過去の三角関係
「ローズ、話って何かしら?」
ディア様をお茶会に誘い出したのは、クザートと話をして三日後の事だ。かなり無理をして時間を捻出した。大事な話だったから、私は日勤をリンザと代わってもらった。ジルムートには、事情を一切話していない。物凄く気にしていたが、急な勤務変更に対応できず一人で城へと出仕した。
ディア様も私の誘いがかなり急で強引だった事から、何かあると感じている。
「少し昔の話になるのですが、お聞きしたい事がありまして……皇太子妃の内示を受けていたと言うのは本当ですか?」
単刀直入に聞く。
「まぁ、何年前の話かしら」
ディア様は、笑ってそう言うと続けた。
「シュルツ様からは、十代の頃からお誘いを受けていたの」
「十代の頃からですか……」
それは長いアプローチだ。
「私に皇太子妃が務まる訳がないでしょう?それに、シュルツ様は良い方だと思うけれど、男性として意識した事が無かったわ。それで、内示の取り消しをずっとお願いしていたの」
「でも、取り消されなかったのですよね?」
「ええ」
ディア様はその後沈黙し、困った様に口を開いた。
「そうよ。シュルツ様は私がお好きだったの。十九の頃からクザートと一夜を過ごすまで、ずっと妃にと望まれていたわ」
そこまで好きだったたディア様を、シュルツ様はクザートに取られてしまったのだ。恨まれているって考えるのが自然だと思えてくる。
「クザートには言わないでね。今も知らないの。……きっと自分のやった事を後悔するから」
「後悔するって、クザートがですか?」
「知っていたら手を出さなかったとか、今更聞きたくないわ」
ディア様はしょんぼりとして言った。
「大事な事を黙ったまま、思い出が欲しいなんて迫った事は……いけなかったって、分かっているの。シュルツ様を裏切って、クザートを欺いた。でもあの時を逃せばクザートに会えなくなってしまうのは分かっていたから、必死だったの」
「内示を取り消したくて、誰でも良かったとかじゃないですよね?」
「勿論。クザートだったからよ」
ディア様がクザートを思い続けた理由が分かる。ただの好きではなかったのだ。それだけの覚悟をして、クザートを選んだと言う強い意思があったのだ。本当に一生に一度の恋だったのだ。
「クザートとの事があって、内示の取り消しを再度お願いした時は、私、死罪も覚悟していたの」
ディア様は俯いて続けた。
「私は処女では無くなって、王族に嫁ぐのは無理になった。どうか内示を取り消して欲しいって伝えたの。……もし罪があるなら、その責任は私にあるから、罰するなら私をと。シュルツ様は、内示を取り消すから、私の好意は忘れて欲しいとおっしゃったの。それきり、二人で話す事は無くなったわ」
好きな女性が死を覚悟で別の男を庇うとか、どれだけの悪夢だっただろう。シュルツ様の精一杯を感じる。私の知っているぼんやり王子と印象の重なる人物像だ。
とりあえず、クザートから聞いた話をする事にした。
「ディア様、クザートは知っていますよ」
「え?」
「ディア様と関係を持つ前から、クザートは内示の事をルイネス様から聞いていたそうです」
それを聞いてディア様は目を見開く。それから一気に赤くなった。……この年齢で乙女の様な反応をして似合うとか、卑怯だと思う。確か、ジルムートと生年月日は同じ筈だ。
「それって……」
「考えている通りです。クザートはルイネス様に諫められていたのです。それでも、ディア様に手を出しました」
ディア様は、落ち着こうとしているのか、カップを両手で持つと口に運ぶ。その手がプルプルと震えている。
「そんな……私……てっきり……」
ディア様が落ち着く時間を稼ぐ意味でも、私は現状の話をする事にした。
「それでちょっと話が変わるのですが聞いて下さい。セレニー様が侵入者に人質に取られた国葬の日の事です」
私は順を追って、パルネアの状況を説明し、シュルツ様が魔法使いの血筋である私を囮にしてジルムートに厄介者を押し付けた結果、起こった事件である事を説明した。
「シュルツ様がそんな事をされたの?本当に?」
「私も信じたくありません。お優しかったぼんやり王子の頃から、これ程までに変わられてしまい、信じられない気持ちです」
ディア様は表情を引き締めた。
「今回のシュルツ様の行いを、クザートは自分のやった事が原因なんじゃないかと思っています。自分のせいで、ジルにしわ寄せが来たと考えると、居ても立っても居られないみたいです」
「もし本当にそうなら、私がシュルツ様に謝罪するわ」
私は首を左右に振る。気持ちは分かるが、それではシュルツ様の面子が立たない。
「シュルツ様をまた振るつもりですか?」
シュルツ様が可哀そう過ぎる。
「あくまでもクザートがディア様を奪ったと言う形にしなくてはなりません。それで……クザートが過去の事を謝罪したとして、シュルツ様が許さなかったらどうしますか?」
「一緒に謝るわ。何処へでも一緒に行く。私も出仕を辞めるかも知れないけれど……もう離れて暮らしたくないの」
私はお茶を一口飲んでから、明るい口調で言った。
「多分、そんな事にはなりません。……クザートは心配性ですよね。ルミカもジルも、シュルツ様の言動で振り回されたでしょう?これ以上そんな事が起こらない様にしたくて、死ぬまで黙っているつもりだった過去を白状したんですよ。よりにもよって私に。そんな凄い略奪愛の話なんて分かりませんよ。私、氷の赤薔薇ですよ?」
「ローズ……」
「クザートは、今頃慌てていると思います。誰にも言わないで欲しいって頼まれていたのにディア様に話していますから。ジルが出仕したら、きっとディア様と私がお茶会をしていると聞いて……」
バン!
凄い勢いで談話室の扉が開いた。あまり驚かなかった。私もディア様も。
クザートは私を睨んだが、ディア様を見た途端、表情が崩れた。……ディア様が真っ赤になってクザートを見ていたからだ。クザートはだらしなく開きそうになった口元に慌てて片手を当て、視線を逸らす。……三十代の子持ち夫婦とは思えない。何?この初々しい反応!
「こういう事をするのは卑怯じゃないかなぁ」
「どうせ反対したでしょう?」
クザートは黙り込む。
「私に聞いた所で、シュルツ様が何をどうお考えなのかなんて、分かりませんよ」
クザートは困った様に立ち尽くしている。
「お茶、淹れます。……中で話しましょう」
「勤務中だ」
「ジルが何とかしてくれます。説明は求められると思いますが」
「ジルに話してないのか」
「最初に知るべきはディア様だと思いましたし、ジルへ説明するなら、クザートから話すべきかと思ったので」
クザートは困った表情のまま、渋々扉を閉めて談話室に入って来ると、ディア様の隣に座った。微妙に距離が開いているなぁと思ったら、クザートが強引にディア様の手を握った。……指の間に指を入れるな!初々しい反応と手の握り方のいやらしさが、アンバランスなんですけど。
チラ見して内心わめきながら、お茶を淹れる。ちょっと乱暴にカップを置いたのは、妙な空気を換気する為だ。
「それでクザート、幸いな事に今なら選べます」
「選べる?」
「ディア様に内示があった事を知らずに関係を持ちました。と謝罪するか、ディア様に内示があったのを知っていたけれど、関係を持ちました。と謝罪するか」
「どっちにしても、謝罪ありきか」
「本当は、シラを切り通しても良い気がします。でも、それでは騎士団がシュルツ様に振り回される都度、クザートは気をもむ事になるでしょう?シュルツ様の為と言うよりも、クザート自身の為にちゃんと謝罪はしておくべきかと思ったのです」
クザートは私をじっと見ている。続けろと言う事だ。
「私、シュルツ様はそこまで狭量な方だと思っていません。話を聞いていると、当時すぐにシュルツ様がポートにクザートの斬首を頼んでもいいくらいの案件ですが……そうはなっていないでしょう?」
権力をそんな事に使うと言うのは、男として、王族としての矜持を失いかねない。だからしなかったのだろう。今更蒸し返さない筈だ。シュルツ様はミラと結婚している。
「パルネアが立ち直っていないのに、グルニアを併合してしまった今、本当になりふり構っていられない程の状態なのだと思います。パルネアだってポートの何倍もあります。グルニアはもっと広いのでしょう?」
「人の住んでいない場所が多いがな」
「それでも、生きている人が居れば国民として治めなくてはならない筈です。……私達の想像を超える苦労をなさっているでしょう。隣国として、助けてあげなくてはならないと思います」
「それでは、国と言う枠が機能していない」
「それは安定してからでいいと思うのです。パルネアが倒れたらポートも倒れてしまうのだから、今は大陸全てが安定する為に、ポートもパルネアの手助けをするべきだと思うのです。パルネア騎士団には、治安を維持する為の組織力はありますが、武力が低く、魔法に対抗する術を持ちません。……国内で抑え込む事の出来ない魔法使いが現れた。それが今回の事件に繋がっただけだと思います」
クザートは私をじっと見て言った。
「それ、セレニー様からの受け売りが入ってない?」
ばれたか……。私は笑って頷く。
「心配しなくても、ディア様とクザート絡みの話はしていません。今回、どうしてこんな事件が起こったのか、ちゃんと情報を整理してみませんかって言ったら、セレニー様がこんな風に見解を述べて下さったと言う訳です。どう思いますか?」
クザートはため息を吐いた。
「そうなのかも知れないな。……武官である騎士は、政治に干渉してはいけない。俺達はそう学んで今に至っている。だから、政治的な事の内容を理解しても、あまり感想を持たない。駒として動くのに邪魔になるしね。でも、今回はさすがに考えない訳にいかなくて、色々と考えてしまったんだ。……出来る事は色々やった筈なのにって思ったら、俺が恨まれているとしか思えなくなってしまったんだ」
精一杯やれる事をやっているのに想像を超えた事が起こって、クザートは罪悪感のあった過去故に、自分が悪いと考えてしまったのだ。
「責任感が強いのは良い事ですが、思い詰めて自滅しないでくださいね。それこそ、頼りにしているポーリアの守護神が居なくては、ポートの英雄も困る事になりますから」
私がそう言うと、クザートは苦笑した。
「ミラ妃と結婚された今、俺のやった事は時効だから死罪にはならいと思っていた。でも、責任を取って騎士を辞めろと言うなら……それでもいいと思っていたんだ」
「クザート?」
「俺は、四十で退役したいと思っていたんだ」
四十歳となると後二年も無い。そんなの、誰も納得しないだろう。
「急な話じゃない。何年も前から考えていた事だ」
クザートはちらりとディア様を見てからカップに視線を落として言った。
「四十歳で退役できたら、一度パルネアへ行こうって思っていたんだ。ディアに会いに行こうって。それが俺の目標だったんだ」
「会ってどうするつもりだったのですか?」
「何も。ただ会う事しか考えていなかった。責められても、決別の言葉を受けても、忘れられていても……ただ、会いたかったんだ」
クザートはそこで口を閉ざすと、静かに言った。
「でも再会したディアは出会った頃のままで、俺はまた一目で好きになってしまった。……あれだけの事をしておいて、どう許してもらえばいいのかも分からなかったのに」
クザートにとっても……一生に一度の恋だったのだ。
「私を挟まないで、そうディア様に言えばいいのです」
クザートは片手で顔を覆って言う。
「こんなの、格好悪いじゃないか」
「格好悪くないわ。嬉しい」
消え入りそうな声で、真っ赤になってディア様は言う。
「家族にはなれたけれど、もう女として見てもらえていないって思っていたの。寝室も別だし」
「ち、違う!モイナがいきなり寝室に入って来たら困るからだよ」
「どうして一緒に居るのに、今も騎士を辞めたいの?」
「君と勤務が合わない」
「だって、どちらかが館でモイナと一緒に居る時間を多く作るって……」
「親としての見栄だよ。俺は君の理想の夫で、モイナの自慢の父親になりたかったんだ。本当はそう言ったのを後悔してる。こんなにすれ違うと思わなかったんだ」
ディア様は笑う。
「平気そうにしているから、あなたはもう父親なのだと思っていたわ。寂しいけれど、合せて私も母親に専念しなくちゃいけないって思っていたの」
クザートは、途端に挙動不審になってしまった。……これ知ってる。
「大事な話はできました。お帰り下さい」
クザートは無言のまま、凄い勢いでディア様を連れて出て行った。
クザートの四十歳退役希望の話は、ジルムートやルミカだけでなく、それを知った騎士達を震え上がらせ、クザートの勤務はすぐに見直される事になった。
それから……空中庭園で休憩中にクザートとディア様が談笑しているのを見る様になった。出会った頃も騎士服とお仕着せだった二人は、失われた恋人時間をようやく取り戻している。
私とルミカは、ふと見た窓から二人に気付き立ち止まった。
「いきなり子供が居たから、親やるのに必死だったみたいですよ」
「クザート兄上、不器用過ぎるよ。シュルツ様は兄上を罰したりしない。もう好きにしてくれって感じ。唐突に辞めるとか心臓に悪いから勘弁して欲しい」
ルミカの言葉は、私の気持ちも代弁していた。




