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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
救世主の親になる
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ラシッドの正論

 今は夜勤中で深夜になる。暗い廊下を一人歩く。

 私が教えてもらえなかった使用人用の「奥」へ通じる通路への扉。ノブもない質素な扉で、床ギリギリまである豪華なタペストリーの裏に隠されていた。この扉には施錠出来る様な物は何も付いていない。奥を無人化する際に立ち入れない様に細工している可能性はあったが、そっと押すと、あっさりと開いた。

 私はごくりと唾を飲んで、その扉の中に入った。

 クザートはディア様と出勤をかなり合わせる様になり、残業も減らす様になった。私達が我が儘で、一緒に居る時間をかなり融通してもらっていたのだと、ジルムートとすれ違う様になってから思った。クザートとディア様に頼り過ぎていたのだと、今更ながら反省している。

 先日、勤務がすれ違っていて寂しかったから、必死でキスして欲しいと頼んでしまった。私は出征前、特に気にしなくても大丈夫だったのだからと呑気に考えていたが、己の行動に驚愕し、酷く後悔しているジルムートの表情を見て、この方法はダメだったのだと思い知る事になった。

 ジルムートは実際にグルニアで自分の血の効果を見ている。私はその恐怖に寄り添うよりも、自分の寂しい気持ちを優先させてしまった。ジルムートだって、寂しいに決まっているのだ。それでも我慢してくれているのは、全て私の為なのだ。それを台無しにした。愛情とか本能と言う、理屈に真っ向から逆らう方法で、ジルムートの理屈を破壊してしまったのだ。

 このままなのは、絶対に良くない。私はそう考えて、ジルムートにオリバーと話をしたいと頼んでみた。結果、会う理由すら聞いてもらえないと言う完全拒否を食らう事になった。とにかく行くな、二度と会うな。……私は順番を間違えたのだ。問題の解消から始めるべきだったのに、それをしなかった。だからジルムートの態度は一気に硬化して、話すら聞いてもらえなかった。

 出征中も寂しかったが、一緒に暮らしているのに気持ちが通じ合わない上にすれ違っているから、もっと寂しくなってしまった。この状況をどうにかしたくて、私は必死に考えた。結果、オリバーに魔法の基礎知識を分けてもらおうとより強く思う様になった。他に聞ける相手が居ないのだから仕方ない。父にもう一度来て欲しいと頼むのは嫌だった。旅は負担になるし、詳しく話せば、夫婦の秘めるべき事までばれてしまうからだ。

 夜勤の最中にこうやって抜け出すなんて絶対に良くないのだが、カルロス様は外で遊んで良く寝る様になり、セレニー様もここ最近はずっとクルルス様と一緒に夜を過ごされている。その為、侍女の夜勤中の呼び出しはほぼ皆無だ。今しかないと思ったらここまで来ていた。

 通路の先から、ジャバジャバと言う大きな水音とギイギイと木の軋む音がする。誘拐された時に聞いた、城の用水路に水を汲み上げている機械の音だ。水の匂いもする。

 真っ暗な中、底の無い場所から水をくみ上げている様な機械がランプの明かりに照らし出される。

「こんなの、無理……」

 正方形に開いた空間。底など見えない。ぼんやりとランプで浮かび上がる範囲を見る限り、石の階段が壁から飛び出ていて、壁沿いにぐるぐると下へ向かって付いている。幅はそんなに狭くないが、落下防止の為の手すりなんて当然無い。その階段を城三階分、そして地下まで降りるとなると、恐怖しかない。転落して無残な姿で見つかるとか絶対嫌だ。戻るべきだろう。しかし、足はその場から動かなかった。

 一度怖気づいて諦めたら、もうここには二度と来ない。そしてここに来た事そのものも無かった事になり、今まで通りの日常が続く。昼間に来るのは不可能だ。忙しい上に人目がある。……ここで退けば、魔法知識を得る確実な方法を一つ失う。

 行くなら今しかない。

 馬鹿な事をしている。そう思いながらもそろそろと階段に足を一歩踏み出そうとして足が止まる。

「そこまでにしましょうよ」

 咎める声と闇に浮かび上がる長身。この城の騎士は全員気配断ちが出来る。別にリヴァイアサンの騎士でなくても。そういう能力いらないんだけど。声ですぐに誰なのか分かった。

「パーシヴァル様……」

 パーシヴァル・スライマン。バウティ家の使用人であるジョゼの息子で、同じく使用人であるマクシミリアンの弟。彼はジョゼがかつてオズマ・カイマンにはく奪されて失った騎士位に復帰している。

「パーシーでいいって何度も言っているでしょう?ローズ様」

 年は私の一つ上。出征にも海賊討伐にも行っていた序列十八席の精鋭騎士だ。侍女である私が、呼び捨てに出来る訳がないのだ。黙っているとため息交じりに言う。

「父上や兄上みたいに呼んでみてくださいよ」

 あんたの家族とうちの家族の関係が複雑なせいで、それ微妙なのよ!とは言わない。

「うちの使用人になったらそうします」

 癖のある金髪に涼やかな切れ長の目と言うイケメン騎士。マクシミリアンと良く似ているが間違える事は当然無い。

「いつものお答えありがとうございます。……ところで、何処に行くおつもりだったのですか?」

 言えない。言える訳がない。

「死ぬおつもりですか?」

「死にに来た訳ではありません」

「でも、暗闇でこんな階段を降りるのは自殺行為だと思います」

「グルニア人達は私を担いでここから地下へ行きました」

「それは、昼間の話でしょう?こんな月も無い夜に……」

 馬鹿と言いかけて口を閉ざしたっぽい。主家の嫁に失礼だと思ったのだ。結局、パーシヴァルに連行されて詰所に行くと、最悪の展開になった。

「ラシッド様……」

「いやぁ、今日の夜勤は楽しい事になりそうです」

 ラシッドの顔がランプで下から照らされて凄く怖い。パーシヴァルはラシッドの視線を受けて一礼するとその場に座った。……そのワクワク顔は止めて欲しい。

「ジルムート様がローズ様から目を離すなって言うのですよ。だから夜勤で暇そうな時は、こっちも暇ですから一人必ず張り付けてようって話になって、今に至ります」

 ジルムートは私が勝手に動く事を予想していたのだ。事情を聞かずに突っぱねただけで、私を放置する夫ではなかった……。

「それで何故こんな事をしたのか、事情説明をお願いしたいのですが」

「ジルは、何て言っていましたか?」

「ローズ様が、地下の犯罪者に会いたがっているから止めろと。そしてもし勝手に動いたら、その理由も聞いて置けと」

「ジルが話を聞いてくれないからいけないのです」

 ラシッドは言った。

「セレニー様の為ではなく、自分の為に行かれたのか。また喧嘩ですか?」

 喋ったら喋った分だけこっちの事情が筒抜けになる。キスして関係が悪化したのが原因とか、そういうのがバレるのだけは何としても避けたい。恥ずかしいだけじゃない。ラシッドに知られたら一生言われそう。しかもパーシヴァルまで居る。聞かれたら、マクシミリアンとジョゼにも筒抜けだ。城にも館にも居づらくなる。

 嫌な汗をかきながら必死に考えている間も、ラシッドはこちらをじっと観察している。相手は尋問のプロだ。何て不利!

「魔法喰い」

 咄嗟に言うと、ラシッドは少し考えてから思い出したように言った。

「ローズ様は伝説の生物になったらしいですね。俺には何の影響もありませんので、今一理解できないのですが」

「私はとても困っています。ハザク様も手に余るとおっしゃって、調べて下さいません」

「それで地下の犯罪者ですか?ちょっと短絡的過ぎませんか?」

 疑っている。

「そうは言いますが、他に魔法使いの事を良く知っている知り合いなんて居ません。基礎知識だけでも欲しかったのです。私は親の方針で魔法の事を全く知らないままポートに来ましたから」

 ラシッドは暫く考えてから言った。

「まぁ、筋は通っていますね。しかし、言わせてもらわねばならない事が幾つかあります」

 ラシッドは厳しい口調で言う。

「まず、あの通路は立ち入り禁止です。今は、汲み上げ機の点検や修理で来る技師の為にあるだけの扉です。技師でも命綱を付けて作業をするし、夜は絶対に行かない場所です。グルニア人共は昼間に目視で滑る場所を避けていただけの話です。場所によっては水が常時飛散してきて湿っている場所もあるのです。そういう場所は滑ります」

「はい……すいません」

 ラシッドは続ける。

「もし無事に地下に辿り着けたとして、地下の構造は分かっているのですか?目的の罪人の牢までの道でも分かる方法をお持ちだったのですか?」

「誘拐された時に通った道は覚えているつもりです。その途中だったのは知っています」

 ラシッドはため息を吐いた。

「つもり?つもり程度であそこに入ろうとしていたのですか?迷子になってランプの油が切れたら終わりです。真っ暗闇で救助待ちですよ。地下で遭難した侍女って伝説になりますか?」

 それは怖い上に恥ずかしい。しかし、実際に起こった可能性はある。慎重にノロノロと階段を降り、うろ覚えの道を歩いている間に油が切れていたら、そうなっていたかも……。

「すいません」

 ラシッドはまた口を開く。……まだあるの?もう嫌だ。

「あわよく牢に着いたとします。オリバー・ヘイズが魔法知識との交換条件で色々要求してきた場合、断れましたか?」

「相手は牢に入っていますから、拒むのは簡単かと思います」

「こんな真っ暗な中、危険な階段や迷路を抜けてわざわざ会いに行く程欲しい知識ですよ。あなた、相手から情報を引き出せないまま諦めて帰れましたか?それも同じルートを引き返すのですよ?階段を上がれば騎士が居ますからね。相手の言う条件を呑んでいた可能性があると俺は思います」

「……出来ない事はしません」

「出来るならやってしまうのでしょう?それは犯罪者に加担する行為です」

 ラシッドが強い口調で続けた。

「相手はパルネア国王が手を焼く程の悪党です。一人で会いに行くなんて、絶対にしてはいけません」

 つまり、私のやった事は全部ダメだったと言う話だ。

「すいませんでした」

「帰り道の話もあります。階段の途中で油が切れたらどうするつもりだったのですか?……それと、職場放棄は減給ものです」

 そんなに言わなくてもいいのに。確かに持っていたランプが小さいのは認める。でも朝まで明かりを維持できる様なカンテラは油が一杯詰まっていて、女が持つには重たいのだ。怪力異能者であるこの人に重たいと言う概念があるのかどうか、分からないが。そんなに時間がかかると思っていなかったとか……言ったら更に色々と言われるだけなので口をつぐむ。

「ラシッド様、それくらいにして下さいよ。普通の女ならとっくに泣いてます」

「普通の女は夜中にあんな所に行かない。だから言ってるんだ」

 庇ったパーシヴァルにぴしゃりと言って、ラシッドはまだ言った。

「いいですか?こんな事を続けていると、侍女を辞めさせられて館に入れられてしまいますよ。嫌なのでしょう?だったらもう少し考えましょうよ」

「分からないのでしょう?」

 ラシッドを睨みつけて私は言った。

「私がどんなに困っているのか分からないのに、正論ばっかり言わないで下さい」

 ラシッドは、うろたえる事なく私を見ている。

「でも俺は騎士で、正論でポートを守るのが仕事です。あなたの命を守る事に関しては、職務以上の気持ちで臨んでいます。それはパーシーも同じです。俺達の気持ちは理解して下さらないのですかね」

 言葉に詰まる。私を傷つけようとしたのではなく、私の危険行為を止めて命を守ってくれたのだ。心配させてしまったから、ラシッドの言葉もキツいのだ。噛みついたところで非が誰にあるのかなど明らかだ。私が一番悪い。こんな夜中に迷惑をかけて何をしているのだろう。自分が情けない。

「分かって下さったなら、泣かないで下さいね。まだ話は終わっていませんから」

 ラシッドを睨んで、ツンとする鼻の奥の感触を抑え込む。ここで泣いても、自分の馬鹿な行為を嘆いただけで終わり。本当に迷惑をかけただけになる。

「魔法の基礎知識。これを知りたいなら、俺に伝手があります。……うちには一人グルニア人が居るのです」

 思わずパーシヴァルを見ると、コクコクと頷いている。それを確認してからラシッドを見ると、ラシッドは言った。

「グルニアの皇族親衛隊の三人は覚えていますか?」

 忘れる筈がない。エゴール、ガルゴ、レフと言う名前だった。ミラが嫁に行く時に、パルネアへ同行させるのは危険だと言う話になって……ポートに残る事になった筈だ。確か監視できる環境に居ると聞いた。何処で何をしているのか、気になったが詳しく聞かなかった。私は被害者であちらは加害者。和解はしたものの、再び会う事はないだろうと思っていたのだ。

「レフ・ビヤンスキーは、今、うちの館で使用人をしています」

 レフは確か、ラシッドが最初に捕まえて館に閉じ込めていた一番若い親衛隊の軍人だった筈だ。

「出征から戻って、リンザの事もあってうちの使用人をかなり解雇したでしょう?それで人手不足だったので引き取ったのですよ。案外根性のある奴でしぶとく生き残り、今は父上の世話係をしています」

 使用人に雇った末に生き残った。明らかに言っている事がおかしい。……使用人と言うのは、家の雑務をこなす仕事で、死ぬような危険は無い。これを突き詰めると、聞かなくても良い話を聞く事になりそうなので、本題を進める。

「レフに会わせてくれるのですか?」

「条件次第ですね」

 嫌な予感がして顔を強張らせると、ラシッドは苦笑した。

「無理難題でローズ様を困らせるのも楽しそうですが、今回の場合、勤務の問題を条件と言っているのです」

「勤務?」

 ラシッドは頷いて話を続けた。

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