ランバート・ザイルの告解
ミハイル・カイマン……リヴァイアサンの騎士でありながら、魔法使いの少年。序列六席、ハリード・カイマンの腹違いの弟。アリ・マハドルの調査により、母親が魔法適性者である事が分かっている。
クザートが来た翌日、夜も更けた頃、私はジルムートに連れられて、ポーリアに戻って来ていた。
私を一人でエルムスの借家に置いておけないから、連れて来られたのだ。何処に何をしに行くのか。聞いてみればランバートの所に、どうして私を陥れようとしたのか聞きに行くと言う。
「ジルを間接的に陥れる為だって、ルミカが言っていたけれど」
「俺自ら確認したいのだ」
「どうするつもり?」
思わず自分から出た言葉に、血の気が引く。殺すとか言われても、どうしたらいいのか分からない。
「……今日は話をしに行くだけだ」
私が安心する様にそう言ったジルムートだが、殺さないとは言ってくれなかった。
本当は湾内を船で移動すれば、ポーリアまで大して時間はかからないのだが、目立つので船は使えない。そこでぐるりと湾を回る形で、馬車に乗って移動する事になった。幸い、ポーリアとエルムスの間の街道は整備されているのであまり揺れない。ひと眠りしていろと言われて、大人しく眠る事にした。
目を閉じて、エルムスの暮らしを思い出す。
ジルムートと二人で過ごす日々は、夢の様だった。
ジョゼ達は、私達がポーリアに居ると錯覚させる為に館に残っている。ジルムートとイチャイチャしたいが、恥ずかしい所を他の誰かに見聞きされたくないと言う私の願望が叶ったのだ。
ただ……ジルムートは絶対に私の口にキスしようとしない。帰って来てから、それだけが唯一の気がかりだった。ジルムートの言い分は、唇や口の中を切っていて気付かないままキスをしたら、私が消えてしまうかも知れない。だから我慢しろと言うものだった。
ジルムートは寒い冬を経験し、唇が荒れて割れると血が出ると言う事を始めて知ったのだ。その経験が、暖かいポートに戻って来てもキスをしないと言う選択肢に繋がっている。
キスだけダメってどういう理屈なのよ!
そう言いたいのに、実際に言葉に出来ていない。恥ずかしいから言いたくない。私だけキスしたい痴女みたいじゃないないの。でも、何だかおかしい。
これで、夫婦お披露目パーティの開催は無くなった事にほっとしたものの……このまま一生ジルムートとキスしないのかと思うと、もっとしておけば良かったと情けない事を考えてしまう。
それ以外でジルムートが出征前と変わったかと言えば、そうでもない。その部分を除けば、全く変わっていなかった。相変わらず、甘い物と耳かきが好きで、私の淹れたお茶を嬉しそうに飲んでくれる。砂糖菓子みたいな甘い態度で、私だけを好きなのだと伝えてくる。離れていた分、濃縮された甘さはまるで毒の様だった。お互いの毒で痺れる様な甘い暮らしは、溺れきったら他の事を全て忘れてしまいそうだった。
とは言え、クザートが来たと言うだけで、ここまで綺麗さっぱりと甘さが抜けて通常モードになってしまうとは思っていなかった。一体……何をどう伝えたのだろう。そう言えば、私は居ない間の事をまだ話していなかった。一か月も休みがあるので、いずれ話そうとは思っていたが……。
うとうとしているとポーリアの私達の館の前で起こされた。
ジルムートは荷台に入ってきて私の顔を覗き込んでいた。
「ローズはここで待っていてくれ」
慌てて言った。
「私も行く」
「ダメだ」
「私はランバート様が、どうしてこんな事をしようと考えたのか、確かめたいの」
ジルムートは私を見据える。
「もう犯罪者に接触するな」
「これは譲れない」
私は視線を逸らさずに続けた。
「私はあの人を信用していたの。ジルも、そうだったから確認したいのでしょう?野心だ何だと言われても納得できない」
「……その通りだ」
「アネイラは、お付き合いして信頼関係を築こうとして居た人に、とんでもない目に遭わされたのよ?……ジャハル様が旦那様になって下さって、怖い目に遭わないって傍目にも分かる場所に落ち着いたから安心出来ているけれど、ランバート様の非道の原因に納得が行かなくて、本人から聞けるなら聞きたかったの」
人と人がお互いを信頼すると言うのは、見えない箱の中身を言葉の通りに受け取り、受け渡しを続ける様なものだ。それの繰り返しで、この見えない箱には言葉と同じものが入っていると安心する。
私はランバートを信頼していた。夫も王も仕える主も信頼していた人だ。まさか菓子箱に毒を入れて渡す様な真似をされるとは思っていなかった。何故そんな事をされねばならなかったのか、知りたい。
「どうしても知りたいのか?」
「知りたい」
ジルムートはため息を吐くと、馬車から出て行った。誰かが館から外に出て来ていたらしく、ジルムートは何か話した後、私を馬車に乗せたままランバートの館へと向かった。
白い建物の輪郭が、おぼろげに分かる程度の深夜の時間。馬車が停まった途端、その音で不寝番だったらしい警備の人間が出て来たのは足音で分かった。ジルムートは御者台から飛び降りる。
「急な来訪で申し訳ないが、ランバート殿はご在宅か?」
「ジ……ジルムート・バウティ様、はい。ただいまお伝えしてきます」
相手はすぐにジルムートだと理解して、本人か確認もしないで館に入って行った。
私が荷台から降ろされて立っていると、ランバート本人が外まで出てきて、ジルムートと私の前で言った。
「どうぞ中へ」
ここでは話は出来ないので、大人しく後に続く。使用人達は誰も付いて来なくて、私達は談話室と思われる部屋に通された。相変わらず嫌味な程に上品で高級な部屋だ。議長の地位から失脚しても、商売は相変わらず上手く行っているらしいので、お金には困っていないのだろう。
座る様に促されたソファーはお尻が完全に沈みそうな程柔らかくて、ちょっと焦ってしまった。
そこで明るい明かりに照らされたランバートを見て、私もジルムートも固まってしまう。暗がりでは分からなかったけれど、彼の髪の毛はすっかり白くなっていたのだ。
使用人がお茶を出して、逃げる様に去って行った後、私達の疑問に答える様に、ランバートは言った。
「ここ数か月で白髪になってしまいました。……やってはいけない事をしたからでしょう」
ジルムートが厳しい表情で告げる。
「俺もクルルス様も、ランバート殿は力になってくれる方だと思って信頼していた。クルルス様は今もそう思っていらっしゃる。その信頼を、どうして裏切ったりしたのだ」
二人の関係は出征前と変わってしまった。ランバートが敬語を使い、ジルムートが敬語を使わなくなっている。ジルムートが言う。
「ランバート殿がここで築き上げた政治家としての全てを捨ててまで、俺を城から排除したかった理由を知りたい」
ランバートは暫く沈黙した後、言った。
「望んだ時に望む物を手に入れ、望む事をする。ランバート殿が生まれた時に得た幸運です。それが悪いとは言いませんが、そんな贅沢は王族であるクルルス様も味わった事の無いものです」
私もジルムートも意味が分からず、顔を見合わせる。
「あなたが、以前私に言った言葉です。私はその時、あなたが当たり前に持っているのに、永遠に失っていたものがありました。……妻です」
ジルムートが目を見開く。
「白い肌のロヴィス人の妻は、私の住んでいた下宿で働く女でした。ポートに連れ帰るつもりだったのですが、父が許してくれませんでした。当時ロヴィスに商売で来ていた父は、遊ぶために留学させたのではないと激怒し、私を無理矢理船に乗せてポートに帰国させました。身ごもっていた妻は、一人で娘を産みました」
ランバートは暗い表情で続ける。
「父に認めてもらい、結婚を一日でも早める為に商売も議員としての活動も必死で続けていました。妻とは手紙でやり取りを続けていました。娘が大きくなり、船旅に耐えられる様になる頃には、必ずポートに呼ぶからと約束をしていました。しかし、ようやく結婚を認められた年、病にかかって二人は亡くなりました」
どう言って良いのか分からず、私達は黙るしか無かった。
「父はとっくに許していたのに、私の力をもっと引き出そうと結婚を遅らせた事を悔いていました。遊びの女で忘れるだろうと思っていたのに、そうではなかった時点でこちらに呼ぶべきだったと泣いていました。……父のせいではないと、私は最後まで父を責めませんでした」
ランバートは私達を見た。……死んだ様な目をしている。
「妻は、そんな事を望む女ではない。正しい道を歩み、死後の世界があるならば、そこで自分は立派に生きたと胸を張ろう。そう思っていました。しかし、負の感情が心のどこかに溜まっていたのだと思います。あなたがローズ殿を庇う姿を見て、自分の失ったものを見つめ直す事になりました」
ランバートは言った。
「私はあの時、自由も金も地位もいらない。あなたの様に妻と共に在りたかった自分に気付きました」
食事に招かれたあの日、既に憎しみの種は蒔かれていたのだ。そうとは知らず、ジルムートはランバートにアルガネウトの別宅まで借りている。憎まれるだけの要素は、そこにあったのだ。
ジルムートはランバートを睨みつけて言った。
「俺達から会いたいと言った訳ではない。あなたが俺達二人を呼んだ。それに応じただけなのに、俺達を悪者にしないでもらいたい」
「その通りです。あれ程自分の心が黒く蝕まれるとは、私も想像していませんでした。亡くなった父をなじれば良かったのか、もっと早く父に逆らえば良かったのか。全てが過去でやり直す事が出来ません。それなのに、気付いてしまうと苦しさしかありませんでした。……ローズ殿に中層で出会ったのは、本当に偶然で、アネイラ殿に目を付けていたマルクが一緒に居たのもたまたまでした」
確かにあの日、会う予定など取って居なかった。本当に偶然だったのだ。
「今を逃せば、壊せない。壊してしまえ。そんな声が頭の中で聞こえました」
光を失った目で告げられた告白に、ぞくりと抗えない恐怖が這い上がって来る。思わずジルムートの服の裾を握ってしまった。壊すと言うのは、夫婦関係でもアネイラでもない。私だ。
「妻を失う悲しみをあなたなら理解出来る。そう思ったら、そうせずに居られなかったのです」
口をそこで閉ざしたランバートに、ジルムートは鋭い視線を向けて言い放つ。
「それで……鬼畜にローズの親友を与えてから何を考えた?」
死んだ目をしていたランバートの目に、その言葉で光が宿る。……涙だ。
「私の政治家としての矜持も、妻を愛した男としての矜持も……完全に死にました。身分を傘に着て、女性二人を酷い境遇へ追いやり、一体何をしているのかと己を蔑みました」
伏せたランバートの目から、涙が落ちた。
「しかし、マルクを止める事も、ローズやアネイラに忠告する事も無かった」
「そうです。……偶然、ウィニアからアネイラ殿がパルネアで酷く傷ついてポートにやって来た事を聞きました。そんな女性に、自分はとんでもない事をしてしまったのだと理解すると同時に、過ちを修正する道も失ってしまいました」
どういう事?意味が分からない。
「ウィニアは、私を罪人の娘の境遇から救ってくれた尊敬できる大人だと思っています。私の行いを善行だと信じていました。……娘の様に思い始めていたあの子に、真実を知られて失望されたくありませんでした」
上層の侍女の間ではかなり早期に、アネイラがルミカと別れた結果、パルネアに居られなくなった事実が知られていた。他言無用と伝えておいたのだが……ウィニアはランバートを信用していたのだ。だから経緯を話し、マルクとの縁をアネイラの幸福だと判断したのだ。そんなウィニアに対して、ランバートは鬼畜を引き合わせたなどと、口が裂けても言えなくなってしまったのだ。
表向き、マルクの事はグルニア行きが決まったので別れる事になったと周囲には話をした。真相を知っているのは、私とアネイラだけだ。馬車で送り迎えをしてくれる素敵なおじさまとのラブロマンスで、侍女達の記憶からマルクはあっと言う間に忘れ去られる事になった。
ジルムートが厳しく言う。
「ランバート殿、もしあなたの行為が罪に問われ、裁かれていればどうなっていたか分かっているのか?ウィニアは、二人も罪人の父親を持つ事になっていたのだぞ。娘にそんな苦しみを背負わせてどうするのだ」
ランバートは、はっとしてジルムートを見た後、苦しそうな表情で俯いた。
罪人の父親が二人も居たとなれば、外国であっても嫁ぐ事はできないだろう。それどころか、上層へ勤め続けるのも難しい。嫁ぎ先も生きる術も失えばウィニアに未来は無い。
「ウィニアの嫁ぎ先は、俺が指名する。候補が決まったら通達する。あなたから縁談を持ってきたと話せ。俺に頼んだから騎士になったと伝えろ。ウィニアは拒否すまいよ。あなたを尊敬しているなら」
「私のした事を、伝えないのか?」
「何故、教えねばならないのだ。ウィニアを傷つけたくないから嫁に行かせようとしているのに」
ジルムートが続ける。
「……いつか、ウィニアの子を孫として抱ける日が来るだろう。あの子を失望させるな。いいな?」
ランバートの罪は誰にも裁かれない。裁かれないが故に、誰にも語れず、許される日も来ない。その絶望の中、最後まで尊敬できる養父を演じ続けろとジルムートは言ったのだ。
ランバートは深くため息を吐くと、両手で顔を覆った。酷く痛ましい姿だった。ジルムートに促され、私はランバートの館を出た。
「ローズ、悪いがポーリアに戻る。いいな?」
「はい……」
借家には戻れないらしい。返事の声は自然と沈んだ。




