アネイラの隠し事
謝られても、少しも気分は良くならなかった。
「ご所望とあれば、髪でも爪でも目の色でも。素敵な色に染めて差し上げます。ただ、元に戻せませんので、よくお考えになって下さい」
ずっと舐められたままなのは腹が立つ。それにジルムートの足手まといになりたくない。それで言ったら、ランバートは真っ青な顔で固まっていた。ランバートとの間に信頼関係を作る事は出来なくなったが、私や他の侍女達に害を与える事も出来なくなった筈だ。
「ウィニアは連れて行きます」
ルミカの言葉に、ランバートが慌てて言う。
「あの子は私の娘だ。連れて行く権利は無い」
「そうはいかない。またローズ達に悪さをされては困るのですよ」
「誘拐だ」
「誘拐犯だと被害届を出しても構いませんよ。受理するのは俺です」
治安の維持は騎士団に権限がある。序列三席であるルミカは、今現在兄二人が不在だから、騎士団の一番上になる。その人を誘拐犯だと訴えた所で誰も捕まえられない。
「養子縁組も解消されて構いませんよ。俺にはパルネアの大使館に伝手があるので、そちらの方の養女としてもう一度手続きをします」
「頼む、あの子は連れて行かないでくれ」
「じゃあ、何故家庭教師を付けて高等教育を施しているのですか?」
ルミカの詰問に、ランバートは真剣な表情で答えた。
「私には、ロヴィスに置いて来た娘がいた。留学中にロヴィス人の恋人が身ごもったのだ。……結婚は許されず、私はポートに戻って来た。ようやくこちらに招く準備が出来たのに、二人共病で命を落としてしまった。ウィニアは、その娘と年が同じなのだ。あの子まで私から取り上げないでくれ」
「外国へ嫁に出すつもりだったのでしょう?」
「あの子は罪人の子でポートでは幸福な結婚を望めない。だから、せめて違う土地で良い暮らしをさせてやりたかっただけだ。決して悪意から考えた事ではない。本当だ!」
そう言えばファナの事も可愛がっていた。
「ローズ殿とアネイラ殿を傷つけた事で、私をいくら責めても構わない。償えと言うならいくらでも償う。だがウィニアに対して悪意は無い。お願いだ。あの子の笑顔が今の私の支えなのだ」
ウィニアは可愛い。私も思わず可愛いと思ってしまう。いつもニコニコしていて、性格の良さが滲み出ている。騎士団へ貸しを作れると思って養女にしたのだろうが、接する内に情が湧いてしまったのだろう。恋人と娘一筋で独身なのだとすれば、マルクが独身である理由よりも余程か真っ当と思える。
「自分の大事な物だけ取り上げないでくれと言うのは、ちょっと都合よくありませんか?」
「もう二度とこんな事はしない。約束する。誓約書を書いてもいい!」
ランバートは必死だ。私はこういう所がちょろいのだろう。何だかランバートを許して良い気分になってしまっている。しかし、ルミカは厳しい態度のままだ。
「誓約書など役に立ちませんよ。あなた達はすぐそういう書面を無効にしてしまいますから」
「だったら、何をすれば良い?」
何でもしそうな勢いでランバートが言うと、ルミカは言った。
「議長の座を退いて下さい」
現状で議会の議長を退けば、まとめ役として機能する人が居なくなる。議会は本当に機能しなくなってしまうかも知れない。
「あなたの推薦で議長を決めてください。あなたには後続の教育をお願いしたいのです」
「後続の教育?」
「騎士団も節目にあり、クルルス様が騎士学校の設立を計画されています。政治家も、商人上がりの無学な者ではなくポートの未来を考える者が必要です。ロヴィスには、政治家を志す者の為の集まりがあると聞いています。……あなたは留学して、そういう場所で政治を学んだのでしょう?」
「確かに……政治家の私塾で政治学は学んだ」
「それをポートに作ってください。留学しなくても、政治家としてポートの未来に貢献しようとする者が学べる場所を作って欲しいのです。あなたにしか出来ない仕事だ」
ランバートは戸惑って告げる。
「そんな、結果が出るかどうか分からない事でいいのか?」
「これがクルルス様の出した結論です。俺の出した結論なら、あなたの命はとっくに無くなって、ウィニアとローズを連れてここを出ています」
クルルス様は、マルクの命も取らなかった。ランバートの命も取らない様にルミカを止めたのだ。
ランバートは、目を潤ませて俯いた。
「クルルス様は、心根の真っ直ぐな優しい統治者です。だから騎士団は忠誠を誓うのです。あの方には有能な政治家が必要です。今回の事に感謝しているなら、一介の議員として議会に貢献しながら、後続を育てて結果を出す事です」
クルルス様は、統治者としてルミカの言う通り甘いのかも知れないが、凄く良い王様だと私には思えた。
「期待していますよ?ランバート殿」
俯いているランバートにそう言うと、ルミカが立ち上がったので私も一緒に立ち上がる。そのまま館を出ると、ルミカは伸びをした。
「あ~、疲れた」
「クルルス様と、どうするのか打ち合わせ済みだったのですね」
「まぁね。殺すなって何度も念を押されてさ……俺にとっては、アネイラとローズに手を出した時点で死んで良い奴らだったから、ローズが一緒に居てくれて助かったよ。君の前で人殺しは出来ないからね」
どうやら、私はルミカのストッパーとして連れ回されたらしい。
「お役に立てて光栄です。お陰で素敵な物を色々見られましたよ」
嫌味でそう言ったのだが、ルミカにはにっこり笑われてしまった。この毒沼王子め。
あまりにも夜が遅かったので、結局アネイラの館には戻らず、うちの館に戻って眠る事にした。
翌朝。
朝一番でアネイラの館に戻ると、アネイラはまだ寝ていた。起きて来た所で、マルクについて話をしながら朝食を取っていると、アネイラは寂しそうに笑った。
「何となく、そんな気がしていたの。こんなのおかしいって思うのに、そう言うのが怖くて……」
「ごめんね。アネイラ、本当にごめん」
「ローズのせいじゃないよ。……もう会わなくていいんでしょ?だったらもういいよ。忘れる事にする」
大丈夫な様に見えない。だからと言って励ます為の言葉も見つからない。
「あのさ、今度の非番が同じ日にお菓子でも作ろうよ。それでファナの所へ会いに行こう。ついでにモイナの所へも行こうよ」
「うん」
こんな事しか出来ない自分が情けないが、どうにもならない。かなり自己嫌悪に陥っていた。
その後、ルミカが度々アネイラの館にやってくる様になったが、アネイラは予想通り全くなびかなかった。
「俺に送り迎え、させてくれない?」
「嫌よ」
「今度、デートしようよ」
「嫌よ」
女は終わった恋を振り向かない。……らしい。アネイラの態度は物凄く素っ気なかった。
これだけ男で酷い目に遭っているのに、その根源とも言えるルミカになびく訳がないのだ。しかしルミカがしつこいのは、私も経験しているから知っている。図書館に毎晩来ていたルミカを思い出す。当然、ルミカは諦めなかった。
マルクは登城しなくなり、ランバートは議長の座を退いた。それでも議会は、以前の様な議論の場として機能し始めようとしていた。
そうこうしている内に三か月程時間が過ぎて、そろそろ出征していた騎士団が帰って来ると言う話がパルネア経由で伝わってくる様になった。ディア様とリンザが何となくそわそわしているのは、クザートとラシッドの帰りを待っているからだろう。
シュルツ様が快方に向かっている事もあり、パルネアとは和解する形で話が付いたから、お城もポーリアの町も何となく明るい雰囲気になってきている。
そんな頃、おかしな事に気付いた。
「アネイラ……もう食べないの?」
「うん。もういいや」
アネイラが、あまりご飯を食べなくなった。
「ちょっと風邪気味なだけだと思う」
出仕は休まないが、お城の賄いもあまり食べない。一日か二日なら心配しないが、もう十日以上そのままだ。ルミカが何かやったのかと思って抗議に行くと、心当たりはないと言われてしまった。
「俺が何か出来る程、アネイラは俺に優しくないんだけど」
言われてみればその通りだ。では、仕事中に何かあるかと言われてみれば、全く何もない。
アネイラは侍女としては新参者だが、ぶっきらぼうな優しさは、リンザやルルネのツボだったらしく、かなり慕われているし、容姿に関してはプリシラが甚く気に入っていて、不気味な程見つめていると言う程度だ。
特に何もない筈なのにと思っていたら、ディア様に呼ばれた。
「ローズ、ちょっとアネイラの事で聞きたい事があるのだけれど」
質問された事に答えている内に、ディア様の顔が厳しくなった。
「アネイラは妊娠しているのではないかしら」
「へ?」
間抜けな声しか出ない。だって、私が一緒に住んでいる上に相手が居ない。
「最近はローズと非番の日が重なる事も少ないし、夜勤だって別じゃない。その間に何かあったのではなくて?」
一瞬考えたのは、不埒者の存在。でもそんな事があったなら、あんなにケロリとして出仕していられる筈がない。そもそも館の前には騎士が立っているのだ。入って来られる訳がない。
「とにかく妊娠しているかどうか、確かめましょう」
「しかし、お医者様なんて呼んだら……まだ結婚していないのに」
私が戸惑ってそう言うと、ディア様も困り顔になった。
「以前お付き合いしていた議員の方が相手と言う事は……」
「ないです!それは絶対にないです!」
かぶせ気味に否定する。
「どうしようかしらね」
未婚の母親と言うのが、如何に厄介なものかディア様は身を持って知っている。
ポートでは婚外子はパルネア程に問題にはならないのだが、アネイラは侍女だ。それもセレニー様に仕えている。妊娠しているのであれば、早く相手と結婚して産み月の計算が合う様にしなくてはならない。いらぬ詮索や批判を受ける事になりかねないからだ。
「こうなったら、直接本人に聞いた方がいいかも知れません」
そんな訳で私とディア様は、二人でアネイラを呼んで話を聞く事にした。
「あなた、妊娠しているでしょう?」
ディア様が直球で聞くと、アネイラは目を見張って首を左右に振る。
「そんな訳ないじゃないですか」
アネイラは軽い調子で言った。
「食べ物がおいしくなくて、気持ち悪いだけです。何だかだるいし眠いけど、こんなの風邪です。だって、寝込んだり吐いたりする程じゃありません。つわりってそういうものなんですよね?」
私もディア様も、一瞬黙ってしまった。
まさかの無自覚。……女性と言うのは、妊娠したら分かると良く聞くが、そう言う場合ばかりでは無いらしい。その症状がこんなに長く続いていれば、風邪の筈がないのだ。
「アネイラ、つわりには重い軽いがあって、人によって症状が異なるのです。あなたの症状は典型的な妊娠の兆候です」
ディア様の言葉に、目の前のアネイラが衝撃を受けて固まっている。
「私……妊娠しているんですか?」
アネイラが弱々しい声でぽつりと言う。聞きたいのはこっちなのだが。
「てっきりポート特有の風邪なんだとばかり思っていました」
色々と突っ込みたいが、人から自分が妊婦だと聞かされ、自覚したばかりのアネイラに厳しい事は言えない。
「お相手は誰?」
ディア様の言葉に、アネイラは耳まで真っ赤になって黙った。
心当たりはあるらしい。……私と同居しながら、相手の存在を隠して関係を持つなんて高等技術、この女に実践できたなんて。私の知っている可愛いツンツンアネイラじゃない!
どうでも良い部分に衝撃を受けて黙っている私の前で、アネイラは言った。
「言えません」
「どうして?赤ちゃんにはお父さんが必要よ?私を見ていたのだから分かるでしょう?」
「ポートでは、婚外子なんて当たり前だと聞いています」
「いけないわ。あなたは王妃であるセレニー様の侍女なのよ?ポート城の上層に勤務している者全員の問題になってしまう」
アネイラは、はっとした様子で口をつぐんでから、泣きそうな顔になった。
「お情けで、相手をしてもらっただけなんです。相手は私を好きでも何でもないんです」
「「え?」」
アネイラは泣きながら事情を話す。
何でも、その人は偶然マルクに縛られた跡に気付き、アネイラがポートに来た事情から今までの全部を聞いてくれたのだとか。その人があまりに紳士的で優しいので、もう結婚出来ないかも知れないからと縋ったのが事の発端なのだとか。それから私の居ない隙に外へ出て会っていたらしい。
「私の境遇に同情して下さっているだけなんです」
「責任、取ってもらいなさい」
ディア様は即答した。
「赤ちゃんの為です。結婚して頂きなさい」
強いお母さんとしての意思を感じる言葉に、アネイラも私も気圧されてしまう。
「と、とにかく、そう言う訳にはいかないんです」
「まさか、ルミカじゃないよね」
「違うわよ!」
勢いの良い即答。ルミカは除外。誰なのか必死に考えるが全然分からない。
「とにかく、相手の事はお話出来ません」
アネイラは頑なで、帰ってからも聞いたのだが相手の事を言おうとしなかった。しつこいと思ったのか、部屋に閉じこもってしまった。
ルミカが来たので事実を言う事にした。衝撃が大き過ぎたのか、ルミカはその場にしゃがみ込んだ。
「……冗談だよね?」
「冗談だったら良かったんですけど」
本当にそう思う。私の言葉にルミカは頭を抱えた。
「相手を吐かせないと、このままにしておく訳にはいかない」
「はい。でもアネイラは言いたくないみたいです」
「言いたいとか、言いたくないとかの問題じゃないよ」
そうなのだ。それが一番の問題だ。私も一緒に頭を抱え込みそうだった。




