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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
英雄と魔法喰いの誕生
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痛みの原因

「痛い!」

 アレクセイは鎖骨の上の部分に触れると、酷く痛がった。

「そんなに強く押していないのだがな」

「痛いと言っているのに!いたっ!」

 アリ先生は、痛がる部分を更に押すので、アレクセイが抵抗し始める。

「ルミカ、押さえておいてくれ」

「痛いなら言ってくれと言ったではないか!」

「それで止めるとは言っていない」

 アリ先生はこうなってしまうと、聞く耳を持たない。ルミカは肩をすくめてアレクセイを背後から羽交い絞めにする。

「ルミカ殿!やめてくれ。いたたたた!いたい、いたい!」

「ふむ……」

 アレクセイの情けない声を聞きつつ、酷い光景にため息を吐く。

「ジルムート、上着を脱げ。同じ場所を押すから、痛いかどうか教えてくれ」

「はぁ」

 仕方ないので上着を脱ぐと、アリ先生の前に跪く。

 アリ先生がアレクセイの痛がったのと同じ場所を押すが、俺は特に何も感じない。それを告げると、アリ先生はルミカを見た。

「ルミカ、お前もだ」

「へいへい」

 ルミカも上着を脱いで同じ様に上半身を晒すと、アリ先生の前にしゃがむ。

「痛くないですよ」

 そこで視線はアレクセイに戻る訳だが、アレクセイは茫然と俺とルミカを見ていた。……何かおかしかっただろうか?

「アレクセイ」

 アリ先生に声をかけられ、驚いてからアレクセイは返事をした。

「な、何だ?」

「もう一度押してみていいか?」

「って、もう押してる。いたたたた!」

 アリ先生はアレクセイの首元をさんざん押して解放した後、腕を組んで考える。

「ハザク様、触らせて頂いてもよろしいですか?」

「ああ、構わない」

 ハザク様の首元をくつろげると、アリ先生は鎖骨の上に触れる。

「どうですか?」

「特に痛みは無いな。……ここを押すのは、案外肩こりに良さそうだ」

 ハザク様は、痛いどころか気持ちよさそうだ。

「ジルムート、ローズさんを調べて来なさい」

「今ですか?」

「今だ」

 アリ先生の断言にどうしようか迷っていると、ハザク様が言った。

「隣の部屋が書庫だ。使ってくれていい」

「では……」

 俺は上着を着て、台所で皿を用意しているローズを手招きした。

「盛り付けて出すだけなの。もう少し待ってて」

「食事の話じゃない。ちょっと来い」

 ハザク様の使用人に後は任せる旨を伝え、ローズの手を引いて書庫へ連れて行く。埃っぽい書庫に入ると、ローズは怪訝そうに俺を見ていた。

「何?」

 俺はアレクセイについて、鎖骨のすぐ上を押すと痛がる話をした。

「それで、お前も調べて来いとアリ先生が言うから、調べさせてくれ」

 ローズは事情を理解すると、服の上から鎖骨の少し上の部分を自分で押している。

「痛くないよ」

「俺が押して確認してもいいか?少し服を寛げてくれ」

「分かった」

 ローズが襟元のボタンを二つ程外したので、そこから手を入れて、鎖骨の上の部分を押してみる。ローズに痛がる様子は無い。

「そんな所が痛いだなんて、病気?」

 服を整えながら、ローズが聞く。

「分からん」

 アリ先生に報告しなくてはならないが、その前に……ローズを抱きしめる。

「ちょっと!」

「少しだけだ」

 ローズは抑揚の少ない声で言った。

「ジル、私も仕事人間だって言われているけれど、あなた程じゃないの」

 突然の言葉に俺は戸惑う。抱きしめているのに、何故仕事人間だと言われなくてはならないのだろう。感情を抑えた声に妙な焦りを覚える。

「俺はローズが居ないと仕事に身が入らない」

「嘘つき」

 ぐっさりと刺さる言葉に息を呑む。

「さっき馬車で海賊討伐の話を聞いた時、凄く嬉しそうだった。私の事なんて忘れていたでしょう?」

 ローズの言う通り……俺は、グルニアで行き場を失った感情をぶつける相手、それも遠慮の要らない相手が存在する事を喜んでしまっていた。でも、ローズの事を忘れていた訳ではない。

 何とか反論しようと考えていると、ローズは話を打ち切った。

「行きましょう。この話は今する話じゃないわ」

 俺はローズをすぐに説得できるだけの言葉を持たないから、従うしかない。

「分かった……」

 扉を開けて中を覗く。

「ローズを連れて来たのですが、入れてもいいですか?」 

 ルミカもアレクセイも既に上着を着ていて頷くので、俺はローズと共に部屋に入った。

「グルニアでは医者が触診をしないのか?」

 アリ先生が、アレクセイを尋問中の様だ。

「するが脈を測るとか、瞼の裏を見るとか……その程度だ。こんな場所を押す様な触診など、聞いた事が無い」

「ポートでは、触診で首元や耳の後ろも触診する」

「何故そんな事をするのだ」

「その部分が腫れている者は、病気である事が多いのだ。そう言う部分を押して痛がる者は、内部に腫れている部分がある。だから確認するのだ」

「私は病気と言う事なのか?」

「どうだろうな。本業は学者で、医者はオマケだからな。現実の症例をあまり知らないのだよ」

 アレクセイはアリ先生をまじまじと見た後、絶望的な表情で俺の方を見た。

「……ちゃんとした医者を呼んでくれ」

「お前を、男として診せられる医者が見つかればな」

 アレクセイは、ゾーヤとして普段生きている。女でない事が外に漏れてはならない。アレクセイはがっくりと項垂れた。

「ローズは痛くないそうです」

 俺の報告にアリ先生は頷くと、アレクセイに言った。

「いや、医者の経験は少ないが知識はちゃんとしているつもりだ。首元を調べたら、少し下が普通よりも硬いから押してみただけの事だよ。そこにしこりがある」

 胡散臭そうにアリ先生を見るアレクセイだが、気になるのか、再び鎖骨の上の部分を押して、顔をしかめる。

「皆、ここを押しても痛くないのか?」

 全員が頷くとアレクセイはがっかりした様子で言った。

「この様な場所を無遠慮に押す者などグルニアには居なかった。私自身、ここを押して痛いなど、今日まで気付いていなかった。……グルニア人には無かった発想だ」

「ポートに来て、体調が悪い事は?」

 アリ先生の質問に、アレクセイは首を横に振る。

「暑いだけだ。食事はちゃんと取っている。グルニアでは燻製の魚しか食べた事が無かった。ここの魚料理は柔らかくて美味だ」

 アレクセイはこっちに来てからちゃんと食べているから、体重が増えたらしい。食事が合わないと言う事も無い様だ。アリ先生によれば、痛い部分には何か硬い物があるが、腫れている感じでは無いらしい。熱も平熱で脈も正常。

 外からノックの音が聞こえて、昼食の用意が出来た事が伝えられ、食事になった。

 午後からは再びローズに席を外してもらい、他に痛い場所が無いか、全身をアリ先生が調べると宣言した。アレクセイは絶句していたが、確かに調べる価値はあると思い、誰も反対しなかった。

 それから数時間後、アレクセイはぐったりと座り込んでいた。

「アレクセイ様、大丈夫ですか?」

 ローズが心配そうにお茶を淹れながら尋ねると、アレクセイは小さく頷く。

「魔法の鍛錬よりも辛かった……」

「そんなに痛いのか?」

「痛いなどと言うレベルではない。アリ博士は加減を知らない」

「しこりの大きさや硬さを知りたかっただけだ」

 アリ先生の弁明から、かなり押しているのは間違いなさそうだ。

「鎖骨の上、足の付け根……これは興味深い」

 考え込んでいたハザク様が呟く。アレクセイの痛がる場所は四か所。左右の鎖骨のすぐ上と、足の付け根。そこに触れるとしこりがあるらしい。健康だとすれば、魔法に関係すると考えるのが自然だろう。……しかし俺は思う。しこりがあると言う事が分かった所で、どうするべきなのか分からないと。

「マッサージでほぐせば小さくなったりするのでしょうか?そうであれば、私が……」

 ローズが言うと同時に、俺とアレクセイは叫んだ。

「「やめてくれ!」」

 アレクセイは間違いなく男だ。

「その程度でほぐれる様な硬さでは無かったな。まるで石でも入っているかの様だった」

「硬いのにグリグリと押すのだから、痛いに決まっているだろう。……全く」

 アレクセイはアリ先生を睨む。

「とりあえず、今日はここまでだな。少し考える時間が欲しい。また三日後に来てくれるか?」

 ハザク様がそう言って、俺は頷く。

「分かりました」

 そんな訳でお開きとなり、マクシミリアンが迎えに来るのを待って、馬車でハザク様の館を離れた。

「では、また三日後の朝に迎えに来る」

 ナジームにそう告げて、アレクセイと別れると俺達は館に戻った。その後、ルミカと三人で食事をした後、ローズは手紙を書くからと早々に部屋に引き上げた。茶会の事だろう。

 その頃になって、来客があった。……来たのはクザートだった。

「お前、あれだけ言ったのに……何で帰って来たんだよ」

 俺の顔を見て、開口一番クザートは言った。

「何の話ですか?」

 ルミカがきょとんとしている。談話室で兄弟三人、久々に話す事になった。

 俺に会いに来た時に、夫婦仲を壊す様な事をするなと言い含めた事をクザートが話し、俺は既にかなりの怒りを買っている現状を話した。その途端、ルミカは青くなった。

「うわ、海賊討伐の予定、ローズの前で喋っちゃった」

 クザートが片眉を上げて、隣に座っているルミカを睨んだ。

「その話は、ジルの休暇明けまで黙って置けと言っただろうに」

「だって、兄上はすっかり仕事中みたいになっていたから……ローズは理解しているのだと思って」

「例えそうだとしても、ジルがその話に食いついたらローズちゃんの機嫌が悪くなるのは目に見えていただろうに。休暇が潰れた上に、出仕を始めたらまたジルが館を空ける事になるんだぞ?これで怒らないなら、愛想を尽かされているとしか考えられない」

『嘘つき』

 ローズの言葉が蘇る。……昼間の言葉が、俺の精神をえぐる。抑揚の少ない声に、怒り以上に深刻な何かを感じたのは間違いなかったらしい。

 思わず項垂れて、頭を抱えた。

「俺は、夫失格だ」

「ジル、しっかりしろ。……悪かった。俺が早く訪ね過ぎた」

 クザートが身を乗り出して言う。

「兄上、すいません。俺も迂闊でした」

 ルミカも同じように身を乗り出してくる。

 俺は頭を上げて、二人を見据えて言った。

「だったら、俺がローズに愛想を尽かされない様に、知恵を貸して下さい。このままでは捨てられてしまいます」

 クザートは少し考えてから言った。

「外出できないなら、呼べばいい」

 提示されたのは、宴を開くと言うものだった。クザートだけでなく、既婚の騎士達はパルネアの風習を利用して、妻を周知させる宴を開いたらしい。それをやってはどうかと言う提案だ。

「この宴の肝は、妻への愛情表現による周囲へのけん制だ」

 そう言って、最後に衆目の前でキスをすると言う話をされた。

「……ローズは喜ばないと思います。恥ずかしがりなので」

 確かに大勢が集まって宴を開き、ローズもディア達に会えるなら、気晴らしになるだろう。しかし、それは気晴らしだ。俺がキスできないなら茶会と変らない。ローズにキスする事も出来ていないと言う話は……さすがに兄弟にも出来なかった。

「ディアも嫌がった。凄く抵抗されたよ。でも終わってみれば、満更でもない感じだった」

 意中の相手に好かれていると分かって嬉しくない筈が無い。それも周知させるのだ。横恋慕は勿論、ランバートの様な悪意を持った輩が近づいて来る事も無くなるだろう。

 俺だって、ローズが恥ずかしがりながらも喜んでくれるなら、是非そうしたい。しかし俺が無理なのだ。怖くて出来ない。もしローズが消えてしまったらどうするのだ。それこそ、取り返しがつかない。

「兄上、その宴に関しては保留にさせて下さい」

「良い方法だと思うのだがなぁ」

 クザートは不服そうに言う。

「ローズは目立つのが嫌いですから、強引に宴の主賓にされたら今以上に怒るかも知れません」

 ルミカがそう言うと、クザートは納得した。

「確かに、ジルの帰国の時の式典もかなり抵抗があったみたいだからなぁ。……無理強いは出来ないか」

「どうか別の案もお願いします。ディアに相談してくれても構いませんから」

「分かった。それで……どうして戻って来たのかと、何をしていたのか教えてくれないか」

「……分かりました」

『私も仕事人間だって言われているけれど、あなた程じゃないの』

 あの言葉を思い出して気落ちしつつも、昨日からの経緯を話す。

 話をしながら自分の行動を思い返し、俺はローズと一緒に居る事を嬉しく思いながらも、少し退屈していたのだと気付いた。ローズと居るのは楽しい。勿論ずっと一緒に居たい。しかし家に籠るのは、あのくらいが限界だった気がする。……皮肉にも、ローズが俺だけにしか接していないと言う事で精神的に満たされ、周囲に目が向くだけの気力を得たのだ。俺は自分のそんな変化に、今気が付いた。

 全てを話し終えて茶を飲み干し、俺は呟いた。

「こんな事なら、休みは十日程度にしてもらっておけば良かったです。長い休みのせいでローズを期待させて、怒らせた気がします」

「持て余したか」

「はい。こんなに長い休みは初めてで、休み方が分かりませんでした。外に出掛けられない状況でしたし、何をしたら良いのかも分からず……」

「一か月なんて、子作りしているだけで終わると思っていたのだが」

 クザートが期間を決めたらしい。自分の兄ではあるが、俺もルミカもこの部分に関しては理解出来ない。俺もルミカも、娼館へ自分の為に通った事が無いのだ。

 俺とルミカが半眼でクザートを見ると、クザートは慌てて咳ばらいをした。

「とにかく、ジルの精神的な安定はローズちゃんあってのものだ。それを忘れるな。また異能漏れ状態のお前など見たくない」

「俺も、それは嫌です」

 そう言って、俺はローズの部屋のある辺りを見上げた。

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