そして時間が流れる
変人一家の一員になって、三年が経過した。
激しく抵抗したものの、城での安全性と行動の自由についてジルムートに説明をされ、泣く泣く変人の家族になる事にした。
効果は絶大で、変人が三人兄になった事から、私の発言や行動に制限を付ける者は侍女だけでなく、執事に至るまで、ほぼ居なくなった。
セレニー様の地位向上と自由を勝ち取る為、しっかりと利用させてもらった。
変人だがそれぞれ騎士としても実力者で、怖い人達だと今はある程度理解している。
一番嫌だったのは様付けでなく、呼び捨てで名前を呼べと言うものだった。……侍女であり義妹である私は、これに苦しむ事になった。
特にジルムートは、愛称であるジルと呼び捨てで呼ぶように、何故かジルムート以外からの強い圧力があった。……かなり抵抗したが、クルルス様までそうしろと言うものだから、私が折れる事になった。
変人兄弟の住む屋敷に私も住む事になった訳だが、彼らの母親と言う人達が家を取り仕切っている為、私は何もする事が無い。
いきなり出来た娘にも優しくしてくれたのに、私は帰って豪勢なご飯を食べ、何時に帰って来ても用意してくれるお風呂に入り、綺麗に整った寝室で寝るだけ。
私のお給料は、家に入れずに持っておけと言われる有様だ。家に騎士が三人も居るのだから、侍女のお給料はいらないと言う事らしい。
侍女暮らしが板についているので、尽くすのは慣れていても、尽くされるのは慣れていない。
申し訳ないので、彼女達に耳かきと耳ほぐしをしたら、金が取れる、商売になると言い出した。
どうしても出来る様になりたいと言うので、私の耳かきの技を彼女達に伝授する事になった。
今では、紹介が無いと入れない秘密のサロンとして、密かにブームになっている。利用者は女性のみだ。……未亡人の膝に頭を乗せて男性がうっとりすると言うのは何だか卑猥な気がするから、それでいいのだと思う。
耳かきを作っている工房と、お母さん達のサロンから売り上げの一部が私の元に入って来る。城でお給金ももらう。私は密かにお金持ちになった。
この世界には銀行が無い。だから、お金は壺や革の袋に入れて、寝室や城の侍女部屋に隠している。新しい壺をそろそろ買わなくてはならない。
毎日、クザートかジルムートが一緒に帰ってくれる。朝も一緒だ。
十日に一回、セレニー様と一緒にお部屋で夜にゆっくり語らったり、耳かきをしたりが許されたので、城に泊まるが、それ以外は城下で暮らす様になった。
耳かきはバカ売れで、ポートの名物になりつつある。外国人からぼったくっている表通りの店にも置いてあるから、売れ筋なのは間違いない。
外で、当たり前に耳かきの売っている世界を実現する事が出来た。これが素晴らしい。
祖母のくれた釘は、もうただのお守りだ。これを耳かきと言わずに済む時代がやって来るのだ。バウティ家の人々は耳かきに寛容だった。これはとても良かった。
もう一つ、バウティ家に世話になって嬉しかったのは、アネイラと手紙が自由にやり取りできる様になった事だ。
ルミカ経由で手紙が届くので、城の検閲を気にしなくて済むのだ。
ポーリアで耳かきがバカ売れしている事を書いて、アネイラの実家でも売りまくるように言ったのだが……。
ルミカが耳かきを城の侍女やメイドに紹介して、一時的にだが爆発的に売れたそうだ。
ただルミカに近づきたくて購入した城付きの侍女やメイドばかりだったので、一瞬でブームは去ったそうだ。
『何故、女性にばかり耳かきを紹介したのでしょうか?外交官として、パルネアの高官に紹介するべきものです』
私が文句の手紙を書くと、ルミカから返事が来た。
『立派な髭を生やした紳士に、耳かきは似合いません。女性が持ち、膝枕でしてくれるからこそ、耳かきは素晴らしいのです』
おじさんの膝枕で耳かきをされるのは、嫌だと言う事らしい。
何だかルミカの考えは、耳かきの王道を外れている気がする。自分でやっても気持ちよく、人にやってもらっても気持ちいいのが耳かきなのに。
その後、ルミカはアネイラに耳かきをしてもらって、耳から血が出たらしい。女の膝なら気持ちいいとか言っているから、そんな事になるのだ。
どちらもその時の様子を書いた手紙をくれたので、比較して読んで大爆笑した。
アネイラはルミカが好きなのに素直になれずにツンツンしている様だ。
アネイラは、面食いな上に王子様みたいな人が好きな乙女だから、ルミカはドンピシャだったのだろう。しかし、なかなかデレないから本音を言えない。
ルミカもアネイラが気になって仕方ないみたいだけれど、上手く話せていない様だ。あの毒吐き腹黒騎士が、アネイラには毒が吐けない。これはこれで面白い。
ルミカの任期は後二年。
その前に上手く行って欲しいものだと思う。
とりあえず、どちらからも愉快な手紙が来るので楽しみにしている。セレニー様にも、こっそり報告して、二人でキャッキャウフフしている。
「アネイラが結婚してポートに来てくれたら、素敵ね」
セレニー様はもうすぐ二十歳だ。輝く様な美しさに磨きがかかり、外国からの使節団の評判も上々だ。
美しいだけじゃない。大抵の国の言葉を流暢に話す。分からないと思って自国の言葉で暴言を吐いても、王妃が分かってしまう国なんてポートだけだろう。
お陰ですっかり認められて、外交関係の公務が一気に増えた。良い事だと思う。
けれど中身は昔と変わらずとても優しく、怒ると言う感情とは縁の無い温厚さ。しかもクルルス様の事が大好きなのは相変わらずだ。
「期待してはいけません。アネイラはツンツン状態です。このままでは気になる存在のまま終わってもおかしくありません」
「ローズは、相変わらず夢のない事を言うのね」
「難しいのですよ。特にアネイラは。本当は気持ち良かったのに、耳かきの事を絶対に評価しなかった女ですから」
私の耳かき探求の旅に最初から付き合って、最初の耳かき被験者になったにも関わらず、最後まで抵抗し続けた。
「じゃあ変態って言ったのは、まさか」
「そうです。素直になれなくて出た嘘です」
「ローズ、知ってたの?」
「パルネアを出る時に分かりました。あの女のせいでパルネアでの耳かき普及は失敗しました。だから、恋の手助けはせずに、優しく見守る事にしました」
本当は二人の気持ちの書かれた手紙を、ルミカとアネイラにそれぞれ送りつけてやれば事は済むのだが、しない。
苦しめ。そしてあがくが良い。まだ二年ある。
「耳かきが絡むと鬼の様ね」
「私は、耳かきの為に産まれたと思っております。あ、セレニー様の為でもあると思っていますので、ご安心下さい」
「取って付けた様な言い方だけど、ありがとう」
セレニー様は、もう泣かない。
本来の知識欲を取り戻し、ポートの公務にもまれて強くなった。
クルルス様はセレニー様の内面を知って、完全に骨抜きにされている。
セレニー様は、自分の知識をひけらかす様な事はしない。きつい物言いもしない。根が優しいのだ。私と違って。
そこまで揃った女性はそう居ない。そんな女性に好かれている。それに気付いて男気を発揮したのだ。……そうでなければ恋は冷めて、セレニー様はクルルス様と形だけの関係になっていた筈だ。
以前の様なただ甘いだけのイチャつきでは無く、お互いの意見を穏やかに交わし、今後の話をする様になった。
見ていても落ち着いた夫婦の姿になって、もう嫌にならなくなった。王族と言うのはいつも見守られているので、見守る側としては非常に安心の出来る変化だった。
おかしな事をセレニー様に吹き込んでいた侍女達は、城を去ってしまった。
彼女達の親や紹介者が、失脚したのだ。
セレニー様の為と言う名目で、国庫の金を勝手に使っていた事は既に分かっている。
じゃあ、私にアネイラみたいな友達が出来たかと言えばそうでも無い。
バウティ家の人間になってしまった私は、恐ろしい王家の番犬……ジルムートと同等の扱いをされているのだ。
メイドや侍女で、私と仲良くしてくれる人は居る。彼女達とは良き仕事仲間にはなれたが、友達にはなれていない。
私の仕事が終わる頃、ジルムートかクザートが迎えに来る。ちょっと彼女達と話をしてから帰りたいなんて言えないのだ。奴らが居ると、皆顔を強張らせて去って行くから。
町に出るにも彼らのどちらかが護衛として必須で、誘う事も出来ない。
私が義理の妹として彼らの家に入ったのは、私を狙う悪人が居るからだ。三年経ってもその警戒は解かれていない。……すぐに終わる警戒なら、私は義妹にならなくて良かったのだ。
変人達にもそれぞれ怖さの段階がある。
クザートよりも、ジルムートが恐れられているのは知っている。
それは分かる。真黒な空気を飼っていて、出し入れできるのはジルムートだけだから。
しかも十歳で家督を継いだとか、十歳からの二年間、犯罪者を騎士に更生させる仕事をしていたとか……。
ジルムートが優しく犯罪者を諭している姿なんて、想像すら出来ない。あの黒いのは、その過程で飼い慣らした様だ。
犯罪者の更生方法は……聞かない方が良さそうだと本能的に察知した。未だに聞いていない。
クザートが、何かとそう言う話を小出しにして来るので、限界になると耳を塞いで声を出し、必死に抵抗してきたが……三年も続くと、さすがにパルネア人の感覚と言うのは麻痺してくる。
クザートが私をポートに馴染ませる為にあえてやっているのは分かっていた。他に詳しく教えてくれる人が居ないから、重要な情報源ではあるけれど、聞けば聞く程、ポートの社会と言うのが、男性中心で、力任せだと言う事が分かって来る。
特に騎士団はその最たるものだ。治安を維持する為に存在する、犯罪者すら恐れる恐怖の象徴で、その頂点に居るのがバウティ家なのだ。
……これでは友達は出来ない。だからもう諦めている。
「仕事は終わったか?迎えに来た」
ジルムートかクザートが、こうやって迎えに来る。今日はジルムートだ。
「図書館で本を借りたいので、少し待っていて下さい」
「俺も付き合おう」
図書館の本は、司書が何人も雇われて綺麗に分類され直している。
使いやすくなって有難い。
今日は、セレニー様のお勧めだった、イグバンと言う秘境の旅行記を借りる。
秘境と言うだけあって、空を飛ぶ蛇が居るそうだ。翼がある訳では無く、空をクネクネして飛ぶそうだ。
訳が分からないので、自分で借りて読んでみる事にした。
目当ての本を発見して、挿絵すら無い事に落胆する。きっと読んでも分からない。想像力豊かと言う訳では無いから。
「写真があったらなぁ……」
小声で思わず呟く。
ジルムートがこちらを見ていた事に、私は気付かなかった。
馬車に乗せてもらって一緒に帰ると、お母さん達が大はしゃぎしていた。
お母さんは全部で三人居る。それぞれ息子が一人ずつ。同じ夫の元に嫁ぎ、親友であり家族として支え合い、仲良くしている。
ここで暮らし始めた当初は物凄い違和感だったが、三年も一緒に居ると慣れるもので、もう違和感は無い。
逆にいつも一緒に居る友達が居て羨ましくなってきた。
「お帰りなさい。ジル、ローズ」
声をかけてきたのは、クザートのお母さんであるリエンヌさんだ。優しい雰囲気の癒し系熟女だ。クザートと目元がそっくりだ。
「ただいま帰りました」
「二人共、こっちに来て、来て!」
手招きしているのは、ミルカのお母さんのカリンさん。キャピキャピした熟女だ。ルミカは、彼女に似たのだとすぐ分かる。
「おかえり。今日サロンに来たご婦人の旦那様がね、これを置いて行ったのよ。サロンに来る人に広めて欲しいってね」
細いパイプを片手に、煙をくゆらせている気だるげな熟女。この人がジルムートのお母さん、アイリスさん。この家のお母さん達の束ね役だ。ジルムートは髪の毛と目の色が同じなだけで似ていない。
「何ですか?これ」
木の三脚に、四角い箱が付いている。
「写真機って言うんだってさ。向こうの大陸で広まり始めて、最近ポートに入荷した物だそうだよ」
これがカメラ?……思ってたのと違う。
「これの前にじっとして何分か立っていると、ありのままの姿が焼き付いて、絵みたいに残せるんだって。写真って言うそうよ」
カリンさんが興奮気味に言う。
リエンヌさんが苦笑する。
「残念だけど、もう日が暮れたから無理ね。明るくないとダメらしいから。明日の昼間に使い勝手を試しましょう」
アイリスさんが頷いて、私の方を見る。
「上手に使える様になったら、ローズにモデルをお願いしてもいいかしら?やっぱり、おばさんよりも若い子の方が、宣伝にはいいのよ」
お母さん達も十分綺麗だと思いますが。なんて言っても、断れないだろう。若輩者である私は、素直に答えた。
「いいですよ。私で良ければ」
どうやら、宣伝の見返りがあるらしい。三人共、凄く張り切っている。
お母さん達は、息子達に苦労をさせた分、自分達の事は自分達で何とかしたいと思っている。
ジルムートが十歳で、亡くなったお父さんの代わりに城に出仕したのは、兄弟の為だけでなく母親達の為でもあったのだそうだ。
バウティ家の館は、世襲制の家長が失われた時点で国に返還する事が法で決められていた。子供の誰かが家長を継がなければ、お母さん達も路頭に迷う所だったのだ。
辛かっただろう。ジルムートだけじゃない。クザートも、ルミカも、お母さん達も。
ポートでは女性の地位が低いだけでなく、弱者にも冷たい。
クルルス様は王様を辞めるのを諦めて、この様な部分を改革しようと頑張っている。セレニー様も一緒だし、先は見えないけれど良くなると私は信じている。
使用人の人が食事が出来ていると呼びに来たので、玄関ホールでワイワイしているお母さん達と別れて食堂に向かう。
一緒に歩くジルムートに聞く。
「クザートは?」
「書類仕事が終わらないそうだ。承認のサインを昼からずっと書き続けていて、手首が壊れそうだと言っていた」
ポーリアの町の治安を維持する為に、騎士の下には自警団がある。今、その自警団に支払う予算の決済期なのだ。
今年は自警団の区画が見直されて、新しい自警団が増えた。
表向きの最高責任者はジルムートだが、実質仕切っているのは補佐の名前を冠したクザートだ。
可哀そうに……役人達が、最終確認のサインを求めて大量の書類を渡しているのだろう。
ジルムートは手伝わない。私を送る人が居なくなるし、夜になってから女ばかり残して男が不在の館と言うのは不用心だと言う理由があるからだ。騎士の館は大きい。ポート人なら絶対に入って来ないが、外国人の夜盗に狙われる可能性があるからだそうだ。
ルミカが居なくなって、二人は勤務を巧く調整し、夜は交代で城と家に居る。お母さん達と私の為だ。
夜盗が大勢来ても、ジルムートかクザートが一人居れば、何とかなると言う理屈を受け入れる方が大変だった。……戦っている所なんて見た事が無い。そもそも、鍛錬とか訓練みたいなのも、している所を見た事が無いのだ。
確かに筋肉はあるが、本当にそこまで強いのか甚だ疑問なのだ。
「ローズ」
「はい」
「後でちょっと話がある。俺の部屋に来てくれないか?」
「談話室ではいけませんか?」
「……人に聞かれると困る」
何だろう?
「分かりました」
特に気にする事もなく、素直に返事をした。
後で、死ぬ程後悔するとも知らずに。




