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耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
ポーリア騒乱
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リンザ・グリニスの憂うつ

 ポート騎士団が帰国した。港はポーリアではなくてアルガネウトだった。凱旋と言う事で、馬でポーリアに入る事になっているのだそうだ。

 制服もボロボロ、髪も髭も伸び放題、お風呂にも長く入っていない状態の騎士達を、いきなり民衆の前に出せないからだとルミカは言っていた。確かにそうかも知れない。

 ジルムートが居ない事は分かっているけれど、やはり皆無事で戻って来てくれると思うと、嬉しい。

 クザートを出迎える為にアルガネウトに行くディア様の代わりに城に残った私は、リンザが行かない事を気にしていた。

 今はセレニー様のドレスの整頓中だ。型遅れになったドレスはクローゼットから衣裳部屋へ移動させる。移動させる前に、洗濯できるものはするから、その選り分けもする。

 衣裳部屋では、以前に片付けたドレスに虫食いや染みが無いかを確認し、侍女の判断で始末する事になっている。

 暖かいポートでは、どれだけ虫除けの香を焚いても虫食いが発生する。ドレスの寿命は案外短いのだ。

「リンザ……今からでも出迎えに行ってはどうですか?」

「放って置いても帰って来ます」

「それはそうでしょうが……」

 リンザは私をじっと見た。

「ローズ様はラシッドの気持ちを、もう知っているのでしょう?」

 仕事中にする話ではないが、ここは衣裳部屋で私とリンザしか居ない。

「本人が出征前に、わざわざけじめを付けに来ました。一生リンザのご飯を食べるつもりだそうですよ」

 リンザはそれを聞いて、口を引き結んだ。

「嘘だと思いますか?」

 首を左右に振ってリンザは言った。

「ご飯係として私を手放す気が無い事は分かっています。ただ、ローズ様の事は何をどう言おうと一生好きなままだろうから、そういう人に触られたくないと言うか……」

 言わんとする事は分かる。女としてそれは共感する。

「出征から帰って来たら、妻として扱うと言われていたので……それが憂鬱なのです」

 リンザはしょんぼりして続ける。

「ラシッドは私に対して正直です。嘘を吐きません。でも誠実と言う訳じゃないんです」

「そう言えば、出征前から同じ館に住んでいたみたいですが、何があったのですか?」

 リンザは少し困った様に言った。

「私。うっかりラシッドに情けをかけてしまいました」

 ……うっかり?

「お城の地下での騒ぎがあった後、あんまりにも落ち込んでいるので見ていられなくて。……色々と面倒を見てもらったお礼なんて、一度も言った事がありませんでしたから。その、全く経験が無いまま一生を終わるのもどうかと思っていましたし……。とにかく、ラシッドは私の事など何とも思っていないので、無かった事にしてくれると思っていたのです」

 しどろもどろになっているリンザを、私は思わずぽかんと見てしまった。

 それから慌てて言う。

「リヴァイアサンの騎士の場合、うっかりでは済みません。子供は異能者です」

「そうみたいですね。後で聞かされてびっくりしました」

 ラシッドはリンザと婚約を結ぶとき、リンザがその気にならない限り手を出さないと私に約束していた。リンザに好きな人が出来たら、別れるとも言った。もしリンザが別の人と人生を歩むとしたら、リヴァイアサンの騎士についての知識は問題になる。だからラシッドは黙っていたのだ。

 リンザがその気になった上に、ラシッドが全てを話したと言う事は、夫婦として完全に出来上がってしまっている。

「ラシッドが私に対して、責任を取る気でいる事は理解しています」

 リンザは、そこで力拳を握って言う。

「で・も!帰って来たら妻として扱うって言った直後に、ローズ様は特別枠だから、優先しても我慢しろとか言われた訳です。それで出征に行ってしまったのですから、私としては納得いかないのですよ」

 最低。そんな事言うな!

 ラシッドは、ストーカー根性を捨てるべきだ。私だって嫌だ。何年もの妄想で作られた私への気持ちなんて、忘れて欲しい。

 リンザに申し訳ない気持ちで一杯になる。

「ごめんなさい。私のせいですね」

「わあ!ローズ様、気になさらないで下さい。縁談の話に乗ったのは私です。お陰で今もお城で働けているし、ウィニアも他の弟妹達も元気に過ごせています。だから感謝しているくらいなのです」

「私は侍女としてのあなたを高く評価しているから、お城を辞めて欲しく無くて……あんな縁談を持って来てしまいました」

 リンザは首を左右に振って笑った。

「私もお城の侍女を辞めたくなかったので、あのときに何度戻っても、同じ選択をしたと思います。悔やんでいるのは、ラシッドの事情を知らずに、慰める方法を間違えた事だけですから」

 二人して神妙な顔で黙った後、リンザがぽつりと言った。

「出征から帰った夫と会うのを拒む方法ってあると思いますか?」

 そんな答え、私は持っていない。黙っていると、リンザはため息を吐いた。

「他の方達には悪いのですが、アルガネウトとポーリアの間で土砂崩れとか起こればいいのにって、思ったりします」

 不穏な事を言いながら、リンザは作業に戻った。私も自分の作業に戻る。

 ソワソワしているとは思っていたが、私の考えていた気持ちとは、かけ離れたものだった。帰って来ると困るから落ち着かなかったのだ。

 ラシッドは確か私にも言っていた。私の事は好きだが、必要なのはリンザだと。

 必要。

 あの時は深く考えなかったが、今のリンザの様子を見ていると、必要と言う言葉は、それだけを伝えられても全く嬉しくないのだと分かって来る。

 リンザは、ラシッドが食事など自分の欲求の為に自分を必要としている。そう考えているのだ。

 ラシッドが、絶対に言いたくないであろう失態を打ち明けてまでけじめをつけに来た姿を思い返すと、リンザを便利な女扱いしているとは思えないのだが……。

 事情がどうであれ、ラシッドが悪いのは明らかだ。人妻の私に好きだと言って、妻に気持ちのこもった言葉をかけないとか、馬鹿じゃないかと思う。

 出征前にちゃんと気持ちが通じ合っていたのだと思っていたのに……全然だった。

 リンザが一度だけとは言え、情を交わしたラシッドに素っ気ないのには理由がある。騎士達が出征した後、何度かアネイラの館でお茶会をする機会があり、その時に聞いた。

 リンザの父親は女性の斡旋を生業にしていただけあって、女性関係にだらしなかった。結果、リンザは大勢の異母弟妹の世話をする事になった。

 この父親の怖い所は、リンザや彼女の姉妹達も商品扱いしていた事だ。リンザは大人しく従順な妻を求める商売相手に、商品として出すには問題があるとされた事から侍女に出される事になったが、姉が何人も商品として出荷されるのを見ていたから、結婚に夢を持てなくなった。恋愛もそうだ。男性の恋情は下半身に直結していると考えているから、全く信用していない。

 だからラシッドの事は夫としてではなく、新しい家族として扱っていたらしい。リンザの扱いを弟妹が受け入れ、ラシッドは良く食べるお兄さんとしてリンザの家に居場所を得た。

 そんな彼女が、何故ラシッドの館に移り住んだのか。理由は明白だ。ラシッドがリヴァイアサンの騎士の妻としての囲い込みを強化したからだ。

 万一子供が出来ていたら、リンザの弟妹と一緒に育てると言う訳にはいかない。力の使い方を覚えれば、子供でも怪力になるから、普通の子供と一緒に育てる事は出来ないのだ。だから父親が力の制御を教え、力に負けない体を作る鍛錬をするのがリヴァイアサンの騎士の子育ての伝統なのだ。

 モイナの様にパルネアで力と無縁なまま育った女の子でさえ、それを逃れる事は出来なかった。王立研究所である程度の鍛錬はしてくれているそうだが、鍛錬方法はクザートが決めたものだと聞いている。

 ミハイルは、異能は小さいが魔法が使えるから、どっちも使える様に育てていると聞いた。アリ先生をはじめとする研究者達や、ハリード、ジャハル、コピートまでもが協力して面倒を見ている。

 本人の強い要望で、どっちも使える様になりたいと言う事らしいが……大変そうだ。

 リンザは、愛情の確認出来ない夫の子を産んだ後、その子育ての多くも父親であるラシッドに任せなくてはならない。それも嫌なのだろう。彼女は子供好きだ。ラシッドに期待できなくても、子供とは信頼と愛情のある関係を結びたかったのだろう。

 私もそんな事になると分かっているなら、同じ気持ちになったと思う。リンザは弟妹の事もあるから身動きが取れず、天災を願うしかない状況に陥っているのだ。

 首を突っ込みたくないが、見て見ぬフリも出来ない。

 頭を抱えて悩みながら、ジャハルの館へ行く事にした。

 つわりが軽いので絶好調なアネイラが出迎えてくれた後、談話室でため息を吐く。

「アネイラには悪いんだけど……今日は、ジャハル様に会いに来たの」

「ジャハルさんに?何の用?」

「ちょっと、聞きたい事があって」

「それ私が聞いたらダメな奴?」

「うん」

 それだけ言うと、アネイラは呆れた様子で言った。

「また、おかしな事に巻き込まれているんじゃないでしょうね?」

「巻き込まれていると言うよりも、巻き込んでいる事が多いのよ。私……」

 どんよりした空気を纏ってそう言うと、アネイラは苦笑した。

「騎士団の一番偉い人の奥さんなんだから、そう言う事はあって当然だよ。覚悟して結婚したんでしょ?」

「……結婚は勢いで決めたから、そんな覚悟してない」

 アネイラは呆れた様子で言った。

「あんた、結婚して結構経っているよね?しかも一応騎士団の所属でもあるんでしょ?」

「名誉席なんて単なるお飾りの称号。意味無いよ」

「でもあんたの事、騎士は皆、様付けで呼ぶじゃない。あれ、同じ侍女として、かなり異様な感じだったんだけど」

「ジルは怖いし、クルルス様の命令だからだよ」

「ジルムート様って、見かけが厳ついだけで怖くないよね?」

「……そこはあんたの知らなくて良い世界だから、赤ちゃんの為にも耳を塞ぎなさい」

「分かったわよ」

 二人で話をしている内に、ジャハルが帰ってきた。

「ローズ様、いらっしゃい」

 アネイラがジャハルを指さす。

「ほら、まだ騎士団の頃の癖が抜けない人がいるよ」

 ジャハルが困惑してアネイラの方を見る。

「騎士団を辞めたのに、どうしてローズの事をローズ様って呼ぶの?」

 それを見てジャハルは、にやっと笑った。

「アネイラ様、ご機嫌が悪い様ですね」

 アネイラがぎょっとしてジャハルを見る。

「ご希望なら、今後もこの様に対応させて頂きますが」

 ジャハルは優雅に膝を付いて、アネイラの前にしゃがむ。アネイラは耳まで赤くなって俯く。

「いつも通りがいい」

「仰せのままに」

「だからやめてよ!」

「はいはい」

 ……新婚家庭になんて、来るものじゃない。

 ここで新婚さんを引き裂く事になった訳だが、アネイラには部屋から出てもらった。

「実は、ラシッド様についてお話を聞きたいのです」

「ラシッド様ですか?」

「ジャハル様から見て、どういう方なのか聞きたいのです」

 暫く考えてから、ジャハルは言った。

「頭が良すぎて、理解されない感じですかね」

「それ、遠回しに変人だと言っていませんか?」

「そうとも言えますね」

 ジャハルは苦笑して続けた。

「あの方のやる事は、先読みが恐ろしく先まで出来ているから、何故その行動になるのか理解するのに時間がかかるのですよ」

「人を、自分の判断だけで殺してしまうと聞いています」

「それも、そうした方が良いって事が多くて否定しきれないのですよ。実際、その人物が死んでいなかったら大変だったと言う危機も何度か回避しているので」

 ラシッドの考える事と言うのは、常人の域を超えているらしい。

「だから、自分の予測を覆す存在には弱い所もありますね」

「覆す……」

「ラシッド様は、自分の予想が外れる事を楽しむ方なのですよ」

 もし私を好きになったきっかけが、ジルムートやルミカに予想に反して気に入られ、義妹にまでなってしまった事だとすれば、妙に納得できる話だ。

 私は恐る恐る聞いた。

「もしもですよ?物凄く落ち込む様な失敗をラシッド様がしてしまって、それを慰める女性が居たらどうなると思いますか?」

「そんな女性がいるとは思えませんが、居たら奥方の命が危ないですね。生きているとその女性との結婚の障害になりますから」

 リンザ、結婚していて良かったね!

 と言う感想しか、思い浮かばない。ちょっと魂が抜けそうだった。

「そう言えば、ラシッド様らしき人物なら、今日見かけましたよ」

「え?」

「見間違いかと思っていたのですが、今日のお話と関係ありますかね?」

「大アリです!」

 私は話を切り上げて館に戻った。ルミカに聞けば、ラシッドの居場所がわかるかも知れない。相変わらず、実家であるバウティ家の館に居座っているルミカの帰りを待っていると、玄関先が騒がしくなった。

 ルミカだと思って出迎えると、ルミカと一緒に探し人が出現した。

「お久しぶりです。ローズ様。ジルムート様の命令で、先に戻ってきました。偉そうに連れて戻るなんて言っておいて、すいませんね」

 絶句していると、ルミカが言った。

「あのさ、こいつ泊めてやってもいい?」

 私はぎょっとして首を振る。

「自分の館に帰って下さい!」

「そうもいかないのですよ」

 のんびりと言うラシッドを私は睨みつける。

「だったらお城に泊ればいいではありませんか」

「俺はまだ帰還していない事になっているので」

「城からの帰り道にいきなり捕まってさ。リンザ殿に見つかりたくないらしいんだ」

 じとっと睨んでも、ラシッドは肩をすくめただけだった。

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