英雄たる資質
ローズに想像以上の我慢を強いていた事に気付いたが、もう遅い。ポートに居ない間、俺は何も出来なかった。だから俺に出来る事が無いか、そればかりに気を取られていたが……大失敗だった。
「キスも出来ないし、お休みは潰れちゃうし、出かける事も出来ない。私、そんなの全部、受け入れられない」
「そうだな。すまない」
泣きながら訴えるローズの言い分は最もで、俺は謝る事しか出来ない。
「出来たお嫁さんがいいなら、他の人にして!私はこんなの嫌」
「そんな風に、言わないでくれ」
ボロボロと涙を流してそう言うローズに手を伸ばすと、手を叩かれた。
「こすると目が腫れちゃうの!触らないで」
物凄く怒っている。
どうしたらいいのか分からないまま立っていると、ローズは俺にしがみついた。
「う~~~」
泣いている。凄く泣いている。全部俺のせいだ。
「悪かった」
頭を撫でるが、ローズの怒りは収まらない。
「許さない。一生恨んでやる。ジルの馬鹿」
これは何とかしないと、夫婦仲破綻の危機だ。早急に措置しなくては。しかし、考えている内に、無情にも来客だとジョゼが俺達を呼びに来た。
「ローズ、先に行っている。……慌てなくていいから来てくれ」
ぐずぐず鼻を鳴らしながらローズは頷いて、自分の部屋へ引っ込んだ。
談話室にはナジームが通されていて、ゾーヤの恰好をしたアレクセイも一緒にソファーに座っていた。
「まだ早いぞ」
「すいません」
ナジームの言葉を聞きつつ、不機嫌なまま対面に座ると、二人共不思議そうな顔になった。
「やけに機嫌が悪いな」
アレクセイが驚いた様に言う。
俺は不貞腐れてソファーにもたれたまま、足を組んで言った。
「休みの途中で俺が色々と始めたものだから、一緒にのんびりできると思っていた妻の機嫌が一気に悪くなった」
「「なるほど」」
二人共納得した様子で同時に言う。
「式典で見たが、綺麗な女性だったな。ローズ殿と言ったか?」
「そうだ」
「パルネア人と聞いているが、グルニア人に近い顔立ちだったな」
……ローズの実家の事はあまり気にしていなかったのだが、どうも強力な魔法使いの家柄であるらしい。ルミカが調査している途中で、詳しい事は分かっていない。
グルニアへ行って、ジュマ族やグルニア人を見て、ローズは彼らに似ていると思った。アレクセイも言うなら間違いないだろう。
「姉上の事もある。私からも休暇の途中で邪魔をした事と併せて謝罪させてもらおう」
小柄な少女の見た目に似合わない王族の風格ある喋り方。ローズはさぞや驚く事だろう。
アレクセイは、少女として話そうと思えば話せるのだが、俺達の前では隠さない。今から集まる人間の前でも隠す気が無いのだろう。
「隠す気は無いのか?」
俺が聞くと、アレクセイは頷いた。
「ジルムート殿には十分に良くしてもらった。……私を生かすより殺す方が簡単だった筈なのに、ここまで連れて来てくれた。これ以上は世話になれない。私は準備が整い次第、姿を消そうと思っている。ナジーム殿には申し訳ないが、慣れない異国で婚約者は病死した事にしてもらおうと思っている」
この聡い王子は、既にどうすべきか考えていたらしい。
「私はこのまま成長しない。しかもこの見た目は目立ち過ぎる。私の生い立ちが明るみに出た場合、クルルス陛下にいらぬ心労をかける事になる。そうなる前にここを去りたい」
ナジームが不安そうに言う。
「もう少し待って欲しいとお願いしているのですが……すぐにでも出て行ってしまいそうで、落ち着いて花壇の世話も出来ません」
花壇はどうでもいいが、ナジームの言い分に頷いて俺も言う。
「勝手に動く方が危険だ。見た目が目立つのに、何処へ行くつもりなのだ」
アレクセイは困った様に眉を下げた。
「今は婚約者としてナジームの館に居るのが一番安全だ」
「しかし……」
「ミラ妃は、そう遠くない内にポート城に来るぞ」
アレクセイが目を見開く。
「帰還途中にパルネア城に寄って報告しなかったのは、パルネアのシュルツ陛下が俺に礼を述べに来ると言う手順を踏む為だ」
ポートはパルネアの属国ではない。今回の出征は、あくまでもパルネアの依頼にポートが善意で応じた事にしなければならない。それを示すには、シュルツ陛下が自らポーリアを訪れてクルルス様と俺に礼を言わねばならないのだ。
「日程は未定だが、必ずシュルツ陛下と共にミラ妃は来る。だから、それまで待て」
「分かった」
アレクセイは、俺にそう言うと俯いた。
「感謝する」
「良かったですね」
ナジームがアレクセイの頭を撫でる。……顔が怖いせいで、見慣れていない人間には、ナジームがアレクセイを取って食いそうに見える。ウィニアは大丈夫だろうか。ナジームも傷つくだけの大惨事だけは避けたい。そんな事を考えつつ雑談をしていると、ルミカがハザク様を支え、アリ先生と一緒にやって来た。
「わざわざお越し頂きありがとうございます」
「いや、わざわざのお招き、感謝するよ。無事のご帰還をお祝いする。ジルムート殿」
ハザク様は笑顔でそう言った。ポーリアに来た頃よりも老けたが、表情が柔らかい事に安堵する。アリ先生は、式典にもその後の宴にも出席していたので、簡単に挨拶だけ済ませる。
「お二人共、こちらへどうぞ」
俺は話を始める事にした。……ローズはもう暫くは出て来られないだろう。
そう思って何から話そうか考えていると、扉が開いて、ローズがジョゼと一緒に入って来た。
……少し目が赤いだけで、完全に元通りになっている。この短時間であれだけボロボロに泣いて怒っていた顔を完璧に直して来た。侍女と言うか女の凄さを思い知る。
「お待たせいたしました。この度は我が家にお越しいただきありがとうございます。お出迎えできず申し訳ありませんでした」
そう言いながら、ハザク様の前で優雅に挨拶をする。
「ハザク様、お初にお目にかかります。ジルムートの妻のローズと申します。お会い出来て光栄です」
「いやいや、ご夫君が無事に帰還されて何よりだ」
「ありがとうございます」
そう言って、ハザク様の前に菓子と茶を出す。
「お口に合うか分かりませんが、よろしければご賞味下さい。他にも何かありましたら、遠慮なくお申し付け下さい」
「ありがとう」
次に、ナジームとアレクセイの前に行って、茶と菓子を出す。
「ナジーム様、長らくジルムートを支えて下さり、ありがとうございます」
「あ、いや……はい」
ナジームは、何か言おうとして結局諦めた。
ローズはアレクセイの方を見て、にっこり笑うと言った。
「お初にお目にかかります。私はジルムートの妻のローズと言います。何か困った事があったら、遠慮なく相談して下さいね」
アレクセイは、真っ赤になって俯いた。……その反応は何だ!
茶を配りながら最後に俺の前に来ると、ローズは目だけ笑っていない笑顔で茶を少し乱暴に置くと、すっと離れてルミカの隣に座った。
「ローズ?」
ルミカが戸惑って声をかけると、ローズが笑顔のままルミカの足を踏んだのが見えた。ルミカは慌てて背筋を伸ばして黙った。ジョゼが半眼で俺の方を見ている。そんな目で見られても……。
とにかく俺は話を始める事にした。
「今回、わざわざ我が家にお集まり頂いたのは、二つの事でご相談したい事があっての事です。……まずは、ナジームの婚約者であるゾーヤについてお話させていただきます。この部屋での話は、くれぐれも外で話さない様にお願いします」
前もってそう言ってから、ゾーヤが実はグルニア帝国の第二皇子、アレクセイである事実を語った。
クルルス様にも内密にする為、女と偽り、ナジームの婚約者として連れて来た事、できればポーリアに再びやって来るミラに会わせたいと言う事を話した。
ローズが目を見開いてアレクセイを見た後、俺を凄く睨んでいた。……先に男だと教えて置いて欲しかったと言う、ローズの心の叫びが聞こえる様だが、今は弁明できない。ローズから視線を逸らすと、やはりジョゼが半眼で俺を見ていた。そこからも視線を逸らす。
アリ先生が言う。
「ジルムート、アレクセイ様に失礼は承知で聞くが、何故そこまでするのだ」
皆知りたい所だろう。きちんと話す事にした。
「俺はグルニア人を滅ぼし、支配する為に出征した訳ではありません」
「しかし、クルルス様に報告しないと言うのは……どうなのだ」
「クルルス様は、俺がどんな意図でアレクセイを生かしたのか、話せばすぐに理解して下さるでしょう。しかし王である以上、厳しい判断を下さねばなりません」
クルルス様は、今回の出征を王命で行っている。グルニアの王族をミラの様な理由無しに生かしておく事は不可能なのだ。クルルス様は人の命を惜しむ。決断は出来ても心を曇らせるだろう。
「自己満足かも知れませんが……クルルス様が立場的に一つの答えしか提示できないのであれば、その選択をさせない様にクルルス様を守り、同時にポート騎士団が侵略者ではないと言う立場も守るのが、序列一席である俺の最善です。今もその考えは変わりません」
俺達の目的は天候不順の原因を取り除く事だった。あの空っぽの帝都を、俺は忘れる事が出来ない。アレクセイに話を聞いて、更にその気持ちは強くなった。……グルニア人達が希望を託し、生かしたアレクセイを殺してしまう事は、俺にはどうしても出来なかった。
俺の話を聞いて、アリ先生は暫く俺をじっと見た後、眩しそうに目を細めた。
「あの幼かったジルムートが、本当にポートの英雄になるのだな」
「成り行きでそんな名前を背負っているだけで、俺は俺です」
「誰にでも出来る事ではない。それこそ、英雄たるにふさわしい資質だ。他の誰が批判しようと、私はそう思う。お前の成長を少しでも手助け出来た事は私の誇りだ」
アリ先生がそう言うと、ルミカが服の袖でぐっと目を拭い、控えて立っているジョゼまでハンカチで目元を拭っている。……おかしな雰囲気になったので、俺は慌てて話を続ける事にした。アレクセイに聞く。
「自己紹介をしてもらえるか?」
アレクセイは頷いて話を始めた。
「私は、アレクセイ・フォン・グルニア。グルニアの第二皇子だ。……ジルムート殿の言う通り、今のグルニア皇帝はシュルツ・パルネア陛下であり、グルニアの王族は姉であるミラだけという事になっている。私の事は、どうか王族として扱わないで欲しい」
そこから、アレクセイが生い立ちやここまで来る経緯を話す事になった。
グルニアが選民思想だけの国ではなかった状況、ミラとの間に派閥的にも争いが生じていた事、ゲオルグ達が来た事で、グルニアが王宮内部から崩壊していった過去。そして、俺達に正体を見破られ、ナジームの婚約者としてここまで来た経緯。
俺達に前もって話していた事で、アレクセイはより一層要点だけをまとめて語っていたが、ジョゼとローズが茶を淹れ直し、休憩を取るなどしなければならない長い話となった。
外の光が夕暮れの日差しに変わる頃、アレクセイの話は終わった。
アリ先生が、少し考えてから言った。
「アレクセイはポートを出てパルネアへ行こうとしていたのかね?」
「そうだ。最初は姉上に直接会いたいと思っていたが、ジルムート殿の話で難しいと分かって来た。私は姉上の姿を確認できるなら、もう言葉を交わせなくても良いと思っている」
「一目見たいと言う事か」
「姉上は私が生きているとは思っていないだろう。今、パルネアで居場所を新たに作ろうとしているなら、私の存在は……姉上にとっては迷惑にしかならない。私の存在は、あなた達の負担にもなっている。申し訳ない」
アレクセイは、俺達に謝罪する。このままでは勝手に居なくなるどころか、死んでしまいそうだ。
「アレクセイの成長が止まってしまっている原因を、こちらで探れないでしょうか?」
俺の言葉に、全員が俺の方を向く。
「ミラ妃は普通に成長しています。同じ姉弟なのに、何故アレクセイの成長が止まったのか、何か原因があると思うのです。それをハザク様とアリ先生に調べて頂きたいのです。……もし原因が分かれば、止まった体の成長が再開するのではないかと。そうであれば女装せず、一人の男として生きて行けます。できれば、そうあって欲しいのです」
「そんな都合の良い話があるものか。グルニアで何百年も研究が続いていると言うのに、原因は判明していないのだぞ?」
アレクセイの言葉に、ハザク様は少し考えてから言った。
「いや……パルネアやポートでは、その様な症例は聞いた事が無い。グルニアでだけ起こると言うなら、グルニアの風土か生活習慣に何かあると考えるべきだ。それをこちらで改善できれば、ジルムート殿の言う通り、体の成長は再開される可能性がある」
アリ先生もアレクセイに言う。
「まだ十九歳だ。諦めてはいけない。私達が力になる」
アレクセイは口を歪め、泣きそうな顔をした後、言った。
「何故、私の様な者に優しくするのだ……。何の得も無いだろうに」
この王子は、助けてやりたくなる様な気分にさせるだけの物を持っているのだ。俺だけでなく、それはこの場に居る者達が皆感じている事だと思う。
「得ならあります」
突然ローズが言った。
「私とジルムートの間に子供が出来たら、その子は特殊な資質を持つ事になります。リヴァイアサンの騎士であり、魔法使い。……既に一人居るのですが、その子の様に無事に育つか分かりません。その時アレクセイ様の事が、私達の子を救うかも知れません。……私達の為に力を貸すと思って下さいませんか?」
ローズの言葉に、アレクセイは少し考えた後、頷いた。
「あなたがそう言うなら」




