魔法使いに出来る事
ハザク様が来てもアレクセイの意識は戻らず、アリ先生とハザク様は症状について話し合いを始めた。
ローズは茶を配り終わって立っていたので、ナジームの反対側になる俺の隣に座らせた。ウィニアはアレクセイのベッドサイドにある椅子に座っている。……ここまで話した以上、途中で退場させて疎外感を与えないで欲しいとローズに頼まれたのだ。アリ先生は、ウィニアを巻き込んでナジームの嫁にする気満々だから、そうしろと強く主張した。
「これは熱による影響の可能性と、しこりを破壊した影響の可能性を考えねばならないね」
ハザク様の言い分にアリ先生は頷く。
「高熱で意識が戻れないなら、もう助からないでしょうな」
アリ先生の言葉に、さっとローズとウィニアの顔色が悪くなった。
「しかしそう言う症状は、高熱がかなり長く続いた場合に起こるとされています。そこまで重篤になる前に手を打ったつもりです」
「ナジーム殿がしこりを壊したそうだね。是非見たかったよ」
ハザク様は残念そうに呟く。学者としての本音だろう。そして続けた。
「今一番気になるのは、体内の魔法燃料の濃度だ」
魔法燃料の濃度……。
「しこりを破壊した事で、体内を高濃度の魔法燃料が巡っているとすれば、意識に干渉している可能性がある」
ハザク様は暗い表情で続けた。
「私は一度経験しているのだが、魔法燃料の濃度が急激に上がると、意識が体を離れた様になる。……己すら見下ろす様な上へと意識の昇る感覚だ。魔法燃料の濃度が下がると戻る」
アクバル様の遺体を、グールにした時の経験だろう。そうだとすれば、アレクセイの意識が体から離れているのだ。ローズがよく魂が抜けるなどと言うが、それが現実に起こっている事になる。
「体内の魔法燃料を使えば、意識が回復すると言う事ですか?」
ナジームが問うと、ハザク様が頷く。
「あくまでも可能性の話だ。しかしやる価値はあると思うよ。……アレクセイが己で魔法を使う事の出来ない今、別の者がアレクセイの体内の魔法燃料を使ってやらねばならないがね」
ハザク様は大きな魔法を使うのではなく、小さな魔法を繰り返し使う事で魔法燃料の調整を行う事が、魔法を使う側にもアレクセイにも負担が少ないと言う。しかし、その魔法を使う人間と言うのが、ハザク様とローズしか居ない。しかも、それは一日二日の事ではなく、どれだけかかるかも分からないらしい。何年も蓄積していた魔法燃料なだけに、どれだけあるか分からないのだ。
そうなると、王族であり足が悪く高齢であるハザク様がここに毎日通う事は不可能で、ローズがこの処置を行う方が良いと言う結論になった。アレクセイをハザク様の館に移動させる事を一応提案したが、それは却下された。
ローズは快く了承して、よく眠れる茶葉を大量に生産するのだと笑った。……こういう重苦しい時に笑って空気を軽くしようとするのがローズと言う女だ。アネイラの時もそうだったが、それで周囲の気持ちが救われても、その後のローズの負担は大きく、俺はその負担を軽くしてやれないのが辛い。
興味があった訳でもない、鍛錬だってした事がないのに、毎日ローズは慣れない魔法を使うのだ。例え魔法燃料の負担が自分に無いにしても、アレクセイの命を握る立場になる。その重圧を考えると、何も出来ない自分に苛立ちさえ覚える。
「ジルムート、ニルガナイトを持って来なさい」
俺が険しい表情をしているのに気付いたアリ先生が言う。
「もう一人、魔法を使える可能性のある人がここには居る。それを調べようじゃないか」
「アリ先生……」
ローズが咎める様に名を呼ぶと、アリ先生は笑った。
「ローズさんが全部背負い込む必要は無いって事だよ。人助けなのだから人数は多い方がいい。ミハイルにも手伝わせよう」
ローズは驚いてアリ先生の方を見ている。
「いいかね、ジルムートはあんたをとても心配している。とにかく自分を大事にする事を忘れてはいけないよ。分かるね?」
「はい」
そこでアリ先生はベッドサイドの方を見て、話が理解出来ずにきょとんとしているウィニアの方を見た。
「ウィニアさん、あんたに折り入って話がある」
アリ先生は、魔法使いの事、ウィニアに魔法使いの適性があるか調べたい事をまず説明した。ニルガナイトを舐めて味を感じるかどうかと言う事になる。アリ先生が言っていた目の特徴が本当であれば、ウィニアは苦く感じる筈なのだ。
ウィニアは素直に応じたが、見られているのが恥ずかしいのか、縮こまってニルガナイトを舐めると、顔をしかめた。
「苦いかね」
アリ先生の言葉に、ウィニアは口に手を当てて頷く。相当苦かったらしい。ローズが立ち上がり、お茶のカップを渡すと、ぺこりと頭を下げてすぐに飲んだ。
「良いかね。今の石が苦いと言うのは、魔法適性者……つまり、魔法を使う事が出来ると言う事の証明なのだよ。あんたは、魔法使いだ」
アリ先生は、ウィニアをじっと見据えて言った。
「あんたが魔法を使う事で、アレクセイが目を覚ますかも知れない。ローズさんと一緒にやる事になるから、心配はいらんよ。どうだね、やる気はあるかね?」
ウィニアは戸惑ってアリ先生を見た後、困った様にローズを見上げた。横に立っていたローズは察した様に言った。
「アリ先生、私からウィニアに再度説明をしても良いですか?」
「勿論。とても助かるよ。……そうか、あんたは普通に話すから忘れておったわ」
ポートでは女が男に質問する事を嫌う風潮がある。それは高齢であればある程顕著で、下手をすればいきなり暴力を振るう者も居る。ウィニアの父親は女を売買する仕事をしていた。初対面の老人であるアリ先生に話が分からないと言うのが怖かったのだ。
「今、アレクセイ様は病気の治療が原因で、体の中に魔法のもとになる魔法燃料が多過ぎる状態になっている様なのです。それを減らせば意識が戻る可能性があります」
ウィニアは、アレクセイの方をちらりと見てから頷いた。それは理解しているらしい。
「問題は、それを減らせるのは魔法使いだけだと言う事です。さっき話していた通り、私は魔法を使えます。だから魔法を使う事によって、アレクセイ様の体内の魔法燃料を減らすお手伝いをします」
「ローズ様は、いつから魔法使いなのですか?」
ウィニアの言葉に、ローズは苦笑した。
「魔法を使えると知ったのは一年前くらいです。魔法使いと言うのは、生まれながらの素質だそうです。使える人と使えない人が居て、素質が無い人は魔法を覚える事すら出来ないそうです。……あなたは魔法を使える事が、今ニルガナイトを使って調べた事で分かりました」
ウィニアとリンザの母親は違う。リンザは魔法適性が無い。ウィニアの母親が魔法適性の持主だったと考えるのが自然だろう。
「あの……魔法の勉強ってどうしたらいいのですか?」
「魔法を使うのに必要なのは素質です。魔法をただ使うだけなら、勉強は不要です。不思議なのですが、読めない巻物を見るだけで使える様になってしまいます」
ウィニアが目を丸くしてローズを暫く見た後、驚きながら言った。
「すぐにですか?」
「すぐにです」
ウィニアは少し黙ってから言った。
「ローズ様がおっしゃるなら、そうなのですね。……そんな不思議な事があるなんて」
ローズから説明しなければ、ウィニアは信じなかっただろう。確かに突拍子も無い話で、素直に信じるのは難しい話だ。侍女の先輩であるローズが語る話だから、何とか飲み込んでいる様に見える。
「よく考えてから答えを出して下さい。魔法は使い方を間違えると体に害があるそうです。それに、魔法が使える事は無暗に話すべき事ではありません。アレクセイ様の事を絶対に外に漏らしてはいけない様に、魔法使いである事も隠さねばならなくなります」
「リンザ姉様にもですか?」
ローズが俺の方を見たので、俺は黙って頷いた。隠し通す事は不可能だろうが、俺が言う前にリンザからラシッドに伝わる様な事は避けたい。そもそもあいつは、アレクセイを面倒事扱いして抹殺を主張していた。今の状態のアレクセイは簡単に殺せる。ラシッドへの対応は慎重にしたい。
俺の意図を汲んだローズは、小さく頷いてから視線をウィニアに戻した。
「はい。リンザにも秘密です。隠し通せないなら、魔法を覚えるのは止めた方がいいでしょう」
ウィニアはローズをじっと見た後、少し考えてから言った。
「やります。私にもお手伝いさせて下さい。秘密は守ります」
「いいのかね?」
アリ先生が身を乗り出してそう言うと、ウィニアはアリ先生の方を向いて言った。
「アレクセイ様をお助け出来るなら、やらせて頂きます」
「あんたは優しい子だね。ありがとう、ウィニアさん」
アリ先生がそう言うと、ウィニアは少し驚いた後、はにかんだ笑みを見せて頷いた。ローズもナジームも可愛いと言っていたが、確かにこれは愛らしいと俺も思う。
「ウィニア殿、本当にいいのか?」
ふと見れば、ナジームが真剣な顔でウィニアに聞いていた。
「はい。頑張ります」
ナジームはウィニアの答えを聞いた後、少し考えてから言った。
「アリ先生、俺の異能をアレクセイの体に流して、魔法燃料を減らす事は出来ると思いますか?」
ナジームの思いがけない積極的な発言に、アリ先生も驚いている。
「それは……ううむ」
アリ先生が考え込む。
「しこりの様に特定の場所のみを壊すのとは訳が違う。体の内部にお前の異能が強い影響を与えてしまった場合、アレクセイの安全が保障出来ない」
ウィニアとローズの前だから言葉を濁しているが、異能が全身を巡れば、最悪アレクセイは一瞬で消滅する事もあり得ると言う事だ。ナジームもそれを理解したのか、顔を強張らせて応じた。
「分かりました」
その後、今後の事について、ウィニアとローズを交えて学者二人が相談を始めた。
「どうしてあの様な事を言ったのだ」
話を邪魔しない様に、小声でナジームに聞く。リヴァイアサンの騎士の異能で魔法燃料を消すと言う提案の話だ。
「この館にウィニア殿が通う事になった場合、立場が更に悪くなるのではないかと……」
魔法を使う為となれば、毎日になる。それはローズも同じで、二人が頻繁に出入りすると言う事になれば、ナジームの婚約者であるゾーヤに対する興味や憶測が強くなる事は確かだ。
「ゾーヤが病気で死ぬと言う筋書きは元々考えていた事だ。丁度いいとは思うが、ウィニアから聞き出そうと、影で声をかけて来る者は増えるだろう」
ナジームは不安そうに言う。
「……海賊討伐となった場合、心配です。騎士が出払ってしまいますから」
忘れていた。ほぼ本決まりとなっている討伐が行われれば、俺はまた数か月ポートを留守にする事になる。少し考えて言った。
「事情を話して、俺がポーリアに残れる様に兄上と調整してみよう」
俺が行かなければいいのだ。元々、長い間海洋訓練を欠席していた。今回も欠席すればいいのだ。
アレクセイの状況報告も兼ねて、俺は翌日の夜、早速クザートの館に出向いた。
「いらっしゃい。ジル叔父様!」
「ようこそおいで下さいました」
モイナとディアが笑顔で出迎えてくれた。
モイナは、更にクザートに似てきている。しかし笑い方がディアにそっくりで、二人の子供なのだとしみじみ思う。
クザートはまだ帰宅しておらず、ディアが鮮やかな手つきで茶を淹れてくれた。所作がローズと全く同じだった。パルネアの侍女の所作と言うのはやはり講習で習うだけあって、洗練されている。
「最近、日勤でも帰りが遅いのです」
ディアの話だと、海賊討伐の準備で夜勤の時間まで仕事漬けになっているらしい。……アテにされているなら、ちょっと言い辛いなと思っているとクザートが帰って来た。
食事がまだだと言う事で食べ終わるのを待ってから、談話室で話す事になった。
「もう寝る時間だ」
クザートがそう言うと、モイナが唇を尖らせた。
「せっかくジル叔父様が遊びに来てくれたのに、ここに居てはだめなの?」
俺の隣に座って不服そうにしているモイナを、ディアが促す。
「本を読んであげるわ。だから今日は寝ましょう。ね?」
「……分かったわ。ジル叔父様、また必ず遊びに来てね。おやすみなさい」
口調に反して、跳ねる様にモイナは立ち上がると俺に頭を下げる。ディアの読み聞かせが嬉しいのだろう。
「ああ。おやすみ」
こうして二人が居なくなり、俺とクザートだけになった後、俺は事情を説明した。クザートは渋い顔になって言った。
「つまりアレクセイは意識不明で、魔法での長期療養になる。その状況を放置して海賊討伐には行けないと言う事か」
「はい。俺は残りたいと思います。ローズもウィニアも、守る者が必要です」
クザートは腕組をして目を閉じる。何か考えているのだ。
「確かに、お前と俺くらいしか、ポーリア全体に異能で網を張れるリヴィアサンの騎士は居ない。留守をお前に頼めるなら海賊退治に専念できると言うものだ。ただ、俺の力は視覚的に認知出来ないからポーリアでも使い勝手が良いが、お前の場合そうもいかない」
かなり前、昼間に逃げた犯罪者を探索するのに使って日食と勘違いされた事がある。……真っ黒に空気が染まるからだ。かなりのパニックになった。
「まぁ……異能をそんな風に使わねばならない事態はまず無いだろう。分かった。パルネアのシュルツ陛下がこっちに来る前の事前調整もある。残ってくれるなら、そっちも頼む」
「任せて下さい」
俺が海賊討伐に行かないと言ったら、申し訳ないがほっとしたとローズは言った。こうしている内に、俺とローズのもらった休みは終わり、出仕が始まる事になった。




