義兄の秘密
オリバー・ヘイズについて。
自分の悪い部分を理解しても、反省しない男。簡単に言えばそうなる。
何がいけなかったのかは分かっているのだ。しかしそれだけ。本当にそれだけなのだ。悔いる様な神経を持ち合わせていない。牢でも食欲旺盛でしっかり眠っていると聞いている。
悪かった。でも死にたくない。何とかしてくれ。
ジルムートに衝撃波をもらって昏倒したのに、ジルムートを恐れる事無くそんな事を言う図太さに、私は驚きを通り越して呆れを感じてしまった。
「凄く迷惑な人」
下層まで戻って来て私がそう呟くと、ジルムートも眉間に皺を寄せて言った。
「あの性格で魔法を使って国から金をせびり続けていたのだ。そんなのが六人も居たとなると、シュルツ陛下を許す気はないが……災難だったとは思う」
「他の人達もあんな感じだったの?」
「品性や感覚はオリバーと大して変わらなかった様だ。言っておくがローズ、オリバーは無知ではない。あれは凄く頭が良い。息を吐く様に嘘を吐ける。……牢から出してはいけない奴だ」
「え?そんな風に見えなかったけど」
「あれは言動で人を油断させて背後から刺すぞ。魔法燃料だって、シュルツ様の命令で魔法を使っている間、他人から奪っていた筈だ。土地を豊かにする魔法で、お前の祖母は体調を崩したのだろう?それ程大がかりな魔法を、自分を犠牲にしてかけ続ける殊勝な人間に見えたか?」
嫌な事を聞いたが、妙に納得してしまった。マテオと言う城に侵入した人も、魔法燃料を奪う事に慣れていた。……やっていなければ出来ない。アレクセイの治療で苦労して覚えた私には分かる。
「どうするの?」
「……セレニー様が生存をご存知だ。俺が勝手に手を下す訳にはいかない」
目の前で襲撃犯を殺してしまっている上にオリバーまで独断で殺したら、セレニー様の中のジルムートは完全に人殺しになってしまう。
「クルルス様とセレニー様の判断を待つ」
「それしかないんだね」
人は話し合えば理解出来る。更生する。セレニー様はそれを信じている。ポートの女神として、その考え方は多くの人間を救って来ているし、そう在るように私達もお世話をして来た。
今回、犯罪者を断罪する権限を握るジルムートと、人々の善性を信じ、国を治めるセレニー様が、オリバー・ヘイズに同時に関わってしまった事が問題と言える。
どちらの気持ちも理解できるだけに、私としてはため息しか出ない。
「セレニー様への報告はお前に任せていいな?」
「うん。元々そういう事で話を聞きに来た訳だし」
「後でセレニー様の様子を教えてくれ」
「分かった」
私達は上層で別れた。それからセレニー様に私の聞いた事を報告した。……ありのままを伝えて、ジルムートの見解も私の感想も述べない事にした。判断に困ったからだ。
「ご苦労様でした。今後の事はクルルス様とも協議して、どうするか決めます。わざわざ話を聞いて来てくれてありがとう。ジルムートにもよろしく伝えておいてね」
セレニー様は暗い表情で言った。
「あなたは……ジルムートと、私の板挟みになって苦しいでしょうね」
「そんな事はありません。ジルムートもセレニー様のお気持ちは理解しています。王妃として健やかに過ごされる事こそ、私達の望みです」
「あなたもジルムートも、本心からそう言ってくれている。……分かっているの。分かっているからこそ、辛いのよ」
セレニー様は、今問題を抱えている。
シュルツ様が式典でやってくる日程が決まっていると言うのに、ジルムートが近くに立つと震えだしてしまう様になったのだ。あの事件の事を思い出すのだ。理性では救ってくれたのだとジルムートを認識しているのに、事件の恐怖を思い出す引き金になっているのだ。
式典では、どうしても近くにジルムートが居る事になる。……公には伏せているが、大問題だ。
そもそも、シュルツ様が刺されたのを見た後もセレニー様は大変な思いをされた。時間をかけて回復したのだ。女性、それも王族の姫が犯罪者に襲われ、その場で犯人が殺害されると言う生々しい事件だった訳で……よくぞ普通に振る舞っていると褒めてあげたいくらいなのだ。しかし世間一般では「もう済んだ事」として処理されて、こういう事情は理解されない。
実際、城の侵入者の話は忘れたかのように誰も話さなくなった。これからある歴史的な式典「グルニア併合記念式典」の話題で下層も中層も侍女達が盛り上がっている。……腕に着けた白い腕章など、忘れているかのようなはしゃぎ様だ。
式典をセレニー様が欠席すると言う選択は無い。妹であるセレニー様が、兄であるシュルツ様の出向いて来る式典を欠席すると言うのは、余程の理由が無い限り理解を得られないからだ。
しかも、世界的に注目されている式典であるだけに、大使館員ではなく、各国の賓客を招待しての盛大な式典となっている。ポートの女神と直に会える事を楽しみにしている方達も居ると聞いている。セレニー様にとっても、開催国の王妃として外交力を存分に発揮するまたとない機会だ。どれだけ楽しみにされていたか知っているだけに、こんな事になってしまって正直辛い。
そして、そんな凄い式典にジルムートの妻として出なければならない私。着飾らせた侍女が立っているだけに何の意味があるのか。場違いだ。……想像するだけで胃が痛い。
「とんでもない所に、お嫁に来てしまいましたね」
私が半分本音で言うと、セレニー様は言った。
「そうね。式典には一緒に出席してくれないと私、泣いてしまうわよ」
セレニー様も半分本音だった。
お互い複雑な物を抱えているが、信頼関係は絶対に失いたくない。私とセレニー様のそれだけが確かな気持ちだ。お互いに困った様に笑ってしまった。
一緒にパルネアから来た頃は、セレニー様と同じ感覚だった。亀の話で気絶していたのだから。月日を経て、私の感覚は大きく変わった。夫の差だ。野蛮人騎士の行いに慣れているお陰で、主を支える事ができるものの、やはり気分は複雑だ。
話を終えて外に出てくると、部屋の外には、まだ休暇中の筈なのにクザートが立っていた。
クザート達が海賊討伐を終えて戻って来たのは、三日前の事だ。海賊討伐は無事に終了したと言うのに、帰ってきて城での出来事を聞いた途端、戻って来た騎士達は意気消沈してしまった。こちらは心強い騎士達の帰還を素直に喜んでいるのに、討伐組は不在中の事で落ち込んでいるのだ。
「セレニー様の様子はどう?」
私が首を左右に振ると、クザートは落ち込んだ様子で言った。
「そんなにすぐ、どうにかなる話じゃないか。……ローズちゃん、ちょっと時間ある?」
「はい」
私は今日夜勤なのだが、オリバーの話を聞く為、昼にジルムートと出仕した。勤務時間までまだ時間がある。
「ちょっと庭園に出よう。俺、長い間行っていないんだ」
「そうですね」
カルロス様はもう部屋で、庭園の警備はまばらになっている。コピートにも、こうやって庭園に引っ張り出されて人に聞かれたくない話をされた記憶がある。クザートもそうなのだろう。
「ローズちゃん、下の牢屋の奴をどう思う?」
「雑草みたいな人ですね」
農耕民族であるパルネア人にとっては、最低な人間と言う意味なのだが、クザートに伝わったかどうかは分からない。
「でも、殺したらダメなんだよね」
「セレニー様が、オリバー・ヘイズが生きている事をご存知です。騎士団が王族の判断を待たずに手を下したら、犯罪者の断罪ではなく人殺しだと、お感じになる可能性があります」
「俺、さっき牢の外で聞いていたんだ。ルミカと一緒に」
「兄弟揃って、心配症ですね」
「そうは言うが、ジルが一晩で四人も片付けるなんて、今まで無かった事なんだ」
「……ジルの代わりに、あなたとルミカがやっていたのでしょう?」
私がそう言ってクザートを見上げると、クザートは困ったような顔をしていた。
「ジルは強い。それは理解している。ただ、あいつは騎士と言うにはあまりに優しいから……やらせたくなかったんだ」
クザートは続けた。
「ゾーヤを助けたのはあいつの意思だ。俺は上の判断に任せて、面倒な事は放っておけばいいのにと兄として心配したけれど、騎士としては、序列一席にふさわしい人間なのだと、誇りに思った。……ああいう所は本当に敵わないって思う。当たり前の様に人を助けてしまうのだから。そんなジルを掃除屋としてシュルツ陛下は使った」
空気がどんよりと重たい。クザートは弟を特別視してずっと守ってきた。居ない間にこんな事になって、自分の大事な物を穢された様な気持ちになっているのだろう。
「ルミカがグルニアで大怪我を負った話の時も、シュルツ陛下を許せなかった。何故、ルミカ個人に頼む様な方法を取ったのかと。何年も一緒に居て気易かったのかも知れないが、ポートへ相談して、騎士団からもう少し人数を出せていれば……出征せずに事は片付いた可能性だってあった」
ルミカの事は確かに、消えない傷となってルミカを今も苦しめている。ジルムートはルミカが判断を誤ったと考えているが、クザートはそもそもの依頼方法からして、シュルツ様に非があると考えている様だ。
「クザート、怒る気持ちはわかります。……でも、落ち着いて下さい」
私はクザートをじっと見る。
「ジルムートの人としての価値も尊厳も変わる事はありません。ルミカはもう大人です。自分の失敗は自分で何とかする年齢です。腹を立てる気持ちは理解できますが、それでシュルツ様を害す様な事があれば、私を含め、皆悲しい思いをします。何よりも、騎士団の誇りを穢す事になります」
「しかし、王妃が序列一席を見て震えだすなど、どうしろと言うのだ」
「今回の式典は、パルネアが友好国であるポートへ感謝の意を表す為に出向く式典です。それを台無しにすれば、この大陸全ての国が滅茶苦茶になってしまいます。シュルツ様だって、こんな事になるとは予想していなかったのでしょう」
クザートは眉間に皺を寄せて黙った後、意を決した様に言った。
「本当は、俺が全部悪いんだ。シュルツ陛下に個人的な恨みを買っているのは、俺なんだよ」
「え?」
全然意味が分からない。クザートは言い辛そうに少し黙った後、言った。
「シュルツ陛下は、ディアに惚れていたんだ。ずっと」
……ん?
「本気で結婚する気だった。それなのに、俺が手を出して台無しにした」
「そんな話、聞いた事ありませんが」
「王族の結婚は、承認されるのに時間がかかる。シュルツ陛下は、ディアに薔薇の称号を与え、国王付きの侍女として実績を残し、庶民上がりの侍女だが王妃に据えられるとして、議会の承認を得ようとしていたのだ。その実績を積んでいる最中に俺が……」
よくよく考えてみれば、国王付きになってしまった事で、害虫が一切付かない。つまり、男が寄って来られない環境になっていた事になる。それでは恋愛結婚は無理だ。不埒な輩からディア様を守る為にそうしたのだと思っていたが、シュルツ様に嫁ぐ為だったと考えると、それもしっくり来る。
「ディアはそのつもりで過ごす様にと、内示を受けていた」
詳しく知り過ぎている。何故パルネアの王宮に出仕していた私の知らない事を、外国人の騎士であるクザートが知っているのか。嫌な予感がして私は聞いた。
「もしかして、その事を知っていながらクザートはディア様と関係を持ったのですか?」
王族の結婚は特別だ。女性が処女であると言う事は必須条件に入る。セレニー様が籠の鳥の様に育てられたのは、男性を近づけて万一があってはいけなかったからだ。私とアネイラは、いつも警備の騎士にまで気を配り、セレニー様に男を近づけない様にする事が主な役目だった。
「さっき話していた情報は、パルネアでも秘匿されていた情報です。何故知っているのですか?子供が居る事も、ルミカがパルネアに赴任するまで知らなかったのに」
クザートは観念した様に言った。
「ローズちゃんの思っている通りだよ。……ルイネス様にあの女は諦めろと釘を刺す意味で教えられたのに、俺はやったんだよ」
内示が出ているのに手を出したのなら、王族から花嫁を強奪した事になる。凄く大きな罪ではなかろうか。死罪になってもおかしくないくらいの。私の顔色が変わっているのを見ながら、クザートは続ける。
「俺はポート騎士団の序列二席ではあるが、パルネアの皇太子から皇太子妃として内示を受けている女を欲しいと言う程の権限は持っていない。でも、どうしても諦められなかった。……ルイネス様には俺がやらかすのは見抜かれていたみたいで、元々早朝にポーリアへ帰らなくてはならない用事が言いつけられていたんだ。後でさんざん叱られて、国外へ出るなって言われた」
それでディア様は置き去りだったのか。ルイネス様は、クザートを庇った様だ。
「じゃあディア様は……」
「未だに、俺は何も知らないと思っている」
ディア様の事だから、皇太子妃の内示の事を黙ってクザートに迫った自分を恥じているに違いない。
「それ、ジルは知っているのですか?」
「いいや。誰にも言った事が無い。唯一ご存知だったルイネス様は死者の海へと旅立たれてしまった。……どうしたらいいと思う?」
分かる訳ないでしょう!
思わず怒鳴りそうになったが辛うじて我慢した。ここは空中庭園。私は侍女。
「それ、今になって言うのはどうかと思います」
「そうだな」
クザートは項垂れた。
時間が経っているとは言え、迂闊に話せばクザートはパルネアの王から花嫁を奪った事で問題視される事もあり得る。どうしたらいいのか、私はため息を吐いた。




