発覚
ローズはパーシヴァルを伴って、俺と休みの合わない日にラシッドの館に通っている。イルハムは待ち構えていてローズに嫌味を言っているらしい。ローズは軽くあしらっている様で大丈夫だとパーシヴァルから報告は受けている。
式典が迫り、騎士も侍女も一気に忙しくなった。海外からの来賓が到着し始め、中層の警備やポーリア全体の治安に気を付ける必要が出て来たからだ。気を配って部屋割りをしているが、ロヴィスの貴族とイグヴァンの王族が接触しない様に気を配ったり、会談を行う国々の部屋を警備したりと、かなり神経を使う対応が増えてきている。
「俺だけ年寄扱いして、きちんと休みを取らせるのか?」
クザートが不服そうに言うので俺は真面目に応じる。
「退役するつもりだったと聞けばこうなりますよ。兄上に退役されては、俺達全員が困るのです。残業しなくてもいいし休んでもいいので、ちゃんと勤務の日は城に来て下さい。五十歳くらいまではそれで内勤を是非ともお願いします」
「イルハム殿と同じ年まで働かせる気か?」
「俺もルミカも、お供しますからご安心を」
俺達の代で終わらせるべき仕事がある。それだけは確実に終わらせるつもりだ。
「仕方ないな。またモイナを連れてジャハルの所へでも行くか……」
「赤ん坊は可愛いですか?」
俺の問いにクザートは苦笑した。
「ああ。モイナもチェルシーみたいに可愛かったのかと思うと、見ていて飽きない。……ディアにもモイナにも、本当に悪い事をしたと思う」
モイナは、アネイラと一緒に菓子を作ったり、チェルシーの世話をしたりと、楽しい事が待っているので、ジャハルの館には喜んで付いて来るらしい。クザートはジャハルと元々隊長と副官の関係が長かった。娘達と妻を眺めながら他愛ない話をするのは、楽しいらしい。
「これから先、長く一緒に居てやればいいと思います。二人もそれを望んでいます」
「……そうだな」
そこへフィルが走って来た。
「ジルムート様、今すぐナジーム様の館へ行って下さい」
「どうした?」
「お目覚めになられました」
誰かは聞かなくても分かる。
「行け。後は任せろ」
クザートの言葉に頷く。
「……夜勤でルミカが来るので、それまでお願いします。残業は無しです。帰って下さい。いいですね?」
「はいはい」
苦笑するクザートに見送られて城を出ると、すぐに馬でナジームの館に向かった。
ナジームの館にはウィニアが居て、大急ぎで出迎えて中に入れてくれた。ベッドの脇にはナジームが居て、俺の顔を見てほっとした様子で言った。
「元気とは言い難いのですが……さっき目を覚まして……」
駆け寄ると、アレクセイはぼんやりした表情で俺の方を見た。何か言いたそうにしているので止める。
「慌てなくていい。これから話す時間はいくらでもある」
アレクセイは小さく頷いた。
「必ず元気になれ。もう、お前を誰も女とは思わない」
アレクセイの目から、つと涙が落ちていく。痩せぎすの青年はただ頷いた。
「良かった……」
ナジームはそう呟いて泣きそうな顔をしている。泣くのを堪えている顔は凄く怖いのだが、ウィニアがそっとハンカチを差し出す。ナジームはそれを受け取って顔に当てる。ウィニアは良い嫁になりそうだ。
間もなくアリ先生が駆けつけて体中を調べた結果、衰弱しているが臓器に異常は無いと言う判断になった。今までよりも色々な種類の物を食べる様にして、体を動かす時間を増やしていく事が計画された。クザートが肺病をやった時に痩せてしまった体を治す為に食べていた食事の記録がうちにはある。それを参考にする事になった。
とは言うものの、俺達は式典の準備があって介助の手伝いを長くやる事が出来ない。そこで、マクシミリアンを呼んで、アレクセイの世話を任せる事にした。マクシミリアンは心良く引き受けてくれた。
「お任せください」
マクシミリアンは拷問人形として訓練を受けて鍛錬を続けている。精鋭騎士に匹敵する強さを持っている異色の使用人だ。ナジームの家の使用人は代々使用人として仕えて来た者達なので、雑用は出来るが力の必要な介助には向いていない。マクシミリアンがその部分を補える。
古参の使用人はスライマン家が元々騎士家である事を知っているし、若い使用人達はマクシミリアンの鍛えられた体を見て、他所の家の使用人が毎日入ってくる事への不満を引っ込めた。
「マックスは絶対に騎士になった方が良いと思っていたのですが、ジルムート様の館に居てくれて助かりました」
ナジームの言葉に、マクシミリアンは笑顔で応じる。
「従家としてお役に立つなら、騎士である必要は無いのだと父から学んでおりましたので……それが実戦に移せて嬉しい限りです」
俺もマクシミリアンに言う。
「いつも面倒をかける」
「いえ、まだ父の域に到達しません。精進します」
ジョゼは、マクシミリアンとパーシヴァルにとって、今も越えられない壁らしい。
その日の夜、アレクセイの事をローズに話し、今度会いに行くように言うと告げると少し躊躇ってから了承した。アレクセイに触れたらいけないと考えているのだろう。
「アレクセイ様が元気になった後、どうするつもりなの?」
「俺としても決めかねている。アレクセイが完全に回復するにはまだ時間がかかるだろうから、慌てずに安全な方法を考えたい」
ゾーヤと言う少女がポートに入国して死亡しているが、グルニア人の青年はポートに入国していない。ナジームの館に一生閉じ込めるつもりが無い以上、独り立ちする為の身分証明は必要になる。
「私、アレクセイ様をうちの父に頼んで私の親戚と言う事にしてもらう事を考えていたの」
「どういう事だ?」
「私、パルネア王家に伝わる、人の体の色を変える魔法が使えたでしょう?あれでアレクセイ様が目を覚ましたら、目の色と髪の毛の色を私と同じにして、うちの親戚と言う事にしようって思っていたの。……私、グルニア人に容姿が近いでしょう?お父様もアレクセイ様の事を知っているし、行方知れずになっていたと言う事にすれば、パルネア人として戸籍を得られると思っていたの。上手くいけば、アレクセイ様はミラ妃の居るパルネアに住めるようになるでしょう?」
ローズはそこでしょんぼりと項垂れた。
「でも魔法喰いになってしまって、色を変える魔法も使えない。計画倒れになっちゃった」
「考えてくれていただけでも、アレクセイは喜ぶだろう」
戸籍が必要なのは確かだ。ローズの発案は悪くないが、ローズの身内にする事は出来ない。俺の周囲には、ローズの事を嗅ぎまわる奴らが多過ぎる。魔法喰いの事も耳かき文明の記憶も、ローズの内部で起こっている事で、外に簡単に漏れないからこそ、そういう輩に付け入られる事が無い。しかし、いきなり居ない筈の親戚など現れたら、あっと言う間に調べられて矛盾点を突かれるだろう。その末に酷い要求をされてローズが傷つくのは目に見えている。
優しい女だから、アレクセイの行く末を見舞いに行かなくなってからも気にしていたのだろう。
俺には、それよりも言わねばならない事がある。
「ローズ……あの……だな」
「何?」
「妊娠している」
ローズがぽかんとして俺の方を見る。
「分かるから……言っておく。子供が出来ている」
本当に微弱な異能を感じられるのは、抱き寄せて側にいる時だけだ。つまり今は俺しか分からない。しかしローズから確かに異能を感じるのだ。
「え?えぇ?」
ローズは戸惑って自分を見下ろし、俺を見る。
「間違いない。異能の気配がする」
「そんな……困るよ!」
そこは、喜ぶ所じゃないのか!と内心思っていると、ローズは続けた。
「セレニー様を式典でお一人にするなんで無理!ジルだって困るでしょう?」
反論の言葉が浮かばない。セレニー様は俺を見て震える。未だにその症状は治まっていない。式典に出席出来て、側で細やかな気配りをして安心させる事が出来るのはローズだけだ。
「内緒にして!」
「お前、出仕を続ける気か?」
「当たり前でしょう?大体、私が式典と同時に妊娠したなんて、どう考えても話が出来過ぎ」
「事実だ。誰がどう考えようと関係ない」
「そうはいかないわ。ランバート様ですら、人と自分の幸せを比べておかしくなったのよ?こんなおめでたい話が連続したら、あなたにお祝いの言葉を言いながら、私に毒を盛る人が出るわよ!」
俺に取り入ろうと、野心のある者達がウロウロしているのは知っている。……ローズを傷つければ俺が何をするかは理解しているだろうが、妊娠しているとなったら話は別だ。確かにそれくらいの事は起こる可能性がある。
「出仕は見合わせろ」
「だから無理よ。セレニー様は?式典は?」
「式典だけ出席しろ。そしてすぐに退席しろ」
「嫌よ。式典の後は宴がある。私は全部が終わるまで、セレニー様を置いて一人で退席なんて、絶対にしない」
ローズは強い意志を持って俺を見据える。
「今セレニー様の役に立たずに、いつ役に立つのよ」
「ローズ……」
「内緒にしていれば、酷い事は起こらない。その方がいいわ」
「俺の子でもあるのに、勝手に決めないでくれ」
「……あなたは妊娠したって言うけれど、私はそんな自覚症状無いの。聞かなかった事にするから、そのままにしておいて」
「そう言う訳にもいくまい」
「でも、変なのはジルの方よ。どうして妊娠を夫が先に察知するのよ!普通、そういうのは女が自覚して夫に報告するものでしょうに!」
「俺達の場合はそうなのだから仕方あるまい」
「とにかく、聞かなかった事にするから」
その後も説得はしたものの、ローズは聞き入れてくれなかった。
心配になって、ローズの事を見守っている内にふと気付く。……おかしな動きをする女達が存在する事に。
ローズはあまり中層へ下りないのだが、最近は式典の打ち合わせや準備の為に中層へ行く事が増えた。ローズと一緒に働いている侍女の中に、ローズをわざと転ばせようとしている者が居るのだ。ローズは俺からの妊娠報告で自分の体に物凄く敏感だ。絶対に転んだり足を滑らすまいと思っている。だから、とっさに出された足やいきなり置かれた荷物もすぐに気付いて避けている。
見るに見かねた騎士が注意すると、女達は決まって目に涙を浮かべ、大声で泣き崩れる。海外からの賓客が大勢宿泊している中層で、こうして目立てば自分達のやっている事が厳しく罰せられないと理解しているのだ。……もし罰せられても、式典が終われば恩赦で罪は消える。そんな考えまで透けて見える。
目的は式典への出席を取りやめさせる事にあるらしい。ローズの顔を傷つけ、式典に出られない様にしたいのだ。恥をかかせたいのだろう。……ローズが妊娠を周囲に知られたくないと思っている理由を目の当たりにして、苦い気持ちになる。
女の嫉妬と言う奴だ。ローズが式典にドレス姿で出席するのは二度目になる。侍女は本来そういう事と縁が無い。侍女どころか、ポートでは妻を同伴する様な式典や宴そのものが殆ど開かれて来ていない。ドレスを着て注目を浴びる姿が羨ましいのだ。……華やかな部分しか見ておらず、重責を全く理解していない。単純で分かりやすいが、愚かだ。
騎士達は当然気付いているから、腹を立てている者も少なくない。しかし、ローズは大丈夫だと言って宥めてしまう。中層の侍女の数が減れば、式典の準備も賓客へのもてなしでも不備が出る。ローズはそれを気にしているのだ。
俺にとっては庇う価値の無い侍女達だが、ローズからすれば人材になるらしい。
「親が金持ちで信用できるからと、娘を侍女に採用するのは良くないな」
俺がそう言うと、ローズは言った。
「でも、育ちの良い娘さんは読み書きと語学、マナーの勉強がいらないし、城の物を盗んだりはしないわ。外国の賓客への対応もきちんとしている」
「そうは言うが……」
俺の言葉にローズは苦笑した。そして少し黙ってから続けた。
「女は、綺麗で気持ち良い事をさせてくれた上で、跡継ぎを産んでくれる。ポートの男はそれ以上を望まないそうよ。……彼女達、そんな考えの親元で頑張って教養を身に付けているから凄いのよ」
「言ったのは、イルハム殿か」
ローズは頷いて続ける。
「プリシラが言っていたわ。着飾ってちやほやされたいのは、女の性で、美しい時期に美しく装い、より良い殿方に見初められたいからだって。プリシラは綺麗な装いは大好きだけれど、そうやって着飾った挙句、殿方に物の様に消費されるのは嫌だから結婚したくないそうよ。自分の人生は自分の為に消費したいのですって」
プリシラは変わった女だと思っていたが、ローズ以上に気の強い女の様だ。ポートでも有数の富豪の娘だ。プリシラの兄も居るし、プリシラを一生養った所で傾く家ではない。だから言える事でもある。
「私も結婚なんてあまり重視していなかったわ。でも私やプリシラみたいな考え方は少数派。皆、アネイラみたいに自分だけの王子様が欲しいのよ」
ローズは目を伏せる。
「でも、自分だけの王子様に巡り会える人なんて、本当に少ないわ。それでも、あの子達は妥協できない。妥協したら、子供を産むだけの道具に成り下がる。ポートではそういう扱いを受けるって知っているから」
ポートの男の考え方が良くないのは分かるが、それはローズに嫌がらせをする理由にならない。
「ランバートの事件の事もあって色々と考えてしまったみたいだが……やって良い事と悪い事がある」
俺としては、このままにする気は無い。式典までの間、ラシッドを監督役として中層へ行かせる事にした。当然、ローズに妊娠の事は口止めされた。本当は言いたかったが我慢した。




