィエは、城の中で働く侍女を、同じような感覚で見ていたのだ。

「私……今回の事で、自分がどうしたいのか考えました」

 オリヴィエは私を見据えて言った。

「仕事で名声を得たいのか、女として幸福を掴みたいのか。私はローズ様の様に両方を得られる程の人間ではありません。だから一方を突き詰めたいと思いました」

「どちらも、程々ではいけないのですか?」

 そこまで一番にこだわらなくても、十分幸せになれると思うのだが。

「私は誰にも負けたくないのです。人と同じは嫌です」

 どうしてそこまでこだわるのか理解できないが、並々ならない強い気持ちがあるのは分かる。誰にでも譲れない物と言うのがある。オリヴィエにとって『誰にも負けたくない』と言うのが、そのこだわりなのだろう。

「そうですか。……それで、どうしてイグヴァンに嫁ぐという選択になったのですか?」

 先を促すと、オリヴィエは言った。

「改めて考えて、私は侍女の仕事がそんなに好きでは無い事に気付きました。負けたくない気持ちだけで続けるのも限界があります。美術館での案内係も、ロヴィス語以外に侍女としての技術も期待されているとの事だったので、お断りしました」

「出来ない訳ではないですよね?」

「上手くはありません。侍女として教育を受けましたが人並み程度です。……私は不器用で、給仕もお茶を淹れるのも苦手です。繰り返し練習しましたが、上手くなれる気がしません。好きでない上に、向いていないのだと思います」

 確かロヴィス語を話せるから、お茶を淹れるのが上手な子にお茶を淹れさせて接客対応だけしていたんだったか……。話を聞いて妙に納得してしまった。城の侍女をしていて人並みに出来ると言えるなら十分だと思うが、自分よりも上手な子の技術を見てしまったのだろう。……同じように出来なくて諦めたのだ。

 そんな事を考えていると、オリヴィエは続けた。

「それでポートでは嫁ぎ先が見つからないので、ドルガンダル陛下に宴での不作法を謝罪したいと面会をお願いした際に、私を花嫁候補としてイグヴァンに連れて帰って下さるか、お聞きしました」

 謝罪に来た筈のオリヴィエのぶしつけな申し出に対し、ドルガンダルはどう応じたのか。目の前に居るのだから無事なのは分かっているが不安になった。

「何故、獣人の方だったのですか?」

「獣人の方について幾度も話を聞く機会があったのです。私の実家は、商売でイグヴァンの滋養強壮に効果のある果物を扱っています。公に売買はしていないのですが、議員の方々には好評でお買い求め頂いております」

 オリヴィエの実家は、怪しい果物の取引で獣人と関係のある家と言う事か。議員が買っているせいで、騎士団はその滋養強壮の果物を違法扱いできないのだろう。……ミクイムシの様な怖い寄生虫が中に居たらどうするのよ!とか思うが、既にオリヴィエ自身、親に縁を切られたと言っていたからこの事は言わない事にした。

 オリヴィエは続ける。

「イグヴァンの獣人戦士と言うのは、過去、女性の奪い合いで同胞を殺してしまう事も頻繁にあった様です」

「その様な事が起こっていたのですか……」

「はい。獣人の方々も危機感を持ったらしく、女性に相手を選ばせる、婚姻関係を結んだ女性には一切手を出さない、と言う掟が生まれたそうです。その掟を破った場合にはイグヴァンから追放されるそうです。それだけの過去と掟があるので、獣人の方は妻をとても大事にするそうです」

「それで、イグヴァンに嫁ぐ事にしたのですか?」

 オリヴィエは頷いた。

「大事な事です。一生を捧げるのですから。……しかし、知らなかった事も告げられました。獣人の妻になったら、子を産める限り産む事になるそうです」

 あり得ない、無理!と思わず心の中で叫ぶ。

「愛されますが、妻は長生きしないとドルガンダル陛下に言われました。獣人の方は、妻が妊娠出来るかどうか匂いで分かるそうです。分かると獣性が強いので、本能に逆らえないそうです」

 ドルガンダルは、あえてオリヴィエに残酷な現実を突きつけたらしい。これを言われて、嫁に行くと言えるオリヴィエ。一体何がこの子を駆り立てているのか、私には分からない。

「それでも、行くのですか?」

「行きます」

 オリヴィエは迷いの無い表情で言った。

「愛されないまま長生きするよりも、夫と子供達に惜しまれて死ぬ事を望みます」

 オリヴィエの考え方は上手く理解できないと思っていたが、今の言葉でようやく理解できた気がした。……オリヴィエは競うのが好きなのではなくて、自分を特別扱いしてくれる男性に出会いたかっただけなのだ。一番にならなくては特別扱いされないから一番にこだわっていただけ。

「お前で無くても構わない、代えはいくらでも居ると言われて育ちました。私は八人姉妹の四番目なのです。だから、どうしても私が良いと言ってくれる人と結婚したいと願い続けて来ました」

 切なくて胸が詰まる気がした。言ったのは親だろう。オリヴィエは続けた。

「やがて大人になり、願う事に疲れ、歪んでしまいました。美術館の仕事に就いて居場所を得たとしても、願いも歪みも私の中から消えません。こんな気持ちのまま生きて死んでいくのだと思うと、耐えられませんでした。だからイグヴァンへ行きます」

 オリヴィエは決めている。だったら私に出来る事は……。

「オリヴィエ、お誕生日を教えてください。あなたのお誕生日にカードを贈ります」

 オリヴィエは特別な存在になりたいのだ。恋人や夫ではないが、私とオリヴィエの間には縁が出来ている。互いに特別な存在だ。だったら、それを切らなければいい。

「私は、あなたを決して忘れません。体を大事にして長生きして下さい」

 オリヴィエは茫然とした後、感極まって泣き出した。

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