騎士の妻
「男嫌いでなんちゃってお嬢様の私が、父親くらいの年齢の使用人に下着の洗濯を任せるとか、出来ると思う?」
その感覚は分かる。私も下着は自分で洗う派だ。
「頭下げて洗ってもらうなら、自分でやるわよ。あんたの分の洗濯が無いのよ?少ない洗濯だもの。一緒にやっちゃっただけよ」
リンザは続ける。
「ご飯だって、作るのが趣味なのよ。作るなら沢山作りたいの。知っているでしょう?」
多分、たまに作る分には問題なかったのだろうが、これがどんどん恒常化したのだろう。
「その挙句、掃除までしなくなった使用人なんて意味が無いだろうが」
「あんな年上のおじさん達に仕事を振り分けるのなんて無理」
リンザは、使用人に仕事を割り振らなければいけないのに、それが上手くできなかったのだ。結果……完全に舐められてしまったと言う事らしい。
ラシッドはため息を吐いて言った。
「若い男の使用人なんて、俺が留守の館に入れられないだろう。女の使用人は探したが、信用できる者を吟味している時間が無かった」
「あんたを責めている訳じゃない。私がダメなだけ。ローズ様やファナが普通に騎士の奥さんを出来ているから、私も出来ると思っていたの。でもそうじゃなかった」
暗い顔でリンザは続ける。
「私はご飯係がお似合いなんだなぁって思ったら……凄く惨めになって、後悔したの」
「何を?」
ラシッドの強い口調におどおどしながら、私をちらりと見てからリンザは言った。
「その、あんたと……同居するような関係になった事」
ラシッドが一瞬霞んで見えた。……異能漏れだ。怒っているのは明らかで、リンザもそれが分かったのか、思わず私にしがみつく。
「ラシッド様、落ち着いて下さい」
「あのなぁ、そこは俺に腹を立てて責めた後で、寂しかったと抱き付く所だろうが!」
「私からあんたに抱き付いた事なんてないわよ!」
……リンザ、私を盾にして反撃しないで。
「じゃあ、今からやれ」
「絶対に嫌!」
ラシッドは、逃げ腰のリンザが本音で物を言える様に私を呼んでいたのだ。分かるが、間に私を挟まないで欲しい。
「お前は俺に惚れているのに、何故そこまで抵抗するんだ」
「あんたがローズ様の事だけ好きだって言って、私の事は妻にするとしか言ってくれないからよ!」
ラシッドがリンザを睨む。
「お前なぁ、プロポーズされても不満なのか?」
私にしがみついていたリンザの力が急に弱くなった。
「ローズ様の事は好きと言っても、もう男女の好きじゃない。お前は知らないだろうが、ジルムート様とクザート様が大喧嘩をして武器庫を壊した時、二人を叱った方だぞ?グルニア人に誘拐されても、有益な情報を持って生還した方だぞ?騎士団では、誰も普通の侍女だなんて思っていない。ローズ様が様付けで呼ばれているのは、クルルス様の命令だからじゃない。皆、納得してそう呼んでいる。……ジルムート様の奥方でもあるし、俺の妻なら優先しても我慢しろと言う意味で言った」
何それ、全然聞いていない。というか……どう考えても恐れられているよね?地味にショックだ。
「じゃあ、ローズ様の事は……」
「敬愛ってやつだよ。こんな凄い人と夫婦になれるのはジルムート様だけ。俺には無理」
リンザの気を引く為とは言え、その言い方はあんまりだと思う。私が何を思っていようが、ラシッドは気にするつもりなど無いのだ。リンザも気にしていない。それどころではないのだ。
「お前が焼き餅を焼く事は計算していたが、館がこんな事になっているのは予想外だった。もうこんな事は起こらない」
ラシッドはそこで言葉を一旦切って言った。
「だから、こっちに来い」
リンザがむっとして言う。
「何で、そこで好きだとか言わないのよ!」
「言わなくても、分かってるじゃないか」
思いがけない返しに、リンザが真っ赤になった。
「俺はお前が俺の妻になったと、縁談を世話してくれたローズ様に報告する為に、ここに来てもらった。無かった事にはさせない」
ラシッドは次にとんでもない事を言い出した。
「パルネアでは夫婦になった事を周囲に報告する為に、キスをして夫婦仲をみせびらかす宴がある。ジャハルがやったそうだな。今度クザート様がやる。うちもやる」
違う。パルネア人はみせびらかすのではなくて、気楽に集まって騒ぐ口実にしているだけで……キスは確かにするけれどあんな濃厚なのではなくて……絶対に違う。とにかく違うのよ!
私の頭の中の言い訳は、虚しく消えていく。ジャハルがパーティに呼んだ人達は騎士関係者が多かった。文化の差から、アネイラの結婚披露のパーティが歪んだ形で出征した騎士達に伝わっている。
ディア様は、今頃クザートの帰還を喜びつつ苦悩している筈だ。
「アネイラ様の結婚披露パーティでしょ?くじで負けて出席できなかったけど、プリシラから聞いてる。一夫一妻が定着してきた今のポートなら絶対に流行るって言っていたけれど、そんな事したら他の女の人を妻に出来なくなるよ?」
「する気が無い。俺は何人も面倒を見る程、暇じゃない」
プリシラ、何て事を!ファッションリーダーである彼女が広めたら、あっと言う間に流行してしまう。私とディア様はあのパーティについてだんまりを決め込んでいたのだが、まさかプリシラがそんな風に思っていたなんて。ちゃんと説明すれば良かった。
「……本気なの?」
「出征からの帰還祝いも兼ねて、嫌がってもやるからな。妻は一人だけだ。いい加減分かれよ、リンザ!」
ラシッドがしびれを切らした様に手を広げる。
恐ろしい話に発展している事に私が強張っている内に、リンザが立ち上がってあっと言う間に飛びついた。ラシッドは心底嬉しそうに抱きしめる。
「ただいま」
ラシッドが言うと、リンザが腕の中で言い返す。
「おかえり」
物凄く感動的な光景だと言うのに、私は恐ろしい考えに至り、目の前の現実が遠くなっていた。二人は暫く抱き合い、落ち着いた頃に私を思い出し、ラシッドが館まで送ってくれる事になった。
帰り際、館の前で見送ってくれたリンザがこっそりと言った。
「女からプロポーズしたり、夫婦をお披露目するパーティをしたり、パルネアは素敵な国ですね。これからも色々と教えてください。私、ラシッドと一緒に一生ローズ様について行きます」
私はもう言い訳をする気力も失い、脱力して乾いた笑みを浮かべる事しかできなかった。そんな情熱的な感じじゃないから。どうしてこうなったのだろう。
ラシッドが操る馬車で帰りながら、漠然と自分の未来を考える。
もし今回の帰還でこのお披露目パーティが大流行したら……ジルムートは間違いなくやると言うだろう。序列一席の帰還パーティ。それこそうちの中庭では足りなくて、お城でって話になりかねない。そうなったらクルルス様とセレニー様も出席すると言うに違いない。国家レベル。……武闘会の試合の後で、ほっぺにキスした程度のものでは済まない。
「うわぁ、嫌だよ~」
頭を抱える。すると御者台から大きな笑い声がした。……聞こえていたらしい。
「何が面白いのですか?」
ラシッドの背中に言うと、ラシッドはちらりと私の方を見てから言った。
「ローズ様が何に困っているのか、分かっています。パルネアの郷土史の本を読んでいるので」
思わず御者台へ顔を出す。
「それって、見せびらかすパーティじゃないって知っているって事ですか?」
「はい。クザート様もご存知です」
「じゃあ……何で」
「俺達も、出征から戻ってきた実感が欲しいのです。ローズ様から見れば、悪乗りしていると感じるでしょうが、帰る場所があって大事な人が居て、周囲がそれを祝ってくれるなんて、凄く嬉しい事じゃないですか。だからやりたいのですよ」
出征先で、グルニア人が窯に入れられて殆ど居なくなっていたと言う話は、ルミカから聞いている。ラシッドも色々と思う事があったらしい。こんな事を言うなんて。
「それに妻が侍女をしていると他の男の事も心配です。こういうのをやっておけば、誰もそんな事考えないでしょう?」
「ラシッド様やクザートの奥様にちょっかいを出す様な人、居ませんよ」
私の言葉に、ラシッドは真顔になって私の方をちらりと見た。
「シュルツ殿下もランバート・ザイルも、あなたにちょっかいを出したのでしょう?」
情報源はルミカか。何時の間に。……視線を思わず逸らすと、ラシッドは苦笑して言った。
「上位騎士の妻を利用しようと考える者が居ると分かった以上、何かしたらタダではおかないと言うけん制は必要です」
そう言う目的があるんだ。だとしたら、クザートもラシッドも歪んだ認識を訂正せず、ポート流のお披露目パーティを断行するに決まっている。それでも抵抗を試みた。
「もっと他の方法があると思うのですが……」
「ジャハルだけずるいですよ。あのおっさんにだけ、おいしい所取りはさせません」
「女としては恥ずかしいだけなのですが」
「それはパルネア人の感覚でしょう?ポート人はそこら辺、気にしませんから」
私が心底嫌な顔をすると、ラシッドはまた大きな声で笑った。
「こんなに笑ったのは久しぶりです」
こんな風に笑う人だったかな?ちょっとそう思いながら言う。
「……リンザと上手く行って、良かったですね」
「ありがとうございます。あなたにそう言われて素直に喜べる日が来るとは思っていませんでした。……人生は何が起こるか分かりませんね」
館の前で馬車から降ろしてくれた後、ラシッドは言った。
「ルミカ様は明後日グルニアに行かれます。……何か困った事があったらクザート様だけでなく、俺にも相談して下さい。あなたは色々と人に頼まれ事をされやすい。気を付けて下さい」
今のラシッドになら頼ってもいいと思えた。もう私への気持ちは過去になったのだ。
「分かりました。おやすみなさい」
そう言って笑うと、ラシッドも笑った。
「おやすみなさい。ローズ様」
館に到着して中に入ると、ルミカが待っていた。
「その様子だと上手く行ったみたいだね。つまんないなぁ」
ルミカが面白く無さそうに言うので、苦笑するしかない。
「こじれていたら、ルミカも困ったでしょうに」
「まぁ、そうなんだけどさ。憎たらしいじゃないか。……兄上への手紙、明後日に出発するから、それまでにね」
ルミカは明日、騎士の凱旋を見届けたらグルニアに向かうらしい。
「分かりました。ジュマ山脈を越えるのは大変でしょう?くれぐれも体を壊さないようにしてください」
「うん。辛いけど頑張るよ。戻って来たらローズが侍女の可愛い子を紹介してくれるしね」
酔っぱらっていたから忘れていると思っていたが、どうやらそうではなかったらしい。困ったなぁと思っていたら、ルミカは続けた。
「グルニアで、俺達は戦うつもりだったんだ。魔法の対策もして、未知の魔法使いを相手にするんだって気負っていたんだよ。戦争だって。でも行った先で待っていたのは、人の居なくなった帝都と王宮だった」
ルミカは目を伏せる。
「俺達が行かなくても、窯の魔法燃料が尽きてゲオルグとヴィヴィアンの魔法は終わりになっていたんだ。俺達はその最後を見届けただけ。偵察に行った時に俺が殺せていればと……何度も思った」
ゲオルグはルミカの心に一生消えない傷を残した。これは消えないだろう。
「偵察に行った時には……それなりに人が居たんだよ。ポーリア程じゃないけれど、確かにグルニア人は居たんだ。女も子供も居た。皆、窯に追い立てられて消えたんだと思ったら、自分で命を奪うよりも息苦しくなった」
きっとルミカだけじゃない。他の出征に行った騎士達も強い衝撃を受けたに違いない。
「変な話なんだけどさ、怖くなったんだよ。出征から戻ったポーリアがこんな風になっていたらどうしようって。……戻って来たらいつも通りで、それがただ嬉しかった」
ラシッドも馬車で嬉しそうに笑っていた。……同じ気持ちだったのだ。
ラシッドは自分の感情を巧妙に隠し、人の感情を斜に見ていた。しかし今日のリンザに対する物言いは、ただリンザに触れてポーリアに戻って来た事を実感したいと焦っていた様にも思えてくる。
「ポートを守りたいなら、強いだけじゃいけない。家族を作って先へ繋がないといけないんだって強く感じた。結局、人は一人では生きられない。俺は愛してくれたアネイラを深く傷つけて強さに固執した。馬鹿だったんだ」
そこまでと一転して、ルミカはにっこりと笑った。
「だから、やり直しの機会を与えて欲しいんだ。……アネイラにしてしまった様な事は二度としない。ローズが俺に合うと思う子を見立てて。俺には決められない」
服みたいに簡単に言わないで欲しい。人の人生がかかっているのに。
「重いです。そういうのは困ります」
「ラシッドには紹介したじゃないか」
「あれは……色々と事情があったのです」
「兄上に手紙を届けなくていいの?」
「ジルが怒ると思います」
「兄上はきっと許してくれる。俺は可愛い弟だからね」
ごねているルミカを置き去りにして自分の部屋へ戻ると、ジルムート宛の手紙を大急ぎで書きあげ、絶対に渡せと念を押して渡した。
翌日の昼前、馬に乗った精鋭達がポーリアの町に入った。先頭はクザートで、ちゃっかりラシッドも一緒に戻った様な顔をして馬で城までやって来た。ディア様とモイナは馬車なので、午後になってからポーリアに戻って来た。二人は長く身を寄せていた耳かきサロンから、クザートの新しい館へと引っ越した。
そしてその翌日、ルミカがポートを発った。
ルミカの居なくなった館はやけに静かだった。館に居座っていたのも、私の為だったのだと一人で食事をして気が付いた。お礼はしたいが……どうしたものかとため息が出た。




