表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
救世主の親になる
155/164

ディアの説教

 ローズは優しいから、こういう一時の憎しみや怒りに任せた行為を悔い改めさせれば、真人間になると思っている様だが、俺はそう思っていない。明らかに不機嫌なクザートも同じだ。この年になるまで己を制御出来なかったと言うのに、少し叱られた程度でどうにかなる気はしない。

 クザートはディアが妊娠中に何もしてやれなかった。その分、ローズが妊婦だと分かって居ながら転倒させようとした女共にかなり怒りを募らせている。ディアに置き換えて想像してしまっているのだ。俺が怒り出した時の抑止の為にクザートを連れてきたようだが、その抑止の為に更にディアが必要と言う状況になっている。ディアもディアで、モイナを妊娠出産した母親と言う立場である為、妊婦に酒を飲ませ、転倒させようと言う悪意ある行動に相当の怒りを感じている様だ。

 当事者である俺やローズよりも、兄夫婦の方が遥かに怒っている様に思える。

「ローズちゃん、こいつらは説教しても直らないよ。ドルガンダル陛下に頼んで、イグヴァンに連れて行ってもらった方がいいんじゃないかな」

 侍女達が全員震え上がって互いを抱きしめている。

「嫁に行きたいんだろう?イグヴァンなら引く手数多だ」

 半分冗談、半分本気なのが分かって、俺はため息交じりに言う。

「兄上、あちらもこんな性悪女はいらないでしょう。ポートから嫁に出す以上、ちゃんとした女でなくてはポートの恥になります」

「それもそうだな……」

 お前達など、誰も欲しがらない。この女達が言われて一番辛い部分をえぐる。

「お前達は、嫁を何だと思っているのだ」

 俺がそう言うと、侍女達は皆ぽかんとしている。

「子供を産んだ後は、余生を送る様に自由に過ごせると思っているのか?」

 図星だったらしい。皆一様に気まずそうな顔をしている。

「それなら、あえて婚姻を結ぶ必要など無い。それこそ、愛人として囲えば良いだけだ。しかし、それでは子が不憫だし、女の扱いが家畜と変わらない。だから禁止されたのだ」

 俺がそう言うと、クザートが俺の言葉を引き継ぐ。

「家畜でも、愛玩用の動物ならまだいいだろう。飼っている者が癒されるからな。こちらも愛す価値がある。動物は年を食っても可愛いしな」

 容色の衰えた妻など、愛玩動物にも劣ると言われている事は、さすがに理解したらしい。クザートの物言いは辛らつだ。

「では、何故結婚なさったのですか?ディア様はもうお子様をお産みになっていらっしゃるし、年齢的にもお若くありません。あえて結婚する意味が分かりません」

 オリヴィエ・レイシスは気が強いらしい。見た目で俺よりも怖くないと思ったのか、クザートに反論した。……俺より怖いのに。特にディアが絡むとまずいのだが。

「共に居たいと思える相手だからだ」

 クザートは即答した。

「愛らしい容姿、綺麗な見た目、そんな物は一時のもので、惹かれるきっかけに過ぎない。人は必ず年を取り衰えて死んでいく。それは男であれ女であれ同じだ。生きている時間、一緒に居たい、誰かと共にありたいと考え妻を選べと言われたら、ディアが良かった。それだけの事だ」

 侍女達は全員考えたこともなかったであろう理屈に呆然としている。そんな先を考えていなかったのだろう。

「夫婦になるのに必要である条件など、そう多くはない。別に結婚した時には何も無くてもいいのだ。ただその後で一緒に居る事が当たり前になり、安らぎになるならな」

 クザートの言葉に俺も全面的に賛成だ。

「俺とディアは事情があってすぐに夫婦にはなれなかった。結果、子供が居る状態から関係を築く事になった。その後、騎士を廃業する寸前まで体を壊した。それでも、ディアは俺を見捨てなかった。体を壊した俺を看病し、歩み寄る努力をしてくれた。……そこまでの事を、他の女がしてくれると俺は思っていない」

 異国で一人子供を産み育て、異能の暴走で館に閉じこもっていたクザートを立ち直らせたのは、ディアだ。ディアにとって知り合ったクザートは序列二席ではなかった。だから、騎士であるとか無いとか、そう言う事も関係ない。

「俺が考える妻と言うのは、少なくとも夫との間に信頼関係を築き、お互いを信じあって家族になれる女の事だ。断じて妊婦を転倒させ、その様子を見て喜ぶ様な女ではない」

 オリヴィエが涙目になって唇を噛み締める。

 善悪よりも、己の快不快を優先させて物事を考えるのは、我慢できない奴らの典型だ。犯罪者にも非常に多く、己の快感だけを追っているから、自分のやっている事の善悪を見失うのだ。特に今回は六人も関わっている。一人ではできない事も大勢なら出来ると強気になった事が裏目に出たのだろう。……愚かな事だ。

「ローズが流産して子を持てなくなっても、俺の妻はローズだけだ。だから、このような行為に意味は無い。俺や見ていた者達を不快にしたに過ぎない」

 俺が断言すると、侍女達はすすり泣き始めた。

「後は、私から……いいですか?」

 そう言ったのはディアだった。

「あなた達が思っているよりも、殿方が女性を厳しい目で見ている事は分かったかしら?」

 優しい声に女達は小さく頷く。

「お城に出仕して、綺麗な花として選ばれるのは素敵よね。ローズとジルムート様の結婚は、まるで物語の様ですもの。……憧れていたのでしょう?だから、選ばれない自分が情けなくてローズが憎くなったのでしょう?」

 意外な言葉に俺は思わずディアの方を見る。

「素敵な殿方に望まれて結婚する。確かにその時は幸せかも知れない。……女としての矜持は満足するけれど、その先を考えた事はある?」

「先なんて、考えられません。選ばれもしないのに」

 オリヴィエがヤケクソの様にそう言うと、ディアは優しく応じた。

「そうね。だったらローズで考えてみましょう。……ジルムート様に望まれて結婚してから、危険な目に何度も遭ったわ。一昨日誘拐されたのに、今日式典にも宴にも出席している。あなた、出来る?」

 オリヴィエは首を左右に振る。

「それで普通よ。誰も責めたりしない。ローズが凄過ぎるの」

 ローズは不服そうにディアの方を見ているが、俺もそれは同感だ。

 ディアは、静かに言った。

「でもね、ジルムート様はそれを出来てしまうローズをお嫁に迎えられた。ジルムート様の妻の基準はローズなの」

 言葉を切って、ディアは侍女達をじっと見据えてから言った。

「もしここであなた達の誰かがローズの代わりに隣に立つのだとして、耐えられますか?」

 ディアの言葉に、侍女達は全員顔を強張らせた。

「恐ろしい誘拐犯に立ち向かう強さを持ち、獣人の王と対話をし、シュルツ陛下と笑顔でダンスをする。同じ事の出来ないあなた達は、ローズに劣っていると感じずには居られない。館に閉じこもり、誰の声も聞かずに耳を塞いでも、あなた達自身の心の声があなた達を苦しめる。生きている限り、ローズと比較されているかも知れないと考え続ける事になる」

 人の声が恐ろしいと言う話がよくあるが、一番恐ろしい敵は己の中にある心の壁だ。自分の内部で「人がこう思っているに違いない」と考え、どんどんと確信を深めて苦しみの沼へと落ちていく。こうなってしまった者の心は、そう簡単には救えない。

「これを分かった上で、ローズの代わりに後妻になろうなんて女性、居ると思う?分からずに後妻になったとしたら、なった後で耐えられなくなるのは目に見えているわ。……嫌がらせなんてしても、ただジルムート様とローズを不幸にするだけで、別の誰かに幸運が転がり込む様な事にはならないのよ」

 侍女達は俺やクザートに言われた事以上に衝撃を受けたのか、ただただ硬直している。

「人の幸せを一つ潰せば、別の誰かが一つ幸せになるなんて……それこそ馬鹿げた考え方よ。カルロス様がお生まれになった時の事を覚えている?城中が幸福に満たされて、ポートはきっと良い国になると皆が思ったあの日の事を。素敵な日だったわよね」

 あの日は、騎士団総出で無料で酒と菓子を配り歩いた。ポーリアでは、あらゆる品が半値以下に値下げされた。商売人が商売度外視で祝いの品を振る舞う姿は、ポートでは異例中の異例だった。あれ以来、セレニー様が二人目のお子様を授からないかと皆が楽しみにしている。商人達もその日に備えて備蓄をしていると言う。俺の出征からの帰還があっても、商人達は品を値下げなどしない。歴史的な式典が行われていても、逆に儲けようと値を吊り上げる商人が居る程だ。

 王家がそれだけポートで慕われていると言う事なのだが……無力な赤ん坊が生まれると言うだけでがめつい商人から騎士まで笑顔になれる。それは凄い事だと、ディアの言葉で思い至った。

「命が産まれると言うのは、それだけ大勢を無条件に喜びで包む事のできる事なのよ」

 侍女達の目に涙が溢れ、次々に泣き崩れていく。

「ローズ様!お許しください」

「酷い事をして、ごめんなさい」

 泣きながら侍女達が口々に謝る。……ただ許されたくてウソ泣きしているのではなく、本気で後悔して号泣している。俺もクザートも、驚いて互いを見てしまう。俺達が何か言う時には、心が警戒と恐怖で一杯になっている女共は、こんな風にはならないのだ。

 侍女達を他の騎士達に委ね、兄夫婦と俺達夫婦だけになると、ローズがニコニコして言った。

「ディア様はやはり聖女様です。あの子達が分かってくれたみたいで本当に良かったです」

「ローズは人の事には一生懸命なのに、自分の事に無頓着過ぎるのよ。ジルムート様を心配させない為にも、もう少し自分の事にも気を配りなさい」

「はい」

 分かっているのかいないのか、ローズは嬉しそうに返事をする。……絶対に分かっていない。

 館に戻ってから、俺はローズに聞いた。

「わざわざ改心させる必要はあったのか?」

 すると、ローズは不快そうに眉間に皺を寄せてから言った。

「ジルもクザートも、あんな奴ら改心しないって、最初から思い込んでいたでしょう?」

「まぁ……」

「あのね、そういう態度って相手も分かるのよ」

「分かってはいけないのか?」

「自分に対して悪感情を持っていて、責める気満々な人から何か言われるのよ?素直に聞ける訳ないじゃない」

「それはそうだが、別にそれでいいと思う」

「それがダメなの。もうあの子達、ジルとクザートにボロボロにされるのが怖くて仕方ないって感じだった。オリヴィエはまだ気持ちがしっかりしていて、話を聞いていたし反論するだけ頭が働いていて偉いと思ったくらい」

「一番の加害者を褒めるな」

「褒めてない。ただ、ああいう子達は追い詰めても、自分の悪い部分に目を向ける事が出来ないの」

「追い詰めずに説得する様な面倒くさい事、俺も兄上もしない」

「だからって、私にワイン持ってきたり、足をひっかけた程度の子達を抜刀許可証で殺したら、ポートの評判がた落ちだから」

「言わなければ分からない」

「やめてよ!その真っ黒な発想」

「真っ黒でも何でも……こうでないと騎士は務まらない」

 ポートの騎士は抜刀許可証を五百席までは所持している。安易に使用できない分、使用の際の責任はいつも付きまとっている。その重みに潰されないだけの精神を持つには、真っ黒だろうが何だろうが、決断するだけの割り切りは必須なのだ。

「黙っていても、あの子達が一斉に消えれば分かるでしょうに」

「皆が怖がれば、抑止力になる。恐れられるのも騎士団の仕事だ。この程度でローズが馬鹿共に狙われなくなるなら、その方がいい」

 ローズはため息をついてから言った。 

「ジルの理屈は分かった。でもあえて言うなら、狙われなくなる事は無いと思うよ。ジルの言う馬鹿は話の理屈が分からない人だから、自分だけはうまくやれると思い込んでいるもの。他の人が失敗した馬鹿だと思うだけだよ」

「飛びぬけた馬鹿に何を言ってもやっても無駄なのは分かる。だが、適度な馬鹿は大人しくなるぞ」

 ローズが再度ため息を吐いた。

「もう馬鹿の話はいいや。とにかく何の話だったっけ。そうだ侍女の子達の話。……あの子達は結婚していないから、夫婦の事なんて分からない。想像も出来ない。妊娠だってそう。私も今妊娠しているけれど、自分がこの先どう変わるのか想像できないし、子供がどんな風に生まれるのか……セレニー様の時に見ていても自分に置き換えるのは難しいわ」

 黙って先を促すと、ローズは続けた。

「ディア様はあの子達を責めないで、普通だと認めた上で、あの子達が想像できる範囲の話を抽出して理解させたのよ」

 ローズの代わりに妻として俺の隣に立つ事を想像させる。あの発言はそこから来ていたのか。

「更に、カルロス様がご誕生になられた時の様子を思い出させた。自分の子供じゃないけれど、嬉しいって思ったって気持ちは、ポートで皆が感じていた事でしょう?あれを思い出せば、私にやった事がちょっとした意地悪で済まない事を理解しやすい」

「ディアは皇太子妃に望まれていただけあって、容姿が綺麗なだけでなく頭も切れるのだな」

「当たり前でしょう?私、一生追いつける気がしないもの」

「……ローズは越えられない相手と言うのに、抵抗は無いのか?」

「無いよ」

 ローズは即答する。その顔には暗い表情が浮かんでいた。

「全く同じぺったんこ同士だと信じていたアネイラの胸がどんどん巨大化していくのを見た時に、人間と言うは平等じゃないんだって思い知ったの。チェルシーを産んでから、更に大きな胸になっていたわね。私、出産しても追いつける気がしないの。ふふふふ」

「何にしても、お前は休暇だ。暫く心身共に休ませる事だ」

 妊婦が真っ黒なのは良くない。俺がそう言うと、ローズは大人しく頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ