表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
救世主の親になる
153/164

ドルガンダル

 とりあえずどこかで待とうと一歩踏み出すと、何故か足があった。一瞬、意地の悪い中層の侍女、オリヴィエ・レイシスの笑う顔が見えた。またお前か!おのれ、覚えておけ!それにしても油断した……。転んだら絨毯の敷かれた床ではあるが、痛いに決まっている。というかお腹!私が焦っていると、誰かががっしりと腰を支えてくれた。

「大丈夫か?」

 ……鍛え上げられた肉体に、うっすらと生えた青と白の縞の体毛が手の甲に浮かんでいる。全身に緊張が走る。相手がイグヴァンの王だとすぐに分かったからだ。

 「青虎の王」と言う異名を持つドルガンダル。耳は顔の横に付いているが、青と白の縞模様の毛が生えていて、先端が少し尖っている。獣人と呼ばれる種族。私はこの式典で初めて見る事になった。

 イグヴァンの事は、ずっとロヴィスと戦争で膠着状態になっていると聞いているだけだった。イグヴァンはジャングルの中で暮らす特殊民族で、私は何故そんな人達が大国のロヴィスと戦争をしても膠着状態なのか全く分かっていなかった。そもそも、イグヴァン相手にわざわざ傭兵を雇って国境を守らせている事そのものに、違和感を覚えていた。数で制圧する事はロヴィスの様な大きな国であれば可能だと思っていたのだ。しかし、現実はそうではなかった。

 イグヴァンの民は獣人。ジルムート達の様な異能者とは全く違い、生まれつき民族全員の身体能力が高い。人間とは別種族と言う扱いになる。過去、繰り返し多大な犠牲を出し続けたロヴィスは、傭兵によって国境を守らせて膠着状態にする事にしたのだ。ロヴィス人は獣人と和平条約を結ぶ事を拒んでいる。だからと言ってもう支配下に置く事も諦めている。それでこの様な状態が続いているのだ。

 ポートは異能者が民族内部に存在し、蛮族と蔑まれていた歴史背景から、イグヴァンとの関係は悪くない。ただロヴィスとの関係も友好的である為、微妙な立場に居ると言える。

 そんな式典前に急遽仕入れた知識を思い返している間にも、状況は動く。

 ドルガンダルは、足を出していたオリヴィエを射抜く様な視線で見据える。オリヴィエは持っていた飲み物の盆を取り落とし、真っ青になってその場で震え上がった。

「旨そうだ」

 流暢なグルニアコモン(この大陸の公用語)でそう言ってドルガンダルは牙を剥きだしにしてニヤっと笑った。……本当に食べられそうで、支えられたまま、私も体を強張らせる。

「ご冗談は、その程度でお願いします」

 私が慌てて従僕に目配せすると、従僕は腰を抜かしそうなオリヴィエを連れて宴席を出て行った。その後、速やかに盆や割れたグラスが片付けられる。ポート城の使用人、有能。

「お助けいただきありがとうございます。イグヴァンのドルガンダル陛下」

「何、お安い御用だ。……ドルガで良い。親しい者はそう呼ぶ。あんたには是非そう呼んで欲しい」

「では、ドルガ陛下と」

「硬いな。ドルガさんでいいんだよ」

「ではドルガ様で」

「仕方ないな」

 何がどう仕方ないのか知らないが、ドルガンダルは笑う。私はジルムートと変らない長身を見上げる。牙をむき出して笑う青い目の瞳孔は縦に細長い。この人は本当に人と違うのだと思う。

「あんたには直接会って礼を言いたいと思っていた」

「礼……ですか?」

「ああ、ここは入り口に近くて人の出入りがあるから落ち着かない。あっちで話をしよう」

 会場の少し奥まっていてソファーの幾つか用意された場所へと連れていかれた。今回の会場には幾つもこのような場所が用意されていて、他にも休憩用の部屋が幾つも用意されている。ロヴィスが宴席に来る以上、こういうのに煩いので、きっちり手配する様に言われてそうした。

 ソファーに座ると、近過ぎない場所にドルガンダルは座った。ロヴィスでは蛮族の様に扱われているが、ちゃんとした礼儀作法は身に付いていて、他国に引けを取るように思えなかった。

「澄んだ良い目をしている。我々は獣性が強いが故に、直感を重視する。あんたは俺達の獣性を必要以上に恐れないし嫌わないのだな」

「ドルガ様は私を助けて下さいました。恐れる理由も嫌う理由もございません」

「シャーマンの言う通りだ。あんたとはちゃんと話をするべきだな」

 ドルガンダルはそう言うと、イグヴァンで私が特別視されていると言う話をし始めた。

「イグヴァンには、耳から入る寄生虫によって命を失う病がある。ミクイムシと言う虫なのだが、いつの間にか成虫が耳の奥に入り込み卵を産む。卵が孵る前に除去できなければ、虫の幼虫が頭の中に食い込む死病だ」

 身震いする。そんな怖い虫の話、初めて聞いた。

「イグヴァン特有の寄生虫だ。外国には居ないから安心していい。それに普通の人間の耳の内部は毛が少なくて成虫も奥に入り込めないし卵も産まない」

 そう言うドルガンダルの耳を思わず見てしまう。中にもかなりの量の産毛が生えているっぽい。

「ブドウから作る酢を耳に流し入れ、耳を洗浄する方法が一番の予防策だったのだが、酢の匂いが苦手で嫌がる者も多かった。かく言う俺も大嫌いだ。そこへポートから耳かきが伝わり、ミクイムシは驚異では無くなった」

 耳かき……?目をしばたいていると、ドルガンダルは続けた。

「耳かきで成虫も卵も簡単に除去できる。毎日の日課に耳かきを取り入れる事で、ミクイムシで死ぬ者は居なくなった。作ったのはあんただと聞いている。本当に良い物を作ってくれた。ありがとうな!」

 ドルガンダルはそう言って膝をパンと打つと大きな声で笑った。

 注目が痛い……。この人、獣人で目立つ上に、声が大きい。

「原材料のバンブーは、イグヴァンではそこら中に生えているし、あんたは耳かきに希少性を持たせないで流通させる事を優先させてくれたと聞き及んでいる。お陰で俺達はポートから安価な耳かきを大量に輸入して、日々病気の予防に励む事が出来て、本当に助かっている」

 周囲はイグヴァンの王と対等に話していると思っているのか、私をちらちらと見ている。注目されている以上、黙りこくってしまう訳にはいかない。

「よろしければ、イグヴァンでも耳かきを作られては如何ですか?」

 竹があるのに作れないのは勿体ない。

「……獣人でも、工房は弟子にしてくれるのか?」

「確かに抵抗のある者も居るでしょうが、ポートは商人の国。必要な金額を支払い、あなた方にとって耳かきが必要な道具なのだと前もって理解していれば、支払いに応じた働きはすると思います。ポートに滞在する事を厭われるなら、職人をイグヴァンに招く事も交渉次第で可能かと思います」

 カルクはジルムートを恐れなかった職人だ。獣人だからと言って恐れたりしないだろう。相談すれば快く引き受けてくれるだろう。獣人との商売交流の先も見えてくるとなれば、きっと喜んで商談の話をしたいと言う者達も現れる筈だ。

 そう告げると、ドルガンダルは満足そうに笑った。

「ポートがロヴィスに無断でイグヴァンと親睦を深めてしまうと揉める事になると思うのだが、それはどうするつもりだ?」

「それは……」

 私が答えに窮していると、ドルガンダルは苦笑して立ち上がった。

「さて、もう少し話していたいのだが、そろそろおっかないお目付け役も来たみたいだし、退散しようかな」

 ジルムートが人混みを縫ってこちらに向かって来るのが見えた。

「待って下さい。夫を紹介します」

「嫌だよ。あんな怖いの相手に話なんてしたくない。全身の毛が逆立って逃げろって言っている。ポート限定かも知れないが、あんたの旦那は獣人よりも強い。悪いが失礼するよ。ではまたな」

 ドルガンダルはそう言って手をさっと挙げると、その場を立ち去ってしまった。

「ローズ」

 私の隣に座ったジルムートは、困った様に私を見て言った。

「……冷や汗をかいた」

「ドルガ様と話をしてはいけなかった?」

「周囲がどれだけ緊張していたと思うのだ」

 ふと気づくと、注目されていた視線の中には、ルミカやコピート、ナジームなど、見知った序列上位者の視線も混じっていた。その顔は酷く緊張している。何で?

「イグヴァンの獣人は、全員男だ。何故ロヴィスがイグヴァンを目の敵にするのか分かっていないだろうが原因は女だ。あいつらはロヴィスから女を攫う。獣人は子を残すのに、人間の女が必要なのだ」

 一気に血の気が引く。あんな人に攫われたら、家に帰るのは絶望的だ。普通の人が対抗できる気がしない。というかジャハル、あんな人達と戦ってたの?死ななくて良かったよ。

「一時期、ポートが合法で行っていた人身売買によってイグヴァンの蛮行は抑え込まれていたが、クルルス様が人身売買を禁止した事で、イグヴァンの動きはまた活性化しているのだ」

「どうして女性の同意を得ないの?口説けばいいのよ」

「例えばだ……ジャングルで獣人の子を産んで暮らして欲しいと頼まれて素直に頷けるか?しかもあいつらのプレゼントと言うのは求愛給餌になる。でかい動物を狩って目の前で丸焼きにした挙句、食えと言われる」

 求愛給餌……聞き慣れない言葉だが、ジルムートの説明で、文明的な暮らしをしている女性の喜ぶプレゼントでない事は理解できた。

「更に、一口でも食べれば求婚は受け入れられたと判断される。あいつらは攫った女に食事を与え、食べたら自分の妻だと主張する。ロヴィスが怒るのも無理はなかろう。和平の出来ない理由だ」

 もう、何も反論する術がない。応じる女性が居るとはとても思えない。特に世界文化の中心を自負していて文化水準の高いロヴィスの女性が、地方の村の出身であってもそんな環境に耐えられるとは思えない。

「ああいうのを、本当に蛮族と言うのだ」

 ジルムート達を野蛮人だと思っていたが、獣人は更にスケールの違う蛮族らしい。別の大陸にそんな人達が暮らしているなんて。

「その……獣人と人間の文化交流とかはしないの?ドルガ様は、とても賢そうな方だったけれど」

「ドルガンダル陛下は、歴代のイグヴァン王の中でも先進的で穏健派とされている。人についてよく学び、知識も人並み以上にあるし、礼儀だって弁えている。俺と違ってダンスも踊れる。そうでなくては招かれる訳があるまい。……ただ、学んだところで、本来持つ獣性を抑えきれない者がいるのは確かで、女が絡むと理性を失う者も少なくないと聞いている。それが難点だ。ところで、何を話していたのだ?」

 私は耳かきがイグヴァンの獣人達の寄生虫予防に使用されている為、シャーマンからの助言もあり、発案者である私に礼を言いに来たと言う事を話す。ジルムートはそれを聞いてほっとした様子になった。

「シャーマンって、獣人では王様とは別で特別なの?」

「イグヴァンの長老だな。王の相談役で外交のまとめ役だ。二百年以上生きる者も居ると聞く」

「そうなんだ。世の中、不思議な事が一杯だね」

 私がそう言ってレモン水を飲むと、ジルムートは呆れた様な顔をして私を見た後、困った顔をして笑った。

「お前にかかると、獣人も不思議で終わりか」

「何よ。だって想像できないんだもん。そうとしか言えないよ」

 つんとそっぽを向くと、声がした。

「そう怒るな。おまえのそう言う部分を俺も皆も心配しているのだ。お前は偏見を持たないし、恐れて相手を遠ざける様な事もしない。……そういう部分をドルガンダル陛下に気に入られても困るのだ。お前は望まれても差し出せない。ポートとイグヴァンの国際問題になる。ルミカ達はそれを危惧していたのだ」

「そんな訳ないじゃない。私、イルハム様によればおばさんらしいし、お腹に子供だって居るのよ。獣人のお方なら、そういうの分かるんじゃないの?ドルガ様は、多分今のままではイグヴァンに女性を招けないから、努力しているのだと思う。適切な距離で大声で話して注目を集めていたのは、獣人だけれど、ちゃんとご婦人と適切な距離で対話できますよってアピールだったのではないかしら」

「そういう事か……なるほどな」

「難しい事は分からないけれど、そんな気がしただけ」

 私がそう言うと、ジルムートはすっと私の頬を撫でた。

「お前みたいな優しい考え方が世の中に増えれば、悪い事は減ると俺は思う」

「別に優しくないよ……。思い出した!オリヴィエめ。許さん。何なのあの子」

 ドルガンダルに助けられた経緯をジルムートに話すと、ジルムートはぽつりと言った。

「グルニアの寒冷地送りにでもするか」

「やめて、そこまでは望んでないから」

「寒いのはダメか。だったらイグヴァンに連れて行ってもらうか」

「温度の問題じゃないから」

「ローズと俺の子に危害を加える様な性悪女、庇うな」

 私達がそんな事を話していると、急に周囲の雰囲気が変わった。二人して顔を上げると、シュルツ陛下が割れた人垣の中からまっすぐにこちらに歩いて来ていた。

 私達もソファーから立ち上がる。

「ずるいじゃないか、ジルムート。一人だけ奥方とのんびりするだなんて、クルルスも怒っていた」

「所詮は軍人ですので、外交となりますと私では他国の方の話し相手として不足かと。ダンスも出来ませんので、姫君やご婦人方の相手もできません」

「そんな事はないよ。皆君の知恵と力を借りたいから、縁を作りたくてウズウズしている。特にロヴィスの方々は凄く話をしたがっている」

 ちらりとシュルツ様の奥を見ると、男性達が数人、ジルムートを見ている。

「ドルガンダル殿の事もきちんと話してきた方がいい。その間、ローズは私が預かろう」

 そう言われてきょとんとしていると、シュルツ陛下は膝を折り、私の前に手を差し出した。

「私と一曲踊ってくれないだろうか」

 一瞬、何が起こったのか分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ