義父と婿
ローズにとって、父親であるエドワスの来訪は喜びよりも衝撃の方が大きかった。ローズは自分で作った眠れる茶を淹れて一気に飲むと、ベッドに潜り込んでそのまま眠ってしまった。……そうでもしないと眠れなかったのだろう。
早朝。鍛錬の為に夜明け前に起きた俺は、ローズが良く眠っている事を確認して部屋を出た。
昨日の話を思い返すと、エドワスが意図的に言葉を濁して伏せている部分があった事に思い至る。
チャネリングの事だ。……俺の経験上、ああ言う嫌な感じのする魔法は、大抵グルニア産なのだ。パルネアの魔法ではない。ローズに使われた魔法がグルニアの下種魔法だったとして、何故そんな物がパルネアにあったのか、そして何故今更使われたのか、気になった。
一通りの鍛錬を終えて地下から上がって来ると、庭にエドワスが立っているのが見えた。少し迷ったが、俺は近づいて挨拶をした。
「おはようございます」
「おはよう」
振り向いたエドワスは笑って応じた。……ローズは父親似だ。改めてそう思う。
「……良く眠れましたか?」
「お陰様で、長旅の疲れも吹っ飛んだよ」
「それは何よりです」
聞きたい事も聞けないまま俺がそう言った後黙ると、エドワスは言った。
「ジルムート殿は、グルニアに詳しいのだったな」
「長く居たので色々と見聞きはしました」
「あの国をどう思ったかね?」
どう思うも何も……人が居なかった。知っているのはミラやアレクセイの様なごく僅かな人間の事だけだ。俺が返答に困っていると、エドワスは言った。
「選民思想と言うのがあるだろう?あれは……チャネリングで記憶を得た者達が、神の国の記憶を伝えた事で出来た思想だとされている。チャネリングは、グルニアの最も忌避されている古代魔法の一つなんだ」
言っている事が染みて来るにつれて、エドワスがローズに何を隠しているのか分かって来る。ローズの記憶にある同じ国、同じ時代に生きていた別の誰かの記憶が、この世界で耳かき文明の知識を神の国の知識だとし、この世界の人間を下等生物扱いしたのだ。それが全ての始まり。グルニアによる支配、戦争、今の状況の全てを生み出したと言える。ローズが異世界人に同胞意識を持っているのは明らかだ。知れば酷く傷つくし、同じ文明の出身者として責任を強く感じるに違いない。
「私は魔法を使えるしそれなりに勉強もしたけれど、とにかく嫌いだったからね。家にある文献や魔法の術式に興味が無かった。父がお腹の子に何をしたのか分かった時には手遅れだった」
「何故、その様な魔法を伝えていたのですか?」
そもそもメイヤー家にそんな魔法が無ければ、この様な事にはならなかった筈だ。
「有事への備えと言うやつだよ。もし再びグルニアから脅威が迫った時、異世界の知識が必要になるかも知れない。私の先祖は、その不安を捨てきれなかった。結果、欲にまみれた子孫が使ってしまった訳だ。……父は孫がどうなっても構わなかったのだよ。自分が今まで通りの暮らしをする道具としか思っていなかった。選民思想と同様に、人を人とも思わないのがパルネアの貴族だ。貴族制度は廃止されて然るべきだったと思うよ」
「その魔法は、今どうなっているのですか?」
「燃やした」
エドワスは低い声で言った。険しい表情をしている。
「チャネリングを使った父が寝込んでいる間に、メイヤー家にあった魔法の文献も、過去に開発された魔法も……全て燃やした。売れば借金を減らせる物もあったかも知れないけれど、子供を害された怒りの方が強かった。これ以上何かされては困ると思ったのだよ」
「そうですか……」
俺ならその父親の方もどうにかしている。そこは、ローズの父親なのだと改めて思う。
「ローズは良い子だろう?」
話題を変える様に、エドワスは険しかった表情を一転させて笑った。
「記憶が無いから覚えていないだろうが、ローズはあちらの世界の事を色々話していたんだよ。父が生きている頃は、父が怖かったみたいでね。引き寄せられた記憶も萎縮して大人しくしていたらしいんだ。だから、混乱する様になったのは、城下町に越してからだったんだ」
エドワスは空を見上げて、遠い目をした。
「この世界より便利ではあるけれど、ごく普通に暮らす日常と、両親が不仲で悲しかった事なんかはよく話していたね。普通の子だと思ったよ。神の国も、同じ様に喜怒哀楽のある人間の住む世界だと感じられた。選民思想の出来た頃の事は分からないけれど、知識が再現できない程に高度だし、魔法の扱いも上手かったらしいから、グルニア人が特別扱いしたのだろう。……異世界人だけが悪かった、グルニア人だけが悪かったと言う話ではないのだと、ローズを育てていて思ったよ」
同じ国に暮らしていても、分かり合えない相手が存在し、国と言う括りで全てを判断できない様に、耳かき文明の人間も千差万別なのだ。アレクセイを見ていれば、グルニア人が人を見下す者ばかりでない事も分かる。エドワスの言う通りだと思った。
「記憶とローズは最初こそ上手く行っていなかったけれど、だんだん一人の人格として統一されて今のローズになった。……あの子は異世界人でありパルネア人でもある。それで良いと私は思っているんだ」
娘に違う世界の記憶があって、分離する事が出来ない。それをエドワスは受け入れたのだ。育てているのが、本当に自分の娘なのかどうか。葛藤も苦悩もあっただろう。しかし自分の感情を抜きにして、娘をありのままに受け入れた。それがこの人の……ローズの家族が出した結論だったのだ。
「俺も、そう思います」
耳かきを知らないローズはローズでは無い。俺は今のローズが好きなのだ。俺達は何となく握手を交わしていた。
それからエドワスは顔を引き締めて言った。
「そう言えば、ローズが魔法を使ったみたいだけれど……何があったのだろう。あの子はチャネリングの影響で、魔法使いとしての素養がとても高い。能力の事が漏れる様な事は避けて欲しいのだ」
「ローズが魔法使いである事は周囲に秘匿しています。……ですが今はローズの魔法使いとしての能力に頼らねばならない状況にあり、魔法を毎日使っている状況です」
既にさんざん魔法を使ってしまっている。
「ローズは、太古にグルニア人が天使だと考えた存在そのものだ。周囲に知られれば、その能力の特異性が浮き彫りになる事も考えられる……あまり使わせないで欲しい」
ハザク様、ウィニアやミハイルと比べても、魔法の能力が飛び抜けているのは俺でも分かる。単にパルネアの元貴族だからだと思っている周囲に、そうではない事を悟らせたくない。確かに選民思想の元になった知識を持っている事は知られてはならないだろう。
それにしても、魔法の知識を与えず、セレニー様の輿入れと同時にポートに出されたローズ。エドワスは何をそこまで警戒しているのか。
「我が家を含め、八大貴族は王族共々、ずっと自分の一族の高い魔法適性を維持する様に婚姻を結び続けて来た。……八大貴族にはローズ以外、同年代の者が六人居る。ローズ以外は全員男だ。その六人が、ローズをどう言う目で見ているかは察して欲しい」
「ローズは俺の妻です」
「正式な結婚など、どうでも良いのだよ。……攫って隠してしまえば分からなくなる。彼らがこだわっているのは、魔法適性の高い女と、その女の産む己の子なのだよ」
表情が強張るのを通り越し、険しくなる。それは夫婦になるのではなく、子供を産ませる道具としてローズを扱うと言う事を意味している。そして生まれて来る子供も、自分の為の道具なのだ。
「それは犯罪です」
「そうだ。本当にそう思うよ。しかし彼らを止められる者が今居ないのだよ。……実は今回、シュルツ陛下の新体制に、彼らは大きな恩を売っている。シュルツ陛下も、彼らがローズに何かしたとしても、追及できないのだよ」
「恩を売るとは、何をしたのですか?」
「パルネアは長年不作だっただろう?……シュルツ陛下は国民を飢えさせない為に、彼らに魔法で凶作を不作レベルに抑える様に頼んだのだよ。実際、彼らの働きで数年、冬を越せた地域がある」
エドワスの話が本当なら、シュルツ陛下はそいつらを抑え込む事など出来ない。パルネアにとって、恩人である立場だ。
「己の力を証明して権力を得たのですから、もうローズの子を望む必要は無い筈ですが」
「そうでもないのだよ。貴族制度が廃止され、多くの貴族は生活苦のどん底を味わった。八大貴族も例外ではない。状況は、うちと似たり寄ったりだった。うちは夫婦で出仕できたから借金を返済出来たが、大半は借金が子供の世代に残ってしまった。……新しい時代が来ても、彼らは祖父母の代に出来た借金苦にあえいでいた。魔法を使えると言う事は、体を壊すだけで無意味な事だったのに、突然全てを手に入れる手段になってしまったのだ」
「全て……ですか?」
十分な金も権力も得たと言うのに、これ以上何を望むと言うのだろう。
「彼らはもっと大きな権限を求めている。八大貴族は、かつてシアン・パルネアと共にパルネアを救った片目が金色の魔法使いだ。彼らは魔法燃料が大気から失われても、王とほぼ同等の権限を持ち、パルネアの人々の支持を集めたとされている」
王と同等。そこまでを望むとなれば、パルネアにとって害にしかならないだろう。
「魔法は体にかかる負担が大きい。自分の体を損なわず、国さえも脅かす存在として大きな権力を持つなら、燃料となる者が必要となる。……ローズは、それで目を付けられている部分もある」
ローズを子供を産む道具にした挙句、魔法を使う際の燃料するつもりだとは。人間の屑だ。何処まで俺の女をコケにするのか。容赦する気は完全に失せた。
「そいつらはパルネアには戻しません。……シュルツ陛下も、そうなる事をお望みなのでしょう?」
エドワスが事前使節団と共に来たのは、旅慣れないのを気遣うだけでなく、俺を焚きつける役として最適だったからだ。エドワスが旅立って暫くしてから、そいつらがポートに来る様に仕向ける撒き餌をシュルツ陛下は撒いている筈だ。
エドワスは、ローズを囮にすると決めているシュルツ陛下を止められず、こうして伝えるしか選択肢が無かったのだろう。
「シュルツ陛下は非情だよ。魔法使いの力を利用するだけ利用して、意に沿わないなら異国人であるあなたまで利用して抹殺する気なのだから。……ただ分かって欲しいのは、パルネアはシュルツ陛下が居なければ、崩壊していたかも知れないと言う事だ。まだあの方の力が必要だ。陛下には腹が立つかも知れないが、あなたの力を陛下には向けないで欲しい」
ポートのほぼ五倍の人口を抱えているとされているパルネア。外国との接点を持たないこの国が崩壊した場合、ポートがどうなっていたかは理解している。シュルツ陛下のやった事が、一部の人間にとって理不尽であっても、大勢を救っているのは事実だ。
「俺の異能の事をご存知なのですか?」
「シュルツ陛下に、魔法使いを消し去る力を持っていると聞いている」
「パルネアの国王を勝手に襲ったりはしません」
「……どうかローズを守って欲しい」
シュルツ陛下は、俺が魔法殺しの異能者である事を勝手にばらしたらしい。腹が立つがローズの父親からこう言われては断る事など出来ない。シュルツ陛下のやり方は本当に許せない。
「こういう処理は慣れています。後の事はお任せ下さい」
相手は屑だ。決闘の様に堂々と一人一人を相手をしてやる必要など感じない。とにかく素性や特徴をまず調べ、さっさと刈り取ろうと決める。
俺がそんな事を考えていると、エドワスは俺を見据えて言った。
「それで、何故ローズが魔法を使わねばならなくなったのか、教えてもらえるかな。あの子はセレニー様の専属侍女としてポートに来た筈なのだが」
……静かにエドワスが怒っている。魔法を使わせない為にポートに出したのだから当然だ。
隠すのは無理だ。しかし長い事情説明が必要になる。それで詳しい説明は出仕が終わってから、直接ナジームの館へ連れて行って状況を見ながら……と言う事で、一旦待ってもらう事にした。
エドワスには、俺からではなくローズに詳しく説明をしてもらう事にした。俺がそれを頼むと、ローズは喜んで引き受けてくれた。……正直助かったと思った。俺が連れて来たグルニアの王子の治療をローズにさせているなど、怒っているエドワスに言うのは嫌だったのだ。
日勤を終え、ナジームの館でアレクセイを直接見せて、ローズが何をしてきたかを説明する。エドワスは黙って聞いていた後、アレクセイをじっと見つめた。
「意識はちゃんと体にあるよ。もう魔法燃料の濃度も安定している」
俺もローズも、驚いてエドワスを見る。
「長い間体を動かしていないし、成長して体の感覚が大きく変わってしまったからだろうね。上手く自分で動かせない様だ」
「どうしてそれが分かるの?」
ローズが驚いて聞くと、エドワスは笑った。
「メイヤー家の得意分野は人の意識に作用する魔法でね、人の意識がどんな状態なのかは、若い頃に覚えた魔法で見られるんだよ」
「どうすれば、アレクセイ様は目を覚ますの?」
「手足の曲げ伸ばしなんかを介助して繰り返せばいいんじゃないかな。皮膚の感覚を戻すなら、マッサージも効果がある。外部の感覚を意識に送ってやるのだよ。体の感覚を取り戻せれば、きっと目を覚ますよ」
エドワスの話を聞いて、俺やナジームが関節を動かし、ローズやウィニアが手足をさする様になった。そして、更に一月が経過した。




