アレクセイの病気
ニルガナイト……ロヴィス産の鉱石で飴色をしている。貴金属としての価値は無く安価で、匂いを消す性質がある事からポートでも広く出回っている。一般には知られていないが、魔法封じの特性を持つ。魔法適性のある人間には苦く感じると言う特性もある為、魔法適性を調べるのにも利用できる。
ウィニアを連れたローズが出て行った後、俺はアレクセイの様子を見ながらアリ先生に状況を聞く。
「熱さましを少し飲ませたが、効果が無い」
アレクセイの手に触れてみれば驚く様な熱で、思わず手を引いた。ポート熱はポートに住む者は人種に関わらずなる病気で、一度かかるともうかからない。大人の方が症状が重いものの、意識が無くなる程の重篤な症状の者は見た事が無い。……今のアレクセイには、意識が無い。
「多分、あのしこりがあるせいだ」
鎖骨の上と足の付け根。アレクセイには、他の者には無いしこりがある。
「熱を貯め込んでいる」
アリ先生はウロウロと歩き回りながら、呟くように言う。
「しこりが、魔法燃料と熱を区別できずに溜め込んでいる……間違いない」
ハザク様の仮説では、アレクセイの体のしこりは魔法燃料の貯蔵をしている場所なのではないかと言う事になっている。他の者には無い事もあり、否定要素が無い。実際、魔法燃料の計算が出来るアレクセイは、魔法を練るのがそう上手い訳ではない事も分かっている。それでも大きな魔法を使う事が出来る事から、そうなのだろうと言う結論になったのがつい先日の事だ。
「熱を下げる方法はないのですか?」
俺でも分かる。この高熱が続けばアレクセイはもたない。
「薬が効かないのだ」
「ローズもハザク様も、薬は効きます」
「そうだ。魔法使いだからではない。全て、そのしこりが原因だろう」
年を取らない体、熱を貯めこみ、薬を無効にする。アレクセイの体に長い鍛錬で出来たと考えられるしこりが起因しているとしたら……。
アリ先生はナジームの方を見た。
「……ナジーム。しこりを壊してくれ」
ナジームも俺もアリ先生を凝視する。
「む、無理です!」
ナジームが叫ぶ。
「いや、お前の力が最も適している。他の者ではアレクセイもろとも消してしまう」
アリ先生の言い分にナジームは戸惑っている。
「そもそも、リヴァイアサンの騎士の異能を医療行為に使うなど……聞いた事がありません。それに魔法使いは、俺達の力で消えてしまうとおっしゃったのは先生でしょう!」
裏返った声でナジームが言うと、アリ先生は言った。
「確かにそう言った。本来は魔法使いを消し去る力だからな。しかしお前の力は特殊だ。だからアレクセイのしこりだけを消す事も出来る筈なのだ」
「せめて、ハザク様をここに呼ぶまで待ってもらえませんか?ナジームにも心の準備があります」
俺がそう言うと、アリ先生は厳しい表情になった。
「熱が上がり続けている。考えている以上に限界は早く来るぞ」
一刻の猶予も無い事になる。ハザク様に使いを出して待っている内にも、アレクセイは死ぬかも知れないのだ。
「無理は承知。やるのか?やらないのか?」
迫るアリ先生に、ナジームは青くなって言う。
「罪人を殺す事は躊躇いませんが、救おうとしている人間を死なせるのは……」
アリ先生は不敵に笑った。
「失敗しなければいいのだ。道は一択」
アリ先生はカッと目を見開いて言った。
「四の五の言わずに言われた通りに動け!」
「はい!」
……アリ先生は怖気づくナジームに喝を入れた。子供の頃からそうだった。この人の無茶は、いつも誰かを救う無茶だった。俺はそれに救われた一人だ。実際、言う通りに動く以外出来る事が無い。黙って見守っていてもアレクセイの容態は好転しないだろう。
喝の入ったナジームがベッドの脇に立ち、アリ先生が隣に立つ。
「血流を感じろ。力を決して血流に乗せるな。……しこりにだけ力を留めろ。お前の力は地上ではとても弱いから、調整して使えば、しこりだけが壊れる。お前の異能と空間把握能力があれば、アレクセイを消し去る事は無い。お前なら出来る」
ナジームを少しでも手助けする為、俺はベッドの反対側に立ち告げる。
「俺も力加減は見ている。できるだけの事はやってみよう」
「はい」
アリ先生は、ナジームの手を掴むと、アレクセイの鎖骨の上へと移動させる。
「ここだ。分かるな?これは首に通じる太い血管の一部が膨れ上がって硬くしこりになっているとハザク様も私も推測している。この血管の内部に魔法燃料を貯めている硬い物があると想像しろ。それを壊せ」
アリ先生の言葉に、ナジームは目を閉じて想像している。……空間把握能力に長けているナジームの事だ。アリ先生の言葉と触れた感触から、イメージは掴めている筈だ。
ナジームは更に目を閉じたままアレクセイの体に触れていく。しこりに繋がる血管を辿っているらしい。再び手がしこりに戻ってきて少し触れると、ナジームは目を開いてアリ先生に言った。
「体表面を滑って、力が届きません……。少しだけ切ります」
ナジームが手を差し出すと、アリ先生はランプの火を点けて、それであぶったメスを差し出した。医者もどきのアリ先生が切るよりも、ナジームの方がこの手の作業は向いている。薄く血がにじむ程度にしこりの真上の部分の皮だけ切ると、ナジームはその傷に指を当てる。途端、小さな稲妻の様なナジームの異能が、指からしこりに流れていくのが見えた。傷口から、異能が入り込んだのだ。
アリ先生の推察は正しかったらしく、ナジームの異能は滲んで広がる事無く、しこりへと辿り着く。硬いしこりの内部を、異能がぐるぐる回っている。俺の異能であれば、綺麗な水に落とした汚水の様に拡散し、アレクセイを消滅させていただろう。
俺達を育て、研究を続けているアリ先生の見立ては間違いなかったのだ。しかし、まだ力が弱く、しこりを壊す程になっていないのは、俺の目にも明らかだった。
「まだ力が足りないな」
「はい」
俺の言葉に、ナジームは異能の出力調整を繊細に行う。少しづつ、出力を上げていく作業は神経を削る。ナジームの額に汗が滲んで、アレクセイの上に落ちていくが、俺達はそれを気にしている余裕が無い。そして、とうとう異能の力に耐え切れずにしこりが崩壊した。
「壊れた!」
俺の声と同時に、ナジームは力を自分の中へとひっこめ、その場にどさりと座り込んだ。
アレクセイは生きている。アリ先生が慌ててアレクセイのしこりのあった鎖骨の上を触診する。やがて大きく息を吐くと、アリ先生は座り込んだナジームの頭をグシャグシャとなでまわした。
「よくやった。後三つだ」
「あ……」
しこりは四か所だった。終わった気分でいた俺の口から間抜けな声が出た。
「休憩させてください」
ナジームは座り込んだまま言う。
「分かった。……アリ先生、ローズ達に事情を少しだけ話してきます」
「そうだったな。頼んだぞ」
俺はすぐさま速足で部屋を横切り、話し声のする隣の部屋の扉をノックした。
「ローズ、居るか?入るぞ」
「はい」
返事と同時に中に入ると、ソファーに並んで座っているローズとウィニアが見えた。
「話の途中で済まない。……アレクセイは今施術中だ。俺が呼ぶまで部屋に入らないでくれ」
ナジームの気が散る様な事があっては、アレクセイの命に関わる。一番最初に伝えておかねばならない事だったのに、俺も動揺していたからさっき気付いたのだ。
「「え?」」
二人共同時に顔色を変えて腰を浮かせる。
「結果は後で知らせる。何時になるか分からないから、この事を使用人達にも伝えて、部屋に来ない様に伝えて欲しい」
「分かりました」
「あのゾーヤちゃん……じゃなくてアレクセイ様のご容態は……」
「今のところ生きている」
ウィニアが真っ青になった。ローズがそんなウィニアの肩を抱き寄せながら言う。
「ちゃんと、助けてくれるのでしょう?」
救うのは俺ではなくナジームだから、頬を指でかく。説明は後にしたい。言えば更に不安にさせるだけだろう。
「とにかく、助かると信じて待っていてくれ。出来る限りの手は尽くす」
伝えるべき事は伝えたので、俺は早々に部屋に引き返した。
水差しの水をコップに注いで飲んでいるナジームは、飲み終わると大きく息を吐いて言った。
「続きをやります。ジルムート様、補助をお願いします」
「分かった」
ナジームの元々持つ才能と慎重な性格もあり、しこりは無事に四か所、消滅する事になった。アレクセイは生きていて、熱はあるものの危険な程の熱ではなくなった。相変わらず意識が無いままで、それだけが唯一の心配だった。
疲労困憊状態でソファーに座っているナジームに食事をとらせる為、俺はローズ達の居る部屋に行った。しかし二人の姿は無く、階下からいい匂いがしていた。……何かしていないと落ち着かなかったのだろう。食事の準備をしているらしい。
階段を下りて台所に行くと、一斉に中の人間が俺の方を向いた。
「アレクセイ様は?」
駆け寄ったローズに言う。
「意識は無いが、熱は落ち着いた」
ローズがほっとした様子になった。
「交代でいいから食事をとって。看病であれば、私やウィニアも出来るから」
俺が頷くと、ローズが不安そうに言った。
「ウィニアは倒れた時を見ているから、ずっと心配したままなの。……良ければ、早く様子を見せてあげて」
ウィニアは表情が硬い上に顔色も悪い。目の前で人が倒れるなど、そうそう起こる事ではないから、心配なのだろう。確かにこのままにしておくよりも、熱が落ち着いた様子だけでも見せた方がよさそうだ。
「ローズ、ナジームとアリ先生と俺は食事をするから、食堂に準備を頼む。……ウィニア、一緒に来てアレクセイの様子を見るか?」
「はい!」
ウィニアは、弾かれた様に返事をした。俺は再びローズの方を見て続ける。
「後、ハザク様にアレクセイの事を連絡してもらえないか?呼びつけて悪いが緊急事態だ。できれば来て欲しいと。ここの使用人を使ってもいいし、うちの使用人を呼んでもいい。ハザク様が来られたら、お前にも詳しく話をするからそのつもりで居てくれ」
ローズは頷いた。
「分かった」
長年あったしこりを一気にすべて取り除いた。その影響は、ハザク様の考えも聞かなくてはならないだろう。
ローズが促すと、ウィニアは俺に黙って付いて来た。アレクセイの寝ている部屋に連れて行くと、俺がアリ先生やナジームと話している間、ベッドの側で不安そうにアレクセイの様子を見ていた。
「熱は下がっている。心配するな」
俺が言うと、ウィニアは不安そうにしながらも頷いた。
「ローズにはどこまで話を聞いた?」
「本名がアレクセイ様と言う事と……グルニアの王子様だとお聞きしました」
「そうなのだ。ウィニアも知っている通り、ミラ妃の事もあって立場が複雑なのだ。それでナジームの婚約者であるゾーヤとして連れてくるしか無かった。この事は機密事項だ。誰にも言ってはいけない。分かったな?」
「はい」
ウィニアは緊張した面持ちで頷く。序列一席の騎士からの命令だ。破る事は法を犯すに等しい。
「あの……もし、看病などのお世話で人手が足りない様でしたら、私もお使い下さい。弟妹の世話で慣れております」
心配なのだろう。ナジームの館には堅実な使用人が何人も居るから、ウィニアの手を借りる事は無さそうだが、気持ちは受け取る事にした。
「分かった。困ったときには頼もう」
すると、ナジームがウィニアの方に歩み寄って言った。
「見舞いに来たければ、いつでも来て良い。俺が居なくても入れる様にしておく」
「感謝します。ナジーム様」
ナジームの言葉に、ウィニアはナジームの顔を真っ直ぐに見て返事をした。……ナジームの顔を恐れていない。どうやら慣れた様だ。それでナジームから声をかけたのか。
その後も、ベッドの側からウィニアが離れないのでそのままにしておくと、ローズがハザク様の所に使いを出した事と食事の準備が出来た事を伝えに来たので、俺達は食堂で食事をする事にした。ウィニアはアレクセイを看ていると言うので、任せる事にした。
「あの子はどういう素性なのかね」
アリ先生が言うので、ナジームの嫁にと考えていたランバートの養女である事を話すと、思い出したように大きく手を打った。
「そんな話があったな。……後で念の為にニルガナイトを使って魔法適性を確認しておけ」
アリ先生の言葉に、俺もナジームも、給仕をしていたローズもきょとんとする。
「ポート人であの娘の様に目の色が赤みがかっている者は魔法適性者である事が多い。クルルス様の瞳も本当は青いのだが、魔法適性の強さ故に強い赤みを帯びて紫色に見えるのだ」
ウィニアの目が赤みがかっているなど、俺は気付かなかった。アリ先生がそれに気づいた事に驚く。
「よくお気づきになられましたね」
ローズは知っていたらしく、驚いて言う。
「光の角度によって少し光彩が赤く見える程度だから、普段は普通に青く見える筈だよ」
何でもない事の様にアリ先生は言うと、スープを口に運ぶ。
「ウィニアは赤く目が光ると言われた事があるみたいで、気にしていたのです」
「またそれは悪意のある物言いだ。見目も良いし、大人しそうだから攻撃されたのだろうな」
「そうなのです。城に出仕しているのですが……そういう事を言われても、ウィニアは聞かなかったふりをして耐えています」
「あまり元気が無いと思ったが、アレクセイの事だけではなかったようだな。城の小鳥は一羽では何も出来ないのだが、群れると残酷な囀りをする個体が現れる。難儀な事だ」
アリ先生がしみじみと言う。
ナジームが眉を下げてローズの方を見た。
「ウィニア殿は、その様な事を言われているのですか?」
ローズは頷くと、少し言い辛そうに言った。
「はい。守り切れなくて……可哀そうな思いをさせています」
ローズの言葉に、ナジームは何か考える様子でじっと机を見ていた。




