騎士の血と魔法と
グルニアから戻って来たルミカの話は、ただ出征した騎士団が無事にグルニア王宮を制圧したとだけ伝えられた。出征した騎士達が戻って来るのはまだ先だが、予定よりも早期に事が解決した事になる。
しかし、誰も喜ぶ気分にはなれなかった。
当たり前だ。パルネアの次期国王がポートの議員に刺されたのだ。目的がミラの殺害であったのだと誰もが理解していたが、擁護する者は居なかった。ミラをポート国民の敵として憎んでいた世論は、みるみるしぼんで消えて行った。
シュルツ様の傷は命を落としかねない傷だった。一命を取り留めたのも奇跡とされ、未だに安静が続いている。出征が成功した以上、侵略では無いと他国に示す為には、シュルツ様の王位継承とミラがその妃として立つ事が必須になる。それがようやくポート国民に理解され始めたのだ。
今度は、ポート議会の議員達が攻撃の対象にされる事になった。元々、富裕層である商人達の中から推薦で選ばれている議員達は、商人の中でも更に国の後ろ盾を受けて商売をしているから、庶民からも商売敵からも恨みを買っている。それが噴出する事になったのだ。
「少し前まで、ミラ姫の事をポート国民の敵だとか騒いでいたのに、今度は議会の議員をポート国民の恥さらしだって言って、マルク様の館に石を投げる人まで居るそうなの。酷くない?」
アネイラが物凄く怒っている。……気持ちはわかるが、そういう人を相手にしても良い事は何も無い。
「騎士団が無事に出征から戻ってくれば、話題が変わるから」
「うん」
アネイラは、男運が悪いと思う。ルミカと言いマルクと言い、まるで天に邪魔されているのではなかろうかと思う程に、横やりが入っている。
「私、今日はジルの館に帰るから」
「ルミカから出征の話を聞くの?」
「うん。ジルがどうしていたのか聞きたいし」
アネイラには正直に言う。
「ちょっと残念。私も聞きたかったな。でもバウティ家の話だから、私は入れないわね」
「ルミカと婚約していれば、一緒に聞けたのに」
アネイラは苦笑した。
「遠慮しておくわ。やっぱり騎士のお嫁さんは私には無理」
政治家のお嫁さんが向いているといいね。と言う言葉は心の中だけに留める。今アネイラがマルクとの将来を決めてしまうのは親友として不安だ。マルクは良い人だが、状況が良くない。
シュルツ様が刺されてから十日が経過している。シュルツ様は誰も会えない状態で、私も会えていない。今回、私は出仕を休まなかった。周囲には心配されたが、セレニー様の気持ちや状態を考えるなら、休んでいる場合ではない。
セレニー様は日に日にやつれていく。休む様に環境を整えているが、深く眠れていない様だ。それで、クルルス様と寝室を別にして侍女が付きそう事になった。マッサージや話し相手、勿論耳かきもしているが、リラックス効果があまり無い。……私を見てシュルツ様が刺された時の事を思い出すなら、私はあまり顔を出さない方がいいかと思ったりもするが、セレニー様は私の顔を見ないのも心配な様だ。どうするのが正解なのか分からないままになっている。
クルルス様はクルルス様で、夜にゆっくり眠らないと体を壊す程の状況に置かれる事になった。ご夫婦が一緒に眠りたいと希望される時以外は、別室を維持する事になった。
クルルス様はあらゆる場所に顔を出しているし、機能の停止している議会のとりまとめも行っている。ルミカは主にこのクルルス様の護衛をしていた様だ。コピートが城を仕切っているのでその補佐もしているが、序列が上だからと指揮権を引き継ぐ事はしなかったらしい。
忙しくしていたルミカと会うタイミングがなかなか無くて、今晩ようやく話を聞く事が出来る様になった。ディア様と一緒にジルムートの館で話を聞く事になった。
日勤が終わった後、ディア様と一緒にルミカの操る馬車に揺られながら、パルネアの話になった。
「ローズには言えなかったのだけれど、私がポートに呼ばれて素直に応じた理由はクザートの事だけでなくて……不作続きだった事もあるの」
「そう言えば、私がポートに来る前の年から不作でしたね」
「モイナを産んだ頃は優しかった人達が、私達を厳しい目で見る様になっていたの。ルミカ様が守ってくださっていたけれど、このままでは危ないと思っていた所に話が来て、縋ったの。……私、ローズに軽蔑されるのが怖かったから、その事をずっと黙っていたの。それなのに勝手に嫉妬した挙句、酷い事を言ってしまったわね。……あの時はごめんなさい」
あの時と言うのは、ディア様がハリードの館に居た時の事だ。
「軽蔑なんてしませんよ。伝手があるなら頼って当然です。無理をしてパルネアに居たら、どうなっていたか分からないのですから」
思い出したので、改めて言う。
「早く、クザートが戻って来るといいですね。私達、姉妹です」
嬉しくて思わず言うと、ディア様は、少し恥ずかしそうに笑って頷いてくれた。
「そうね。……実はモイナとの約束があるから少し困っているのよ」
「何の約束をしたんですか?」
「結婚のお祝パーティをして欲しいって頼まれているの」
パルネアでは結婚と言えばこれが定番だ。親しい人を呼んで宴会をするだけで、特別に着飾ったりしないのだが、新郎新婦は招いた人達の前で最後にキスするのが決まりだ。夫婦になったと知らしめる為のパーティだから、避けて通れないイベントになっている。
「私達、新郎新婦と言うには年齢が行き過ぎているでしょ?人前でとか……恥ずかしいじゃない」
ディア様の予想を超える事が起きる予感がして、私は半眼で呟いていた。
「多分クザートは平気と言うか、喜んでお祝いパーティやると思います」
「どう言う事かしら」
ポートには、夫婦の愛情を示すのにキス重視の文化がある。私も最近まで知らなかった。ディア様は当然知らない。どう説明するか迷っている内に馬車が館に到着したので、話はうやむやになってしまった。
三人で食事をしながら話している間、ルミカは出征の内容に触れる事を言わなかった。いきなり切り出されたのは、アネイラの事だった。
「アネイラは、議員のマルク・カーンと付き合っているの?」
「はい。あちらからアネイラを紹介して欲しいと頼まれて紹介しました」
「何で紹介したんだよ、あんな奴」
「議員の中では理解のある方だと思っています。クルルス様も頼りになさっておいでだそうです」
「政治家としての話じゃなくて……知らないのか?マルクは変態なんだよ」
「変態?」
聞き返すと、ルミカは渋い顔で言った。
「あいつが独身なのは、嗜虐嗜好だからだよ。女を縄で縛る」
ディア様が、カチャンとスプーンを落として慌てている。私もぽかんとしてしまった。
縛る。……縛るって何?どうしてそんな事をするの?訳が分からず戸惑っていると、ルミカは嫌そうに表情を歪めて続けた。
「アネイラを紹介してくれって?そりゃ当然欲しいだろうね。アネイラを妻にしたら小動物をいたぶる快感を、館で存分に味わう事が出来るんだから。アネイラはボロボロにされてしまうよ」
私もディア様も言葉を失う。
「俺は中層の隊長だったから色々と知ってるんだ。議員達の弱みを握る事で、議員から騎士団への関与を排除しろって、兄上達に言われていたから、やばい奴の事はちゃんと把握してる」
信じたくないが、嘘ではないらしい。
「政治的判断の良し悪しと性癖は別。俺達の武芸の腕と人間性が別物なのと同じ」
ルミカがそこまで言うなんて……良い人に見えただけに、マルクが過去に何をやったのか怖くなってしまった。
「騎士団にも、女に怖がられるから花と会話する奴とか、地下に引きこもってるポート一の武芸の達人とか、笑いながら勝手に人を殺す大食らいとか……おかしいのが何人も居るから、議員全員を異常者扱いする気はないけれど、マルクはダメだ」
「……ランバート様は知っているのでしょうか?」
「知っているに決まっている。良く働くマルクを満足させる為に侍女を一人差し出す程度、必要経費くらいにしか思っていないだろうね。問い詰めたところで、知らぬ存ぜぬで通すのが政治家だから認めないだろうけどね」
最悪の事態だ。アネイラにどう伝えればいいのか分からず、私は黙り込んでしまった。ルミカもディア様も黙ったまま、食事は終わった。
談話室に入ると、ようやく出征の事を聞く事になった。ジルムートとクザートの無事は既に聞いている。出征の経緯を聞く事になった。私と同じく、ディア様も残酷で恐ろしい現実を、クザートと共有する事を決めたのだ。だから一緒に話を聞いている。
「グルニアの王宮は、殆どグルニア人が居なくなっていた。俺が調べていた頃には大勢居たのに傭兵ばかりになっていた。一か所の守りを崩せば呆気なくて、俺達の王宮制圧は短時間で終了したんだ」
ルミカは、そこで過去のグルニア人の作った錬成窯と言う物の話を始めた。ポート城中層の大広間と同じ位の大きさの巨大な窯で、魔法使いを中に入れると魔法燃料になってしまうそうだ。グルニア人が中に大勢入れられて来た過去があり、中には大量の魔法燃料があったらしい。
「ゲオルグとヴィヴィアンはこれを利用して、天候を何年も操っていた。しかし八年も使っているとさすがに無くなるんだろうな。……居なくなったグルニア人達は窯に入れられたみたいだ」
私とディア様は緊張したまま、対面に座るルミカの話を黙って聞き続ける。
「ゲオルグは本気でパルネアを滅ぼすつもりだったんだと思う。俺は、兄上達と一緒にゲオルグとヴィヴィアンを追い詰めた。二人は何も語らず、笑って窯に身を投げた」
笑って……。
「自分達の行いを悔いていなかったんだよ。……あの二人は、自分達の復讐が最大の効果を発揮した事に満足して死んだんだ。最後まで許せない奴らだったよ」
部屋に重い沈黙が落ちた。当初の目的通りヴィヴィアンとゲオルグは居ない人物になった訳だが、酷く後味が悪い。
「それで、その大窯はそのままになっているのですか?」
「いいや。実はそれに手間取っていたんだ。頑丈で大きい上に金属でね、壊す事が出来なかったんだよ。あの窯も魔法で作ったんだろうな」
壊せなかったが、窯は何とかなったらしい。どう言う事だろう?
「窯の中は覗いても、靄がかかったみたいになっていて全く中が見えなかったんだ。落ちた人間がどうなっているのかも分からない。ニルガナイトを放り込んでみたんだが、効果がさっぱり分からなかった。皆で相談していたのだが、ラシッドがいきなり指を傷つけて、窯の中に血を垂らしたんだ」
思ったら即実行。ラシッドが短気と言われる所以だ。それにしても、どうしてそんな事を。
「……俺達の異能には魔法を破壊する効果があるんだ。ラシッドは実際に異能でグールを破壊しているから、魔法使いの血と同じで、俺達の異能の源も血にあるのではと考えていたみたいなんだ。その仮説が当たったんだよ」
「どうなったのですか?」
「跡形も無く消えた。グールもそうだったらしいけど、大広間と変わらない大きさの窯だったのに、ほんの数滴の血が入っただけで消えてしまった」
ほんの数滴。リヴァイアサンの騎士の血は、魔法を簡単に消し去る事ができるらしい。
「良かった」
私もディア様も安心して緊張を緩めた。しかし、話はそこで終わらなかった。
「ローズは、魔法適性があるんだよね?」
急に話を振られて私は頷く。心なしかルミカの表情が厳しい。
「実はね、俺達の異能は魔法に対してだけでなくて、魔法使いにも効果がある。俺達の血がローズの体内に誤って入った場合、ローズは消える可能性がある」
消える。死ぬではなくて消える。さっきの話の窯と同じと言う事だろうか。
「あまり心配しなくて良いと思うけれど、念の為、俺達の血には触れないで」
思い起こせば、ジルムート達が私の前で血を流す様な怪我をした事など無い。
「グルニアのせいで治安が悪い。俺達はポートで殆ど怪我をしないけれど、もしもの時には必ず誰かに任せるんだ。いいね?」
そんな風に言われては頷くしかないが、にわかには受け入れ難い。
「ずっと、何とも無かったのですが……」
「うん。でも万一にも君を失う訳にはいかないんだ。兄上がどれだけ悲しむ事か。だから知った以上は注意して欲しい」
ジルムートの事を思い、急に心配になった。自分の血が、私を消すかも知れないと知ったのだから。
「ジルは……大丈夫でしたか?」
「今は忙しいから平然としていたよ。俺としてはローズの言う通り、今まで大丈夫だったのだから、普通に暮らす分には問題ないと思っているけど、兄上はローズの事となると、物凄く慎重になるから……」
慎重と言うよりも臆病だ。私も同じ臆病者だから、その感覚は良く分かる。
「戻ってきて様子がおかしくなるかも知れないですね。その時、考えます」
「うん。それでいいと思う。困ったら相談して」
その後、騎士団が王宮の内部を改めたり、帝都の治安を維持する目的で、ジュマ族と共にグルニア人の生き残っている高官を探している状況を話してくれた。
一通り聞いたところでディア様が帰る事になり、私達は見送って館に戻った。
「ルミカ、憂いは晴れましたか?」
ゲオルグと決着が着いた訳だが、ルミカは立ち直れたのか。ふと聞いてみると、ルミカは苦い顔になった。
「未だにゲオルグが死んだ実感が無いんだ。それを今自分に言い聞かせている所」
消えると言うのは、そう言う事なのだ。ジルムートの前で私が消えたら……。残るジルムートを想像して、私は絶対にあってはならないと思った。




