海賊
景色に見入るローズの様子を暫く見てほっとする。俺が子供の頃から好きな景色だが、ローズがどう思うか分からなかったのだ。
城には空中庭園と言う出仕していても限られた者しか見られない楽園の様な場所がある。国賓でも入れる者は限られている。あの庭園にしか咲かない花、存在しない鳥も居る。それを思えば、ポーリアの夜明けの景色など面白くないかも知れないと思っていたのだ。
とは言うものの、少しでもローズの機嫌を取っておかなければ大変な事になる。俺は、なけなしの知恵を振り絞り、ここに連れて来た。
「綺麗だね……」
太陽が水平線から出るのを見て、ローズがぽつりと言った。
「俺は好きなのだが、ローズもそう思ってくれて良かった」
俺は向きを変える。片手で抱いているローズの視界も自然に変わる。
「お城……」
ローズが抱えられたまま、見上げる先にはポート城がそびえている。
「じっくり見たのは久しぶりかも」
「そうか。俺も久しぶりだ」
ローズは言った。
「船からポート城を見ると、用水路の水が小さな滝みたいに色々な場所から海に落ちていて、虹が出て綺麗なんだって。セレニー様と、いつか見たいですねって話をした事があるの。ここからだとやっぱり見えないね」
「陸からは見えないな」
「残念」
「……さて、戻るか」
「どうやって?」
「一旦、下に降りて玄関からだな。俺一人なら窓から戻れたが、お前を抱いてとなると無理だ」
ローズが焦って言う。
「降りるってどうやって?ちょっと待って……きゃあ!」
壁を蹴り、高さを調整すれば、この程度の高さは降りられる。
その後、待ち構えていたジョゼに入れてもらったが、身支度をした後でさんざん説教される事になった。寝間着のまま、裸足で屋根に上がるのは大人のする事ではないとか、人に見られたらどうするつもりだったのかとか……。反論の余地は無く、俺は大人しく聞いているしかない。
一緒にローズも文句を言われると思いきや、ローズは被害者扱いになっていた。
「ジルムート様が強引に連れ出したのでしょう?奥様が抵抗できる筈もありませんから。いいですか?ご婦人を寝間着のまま屋根の上に連れて行くなど、騎士のする事ではありません」
ジョゼの言い分は正しい。でも、俺はそのローズが喜ぶと思ってやったのだ。そうしなくてはならない切羽詰まった状況に今はある。
「少しくらいは大目に見てくれないか?」
「いけません。序列一席でだと言う自覚は、忘れてはなりません。そもそも、ジルムート様の素行がポートに与える影響を考えれば……」
ジョゼの説教はその後も続いた。ローズが、俺を見て笑いそうになるのを必死に堪えているのがちらりと見えて、更に情けなくなったのは言うまでもない。おっさんが、爺さんに説教されているのだから当たり前だ。怒っているよりも、笑われている方がマシだと思う事にした。
その後、朝食も終わり、俺達は早速ナジームの館へアレクセイを迎えに行く事にした。
俺が御者をすると目立つので、今日はジョゼの息子のマクシミリアンが御者をしている。拷問人形仕込みの鍛錬で鍛え上げられ、精鋭騎士に匹敵する強さを持ちながら、うちの館で使用人をしている。ローズが「最強の使用人」と呼んでいる男で、年は俺と同じ。愛妻家で、子供が四人居る。今、バウティ家の使用人はジョゼがまとめているが、ルミカが別の館に移り住む時にジョゼはそちらに行くと言っているから、この館の使用人はマクシミリアンがまとめる事になるだろう。
ちなみにマクシミリアンはジョゼの上の息子で、下の息子のパーシヴァルは騎士に復帰しており、序列は現在十八席。今回の出征にも同行していた上層の精鋭だ。マクシミリアンはパーシヴァルよりも強い。……俺の見立てでは、十五席のアルスに匹敵する強さなのだが、マクシミリアンはうちの館で皿を洗って、薪を割っている。騎士は性に合わないそうだ。
ナジームの館から、泊っていたルミカも出てきて一緒に行くと言うので連れて行く事にした。
「ナジーム、来るか?」
「遠慮しておきます」
花の世話をしたいのだろう。ナジームは昨日と一転してケロリとした顔でそう言った。ルミカに全部話をして気分は落ち着いた様だ。
「そうか。ではゾーヤを借りるぞ」
馬車に乗せて向かい側に座っているアレクセイは言った。
「ポーリアは、人がとても多い。しかも色々な人種が居るのだな」
アレクセイは、ここに来てからポーリアを少し見て回ったらしい。それで、自分も紛れて生きて行けると考えたらしいが、外国人の子供が一人で歩いていれば犯罪に遭うくらいには物騒でもある。
「商売になる物は何でも商売に出来る場所がウリだ。騎士団が厳しい分、ロヴィスよりも入国が簡単だから、大勢が商売に来る」
「入国が簡単とはどういう事だ?」
「入る時は殆ど調べない。出る船にだけ厳しい検閲がある」
「それでは、犯罪者が逃げ込んで潜伏したら困るではないか」
ルミカと俺は顔を見合わせて苦笑する。
「俺達の兄は、そういう賊を建物ごと破壊して生き埋めにする。ポーリアの犯罪組織では有名な話だ」
「穏やかそうに見えるが……クザート殿が本当に?」
瓦礫の下から這い出ても助からない。しかも明け方にやるから大抵一網打尽にされる。
……なんて事を朝から話すのは嫌だったので、頷くだけに留める。
「人は見かけによらないものだな」
「それよりも、海賊諸島って呼ばれている場所が、ポート湾を出て暫く行ったところにあるんだけど、ローズは知ってる?」
「知りません」
アレクセイの隣に座ったルミカが言う。話題を変えようとしたらしい。そう言えば、海賊諸島の事はローズに話した事が無い。
「小島が何個も集まって出来ている場所でね、海賊が千年以上昔から住んでいるんだ。こいつらは、ポートの騎士崩れが流れて行って結成されているから、俺達の強さを警戒している。だから湾内に入って来ないけれど、湾外で船を襲う。たまに討伐に行くけれど、小島が多いから根絶やしに出来ていない」
「船を襲うのでは、ポートの害になるのではないですか?」
「害だよ。でもね、あいつらは姑息なんだ。ポートに船が来なくなれば自分達も困るから、命を奪わないし積み荷を全部盗らない。海賊にしては紳士的だなんて言われているんだよ」
ルミカが忌々しそうにそう言う。ポートでは討伐は定期的に行っているが、小島が多く、根絶やしにするならかなりの時間と手間のかかる作業になるから、行き過ぎた行いを抑止しているに過ぎない。過去のポート騎士団との戦いで、海賊も知恵を付けているのだ。
「……兄上には、もう伝えておきますね」
「何だ?」
「モイナを狙っていたグルニア軍部の話があったでしょう?あれ、海賊諸島の海賊が協力をしていたみたいです」
眉間に皺が寄る。
「お察しの通り、グルニアの軍部が長い歳月、騎士団の目が行き届いたポーリアで隠れてアジトを持つのは困難です。そこで、拠点として海賊共が海賊諸島の島を提供していたみたいです。出国時には海賊諸島と繋がりのある人買い商人が手助けしていたみたいです。ムスル・ハンの供述から分かりました」
グルニア人は金色の目に金髪な上、顔立ちが整っているので、人身売買の商品として人気が高かった。人身売買を行っている商人なら、商品と偽ってグルニア人を入出国されるのは容易だった筈だ。ただクルルス様の政策で、人身売買は全面禁止になり、人買い商人は姿を消した。しかも軍部がゲオルグによって急変した為、グルニア軍部の諜報活動は自然消滅したのだろう。
ムスルは元皇太子であるアクバル様の復活を願い、グルニア人の到来を待って居た。そこにミラ達が来た為、ムスルはグルニア人だと言うだけで、素性を詳しく聞かずに城に入れたらしい。
ムスルから協力していた商人を割り出し、海賊共に辿り着くのは骨の折れる仕事だった筈だが、クザートは調べたらしい。
「兄上は、何も言っていなかった」
「だ・か・ら、海賊討伐をクザート兄上がしたいなんて言ったら、兄上は休みを返上してしまっていたでしょう?もう、返上してしまっているみたいだから話すのです。……兄上が復帰次第、討伐計画を提案されると思います」
「心得た」
モイナは、数百年に一人しか生まれない希少な女のリヴァイアサンの騎士だ。モイナの子は必ずリヴァイアサンの騎士の異能を持って生まれてくる。己の子が異能者として強くなる事に目を向ける野心家の男に狙われる存在だ。
ただ俺達の異能は、ポート湾から遠く離れてしまえば使えないし、使えても、制御できなければ体が壊れてしまう厄介なものなのだが、野心を持つ者達はそこに目を向けない。
クザートが海賊を討伐すると言う事は、騎士のカイトを唆したり、盗品であるオーディス・マーニーの絵画をロヴィスに流出させたりしていたのが、グルニア軍部ではなく海賊共であった証拠でも掴んだに違いない。
ポートの利益を長年食い物にしてきただけでは飽き足らず、他国の諜報活動に協力、更に騎士団員の……クザートの娘を誘拐しようとしたなど、許される事ではない。
そこで馬車が停まって思考が中断した。ハザク様の館に到着したのだ。
ハザク様は嬉しそうに出迎えてくれた。
「よく来てくれた。さあ、座ってくれたまえ」
アリ先生は既に来ていて、食後の茶を飲んでいた。食事抜きでここまで来て、朝食をもらったらしい。……王族相手によくやる。そんなに楽しみだったのか。
そこからは、学者二人によるアレクセイの質問攻めとなった。アレクセイは学者と言う存在に慣れているのだろう。本人も議論が好きな様なので、素直に応じている。主に魔法使いの鍛錬や魔法の難易度など、アレクセイの子どの頃の日常が聞き出されている。
俺達の異能は感情と共に漏れてしまう。制御しなくては生きて行けないから鍛錬をしている。しかし、グルニア人の魔法に対する考え方はその真逆で、幼い内に魔法使いとしての能力を高める為に鍛錬をしている。明らかな差があるのだ。
その話が終わると、ローズの魔法使いとしての程度を見る為に、魔法を一つ覚えて欲しいと言われた。俺としてはそんな物は覚えて欲しくないが、覚えるだけと言われては拒否も出来ない。
「どの様な魔法なのですか?」
「眠りの魔法だ。眠れない時に茶葉にかけて茶を淹れると、飲んだ者が良く眠れる」
ローズは目に見えて興味を引かれている。……使う。こんな魔法、絶対に使ってしまうではないか。侍女であるローズの特性を見極めた上でこの魔法を選んだのだとしたら、ハザク様はかなりの策士だ。そもそも、そんな魔法がある事自体、想定外だ。
「ハザク様、リヴァイアサンの騎士は魔法を体内に取り込んでも無効化します。しかも苦味を強く感じるので、茶が不味くなります」
俺やルミカは、その茶を飲まないと言う意思を込めてそう言うと、アリ先生が反応した。
「その話、詳しく聞こうか。ローズさん、あんたは魔法を覚えて来なさい」
「分かりました」
学者二人の見事な連携で、ローズは新しい魔法を覚えてしまう事になった。
俺はアリ先生の尋問を受けつつ、ローズの様子を見るしかない。ルミカはアレクセイの魔法を使った茶を実際に飲んでいない。だから、俺がアリ先生の質問に答えるしかないのだ。
そうは言うものの、実際に魔法を覚えると言うのがどういう事なのか、俺もルミカもアリ先生も興味があったから、話を止めて見てしまったのは言うまでもない。
ハザク様が、小さな布の巻物を机の上に出す。
「最近、シュルツ陛下のご厚意で、簡単な魔法の術式をこちらに送ってもらっているのだよ。パルネアの魔法は、布に織られている。植物に関係する魔法が多いね。農業国だからだろう」
「パルネアの魔法か。初めて見るな」
「アレクセイも覚えるかね」
「是非」
二人が拡げられた布を見ると、同時に変化が起こった。一瞬だが、ふわりと体から淡い光が漏れた。確かに俺には見えた。
「アリ先生……今の見ましたか?」
「ん?特に何も見えなかったが」
「ルミカ、見えたか?」
「はい。光りましたね」
ハザク様も見えなかったらしいので、リヴァイアサンの騎士にしか分からない変化だった様だ。
「それでローズ殿、この魔法は使えそうかな?」
暫くこの話をした後で、ハザク様は改めてローズに聞く。
ローズは暫く考えてから俺の方をちらりと見て、情けない表情で言った。
「使えると思います。しかし、どの程度自分に影響が出るのかまでは分かりません」
ローズは使う事は出来るが、あくまでもそれだけで、自分の使用する魔法燃料の量を理解している訳ではないのだ。それを理解するハザク様の様になってしまうと、今度は魔法を練るのが下手になるのだろう。
「一度使えば、分かると思うのですが……」
そう言うローズを睨むと、アリ先生が苦笑した。
「ジルムートが心配しているよ。ローズさん」
ハザク様も頷いた。
「私でも使えた魔法だから、大丈夫だと思うが……万一があってはいけないから止めておこう」
その後、アレクセイの体を調べると言う事で、ローズが部屋を出て昼食の準備を手伝っている間に、アレクセイには上着を脱いでもらう事になった。
「ふむ、特に変わらないな……ミハイルと同じくらいの骨格だな。十四歳位で成長が止まったと言う事でいいか?」
「分からない。成長が完全に止まるまで時間がかかる」
「なるほど、緩やかに成長が遅くなるのだな」
アリ先生は、殆ど患者を診ないが、医者の心得もある。俺達の体がきちんと育っているか自分で調べる為に三十代になってから、わざわざ医者に師事したのだ。
「少し触るぞ?痛かったら言いなさい」
アリ先生はそう言ってアレクセイを調べ始めた。




