薔薇になれなかった侍女
パルネアの薔薇……身分の低い侍女が、良い嫁ぎ先を得られる様に国王がお墨付きを与えると言うもので、パルネア城の若い侍女にとってあこがれの称号。数に制限はないが、未婚の現役侍女では、多くても同時期に五人程しか居ない。離職しても結婚しても、称号がはく奪される事は無い。(昔の薔薇と言う扱い)
ディア様に、リンザのドレスの事もあるので話をする事にした。私が日勤で、ディア様は夜勤。丁度交代の時間だった。
今回、帰還した騎士で一番上に当たるのがクザート、その次がラシッドになる。ディア様とリンザのドレスのつり合いを取りたかったのだ。同じ色で同じデザインとか、一方だけが派手過ぎると言う事が起こるのは避けたい。
出仕して来たディア様は、憂鬱そうな顔をしていた。話を聞いてみれば、祝賀会が原因らしい。
「お城でキスしなくて良くなったのですよね?」
私が聞くと、真っ青な顔をしてディア様は言った。
「当たり前じゃない。そんな恐ろしい事、絶対に無理よ」
私はその恐ろしい事をしなくてはならない可能性があるのですが……。
「ローズは、カーラを覚えている?」
少し考えて、嫌な思い出にぶち当たり、眉間に皺が寄る。
「はい……」
カーラ・ベルモンド。
私の先輩侍女で、ディア様と同期に当たる。
元貴族と言う理由で、平民出身であるディア様を事あるごとに苛めていた人だ。私とアネイラにとっても鬼門と言うべき人物。結婚して侍女を辞めたけど……何で今更出てくるの?
「カーラ様がどうかされましたか?」
「パルネアの外交官がシュルツ殿下の帰国と同時に入れ替わるそうなの。カーラが祝賀会に来るのよ。……今回来る大使館職員の奥さんなの。パメラ様が急ぎの手紙で知らせてくれたのよ」
「え……」
パメラ様と言うのは、ディア様より更に年上である侍女の大先輩だ。薔薇の称号を持っていた方で、現在のパルネア騎士団長と結婚した。……騎士団の伝書鳩を使って連絡してきたのだろう。知っている人間にとっては、それ程の大事なのだ。
カーラは仕事が良く出来たのに、薔薇の称号をもらえなかった侍女だ。だからディア様に凄く恨みを持っていた。彼女を飛ばし、私とアネイラが薔薇の称号を得た事も、痛くプライドを傷つけたらしく、私もアネイラも恨まれた。思い出して身震いする。
「賓客として、祝賀会に来ると言う事ですね?ディア様、近づかない方がいいですよ」
「挨拶がてら寄って来るでしょうから、それは無理よ」
カーラと言う人は性格に難ありだが、仕事に関しては一流だった。失敗する所など見た事が無かった。
ディア様程ではないが美女でもあるので、にっこり笑えば男性は誤魔化されてしまう。だから嫌がらせを受けても理解されなかった。
私もアネイラも、先輩侍女なのでカーラに頭を下げた瞬間に、何故か服が濡れていたりする事があった。濡れている原因に関しては、カーラがポケットに水入りの香水瓶を入れて持ち歩いているからだと、だんだん理解する様になった。物凄く自然に嫌がらせをする人だったので、私達も最初は分からなかったのだ。
問題はその水の量が、着替えるかどうか微妙という量に調整されている事だ。忙しいと不快なまま仕事を続ける事になった。ほんのりといい匂いのする水だから、従僕や騎士達は、嫌がらせだと理解してくれなかった。 侍女やメイド達は、私達が嫌がらせに遭っていると理解していたが、カーラに意見する様な猛者は居なかった。……同じ目に遭うのが嫌だったのだ。
ディア様は水をかけられるよりも酷い事をされていた。本人は黙っていたが、それこそ怪我だってしたのだ。服に針が刺さっていた事が何度もあるのだ。……しかし証拠が無かった。
とにかく、どうしたら良いのか分からない人だった。人が嬉しいからと話す事を自慢話だと言い、笑い声さえ許せない。話を聞けば満足するのかと黙って聞いてみれば、内容は愚痴と悪口で、いくら聞いても機嫌は一向に良くならなかった。
我慢できず、パルネアの母に泣き付いた事があった。すると母が言ったのだ。
「カーラは薔薇になれない。それが全てよ」
つまり社会的な制裁は受けているから、我慢しろと言うのだ。
「あの人のやっている事は犯罪じゃない!」
「耐えて」
「でも……」
「ローズ、城の秩序は下から上へは昇りません。上から下へ。これは絶対なの。侍女の地位は低いわ。侍女同士のいざこざが城の恥だと判断されれば、城の侍女が総入れ替えと言う事になってもおかしくないの。……分かるわね」
不満や不平を迂闊に口にしてはいけない。それが階級制度のある、この世界の掟なのだ。パルネアではその掟の中で甘んじてカーラの行いを受けていた訳だが、辛くなかったと言えば嘘になる。
とうとうアネイラが我慢できずにやり返した。結果、アネイラだけが咎められ、十日の謹慎処分になった。カーラは被害者扱いとなって罰せられる事は無かった。……アネイラが、木桶いっぱいの水をいきなり頭からかけるからだ。
悲劇の侍女を演じたのか、カーラはその時の縁で、今回大使館に来ると言う職員と結婚する事になった。将来有望な役人だと自慢されたのを思い出す。名前も思い出せない人だが、年齢が私とあまり変わらなかった事は覚えている。相手は年下だったのだ。アネイラとの事件で、処理を任されていた事から出会い、婚約に至ったらしい。
アネイラは婚約の報告を聞いて凄く荒れていたが、カーラが侍女を辞める事になったので、二人で祝杯を上げて忘れようと決めたのだ。
「クザートに説明しておいてはどうでしょう?」
「女の嫌がらせの話なんて、抜刀許可証を持っているクザートに話していいのかしら?」
「それは私も……よく分かりません」
上手く言えないが、スケールの違いを感じる。私もこういう話はジルムートにした事が無いから、どう言う反応をするのか分からない。ただ、ディア様の事でクザートが妥協しない事は理解しているだけに、何が起こるか分からない怖さはある。
「シュルツ様の事件があったから、パルネア人に対しては丁寧に対応する様にと城の全員に通達があったでしょう?」
「ありましたね」
「今度赴任してくる職員の奥様だもの。下手に問題を起こす訳にはいかないわ」
「困りましたね」
「お祝いの席だし、できれば何も起こさない様にしたいのだけれど、どうしましょう」
私も内心、強い不安を感じている。……ディア様だけでなく、私もカーラには目を付けられている。カーラは強かだ。今のポートとパルネアの情勢も理解した上で、嫌がらせをしてくる事は目に見えている。私もディア様も、地位と結婚したつもりは無いが、あちらからすれば高位武官と結婚した事すら許せない筈だ。
そんな女が、荒んだパルネアからやって来る。何もしない筈が無い。出征が無事に終わってほっとしていると言うのに、やめて欲しい。
「少し……情報を集めてみます」
私が言うと、ディア様は不安そうな顔をした。
「ローズ、パルネアとポートは友好国でなくてはいけないわ。まだ何も起こっていないし、私達の事情を理解してもらうのは難しいわ。……慎重にね」
大使館職員の妻を悪者にすれば、シュルツ様の事件も併せて、二国の関係が更に悪化しかねない。そんな事になるのは私も困る。
「はい。とにかく手をこまねいていると、祝賀会が失敗する事も考えられますので」
ディア様の言い分は良く分かる。しかし、パメラ様がわざわざ手紙で伝えて来たと言うのだから、カーラの存在をこのまま放置するのは危険だ。
「コピート様」
詰所を覗き、一人で机に座っているコピートを呼ぶ。
「ローズ様?」
「ちょっとお聞きしたい事がありまして」
「いいですけど……珍しいですね。ローズ様から聞きたい事があるなんて」
「ええ、今回はちょっと特別なのです。私だけでなく、ディア様の危機なので」
するとコピートがぎょっとした顔をしてから焦って言った。
「相談されるなら、俺よりも適任が居ると思います」
ポートの騎士と言うのは、人に気付かれない様に気配を断つ事が出来る。犯罪者を捕まえるにしても、護衛をするにしても便利なのだそうだが……一般人にとっては、いきなり背後に立っているので心臓に悪い。
恐る恐る振り向くとクザートが居て、物凄くいい笑顔で見下ろされてしまった。
「俺も聞いていい?」
「あ~……」
言い逃れ出来ない。にこにこしていながら、圧迫感が半端ない。結局、事情を詰所で話す事になってしまった。かいつまんで話したから、ポートの騎士に何処まで理解されたかは分からない。
「ディアの様子がおかしいのに理由が分からなかったんだ。そう言う事か」
「……そう言う事です」
「それで、ローズちゃんの解決方法は?」
「解決方法と言うよりも、ポートの騎士が集まる場所で、女性同士がいざこざを起こした場合、どうなるのかを知りたかったのです。……奥様同伴のパーティなんて、ポートではあまり開かれていないでしょう?だから分からなくて、コピート様に聞いてみようと思っていただけなのです」
コピートは慌てて言う。
「俺だって、聞かれても分かりませんよ。出た事ありません。今回の祝賀会も警備担当ですし」
「どうして俺に内緒だったの?」
にっこりとしながら聞いて来るクザートからは、息も詰まりそうな圧迫感を感じる。
異能漏れなのか単なる威圧感なのか、クザートの異能は視覚化されないから分からない。ただ、不満に思っている事は理解できる。
「義妹と妻が揃って俺に隠し事をするなんて、ちょっと傷つくじゃないか」
「ごめんなさい」
素直に謝るべきだと判断して謝る。
「そういう奴は、改心しない。君やディアの仕事を熟知した上で、巧妙に嫌がらせをする相手だよ?どうするつもりなの?」
「分かりません」
「もしかして……一時的な事だから、裏方の自分がディアの分もやられて黙っていれば良いって考え方、してないか?」
クザートの言葉に私は黙る。それが一番良いと思っていたからだ。
「ローズちゃん、それはダメだ」
クザートが厳しい表情で言う。
「いいかい?君とディアに恥をかかせるって事は、ポート騎士団の序列一席と二席を愚弄するのと同義だ」
「でもシュルツ様の事件でパルネアに対して、ポートは借りがあります。強く出れば、あちらはそれを出してきます」
「それでも、パルネアの外交職員の妻に好き勝手させる理由にはならない。そこで問題が起こっても、処理するのはクルルス様や外交関係の役人の仕事で、俺達は何があろうと屈してはいけないんだ」
クザートは噛んで含む様に言った。
「国民にとって、ポート騎士団は頼れるが畏怖の対象でもある。国民を守る盾であると同時に、冷酷な王の犬だからだ。……今回は、出征と言う騎士団の歴史でも、かつてない大仕事を終えた事を祝う宴だ。そんな大事な席で、国同士のいざこざを傘に着て騎士団を貶める様な真似、許したら騎士団の威厳が地に落ちる。それはあってはならない事なんだ」
反論の余地が全く無い。丸く収める事ばかり考えて、そんな事を考えなかった自分を情けなく思う。
「厳しかったか。ごめん」
表情を和らげたクザートにそう言われて首を左右に振ると、クザートはぽんと私の頭に軽く手を載せた。
「君達には侍女として弁える事だけでなく、俺達の妻であると言う誇りを守る事も考えて欲しい。難しい事かも知れないけれど、これはとても大事な事だから」
「はい」
「俺だって諍いを望んでいる訳じゃない。……とにかくその件は俺が何とかするよ。心配しないで」
そんな事で、カーラの件はクザートを巻き込む事になり、私とディア様の手を離れてしまった。ディア様は夜勤明けにクザートと館に戻り、そこで色々と言われたらしい。特に、悪質な相手について情報提供しなかった事について、かなり叱られた様だ。
「すいません。私が言ってしまったせいですね」
「これで良かったのよ。ずっと黙っていたら、クザートはもっと怒っていたと思うから。……私がカーラに恥をかかされれば、ポートの治安にまで影響するって、凄く叱られちゃったわ」
「別に騎士だから夫に望んだ訳ではないのですけれどね」
私がそう言うと、ディア様も同じだったのか笑ってくれた。騎士の妻と言うのは、騎士の尊厳を保つのも大事なのだと、私達は再認識する事になった。
「絶対にクザートから離れないでくださいね。隙を作ってはいけません」
「ええ、クザートにもそう言われたわ。ローズは大丈夫?」
「私は国王陛下夫妻の側から離れられないので……多分、大丈夫です」
今回は二歳の誕生日も間近と言う事で、宴席に慣れる為にカルロス様も出席する事になっている。私はそのお世話も兼ねて、ルルネと一緒に宴の会場でセレニー様達の側に控える事になった。警備の騎士と共にセレニー様の背後に立つ格好なので、カーラは私だけに近づく事は出来ない。
「それよりもドレスを何とかしないと、リンザが間に合わないと悲鳴を上げています」
「そうね。デザインや色のつり合いを取らなくてはいけないわね。……緊張して来たわ。まさかお城でドレスを着る立場になるだなんて」
私達は、自分達の得意分野の話に集中する事で、不安を払拭する事にした。起こっていない事をいつまでも心配していても仕方ない。
ディア様とリンザは、昼間の出立式典中は侍女として働き、夜には騎士の妻として祝賀会に参加する。大忙しでスケジュールが詰まっている状態だ。侍女の数が減る分、私達も全く余裕のない状況になる。それを見越して、出来る事は全部やっておかなければならない。
中層の侍女達や侍従、従僕達とも打ち合わせを繰り返している内に、カーラへの不安よりも、式典と祝賀会の両方を無事に終えたいと言う気持ちの方が勝り、そちらに集中していく事になった。準備はいくらしても足りなくて、そうこうしている内に、その日を迎える事になっていた。




