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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
救世主の親になる
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ウィニアの婚約

ファナ・モルグ……序列七席コピート・モルグの妻で、ランバート・ザイルの姪。

レオンハルト・モルグ……コピートとファナの息子。

 今日ナジームを連れて来なかったのは、この二人の間にある微妙な空気を感じさせない為だ。ウィニアはランバートを慕っている。ランバートは女としてウィニアを見られないが、娘としてウィニアを手元に置きたい。一緒に居たいと言う思いは同じなのだ。ただ気持ちの種類が違い、そこが相容れない。互いの間にある雰囲気には他者を寄せ付けないものがある。

 ランバートは、ウィニアの気持ちを知りながらも、それを無視してまだ家族のままで居たかったのだろうが、それは出来ない。ローズを陥れたりしなければ、こんなに早く手放さずに済んだだろうに。……これがランバートの受ける罰だ。

 ウィニアがここに居続ける事を望んでいるのは分かっている。しかし、ここにウィニアの幸福は無い。ウィニアはナジームを男として見ていないかも知れない。しかし、ナジームはウィニアに惹かれている。愛らしい物を好むナジームから見て、見た目や仕草、笑顔等、ウィニアは好みのど真ん中だ。ただ年齢差や自分に自信が無い事から、それを認められないだけの事だ。

 好かれているから愛せると言うものではないが……ウィニアとナジームの相性は悪いとは思えない。アレクセイの世話を通して見ている限り、他の誰かを改めて探す必要は感じなかった。それはローズもアリ先生も同意見で、俺は婚約をまとめると決めた。

「お義父様、娘にして頂いて本当に私は幸せでした。この御恩は一生忘れません」

「同じポーリアに住んでいるのだから、いつでも戻っておいで」

 ウィニアは首を横に振る。

「私は、この館には二度と戻りません」

 思いがけない言葉に、ランバートは目を丸くする。

「外国へお嫁に出ていれば、戻れなかった館です。近くに嫁げるのは嬉しい事ですが、甘えていては夫を支える事が出来ません。……私は、夫を持つ身になります。だから、ここには戻りません」

 普通の娘なら言わない。これはランバートへの気持ちを断ち切る為のウィニアの決意なのだ。泣きそうな顔のまま、笑ってそう言うウィニアの手をランバートは握る。

「そうか。……良い妻になりなさい。夫を信じ、支える良い妻に」

 重なっている様で重なっていない思いが互いを支えていた。幸福であると感じると同時に、苦しかったのだろう。そんな二人の時間は、今終わろうとしている。

「さようなら、お義父様。……愛しています」

「私も愛しているよ。可愛い娘」

 人の想いは、ただ強く願えば叶う様な綺麗な物ではないのだと、改めて思う。

 ウィニアは叶わない望みを殺し、その残骸を抱えて新しい生活に入る。ウィニアの人生はまだ先が長い。いつか残骸を手放し、新しい望みに手を伸ばせる筈だ。

 こうして婚約は調い、再度ナジームを連れてランバートの所に挨拶に行ったのは、ウィニアが出仕で居ない間の事だ。……養女であっても大事な娘を嫁に出すのだから、相手と話をさせてやるのは、俺からの情けだ。ナジームはランバートが出征中にローズとアネイラにしていた事を知っているから、表情は引き締まっている。いつもこの顔をしていれば、怖いよりも精悍なのだが……性格的に難しいらしい。

「まさか、決別されるとは思っていませんでした。私の愚行を知らない筈なのに……これは天罰なのだと思います」

 ランバートは静かに言った。

「ウィニアの事はナジームが何とかする。クルルス様とポートの為に尽力する事だ」

 俺が言うと、ランバートは頷いた。

「それくらいしか残っていません。出来る事があるだけ、ありがたいと思っています」

 ナジームは疑問に思ったのか、ぽつりと言った。

「自ら命を絶ちたいとは思わないのか?」

「武官らしい高潔な考え方ですね。私達商人は、何も持っていなくても始める事に慣れているのです。ジルムート殿は、都合が悪くなれば外国へ逃げられると私に言ったが、母国で貶められ、言葉も文化も違う場所へ逃げるのも大変なのですよ。あなた達なら我慢できずに自殺するのではありませんか?」

 俺が以前言った事は、ことごとくランバートの勘に障っていた様だ。己の行いの卑劣さは恥じているが、俺の言った事が不快だった事は否定しないつもりらしい。

「俺は自殺などしない。する必要が無い」

 ランバートは俺が奢っていると思ったのだろう。不愉快そうな表情になった。

「さすが英雄ですね」

「嫌味を言うな。そう言う意味ではない。……俺は妻が死んだら長くは生きられない」

 ランバートもナジームも驚いて俺の方を見る。

「ランバート殿、あなたは俺と自分の妻に対する愛情が似ていると言ったが、全く違う。リヴァイアサンの騎士は、感情に引きずられる異能を抱えて生きている。俺の場合、感情の安定にローズは欠かせない存在なのだ。失えば、異能に命を削られて自刃せずとも死ぬ。リヴァイアサンの騎士と言うのは、異能故にあまり長生きをしない」

「ジルムート様!」

 ナジームが慌てて制するが、俺は続ける。

「異国へ逃げられるなら、その方がリヴァイアサンの騎士は長生きするだろう。異能はポート湾を離れてしまえば使えなくなる。しかし、この国の法律が俺達を騎士として縛っている。国防の要として利用するには、脆弱な存在だと言うのに理解されない。三十家あった家も多く断絶していると言うのに。……俺は生まれてから死ぬまで騎士だ。それに不満は無いが、これから先は分からない」

 ランバートは、黙って俺を見続けている。

「あなたが俺達の子孫を縛る鎖を断ち切る為の礎となってくれる事を期待する」

 政治家を育てると言う事は、未来の政治を変える力を持っていると言う事だ。クルルス様があえてランバートを生かしたのは、将来的に王族が自由になる為の布石だったのだと、今なら理解出来る。カルロス様を王に据えた後、出来るだけ早く子孫を王政から解放したいと言うクルルス様の願いがランバートを生かしたのだ。

「あなたは、自分の命を脅かした相手にとんでもない要求をしています。分かっているのですか?」

「分かっている。しかし、あなたの大事な娘はリヴァイアサンの騎士を産むだろう。あなたはウィニアやファナ、そしてレオンを切り捨てられるのか?」

 ランバートは目を伏せる。やがて顔を上げて俺の方を見た。

「良いでしょう。命ある限り、クルルス様の望むポートの民主化に尽力します」

 ランバートはウィニアが生きている限り、それを糧に政治家の育成を続けていくだろう。その幸せを願って。

「ジルムート様……」

 馬で帰る途中、ナジームが口を開いた。

「何だ」

「ウィニア殿を人質にする為に、俺の嫁にしたのですか?」

 そんな事を考えていたのか。俺は苦笑する。

「そんな訳あるまい。……不幸な娘だ。俺としてはお前を見込んで任せたつもりだ。ただ、何故ランバートの命を騎士団の判断に委ねずにクルルス様が助命したのか、ずっと考えていたのだ」

 ローズは俺の妻だ。アネイラはルミカの元恋人だ。騎士団に全てを委ねて然るべき案件だったのに、あえて口を挟んだのだ。

「クルルス様に訊けば、教えて頂けたのではありませんか?」

「訊いた。そうしたら、たまには自分で考えろと言われた」

「クルルス様にですか?」

「そうだ」

 ポートの英雄が、政治に無関心ではいけないのだそうだ。今回の式典の後、海外からの来客に俺はある程度、自分の考えで受け答えをしなくてはならない。これはクルルス様から出された課題だった。俺なりの答えを出したが、クルルス様は正しいとも間違いとも言ってくれなかった。俺は王と並び立ちポートを支える立場になったから、好きに解釈していいと言われたのだ。「間違えていたらどうするのだ」と反論すると、「間違いではなく別意見だ」と訂正された。

「俺は死ぬまで護衛騎士で良かったのだが……そうはいかないらしい」

 ナジームは複雑な表情で俺を見ている。

「どうして、ウィニアとルミカの仲を取り持たなかったか、分かるか?」

「アネイラ殿の事があったからですよね?」

「それもあるが……ルミカは多分女に反応しない」

 ナジームがぎょっとして俺を見る。

「俺もかつてそうだった。……分かっていると思うが、誰にも言うなよ。ルミカが自殺する」

 ナジームは何度もこくこくと頷く。

「こんな事を明かさねばならないのは、お前が後ろ向きなせいだ。とにかく、ルミカと一緒になった方がウィニアは良かったかもしれないなどと、絶対に考えるな」

 あらゆる後ろ向きな理由をつけ、どんどん退く。それが怖気づいた時のナジームだ。逃げ道はできうる限り塞いでおく。

「お前がウィニアを守れ」

「……守るのは、守りますよ」

 ナジームは続ける。

「ただ、彼女には誰か想う相手がいます。……俺だって伊達に年は食っていません。それくらいは分かります」

 ナジームは、アレクセイの世話をしに来ているウィニアが、ぼんやりと窓辺に立ち、外を見てただ涙を流しているのを見た事があるのだそうだ。

「泣くと言うには余りに静か過ぎる姿はとても痛々しくて、恋が決して成就しない事も分かりました。……想われている相手は、何故あれ程優しい娘の気持ちに応えてやらないのかと、怒りすら覚えました。誰なのか何度も聞きそうになりました」

 ランバートの居る館で、ランバートを想って泣く事が出来なかったのだろう。辛い恋をしていたのだと再認識する。

「でも、その相手がウィニア殿を受け入れたら、俺は彼女を嫁に貰う事が出来ない。それも嫌でした。俺はそんな事を考える自分が嫌で、あの子の夫に相応しくないと思っていました」

「好きな女が幸せになるならそれで良いなんて、他所の男にくれてやるような真似、そう簡単に出来る訳あるまい。……人を好きになると言うのは綺麗なだけではないからな」

 クザートが皇太子妃の内示のあったディアを壊滅的な行動に巻き込んだのも、俺がローズを何年も囲い込んで篭絡したのも、他の誰にも奪われたくなかったからだ。それだけ必死だったのだ。

「お前がウィニアの夫だ。迷うな」

「しかし……」

「お前を好きだとウィニアに言わせる事だ。何年かかってもいい」

 俺の言葉にナジームがぽかんとしている。

「喧嘩もするだろう。泣かせる事だってあるだろう。それでも……手放すな。ウィニアに必要な存在になれ」

「それがジルムート様のやり方ですか?」

 頭をかく。情けないが、恋愛経験など語れる程無い。

「そうだ。さっきランバートに言った事は本当だ。俺はローズが居ないと死ぬ。捨てられては困るから、今も必死だ」

 ナジームは大魔王の様な笑顔でひとしきり笑ってから、吹っ切れた様子で言った。

「俺も、あがいてみます。……ウィニア殿に一緒に居ても良いと言われるくらいには、なりたいですから」

 卑屈に感じるが、嫁にする覚悟が出来た様なので、それで良しとする事にした。

 それから数日して、ウィニアは指輪をして出仕してくる様になった。ナジームが工房へ連れて行き、その場で作らせて贈ったらしい。腕輪よりも指輪が良いと言ったそうだが、絶対にウィニアは価格を気にして小さくしたのだ。俺はそう考えたが、ローズには高評価だった。

「素敵。婚約指輪だよ」

「何だ。それは」

 ローズが言うには、耳かき文明では婚約中に男から女に指輪を贈るらしい。

「教えてくれれば用意……」

「私達、婚約期間無かったんだけど」

 無かった。確かに無かった。よくよく考えると、俺はローズとの結婚を拒絶していた状態だった。あの当時を思い返すと、色々と酷かった。

「後、結婚指輪って言うのがあるんだよ。男の人も同じデザインの指輪をはめるの。夫婦でお揃いの指輪」

 俺もするとなると抵抗がある。分かったのかローズは笑った。

「知っているだけ。これがいい。ジルが私の為に選んでくれたから」

 腕輪を見せてローズは言う。よくよく考えれば、ローズは自分の髪の毛で腕輪を編んでくれたから、俺も同じ様に腕輪を贈ったに過ぎない。

「ナジーム様、両手で抱える様な花束渡して、一生大事にします。結婚してくださいって、改めてプロポーズしたんだって、ベタだけど女の子の夢だよね。ウィニアは結婚すら無理だと思っていたから、凄く嬉しかったと思う。きっとランバート様の事も忘れられるよ」

 あいつの館には、花だけは有り余るほど咲いている。それを持って行っただけだろうに。

 ローズは上機嫌で笑っている。

「ウィニアは大丈夫だよ。素敵な旦那様で良かったね」

 俺は全然大丈夫じゃない。良くない。

 ローズにプロポーズさせてしまった。最初のキスの記憶も、カウントしないと言いつつ……死を覚悟した様なローズの顔とセットだ。俺は凄くダメな奴な気がしてきた。

「ローズ、欲しい物はないか?」

 何とかしなければ。自分で考えてすべき事だが、思わず訊いてしまった。これか?これがダメなのか?俺が内心ガックリしていると、ローズはぽつりと言った。

「口にキスして」

 欲しい物と言われて、それなのか!

 ローズは魔法喰いになり、魔法燃料を術式に食われている。そのせいで体内を魔法燃料が循環していない。それはハザク様が確認していた。間違いない。つまり、今のローズは普通の人間と変らない状態で、俺の血が体内に入っても消えない可能性が高い。しかし、それはあくまでも仮説だ。……俺だってしたい。物凄くしたい。しかし万一を考えて我慢しているのに。

「お願い。ジル」

 おねだりで、頭の中の何かが焼き切れた。思考が働く前に、俺はローズを抱きすくめて顔を寄せていた。結局、ローズは消えなかった。しかし後で我に返って真っ青になっていたのは言うまでもない。……クザートの気持ちが初めて理解出来た気がした。

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