アレクセイの治療
休みが終わり、出仕が始まった。始まってみると、セレニー様が喜んでくれる事が嬉しくて、頑張ろうと思えた。それに加えて嬉しかったのは、ジルムートと一緒に城へ行ける事だった。ジルムートが御者台に居る馬車で出仕して、帰りに一緒に帰る。それだけの事がとても嬉しい。
しかも海賊の討伐はとても楽しみにしている様に見えたのだが……アレクセイの事もあるから、ナジームと一緒にポートに残ってくれる事になった。悪いとは思うけれど、はっきり言えば嬉しい。その穴埋めとして、今度はあのハリードが同行するらしい。逃げ回ると思っていたルミカは、あっさり行くと言ったハリードに驚いたらしい。そして不機嫌。
今日も夕ご飯を食べに来たルミカは語る。
「やらないのと、出来ないのは違うのだな。だってさ!そんな事も分かってなかったのかよって俺が言っても、あいつ逃げなかった」
「良い事でしょう?何が気に食わないのですか?」
「気に食わないなんて……言ってないよ」
「気に食わないって言い方です」
私がそう言うと、ルミカは不服そうに押し黙った。ジルムートはそんな弟を苦笑する。
「あいつを、食料を乗せた小舟に乗せて三日放置した場合、島が何個制圧できるかが、騎士の間で賭けの対象になっている。実際、兄上はそうするつもりだ。……余程の手練れを付けないと、一緒に行く者が足手まといになる」
「そんなに強いの?」
驚いて聞くとジルムートは頷く。
「異能を抜きにすれば、騎士団で最も強い」
「兄上達よりも強いなんて、殆ど伝説みたいになっている話なのに、素直に皆が認めている所が嫌なのです」
「事実だと皆実感しているのだ。武闘大会に出てこないが、自由募集の騎士達がハリードの指導を受けた事で序列五百席以内に食い込み、その強さを維持している。ハリードの鍛錬方法が優秀で、ハリード自身も強いからだ」
ルミカはジルムートをじとっと見てから言った。
「兄上……海賊討伐のどさくさに紛れて、俺やクザート兄上が殺されたらどうするのですか?」
「それこそ、現実味が無い。オズマとは違うだろうに」
「そうですけど……」
「負けたくないなら、制圧する島の数でハリードに負けない様に頑張ればいいのだ」
騎士と言うのは、競うのが大好きだ。各部隊がどれだけの小島を制圧できるか競争しているらしい。それに参加するルミカは、ハリードに負けるのが嫌なのだ。
「俺はそれどころじゃないのです。そもそも……クザート兄上は総指揮だから本部詰め。ラシッドはおかしな戦法で数を稼ぐだろうし、コピートはレオンの事で絶好調だから侮れない。俺が頑張っても、リヴァイアサンの騎士で最下位になる可能性があるのです。そんな事になったら、最悪だ」
ルミカは、ジルムートとクザートが別格で、弟の自分は劣っているとよく言う。グルニアに偵察に行って大怪我をして以来、それに拍車がかかっている。兄二人に対しては勝てると全く思っていないのに、それ以外の騎士には負けたくないと言うちぐはぐな気持ちから出る発言は、ルミカと付き合いのある人間でないと理解出来ない複雑さがある。
「私は、海賊が居なくなれば順位とかどうでもいいです。とにかく、怪我をしないで無事に戻ってきて下さいね」
気分を変えて欲しくてそう言うと、ルミカが私を見て情けない顔をした。
「俺もローズみたいな嫁が欲しい。早く紹介してよ」
藪蛇だった。……慌てて席を立つ。
「じゃあ、明日も出仕だから、お先に失礼しますね」
「ローズぅ」
恨めしそうな声がしたが、無視して食堂を出た。いつもなら、もう少しルミカに優しく出来るのだが、今は落ち込んでいて私の心に余裕が無い。それでさっさと立ち去る事にしたのだ。
あの日からアレクセイの所に一月以上通っているのだが、魔法を使っても使っても、アレクセイの体内の魔法燃料が減らない。ハザク様に教わって、魔法燃料をアレクセイから手繰り寄せられる様になってから、私は魔法燃料が良く見える様になった。教えてくれたハザク様は、ぼんやりとしか見えないと言うが……私は赤い光の流れが、全身を巡っているのが見える様になってしまった。ハザク様曰く、魔法使いとして私が優れているからだと褒められたが、そんないいものではなかった。
意図的に見なければ見えないからまだ良いが、見える様子は人体模型の血管以上の細かさで、細い血管がまとわりついている内臓の形も分かる上に、動いているのまで見える。最初見た時は一瞬意識を手放した。……心の準備も無く、人体の内側を見ると言うのは、かなり精神に来るものがあったのだ。はっと気づくとジルムートに抱き留められていた。
それで終わりだったら良かったのだが、繰り返しその様子を見なくてはならなかった。見なければ、魔法燃料を人から引き出す事が出来ないからだ。ジルムートは私を庇ってくれたが、見ないで魔法燃料を相手の体から使う事は出来ないとハザク様に指摘されて、庇いきれなくなった。私としても、アレクセイの命を左右するのに、見たくないからやめたいとは言えなかった。
魔法燃料を見るだけなのに、何の拷問かと思った。しかし毎日となると慣れてくる。人間、必要に迫られれば出来ないと思っている事も出来る様になるらしい。……かなり食欲が落ちて、ジルムートには心配されたが、それも落ち着いた。
そして、魔法燃料が殆ど減っていない現実も理解出来る様になった。
生きている以上、体内で作られる魔法燃料がある。意識が無いままでも、アレクセイは飲食をしてくれているから生きていられる。アレクセイの体内で毎日作り出される魔法燃料は想像以上に多く、使う事でこれ以上増えない様に維持するのが精一杯だったのだ。
ウィニアは魔法を覚えたてで、魔法燃料をぼんやりとしか見る事が出来ない上に、アレクセイの中から取り出す事が上手くできない。それで自分の体内の魔法燃料を使ってしまう為、魔法を使うのは一日置きに一回と決められた。
同じく手伝いに来てくれているミハイルは、己の持つリヴァイアサンの騎士の異能が魔法を阻害する為、魔法そのものの力が弱い。魔法燃料を多く消費する事も出来ない。繰り返し使えばいいと本人は言ったが、まだ未成年だ。成長に影響があってはいけないので、皆で説き伏せて魔法の使用回数を減らした。アリ先生はしこりが出来ていないか心配して、しょっちゅう調べている。
必然的に、私が繰り返し魔法を使って消費させる事になるのだが、気付けば一緒に居るジルムートの待ったがかかって終わりになる。もう少しと頼んでも絶対に止められる。ハザク様ともアリ先生とも相談して決めた回数があるのだが、数え忘れる私に代わって、数えているらしい。
お陰で体調も崩していないし元気だが、アレクセイの意識が全く回復しない。
夜になって寝室でぼんやりとその事を考えていると、ジルムートが隣に座った。
そのままジルムートの膝にぽすっと倒れた。相変わらず太ももが硬い。勢い良く倒れたせいで、下敷きになった耳が少し痛かった。
「アレクセイ様の事、もっと簡単に行くと思ってた」
私がそう言うと、頭を撫でられた。私はこの優しく触れてくる手の感触が好きだ。
「焦るな。ローズは出来る事をしている」
「うん……」
納得していないが返事をする。
コマーシャル込みで三十分。事件が始まって、変身して戦えば全てが解決している。そんな風には上手く行かなかった。凄い力があるとしても……私にはそれを活用するだけの頭が無い。
思い返せば、日本では十六歳で死んでいるから、こっちで生きているよりも短い一生だった。凄い人生経験と言えば、雨で滑って来た転倒バイクが直撃して即死した事だけ。……魔法に役立つ経験とは言えない。ジルムートに指摘された通り、深く考えずに魔法を使える事だけが利点と言う情けない状態を痛感するばかりだ。
「そう言えば、気付いたか?」
「何に?」
向きを変えて見上げると、ジルムートは言った。
「アレクセイだ。でかくなっていないか?」
微妙な変化で、私も言うのは躊躇っていた事だ。
「うん。大きくなると言うか……何か顔つきが少し男っぽくなったとは思ってた。痩せたせいかも知れないとも思っていたの」
「使用人達にも聞いてみたが、やはり皆、変化は感じている」
「それって、年相応の姿になるって事?」
「さあな。ただしこりが無くなった事で体にも変化が出てきている。慎重になるに越した事はない」
アリ先生とハザク様が様子を見に来ているから、判断は二人に任せるべきなのだ。しかし、漠然とした不安の中で同じ事を続けていると、不安に押し潰されそうになる。
「私のやっている事は、正しいのかな……」
言っても仕方ない弱音を吐いてしまう。頭を撫でていたジルムートがぽつりと言った。
「辛いか?」
正直に答える。毎日忙しいのに、帰宅時間を合わせて治療に付き合ってくれている夫に意地を張っても仕方ない。
「辛い。……私のせいで、アレクセイ様が死んじゃったらどうしようって、いつも思ってる」
ジルムートは答える代わりに、黙って頭を撫でてくれる。聞いてくれるつもりなのだ。私は撫でる手に促されて続けた。
「私、指示通りに事を運ぶのは得意だよ。侍女だから。でもね、自分のする事の結果が良い事で役立つって分かっている事ばかりだったの。……ハザク様やアリ先生を信頼していない訳じゃないよ。お二方が居なければ、アレクセイ様はとっくに命を落としていた筈だもの。ただ、そんな凄い方達でも先が見えない事を、私がやり続けるのかって思うと……色々考えてしまうの」
誰も確かな答えを持っていない。結果がすぐに出ない。それがこんなに辛い事だとは思わなかった。
「続けるしかないって分かっているの。でも苦しいから、答えが……結果が欲しいって思ってしまう」
ジルムートは手を止めて私の顔を覗き込んだ。
「どんな結果になろうと、俺はお前の側に居る。今の最善だけを信じろ。先など、考えなくて良い」
ジルムートの言葉が心に染みる。想像以上に参っていたらしい。向きを変えてジルムートの腰に抱きついて顔を腹に押し付けた。……腹も硬い。
「甘えていい?」
「いいぞ」
お許しが出たのでぎゅっと腹に抱き付いてスリスリした。優しい夫は嫌な顔もしないで、耳かきまでしてくれた。アレクセイには目を覚まし、大切な誰かと出会い、苦楽を共にした後、人生を終えて欲しい。心底そう思った。
それから暫くして、クザートを総指揮官とした海賊討伐隊が、ポーリアから出発した。城の騎士の姿は一気に減ったが、アレクセイの所へ毎日通い続ける日々は続いた。
ウィニアはナジームと勤務時間を合わせてもらう事になった。騎士の数が減り、四人の勤務時間を合わせるのは無理になったのだ。
騎士団が出発する前から、リンザにはゾーヤが重い病で危篤状態が続いている為、私とウィニアが見舞っていると話してある。
「それは……ナジーム様がお気の毒ですね。ウィニア、ナジーム様を励まして差し上げるのよ。いいわね!」
リンザの勢いに押されるように、ウィニアはこくこくと頷いた。
「リンザ、この事をできるだけ広めて欲しいのです。ウィニアがゾーヤの話し相手だった事も含めて。ナジーム様とウィニアの立場を守る為です」
リンザは力強く頷いた。
「任せて下さい!プリシラと一緒にやれば、すぐですよ」
そんな訳で、ナジームの婚約者が危篤状態である話は、城でもすぐに広まって、ナジームは悲劇の騎士になった。セレニー様も心配してナジームを呼んで声をかける程だった。
それで、ウィニアがナジームの館に出入りする事は疑問視されなくなった。
ところが一緒に出仕する訳にはいかず、ウィニアが一人で城に出仕する日が多くなってしまった。……帰りは見舞いがあるからナジームと一緒に居ても誰も何とも思われないのだが、出仕の時まで一緒と言う訳にはいかなかったのだ。婚約者が病床にあるのに、他の女性とべったり一緒に居ると言うのは、さすがに体裁が悪い。
私ともリンザとも勤務が合わず、一人で出仕する日が結構ある。中層で引き留められて絡まれたりしたらと思うと、心配でたまらない。しかし私の心配が不要である事を知ったのは、それから少ししてからだった。
「ナジームがちゃんと見守っているから大丈夫だ」
「え?」
「あいつが先に来て、ちゃんと見守っている。気配断ちをしているから、周囲もウィニアも気付いていないだろうがな」
「そんな事が出来るの?」
そう聞くと、嫌な事を思い出したのかジルムートは渋い顔をした。
「ラシッドがお前にやっていた事だ。それで義妹にした」
聞いたらいけない話だった!
「とにかく……ウィニアはナジームが守っているから安心しろ」
ちょっと怖いと思うが、ウィニアの安全が第一だ。ウィニアには勿論、黙っておいた。
そうして更に二か月が過ぎた。
「魔法燃料の濃度はかなり低くなりました」
魔法燃料の様子を見ながら言うと、ハザク様は頷いた。
「そうだね。私が予想した以上の結果だよ。これはとても良い状態だ。三人のお陰だ」
私だけでなく、ミハイルもウィニアも嬉しそうに頷く。
「それにしても、同一人物とは思えんな」
ぼそりとジルムートが言う。全員、同じ気持ちだったと思う。
アレクセイは、すっかり大人に成長していた。身長は騎士程ではないが高く、目を閉じていてもわかる程の美青年に成長した。もう少女には絶対に見えない。成長が進むにつれて、魔法燃料の体内濃度は下がった。まるで体の成長に使われていく様だった。
きっと意識は戻る。今戻るなら、アレクセイは普通に男性として人生を再スタート出来る。もう少し頑張ろう。私はそう思った。




