国葬の日
ルイネス様の国葬は、ポーリアの港から船で送り出すまでとなった。
船は、本来エルムスの町から出すのだが、ルイネス様を乗せた船は、ポーリアからそのまま死者の海へと直行する事になっている。船にはセレニー様も乗ってお見送りをする事になり、私は一緒に行く事になった。死者の海へ行くのは初めてで、セレニー様共々、異文化の風習に少し緊張している。
「ジルは一緒に来てくれないの?」
ジルムートは最後だと言うのに、ポーリアに残るらしい。来てくれるのを期待していたので、少しがっかりした。
「警備が手薄な時だからな。ポーリアを留守には出来ない。それに騎士団が全員居たとしても、同行したのは兄上だった筈だ。俺では無い」
「クザート?」
「長年、専属護衛をしていた」
そう言えば、それでディア様とクザートは出会ったのだった。
「そっか。……ジル、疲れているみたいだけれど、無理はしないでね」
「大丈夫だ」
笑う目の奥にも、何かが張り詰めているのを感じてしまう。ずっと一緒に居るから、ここ最近おかしいのは分かっている。騎士団員の多くが不在の中、慣れない国葬があるのでは仕方ないが……騎士団の皆には、早く帰って来て欲しい。
討伐そのものは終わっているだろうと、ジルムートは言っていた。
日本で台風としておなじみだったものが、ここ最近立て続けに発生していて、騎士団はポーリアに戻って来られなくなっているらしい。ジルムートに言わせれば、異常気象が無くなり、再び台風が発生する様になっただけだとの事だった。この状態の方が普通なのだとか。
海賊諸島は、真水の湧く場所が何か所もあるものの、強い台風の直撃を受ける場所にある。水没する島もある為、人が住むには不適切な場所で、外洋航海の際の休憩所や避難所として活用する程度の場所らしい。そんな場所に無理矢理住んでも、海賊になるしかないのは当たり前なのかも知れない。
悪天候を理由に、討伐も途中で切り上げられる事が通例であったが、今回はそれをしないで海賊を根絶やしにする為、討伐期間が長くなる事は想定済みだったのだとか。補給の為の船がポーリアから何度も出ていると聞いているが、詳しい事は分からない。
ジルムートが平素の状態であれば、気楽に討伐隊がどうしているのか話題に出来たが、張り詰めた雰囲気のせいで仕事の事を話題にし辛い。話しかけるのも憚られる程の雰囲気の時もあるのだ。
私は私で自分の過去について、気持ちの整理が付くまで時間がかかり、気付いたらジルムートの様子がおかしくなっていた。
「お前の選んだ人は、必ずお前を守ってくれる。お前は彼を信じて支えなさい」
父がそう言い残してパルネアへ帰って行った。
それからだいぶ経った。父の話のせいでおかしいのか、海賊討伐で問題を抱えているのか。私は聞く事が出来ないまま国葬の日を迎えた。
ポートの喪服は白い。私達侍女は、お仕着せを着てから、白い腕章をする事になった。喪中を示すものだ。今日から半年は、この腕章付きのお仕着せで仕事をする事になる。騎士団も同じく、白い腕章を制服の上から付ける。
セレニー様には白いドレスを用意する。アクセサリーは全て真珠で統一する。
日本なら花嫁さんのしそうな恰好だが、正式な喪服と言う事になる。レースやリボン等は一切付いていないし、露出を控える為、首元まで布がある。
お化粧も薄く施す様にして、華美にしない。
セレニー様が外に出る事は滅多にない事なので、警備を厳重にしたい所だが、人が居ない。ジルムートは今クルルス様の護衛をしているので、ナジームが護衛してくれている。ナジームが居れば大丈夫だと判断され、他の護衛は居ない。階段を降りる際に私がセレニー様のスカートの裾を持ち、ゆっくりと歩く。セレニー様が転ばない様に、ナジームが手を貸してくれる。
中層まで降りたところで、ナジームがぴたりと止まった。
「どうしたの?」
セレニー様が下層の階段から上がって来た人物を見て目を丸くする。私も驚いてその人物を見る。
顔は知らない。でも分かるのはパルネア人であると言う事、そして警備をしていた中層の騎士達が倒れている事だった。危機を感じて全身がぞくりとする。
男は私達に近づいて来る。顔色は紙の様に白い。金髪に碧眼の美形だとは思うが、前歯が一本欠けていて、それのせいで間の抜けた顔になっている。碧眼は虚ろで、白目は充血して血走っている。
「うひひ、見つけた」
気持ち悪い笑い方をする。何が嬉しいのか分からないが、背筋がぞっとしてセレニー様を背に庇う。その前に更にナジームが立った。
「ついてるな。セレニー様も美人に育ってるじゃねぇかよ。無理して侵入した甲斐があったってものだ。俺の勝ちだ。ざまぁ見ろ!」
言っている意味は深く考えない事にした。どうせ、ロクでもない事に違いない。
ナジームが前に歩み出て捕まえようとすると、男が手を差し出した。途端に、体からふっと力が抜けていく感じがした。……まさか、私の体から魔法燃料を吸い上げた?
同時に眩しい光で何も見えなくなる。思わず顔を背けた途端、悲鳴が上がった。何が起こったのか分からないが、一瞬でセレニー様は消えていた。
「セレニー様!」
慌てて見回すと少し離れた場所に居る男が、セレニー様を羽交い絞めにしていた。……魔法だ。それしか考えられない。
「何かしたら、王妃様の命はないぜ。……陛下の言う通りだわ。魔法燃料の濃度と純度がすげぇ。いくらでも魔法が使えそうだ。うは、これ世界取れるぜ」
男の言葉に、斜め前に立っているナジームが厳しい表情になった。
「ローズ・バウティ、こっちに来い」
どうしたらいいのか分からずナジームを見ると、男を睨みつけたままナジームは言った。
「行ってはいけません。ローズ様」
「しかし……」
「大丈夫です」
ナジームがそう言った途端、背後から空気が真っ黒に染まっていく。パルネア人の男は戸惑っているが、セレニー様を羽交い絞めにした腕の力を緩めない。
「我が国の王妃に汚い手で触れるな」
近づいて来るジルムートの低い声が廊下に響いた。
「手を放せ」
ジルムートが再度言うと、男は強張った笑みを浮かべて言った。
「それ以上近づいたら、セレニーを干物にするぞ」
魔法燃料をセレニー様から吸い上げる気だ。……直感でそう理解して私は息を呑む。
しかし次の瞬間、男はパァンと言う炸裂音と共に頭をのけ反らせて吹っ飛ぶ。男の手が同時に離れて、セレニー様がよろめいてその場でしゃがみ込んだ。
ナジームが素早く動いて、セレニー様を抱きかかえる。
「くっそ……」
起き上がろうとすると再び炸裂音がして、男の体が床を跳ねて吹っ飛ぶ。
ジルムートが異能を衝撃波にして男に向かって飛ばしているのだ。こんな風に異能を使用するのは初めて見た。衝撃波として飛ばすと言う話は聞いていたが、武闘大会の時の様に武器で狙って出すのだと思っていた。そうではない。思い通りの場所に当てられるのだ。
信じられないのは、男の方だ。吹っ飛んでも死んでいない。それどころか、起き上がろうとまでしている。……魔法で身を守っているのだ。だから致命傷にならない。しかし、ジルムートが私達と距離を取ってくれたから、私からもセレニー様からも、魔法燃料を奪う事は出来ない筈だ。
「ナジーム!セレニー様とローズに見せるな!」
ジルムートがそう怒鳴った途端、目の前が真っ暗になった。温かいからナジームの腕が私の頭を抱え込んでいる事に気付いた。
「しばし、ご容赦を」
ナジームの声がしてから、一緒にセレニー様も抱きかかえられている事に感触で気付き、無意識にセレニー様の手を握ると、握り返された。その感触にほっとしたのもつかの間、男の怯えた声の後、嫌な音がした。聞き覚えが無いのに、恐ろしい事が起こっていると本能的に分かる音……。
骨が砕ける音と言うのは、あの音の事だと直感する。男は悲鳴一つ上げなかった。
廊下に面した何処かの扉が開く音がして、何か重たい物がどさりと放り入れられ、再び扉の閉まる音がした。
「クルルス様が上層で待機されている。……セレニー様には一旦上層へ戻っていただく。俺が連れて行って事情を話す。お前は城の状況を確認しろ」
そう言った途端、視界が明るくなって、ナジームが私達を放した事が分かった。
「分かりました」
ナジームはそう言って数歩離れると、セレニー様が真っ青な顔でフラフラしていた。
ジルムートは速足で近づいてくると、セレニー様を横抱きにした。セレニー様が、ジルムートに対して体を一瞬強張らせたのが分かる。
「不浄の身ですが、しばし我慢して下さい。クルルス様の元にお連れせねばなりません。……ローズ、歩けるな?」
「ええ」
さっき魔法燃料を取られたせいで、少しクラクラするが、それだけだ。
上層への階段を上って行くと、クルルス様が立っていて、ジルムートの抱えたセレニー様を見て慌てて駆け寄って来た。
「セレニー!」
「クルルス様……」
ジルムートの腕の中から、セレニー様はクルルス様に腕を伸ばした。
クルルス様はセレニー様をジルムートから受け取り抱きしめた。
「何があった?」
「パルネア人の賊が城に侵入し、セレニー様を人質にしました」
「賊の身元は……例の」
「そうです。シュルツ陛下はとんだ読み間違いをしました。セレニー様も狙われる対象です。お分かりですよね?セレニー様は、パルネアの王族です。貴族よりもうんと高貴な血をお持ちです」
クルルス様が目を見開いた後、苦い顔で更にセレニー様を強く抱きしめる。私には話の意味が分からない。しかし、クルルス様には話が通じているらしい。
「そうか……。分かった。しかし、今国葬を中止する訳にはいかない。俺だけで行けばいいか?」
ルイネス様の遺体は既に船にある。クルルス様とセレニー様が向かうだけになっていたのだ。
「それで構いません。ただ、護衛はナジームに交代します」
「お前は?」
「賊がこれ以上城に入らない様にここで網を張ります」
ジルムートの言葉にクルルス様は頷いてから私の方を見た。
「セレニーの事は……ローズ頼むぞ」
「はい」
その後、私はセレニー様の横になっているベッドの脇に控えていて、外の事は何も分からないままだった。震えの止まらないセレニー様の為に、密かに城に持ち込んでいた眠れるお茶を飲んでもらうと、すぐに眠ってくれた。顔色が悪い。さっき魔法燃料を取られたらしい。
頭の中には、あの前歯の一本欠けたパルネア人の言葉と行動が、繰り返し再生された。
眠るセレニー様を見ながら考える。
あの男の魔法は、私の覚えている物とは比較にならない技術で威力だった。何よりも、人の魔法燃料を使う事に慣れている上に、魔法を使う素振りも全く見せなかった。閃光で目を眩ませ、セレニー様を一瞬で自分の元に引き寄せ、更にジルムートの異能を防いだ。
あれが本来の魔法使いの魔法を使う姿なのだとすれば、他の魔法使いから魔法燃料を引き出して使う事で、瞬時に色々と行う事が可能になる。
グルニアから引き継いだ禁書。パルネアには高速魔法と呼ばれる素早さを最優先にする魔法が残されたと聞いている。私の実家の魔法は残っていないと父が言っていた。だとすれば、他の家に残された魔法だと言う事になる。どれくらい居るのか分からないが、あんな魔法使いを相手に戦っていたら、ジルムートだっていつか怪我をするかも知れない。そうでなくても既に他の騎士が巻き込まれて廊下で倒れているのを見た。
魔法使いは女の方が優れていると聞く。しかし、私には戦う為の魔法の知識がない。セレニー様はある程度ご存知かも知れないが……実際に使った事は無い筈だ。
私に……出来る事は無いの?
明らかに私とセレニー様を狙っていたあの賊の様な輩につけ入る隙を与えない、決定的な何かが欲しい。私が強い魔法を覚えて戦えばいいの?……それは多分無理だ。そんな魔法を手に入れる方法もないし、ジルムートが許してくれないだろう。
だったら自分で魔法の術式を組み立てて、魔法を作ればいい。……出来るかも知れない。でも、そうやって何個も魔法を生み出す事が、誰の為になるの?誰かを傷つけると分かっている物を作って覚えて使うなんて……絶対に嫌だ。そんな事をすれば、魔法はまた人を傷つけるだけの技術として蔓延する事になる。
魔法……魔法そのものを消す事は出来ないのだろうか。
私は魔法に頼って生きて行きたい訳じゃない。最近まで、使える事すら知らなかった。確かに便利ではあるけれど、無ければ生きて行けない様な物じゃない。この技術が人を狂わせるなら、技術そのものを使えない様にすればいい。
しかし、どうやって?
さっきの男が私とセレニー様を何故欲したのか。……魔法を使う燃料を奪う為だ。間違いない。私もセレニー様も、血筋として確実に魔法燃料を持っている。ようやく、男の言葉、ジルムートとクルルス様の会話の意味が分かって来る。パルネアでさっきの様に魔法を使って人を従わせようとする者が居るのだ。そんな者達が、私やセレニー様を狙っているのだとしたら、これからもこういう事を警戒しなくてはならなくなる。クルルス様やカルロス様だって危ない。
そしてまた、ジルムートは人を殺すのだ。
そんなの嫌だ。ジルムートが率先して人を襲った訳じゃない。勝手にやって来て良からぬ事を考えるからだ。でも加害者は確かにジルムートになってしまう。……今も城の外は真っ暗だ。ジルムートが異能で私達を守っているのだ。体への負担を考えるならもう止めて欲しい。
涙が出て、私は両手で顔を覆った。




