祝賀会
式典でシュルツ様が、騎士団とポートへ感謝の意を表した演説を行い、クルルス様と握手を交わす。
ポートの式典は、招待された客だけが城へ特別に入る事が出来る様になり、その時の様子を周囲に語り聞かせると言う事になっている。
元議員や城へ商品を卸している商人、商工会の代表者など、式典用の許可証を得て城に入れる事は栄誉とされている。
城の中を勝手にうろつかれてはいけないので、警備は厳重に行われ、順路以外、客は立ち入り禁止になっている。出征から戻って来た騎士達も、総出でこれらの警備に当たっている。
式典は無事に終了した。式典が終わると昼食を挟んで、今度は騎士の祝賀会の準備になる。
私達はテーブルに置かれた皿のクラッカーをつまんで、冷めきったお茶で流し込むような昼食を取ると、次の作業へと移行した。
「リンザ、そろそろ着替えましょう。皆、後はお願いね」
ある程度の準備をした所で、ディア様とリンザが連れ立って去っていく。
残った上層の侍女達は、セレニー様とカルロス様の身支度のお手伝いとなった。カルロス様の事はウィニアとルルネに任せ、プリシラと私はセレニー様のお手伝いをする。
紫色のドレスは、ポート王族の貴色で、ポートではセレニー様だけが着る事を許されたドレスだ。クルルス様の瞳の色でもある為、クルルス様と並ぶととても良い感じになる。
プリシラが宝飾の確認をしている間に、私はセレニー様の髪の毛をしっかりと梳き、細かく編み込んでいく。しっかりと遅れ毛が無いように編み込み、ティアラが外れない様にピンで固定する。角度も完璧にしようと思うと、想像以上に時間のかかる作業になる。これこそ、侍女の腕の見せ所だ。
「パルネアはどうなるのかしら……」
ふと心配そうに呟くセレニー様に、私は編み込みを続けながら言った。
「大丈夫ですよ。そうでなくては困ります。……せっかくの祝賀会です。楽しんで下さい」
「そうね」
セレニー様にとっても、やはりパルネアは故郷だから気になるのだ。後は時間の経過とシュルツ様の手腕次第だ。
時間はかかったものの、思っていた通りに髪型もばっちりと決まり、待機していたプリシラがセレニー様にアメジストのイヤリングとネックレスを丁寧に付けて行く。最高に美しいポートの女神が完成した。
「素敵です」
プリシラがうるうるした目で言って、私も頷く。今日の出来も百点だ。セレニー様は本当に綺麗だ。鏡に映った姿に、セレニー様も満足そうな笑顔になった。
「ありがとう。私が自信を持って人前に立てるのはあなた達のお陰よ」
「「光栄です」」
私達は揃って頭を下げる。プリシラと目配せして少しニヤついてしまう。セレニー様は褒め惜しみをする方ではないので、ちゃんとできれば褒めてくれる。これこそ、侍女をやっていて良かったと思う瞬間だ。
準備は着々と進み、日が暮れ始め、各国の大使館から来賓が中層の部屋に集まり始める。
各地で足りなかった降雨の情報が行き交い始め、ポート騎士団が出征してグルニアで天候不順の原因を取り除いたと言う話は、肯定的に受け入れられている様子だ。降雨を確認してから帰還した騎士団の判断は正解だったと言える。
セレニー様と共に入場して背後に控えつつ、会場を見回す。
祝賀会の会場は和やかな雰囲気だ。ドレス姿の女性が少ないのは、既婚の騎士が少ないせいだ。淡い緑色のドレスを着たリンザと、深い青色のドレスを着たディア様は遠目にもすぐに分かった。
最初に、クルルス様から騎士団へ労いの言葉があり、明日出発するシュルツ様からも騎士団へ感謝の意が表された。クザートはそれに対して、無事に帰還した報告と今回の宴への感謝、今後もポートの為に尽力する事を誓うと言う挨拶をして、祝賀会は始まった。
この世界の宴に終了の挨拶と言うのは無い。こちらのパーティは立食方式で、椅子が少し用意されているが、出席者はまず座らない。立っているのが辛くなった人が帰り始め、人の数が減ると自然に皆帰っていく。王族だけがずっと椅子に座っている状態だ。
私は上座にあるセレニー様の椅子の背後で控え続ける事になった。一時間もしない内に、カルロス様がぐずりだしたので、ルルネがカルロス様を上層へ連れて退場し、私だけがセレニー様の背後に控えとして残る事になった。
出た……。
そんな頃、挨拶をしにカーラがやって来た。相変わらず美人だが、私からすると目が怖い。いつも敵を探している目だ。
「ジェフ・ファルマーと申します。この度、パルネア議会より大使館書記の仕事を仰せつかり、ポートへ参りました。二国間の友好を深める活動に少しでもお役に立ちたいと思っております」
思い出した。この如何にも人の良さそうな人が、カーラの旦那さんだ。
「妻のカーラです」
ジェフの紹介で、カーラは綺麗な礼をした。顔を上げる瞬間、私の方を見た。一瞬視線が絡んだだけなのに、敵意を感じてぞっとする。
「覚えているわ。カーラはパルネア城で侍女をしていたわね」
セレニー様は、にこやかに応じる。
「覚えていて頂いて光栄です」
カーラが微笑むと、セレニー様は頷いた。
「勿論よ。アネイラが迷惑をかけてしまった人ですもの。主としてあの時は申し訳なかったと思っているわ。これからは、ポートとパルネアの為に頑張る旦那様を支えてあげてね」
「……はい」
セレニー様?
私は驚いてセレニー様を見てしまう。
「アネイラは何をしたのだ?」
クルルス様の問いに、セレニー様はアネイラがカーラに水をかけた事を話した。カーラが無表情になる。……被害者だと言いつつ、セレニー様がカーラの恥を暴露しているのは明らかだ。クルルス様の隣に座っているシュルツ様も止めようとしない。これはまさか。
「それは災難だったな。……ところでアネイラと言えば、ローズ、最近の様子はどうなのだ?」
振り向いたクルルス様が、一瞬ニヤっと笑った。
「とても順調です」
何とか平静を保って答えると、クルルス様は頷いた。
「何よりだ。無事の出産報告を待っていると伝えてくれ」
「承りました」
……クザート、クルルス様にカーラの事を言ったわね。ここに居ないアネイラを引き合いに出して国王夫妻にカーラをけん制させると言うか、貶めさせるなんてやり過ぎだ。恨みを買ってしまう。カーラは、絶対に私かディア様が仕向けた事だと思っているに違いない。
カーラの様子を見るのが怖くて視線をセレニー様の方に向けていると、カーラの声がした。
「ポート騎士団の序列一席は、グルニアで羽目を外しているとお聞きしています」
聞き捨てならない言葉にぎょっとしてカーラの方を見ると、優雅に微笑んでいるのに、目が殺気立っていた。
「やめないか!」
ジェフが慌ててカーラを止めるが、その態度が真剣である為、余計に真実味を帯びて聞こえる。人々が一斉に雑談を止めて、会場は静かになった。カーラはそれを認識した上で言い募る。
「ジュマ族の話では、序列一席が若い下女と二人で長い時間を過ごしているとの事です」
「どこで聞いた話だ?」
クルルス様が眉間に皺を寄せて聞くと、カーラは続ける。
「グルニアからの連絡を持ってきたジュマ族の方からです。夫のお客様で、頼まれてお茶をお出しした時にたまたま聞いてしまいました。……直に見たとおっしゃっていました」
パルネア大使館員だけでなく、ロヴィスを始め、他の国の大使館員もこちらの話に聞き耳を立てている。
「クザート!」
クルルス様の呼び声で、ディア様の手を引いて、クザートが人をかき分けてこちらにやってくる。
「何でしょう?」
「ジルムートが、グルニアで女にうつつを抜かしているらしいのだが、本当か?」
クザートは笑って言った。
「うちの弟はそんなに器用ではありません。ローズを口説くのに何年かかったかご存知ですよね?」
「本当にじれったい程、時間がかかったなぁ。友として心配して忠告したのも一度や二度ではないぞ」
カーラの顔が強張った。
ジルムートをこれ以上攻撃する訳にはいかない筈だ。宴の主賓である序列二席の弟であり、騎士団のトップ。しかも国王の友人。ここまで言われても攻撃するなら、異国であれ不敬罪だ。
カーラはここで大人しく自分の言った事を詫びればいいだけだったのに、逃げ道を自ら断ってしまった。
「本当に信じられないと、ジュマ族の方もおっしゃっていました。実直勤勉なお姿で好印象だったのにと、お相手はとても愛らしい方だとお聞きしました」
矛先を私に調整してくる。つまり、ジルムートが悪いのではなく、私が可愛くないからダメなのだと言うつもりらしい。
「ローズが侍女として一流であると言う事は知っています。とても多忙である事も、私も侍女でしたので理解しています。忙しく家庭を顧みない妻との辛い暮らしを離れ、荒んだ心を癒す存在に出会われたのであれば、惑う事もあるかと思います」
私はぽかんとしてしまった。カーラの言っている事が、ジルムートと結びつかないのだ。
国王夫妻とクザート、そして背後の方に居た騎士達は、聞いた途端、一斉に口元を手で抑えた。給仕をしている中層の侍女達まで、グラスの載った盆を持ったまま肩を震わせている。……笑いを堪えているのだ。
きょとんとしているのは、ジルムートを知らない外国の大使館の人達ばかりだ。
我慢できないと言う様に噴き出したのは、会場の中心に居たラシッドとリンザだった。それにつられて、会場の騎士達に笑いが拡がっていく。とうとう国王夫妻も笑い出した。全く想像していなかった光景に、カーラがぽかんとしている。
「カーラ、ジルムート様はそんな方ではないのよ」
ディア様がそっと告げると、カーラはディア様を睨んだ。
「ローズの事が、その……信じられない程お好きなの。それこそ、疑う余地が無いくらいに」
ディア様の言葉で一気に顔が熱くなる。でも、それが私の知っているジルムートだ。
「あっちでも、ローズちゃんの淹れたお茶が飲みたいって口癖だったよ」
クザートが言う。
「そう言えば、ローズ様からもらったお手製の紐を手首に巻いていらして、よく手首に触れていらっしゃったな」
「ローズ様から頂いた文を休憩時間になるといつも眺めていらした」
「中身を覗き見られたら結婚出来るなんて、ラシッド様が言い出すから、皆必死で見ようとしたのですよ」
「俺のせいか?面白がって乗ったのはお前達だろうに」
「ジルムート様は優しいから、俺達の遊びに付き合って下さったが、結局、誰にも見せてはくださらなかったな」
「中身が気になる」
「結婚したい!」
会場から、出征中のジルムートの相変わらずな様子が聞こえてくる。改めて聞かされると……安堵もするが、死ぬほど恥ずかしい。
私が戸惑う中、クザートは穏やかな表情で私を見て言った。
「ジルは変わっていないよ。大丈夫」
胸が一杯になって、私は小さく頷き、俯く。泣いてしまいそうだ。
クルルス様が立ち上がる気配がして、声を張り上げた。
「ご来賓の皆様、ポート王国騎士団の帰還祝賀会ではありますが、未だ司令官である序列一席、ジルムート・バウティが帰還しておりません。出征自体は区切りの付いた形となりますが、わが国にとっての出征終了は、序列一席の帰還と考えております。その際には、今以上に盛大な宴をご用意しますので、是非とも、もう一度祝いの宴にご参加下さい」
会場がわっと湧いて、涙が引っ込んでしまった。思わず顔を上げる。……今、何て言ったの?
「ローズ、その時はあなたが主賓よ。素晴らしいドレスを仕立てましょう。あなたと一緒に並んで立てるなんて、今からとても楽しみだわ」
セレニー様が振り向いて、凄く嬉しそうに言う。……訳が分からない。私に何をさせるつもりなのか。
「あの……」
「馬車に乗ってパレードをして、中層のバルコニーから、中庭に集まった人達に向かって手を振るの。大丈夫よ。ジルムートも一緒だから。ジルムートが帰還したら、その日は記念日として、毎年祝祭日にすると決まったわ」
一気に血の気が引く。何でそこまでになっているの?祝祭日にするなら、クザート達が帰って来た日でいいじゃない!
「歴史に残る出征なのに、俺達第一陣の帰還程度が記念日になる訳ないだろう?」
クザートが見透かしたように言う。
「パルネアではグルニア併合記念日になるね」
シュルツ様がにっこりと笑って追い打ちを掛けて来る。
『騎士団の一番偉い人の奥さんなんだから、そう言う事はあって当然だよ。覚悟して結婚したんでしょ?』
アネイラの言葉が脳裏に蘇る。誰がこんなの覚悟できるっていうの?……嘘でしょ?
呆然としている私達の前で、ジェフがいきなり頭を下げた。
「申し訳ありませんが、妻の体調が悪いのでこれにて退席させて頂きます」
「慣れぬ異国で疲れただろう。大事にな」
クルルス様がそう言うと、ジェフは唇を噛み締めて震えているカーラの腕を引いて会場を出て行った。宴の空気は再び和やかなものになり、私は魂が抜けた状態でセレニー様の背後に控える事になった。
その後、カーラは一人でパルネアに帰った。ジェフは一人で大使館勤めを続けている。
改めて謝罪に来たジェフが言っていた。
「俺は、出来ないと簡単に言いたくない見栄っ張りでここまで生きて来ました。カーラにも似た所があったので、気持ちを理解してもらえると考えて結婚したのですが、上手く行きませんでした」
地味顔だが、どんな仕事を振ってもこなすジェフは、パルネアでは有能な役人として人気だったらしい。大使館が、わざわざ引き抜いた人材だったと後で聞いた。
パルネアとポートの緊張は、シュルツ様の王位継承により和らいで行った。
気付けば、ジルムートの居ない暮らしが、一年になろうとしていた。




