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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
救世主の親になる
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和解の日

 ラシッドが中層へ行ってから、侍女達の嫌がらせは綺麗サッパリと止んだ。式典まで限定ではあるが、「笑う死神」が中層に復活した効果は絶大だった。ラシッドには誰も殺すなと釘を刺してある。従っているから問題ない筈だ。

 何故いきなり中層常駐の勤務になったのか、ラシッドに説明する必要があったので、妊娠は伏せてローズの言い分と、受けている仕打ちを話すとラシッドはため息交じりに言った。

「父上みたいな男が居るのも確かですし、女を物みたいに扱うのは良くないとは思いますよ。でも男にも選ぶ権利があるでしょう?昔みたいに何人でも妻が持てる時代じゃないですからね。ハズレ嫁は御免です」

 ラシッドは肩を竦める。

「見合いで結婚すると分からない事が多いでしょう?その場で話がまとまる事もあるから、俺は婚約中に何度か会って、相手の様子を見て断わって来る様に仕向けていたのですよ」

「お前なぁ……」

「ジルムート様みたいに、相手をよく見もしないで追い返すよりはマシだと思いますよ。俺から拒絶したのではなく女の方が拒んだ事にする方が、女の矜持も体裁も保てます。そういうのに恨まれると面倒な事になるので、こうして追っ払っていたのですよ。父上はいくらでも女を連れて来ましたから。会っている間は別の女を連れてこないので、時間稼ぎにもなりましたしね」

 ふと気付く。

「だったら、リンザはどうして自分で選んだのだ?イルハム殿が煩かったのは分かるが、お前が理由も無く女を近づけるとは思えない。何か判断基準があったのだろう?」

 少し考えてからラシッドは言った。

「強いて言えば……貧乏ですね」

「貧乏?」

「貧乏人は金で飼い慣らせますから、そうしようと思っただけです」

「えげつないな。第一、全く飼い慣らせていなかったではないか」

「そうですね。逆に俺が餌付けされました」

 人の縁はこれがあるから不思議だ。

「……話を戻しますが、中層には少し長めで綺麗に磨かれた爪の侍女が何人か居ます。ローズ様に悪さをしていた女共は全員これに当てはまります。あいつらは賓客の世話は丁寧にしますが、裏方仕事は手を抜きます。茶も運ぶだけで、別の誰かに淹れさせます。それで、自分が淹れたみたいにして出しますから、知っている中層の者達は誰も嫁にしません。確かに客人への対応が気持ち良い侍女と言うのは中層に必須ですが、あいつらである必要は無いと俺は思っています」

「お前の言い分は分かった。しかし今すぐ代わりを探すのは無理だ。……式典までは、今のままで見張っておけ。終わったら役所も交えて、今後の人事を考える事にする」

「分かりました。俺も一枚噛ませてください。ウィニアにもやらかした奴らで、俺も無関係って訳ではないのですよ」

 ラシッドは短気だ。再度釘を刺す。

「いいだろう。……だが早まるな。今は見張るだけに留めろ」

「了解です」

 それから十日程して、パルネアの使節団とシュルツ陛下夫妻がポート城に到着した。式典までは後六日ある。中層では、グルニアの新皇帝を見極めようと会談が多く設けられ、警備の仕事が一気に増えた。多忙でローズも俺も、ゆっくりと話す暇が無い。

 そんな中、式典まで後三日と言う日、俺は昼の休みにローズを見つけて呼び寄せる。賄いを食べに行こうとしていたのを探し出して呼び止めたのだ。

「ディア、ローズを借りるぞ」

「はい」

 ディアは笑顔でそう応じると、ローズの背中をぽんと叩いた。そして耳元で何か囁いて去って行った。俺はローズを連れて俺の仮眠室へ向かう。部屋に入った途端、ローズは緊張の糸が切れたのか、青白い顔色で座り込んだ。

「大丈夫か?」

 ローズを抱き上げてベッドに寝かせる。

「何か食べられそうか?」

「いらない」

 妊娠の症状が顕著になり始め、ローズは想像以上の辛さを味わい始めた。

 気丈に振る舞って隠していても、ローズは館での食事も、食べた後で全部戻す様になった。魚の匂いがダメらしい。しかし、ポートで魚料理の出ない家など無い。城でも同じだ。傍目に妊婦を何人も見ていたから大丈夫だと思っていたのだろうが、実際に自分がそうなってみると、想像を超えた辛さだったらしい。

「館に帰れって言わないんだね」

 俺は静かにローズを見て答える。

「言っても、帰らないのだろう?」

「うん。帰らない」

 倒れ込む程に気分が悪いと言うのに、ローズは式典が終わるまで休む気が無いのだ。

「式典が終わるまで、俺はお前の意志を尊重する。そう決めた。……ただ俺を頼れ。そうでないと、心配で仕事にならん」

 頭を撫でながらそう言うと、ローズは恐る恐る言った。

「ジル、レモン水作れる?水にレモンを絞るだけなんだけど」

 ローズはお仕着せのエプロンのポケットからレモンを出した。

「匂いが良くて、気分が良くなるから持ち歩いていただけなんだけど……齧ってもいいかなって思い始めちゃってて」

「口がおかしくなるぞ」

「私もそう思っていたんだけど、それ食べたら口がサッパリしそうな予感が止まらないのよ」

「何だそれは……」

 俺は笑ってレモンを受け取ると、仮眠室の水差しの水が新しい事を確認して、その上でレモンを片手で潰す。指の隙間から果汁がしたたり落ちて、水差しの中に落ちていく。

「入れ過ぎたかも知れない」

「いいよ。多分、酸っぱい方が気分が良くなる。私のハンカチで手を拭って。気分悪い時はそのハンカチの匂いで誤魔化すから。レモンの予備、持ってないの」

 ローズはそう言いながら起き上がり、水差しの水をコップに注いで二杯飲んだ。

「生き返った~。怪力って便利だね」

「さっき、ディアは何を言っていたのだ?」

「元気がないから、旦那様に甘えていらっしゃいだって」

「……ディアには遠からず悟られるのではないか?」

「そうかもね」

 ローズはそう言ってから、俺に背を向ける形で横になった。

「あのさ、そんなに分かるものなの?」

「ん?」

「ラシッド様に、城に居ていいのかって聞かれた。あなた妊娠していますよって。……どうして殿方に連続で妊娠を指摘されなきゃならないのよ」

 ラシッドは異能者だ。当然そういう垂れ流しの気配は察知できる。……確かに最初の頃に比べて異能の気配は濃くなっている。俺はずっと気にしているから、気配が以前に比べて強くなっている事に今まで気付かなかった。

「この調子だと、ルミカとかクザートも気付くんじゃないの?」

「そうなるな」

 背を向けたままのローズの耳が真っ赤になった。

「最悪。恥ずかしくて死にそう」

「なぁローズ、結婚して子が出来るのは自然の成り行きだ。辛いなら、周囲に理解を得て助けてもらうべきではないか?」

 自覚症状のなかった頃と違い、今は明らかに辛そうだ。この状態で妊娠を隠し通して出仕するのなら、協力者が必要だ。

「セレニー様に知られたら、きっと館で休めって言われてしまうわ。そんなのダメ。だから内緒」

 ローズは扉の外に出た途端、しゃんとしていつも通りになった。気を張っている間は気分が悪くないと言う。根性論であまり好きになれない乗り越え方だが、こうやってローズが頑張る以外に方法が無いのも事実だ。

 ローズが日勤を終えて帰り、俺も残業を終えて帰ろうと思ったらクルルス様に呼び出された。

 クルルス様の執務室へ行くと、思いがけない面子が揃っていた。クルルス様、ゲイリー・ダルシアとシュルツ陛下、そしてセレニー様とディアだった。

 セレニー様は俺を見て俯き、ディアがその肩に背後から手を置いている。カタカタと震えているのが分かり、俺は見なかった事にしてクルルス様の方を向く。

「お呼びとの事で参上しました」

「おう、座れ」

 そう言ってクルルス様が自分の隣を叩くのでどうしたものかと思うが、主君の命令なので従う事にした。そこに座ると向かい側には背後にゲイリーを従えたシュルツ陛下の正面になる。自然と顔が不機嫌になった。

「シュルツ、お前はこの状況にどう落とし前を付けるつもりだ?」

 クルルス様が問う。シュルツ様はクルルス様を静かに見返している。

「式典でこんな風にセレニーが震えていては、格好が付かない。新皇帝、答えを聞こうか」

 新皇帝と言うのはクルルス様の皮肉だ。シュルツ様はそれに反論しないまま、俺の方を向いた。

「まず、我が国の不始末を勝手に押し付けた事に関して謝罪したい。ローズを囮にすると言えば、ジルムートは拒絶すると分かっていた。だから、言わなかった。……セレニーの命を救ってくれてありがとう。私は、自分の身勝手で妹を殺してしまう所だった」

「ローズに対する謝罪はないのですか?」

 俺の言葉に、シュルツ陛下は苦笑する。

「魔法の知識から遠ざけていたエドワス達に無断で魔法を使わせようとして事件に巻き込んだ挙句、囮に使ったのだから、そう思うのは当然だろうね。しかし、それはしないよ」

 そう言って紙が一枚差し出された。

「ポートとパルネアでセレニーの婚約が調った時に作られた、随行する侍女の誓約書だ」

 そこにはローズのサインが確かにあった。

「読んでもいいですか?」

 俺が問うと、シュルツ陛下はそれを差し出した。……内容には酷い待遇の事が書かれていた。ローズは万一の場合にはセレニー様を庇う義務を背負っていて、それは死ぬまで続くとされていたのだ。

「サインがあるから分かると思うが……この事はローズも了承済みだ。私はローズをその契約通りに扱った。せレニーが絡めば、ローズは誰の命令にでも従う。そういう契約だから利用したのだ」

 身分に差があり、人の価値に差がある。シュルツ陛下の立場からすれば、ローズの命は軽いに決まっている。そしてローズはそれを了承していた。……だから、命を捨てる様な事も平気で言ったのだ。

「恩給の話をするときに、本来の侍女の職分を超えた事まで要求する事になるから、私が直接話をしに行って謝ったよ。ローズは笑って、必ずセレニーを守るからと約束してくれた。……たかが侍女だから、特に期待はしていなかった。非力なローズには何も出来ない。万一の保険とも言えない、ただセレニーが不安にならずに過ごす為だけの契約だと思っていた。しかしローズは普通の侍女ではなかった。魔法使いで、勇気があり機転の利く女で、最強の騎士を伴侶とし、セレニーの命だけでなくパルネアの危機も救ってくれた」

 シュルツ陛下は手を差し出した。ローズの誓約書を渡せと言う事だと分かって、眉間に皺を寄せる。そこでクルルス様に肩を叩かれたので、渋々従う。

 シュルツ陛下は誓約書をその場で二つに割いた。ビリビリと紙の破れる音は部屋に大きく響いた。

「ローズに酷い義務を強いた。もう、二度とこんな事は無い。ローズは自由だ。……改めてローズに謝罪したいと考えている。夫君であるジルムートはそれを許してくれるだろうか?」

 シュルツ陛下はあえて家臣で身分でも下にある俺を呼び、ローズの契約を破棄した上で、謝罪の許可を取っている。ここまで言うなら……俺にも否は無い。

「ローズに会って下さい。ローズは俺と違います。あっさり許すでしょう」

 シュルツ陛下は静かに言った。

「本当に悪かった。今度からは君の強さを頼りたい時にはクルルスを通す。我が国はまだ不安定だ。どうか助けて欲しい」

 深々と頭を下げるシュルツ陛下に俺は言った。

「ローズが許したら、その時は請け負いましょう。パルネアはローズの生まれ育った国ですから」

「どこまでもローズ基準か。妬けるなぁ。俺の事も気にかけてくれ」

 クルルス様が苦笑する。

「勿論です。我が主はクルルス様お一人。それは生涯変わりません」

「カルロスに代替わりしたらカルロスにしてくれ」

「俺を幾つまで働かせる気ですか」

 俺とクルルス様は互いを見て笑いあう。

「ローズが居なければ、お前はそんな風に笑わなかった。お前に良い嫁が来て良かった」

 俺とローズについて話に決着がついたと判断したのか、シュルツ陛下は隣に座ってその様子を見ていたセレニー様の方を見た。

「セレニー、私達王族は、国民から徴収した税で生きているだけでなく、国民の生死にも大きな影響力を持っている。……とてつもない重責で、私もそれを考えると逃げ出したくなる。逃げ出さずに済んでいるのは、代わりにその死を背負っている者達が居るからだ」

 セレニー様は、俺の方を見た。

「ジルムートは怖いか?俺の理解者で、ローズの夫、赤ん坊のカルロスを抱いてくれた騎士だ」

 クルルス様の言葉に、セレニー様の目が見開かれる。シュルツ陛下は言った。

「私達なら気が狂いそうな狂気を背負い続けてくれているのだ。出征したのも、犯罪者を罰しているのも、ジルムート本人の意思ではない。王族が義務として課した職務に含まれているからだ。……王妃たる者、感謝こそすれ恐れてはならない」

 セレニー様はシュルツ様をじっと見てから目を伏せる。

「そうですね。……守ってもらうのにふさわしい姿でなくては、私がこの城で生きている意味がありません」

「その様に思い詰める必要はありません」

 俺がそう言うとセレニー様が俺の方を見る。

「あの時、捕縛に留める事は危険だと判断しました。それは間違っていなかったと今も思っていますが、やり方は他にもあったと反省しています。どうかお気に病まずお過ごし下さい」

 セレニー様は少し笑った。

「ローズもあなたも自分達の事は二の次にして、人の事ばかり……。本当にありがとう。怖がってしまってごめんなさい。きっと、もう大丈夫よ」

 そう言ったセレニー様の震えは、いつしか止まっていた。たったこれだけの事でと思ったが、兄であるシュルツ陛下でなくてはこの震えは止められなかったのだとも思った。

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