ウィニア・ザイルの恋情
お茶会には、リンザとウィニアを招待した。ウィニアに素直な心情を話してもらうなら、姉のリンザの存在は必須だと思ったからだ。
幸い、手紙を出した翌日が休みで、姉妹揃って来る事になった。……元々、ウィニアとリンザの勤務はできるだけ揃える様になっていた。ウィニアを一人にすると、行き帰りに絡む侍女がいるのだ。
ジルムートは朝から館を出て行った。昼もいらないと言われた。行き先は……聞いていない。と言うか、一緒に居るには居るが、必要な事以外こちらから聞いていない。
本当なら今の状況を飲み込んで、ジルムートと普通に接するのが一番良いのは分かっている。周囲もジルムートもそれを望んでいる。そうすべきだと自分でも分かっているのに、そう出来ないのはジルムートが私の仕える主ではなく、夫だからだ。
ジルムートとは、諦めていた恋をして結婚した。これは前世で親の離婚を目の当たりにしている私にとって、かなり勇気が必要な決断だった。それだけにジルムートに仕えるのではなく、一緒に生きて行くと考えたかったのだ。
男女が平等ではないこの世界で、この考え方は間違っているのかもしれない。でも前世の考え方が根底にある私からすると、好きになった相手にただ服従するのは無理だ。
服従ではなく、ジルムートの気持ちに寄り添いたいとは思う。今回の事についても、ジルムートにも言い分があるだろう。でも、今は聞く気になれない。海賊討伐の話まで聞いてしまったせいだ。また居なくなるのだ。私と一緒に居たいと言う癖に、自分は私が会いたくても会えない場所に行ってしまうのだ。それが許せない。
とは言うものの、ジョゼに聞いてみれば、私がポートに来る前には、度々海洋訓練や犯罪の取り締まりなどで、館を空ける事があったらしい。私がラシッドに狙われていると言う特殊な事情があったから、兄弟が護衛をしつつ、それらの訓練や取り締まりをジルムートが欠席して一緒に居てくれた様だ。……序列一席の特権をそんな所で乱用していたとは。
ラシッドの侵入は、流石にジョゼやマクシミリアンが強くても防ぐ事は出来ない。そのラシッドも、もう私を殺そうなどとは思っていない。うちの使用人は強い。もう私の為にジルムートが大きな捕り物や海洋訓練を欠席する必要はないのだ。
長い間、それだけ大事にしてもらっていたのに、怒っている自分の方が悪い様な気もする。
ため息を吐きながらお茶を用意していると、来客の知らせがあった。
「お招きありがとうございます」
リンザがニコニコしてそう言うと、ウィニアも同じく笑顔で挨拶をした。
ウィニアはとても我慢強い。年相応よりも中身は大人びていて、諦観している部分があるせいだ。こちらとしては助かるが、可哀そうだとも思う。
ウィニアは借り腹として売られる予定で部屋に閉じ込められている時に父親が捕まり、危機を脱した。……見張り付きの部屋に閉じ込められ、父親から何か酷い事を言われた後だったそうで、リンザも何を言われたかウィニアが言いたがらないから知らないらしい。相当酷い暴言だった様で、これが大人びた原因だとリンザは言っていた。
二人を招いて談話室に入れると、リンザが言った。
「まさかお休みの間にローズ様にお会いできるなんて、思っていませんでした」
何故そんな風に思うのか首を傾げると、リンザは続けた。
「ジルムート様が一時も離してくれないって話になるのではないかと」
……そうじゃなかったよ。現実はそんなに甘くない。
なんて苦笑しつつ思う。男女の甘い関係だけをずっと考えていられる人ではなかったのだ。
暫く城の状況を聞いていると、リンザが言った。
「そう言えば、ナジーム様の婚約者の方はお会いになりましたか?大層な美少女だと聞いたのですが」
「そうですね。綺麗な方です」
女の子じゃないけど。
「グルニアの美少女と恋に落ちる強面の騎士と言うのが、城で旬の噂になっています。プリシラが会いたいと言っていましたが、無理ですよね?」
服の事だろう。……触ったり採寸されたりしたら、男だとバレてしまう。勿論却下だ。
「採寸の為に、挨拶もそこそこに触る気なのでしょう?諦める様に言っておいて下さい。ポート城侍女の品格に関わりますから」
「あはは。伝えておきます」
プリシラ回避に内心安堵する。プリシラはミラの服を一手に手掛けていた。アレクセイが姉弟である事に気付く可能性があるから、会わせたくない。
「プリシラだけでなく、噂をするような女の子をナジーム様はゾーヤに会わせたりしません。お優しい方ですから」
ウィニアが気まずそうに言った。
「私、出仕したての頃にナジーム様にとても失礼な事をしてしまって……本当はとても優しい方なのだと、ラシッド兄様とセレニー様にお聞きして、お詫びをしたいとずっと思っていました」
思いがけず転がり込んだ話題に、食いつく事にした。
「そうですね。とても良い方ですよ。……ところで何をやったのですか?」
出仕したてで、上層の内部に不案内だった事から、迷った挙句にナジームにぶつかったらしい。
「あまりに怖いお顔だったので、泣いて殺さないで欲しいとお願いしていたら、落としたシーツを拾って下さった上に、セレニー様のお部屋まで連れて行って下さいました」
ルミカから聞いていた行動とも一致する。詰所の方に来ていたから迷子だと思ってそうしたらしい。良い人なのに誤解されやすい顔なのは不憫だ。
「あの、無理は承知でのお願いなのですが……私をその婚約者の方のお話相手として、紹介して頂けないでしょうか?お会いしている事は、周囲に決して言いませんから」
突然の提案に、私もリンザもウィニアの方を向く。
「私、外国の事って殆ど知りません。でも、お義父さんは私を外国へお嫁に出す為に色々考えて下さっています。それでできれば、外国の方と話をする機会が欲しいのです」
ランバートに恥をかかせない様にしたいのだろう。それでグルニア人であるゾーヤと話して、外国人の雰囲気に慣れたいと考えているのだ。
「勿論、お詫びをしてナジーム様が受け入れて下さったらの話です。年も近いとお聞きしました。異国で心細い思いをされているなら、こちらの風習をお教えして、お助けしたいとも思っています」
ウィニアをナジームの懐に入れるのは、今後の結婚を考えるなら良い事だ。問題は、アレクセイの正体が、ウィニアにバレては困ると言う点。ゾーヤとして振る舞う事に慣れているアレクセイが、話をしているだけで正体を悟られるとは思えないが、ジルムートに話をして、あちらの了承を得てからでなくてはならないだろう。
「分かりました。ジルに相談してみます」
ウィニアは嬉しそうに両手を組んで笑顔になった。
その後、ランバートが作ろうとしている政治塾が如何に素晴らしく優れたものなのか、楽しそうに話すのを見ていて……気付いてしまった。ウィニアが誰を好きなのか。ふと見れば、リンザの笑顔も少し曇っていた。姉としては心配に違いない。世の中は単純じゃない。どうしてこう上手く行かない事ばかりなのだろう……。
姉妹が帰った後、暗くなってからジルムートは帰ってきた。何処に行っていたのか分からないが、言わないのだから聞かない事にした。私だけが一緒に休みを過ごしたいし、夫が何をしていたか気になるなんて……言いたくない。言うにしても、責める様な物言いになるのは目に見えている。本当はとても気になるが、触れない事にした。
「茶会はどうだった?」
ジルムートから質問があって、私は茶会でウィニアが望んだ事についてジルムートに話した。
「アレクセイ様が嫌なら止めた方がいいけど、そうでないなら、ウィニアとナジーム様に対話する機会になるし、悪い話ではないと思う」
「……確かにそうだな。ハザク様の所で明後日会うから、その時に確認しよう」
ジルムートの決断で話は終わり、私は部屋に引き上げる事にした。
「何か、する事があるのか?」
「ファナの館で茶会を開くから誘われているの。返事を書きたいから」
ファナは無事に赤ちゃんを産んだ。男の子で、名前はレオンハルトと言う。長いので、レオンと呼ばれている。レオンのお世話はあるもののファナは少し寂しいらしいので、リンザと一緒に会いに行く事にしたのだ。
実はコピートは自分の名前が、父親のピートに「息子」に当たる「コ」を付けて、安易にコピートと名付けられた事に納得していなかった。コピートと言うのは、ピートジュニアと言う意味なのだ。それで、息子には立派な名前を付けた。しかしその名前を略称で呼ぶ人が多く、コピートはちょっと落ち込んでいる。
「リンザが夜勤の日だから、お茶の時間から夜勤の前までくらい。ジルがダメって言うなら断る」
アネイラの所へ行ってはいけないと言われたので、一応確認する。するとジルムートは首を左右に振った。
「いや、行って構わない」
「そう。だったら行くって返事を書くわ。……寝るときには寝室に行くから」
物言いたそうなジルムートを置いて立ち去るのは何となく罪悪感があったが、それだけ言って立ち去った。嫌な話を聞きたくないと思うと、対話を断ち切るのは私の悪い癖だ。
手紙の返事を書きながら、今日の茶会で見たウィニアの様子を思い出す。
ウィニアはひたすらにランバートを慕っている。その気持ちは父親への思慕とは明らかに違う。アネイラがマルクと引き合わされた事でどうなったのか。それは絶対に知られてはいけない。好きになった人の所業に深く傷つくだろう。
喪った妻への気持ちが強くてジルムートと私に悪意を向けたランバートが、ウィニアの気持ちを受け入れる事は無いだろう。ウィニアもランバートの中に亡くした妻と娘が存在している事を理解している筈だ。それでも好きなら、本当に強い気持ちだ。
どうして自分ではダメなのかと、ルミカとの恋に破れて泣いたアネイラ。あの時の事を思い出すと、自分の事ではないけれど胸が苦しくなる。ウィニアも同じ思いをしているのだとしたら、あまりにも悲し過ぎる。何が出来るかは分からないけれど、出来る限りの手助けをしたい。
ウィニアの為に出来る事があるなら、私の休みが潰れたのも悪い事では無かったのだ。
頬を軽く両手で叩く。……気持ちを仕切り直そう。行き止まりの恋に苦しんでいる後輩を見て、煮えていた頭が冷えた。
私は寝間着に着替えると、迷いなくジルムートの寝室の扉をノックして中に入った。まだ着替えていないジルムートは、書類から目を上げ、驚いて私を見ている。まだ来ないと思っていたのだろう。
勢いよく中に入ってみたものの、急に口の中が渇いて来る。……ウィニアの事が大事だから、今はそちらに集中するのよ。自分を励まして声を出す。
「話しておきたい事があるの」
ジルムートが椅子から立ち上がり、私の方に歩いて来る。
「聞こう」
二人でソファーに並んで座ると、ジルムートは私をじっと見て待っている。
「今日のお茶会で気付いたの。……ウィニアは、ランバート様の事が好きみたい。多分、本気」
ジルムートは唖然とした後、困ったような顔をしてため息を吐いた。
「ナジームとあまりに違うではないか」
ランバートは武芸に縁のない人だ。金持ちだから、オシャレで身に着けている物のセンスはすごく良い。顔立ちも柔和だ。凶悪な人相に傷まである上に、着られる物なら何でも良いと適当な服を着て園芸に勤しんでいる人とはあまりに違う。
「私もそう思う。それでね、ウィニアはランバート様の事は諦めて外国にお嫁に行く気でいるの。だからゾーヤの話し相手をしたいと言って来たのよ」
「好きなのに、離れるのか?」
「実らない恋だと分かっているのよ。だから諦めて、相手の望む様にしてあげたいって思っているの」
「何故、そうなる?」
好きな人を諦めて手放した事の無いジルムートには、すぐに理解できない事の様だ。
ジルムートは、私を義妹にしたとき、私がジルムートを好きになるかどうかなど一切考えなかったと後で聞いた。誰のものにもならなければ、それで良かったそうだ。……好きな人の事ではあるが、背筋が寒くなる話なので、あまり思い出さない事にしている。
「頑張っても振り向いてもらえないなら、諦めるのが普通なの。好きな相手が別の誰かを好きだなんて……心が壊れてしまうもの」
今のジルムートなら分かる筈だ。無表情で黒い異能を垂れ流していた頃とは違う。
「ランバートは亡くした妻に執心しているのだったな……」
私は頷いて言った。
「もしランバート様がウィニアを受け入れるとしたら、それも私は許せない」
アネイラがあんな目に遭ったのだから、ウィニアの為でもそれは嫌だ。
「……そうだな。それにしてもウィニアに慕う相手が居るとなると、かなり問題があるな」
別の男性を慕っている女の子を妻にしてくれだなんて……ナジーム相手でなくても、言い出し辛いに決まっている。私はこちらを見るジルムートを見返しながら聞いた。
「どうしたらいいかな?」
ジルムートは戸惑って視線を彷徨わせる。私もジルムートも、言う程の恋愛経験がある訳ではない。はっきり言えば、この手の話題は荷が思い。
「とりあえず、アレクセイの話し相手をしてもらう事で様子を見てはどうだろうか。ナジームの事をどう思うかは別にして、アレクセイは知識も豊富で話も上手い。話す分には、ウィニアの気晴らしになるだろう」
「問題は、アレクセイ様とナジーム様が了承してくれるかどうかね」
「俺からも事情を通しておこう。ウィニアを哀れと思うなら、二人共男だ。断るまい」
ジルムートの言う通りで、ナジームもアレクセイもウィニアの来訪を断らなかった。




