ローズと王家の魔法
グルニアの帝都を占拠した話が周囲に広がり始め、ミラへの注目がまた集まり始めている。アネイラは申し訳無さそうに、私にその話をした。
「あんたを関わらせたくないのは私も同じ。だけど、どうもあんたを表に引っ張り出したいって人達が居るみたい」
「引っ張り出す?」
意味が分からなくて聞き返すと、アネイラは言った。
「ローズは、ミラ姫に刺されそうになった侍女で、出征の総指揮を執っているジルムート様の妻でしょう?あんたにミラ姫が謝罪する所を、大勢の前で見世物にしたいのよ」
聞いただけで、気分が落ち込む。
「出征が終わって騎士団が戻って来たら、ミラ姫はパルネアに行ってしまうでしょう?その前に、殺人のツケを払わせたいのよ」
「セレニー様はどうお考えなの?」
「勿論、反対されているわ。それ以上に、あんたの顔を大勢に晒すとジルムート様に恨まれるからって、クルルス様が震え上がって止めているそうよ」
「だったら大丈夫じゃない?私、上層から殆ど出ないし」
「甘い!」
アネイラが、びしっと私を指さして言う。
「私はポート暮らしが短いけれど、人を殺しておきながら、良い服を着ておいしい物を食べてお嫁に行くなんて、絶対に許せないって心理は分かるつもりよ」
「確かに、都合の良すぎる話ではあるね」
肯定すると、アネイラは続けた。
「この話加速するわよ。あんた城で一人になったらダメだからね」
アネイラが冗談で言っているとは思えない。
確かに、選民思想持ちの王族であるミラが、侍女に頭を下げるとか、屈辱以外の何物でもない。それをやらせたいのだろう。ただ、その頭を下げられる侍女がよりにもよって私。……絶対に嫌だ。
「とにかくセレニー様も心配しているから、いいわね?」
「分かった」
部屋で一人になってからベッドに座ると酷く気分が落ち込んだ。
誘拐されたのは私のせいじゃない。グルニア人が悪い筈だ。なのに、私の人生と言う布に落とされた黒い染みの様になった気がする。こんな気持ちを打ち明ければ、ジルムートは出仕をもっと休んで良いと言っただろう。しかし館で何をするのか。バウティ家の使用人達は働き者で、私のやる事など殆ど無い。
やりたい事は耳かきだが、ジルムート以外の耳かきは出来ない状況になっている。お母さん達のサロンで腕を振るってもいいと思っていたのだが、ジルムートがそれを許さなかった。女性相手でも、それだけは止めて欲しいと懇願されたのだ。
どうしてなのかさっぱり分からなかったのだが、クザート曰く、
「厄介事の相談なんてされては困るからね。借金問題とか、夫婦の仲裁とか、序列一席だからと頼りにされても困るだろう?」
「私が断れないって事ですか?」
「本気で泣き付かれて、断れるの?」
断れないかも知れない。そんな訳で、息抜きの無償奉仕も禁止されてしまったのだ。
アネイラは耳かきを持つと逃げる。変な気分になるから止めて!とか、言われてしまう。ファナはコピートが連れて帰ってしまった。
ジルムート。
当然居ない。耳かきの代わりに銛を持って戦っている筈だ。耳かきをしないで、耳垢を貯めて戻って来てくれる事を、必死に念じている。……耳かきの腕前が私と変わらない人なので、むずむずしてやってしまったら、奥まで綺麗になってしまう。綺麗になった所で、また溜まって何度耳かきをやるか分からないくらい、ポートには戻ってこないのだが。
まず出征の目的を果たす事が最優先される。軍部の制圧だ。それが済んだ後、パルネアの議会から送られてくる治安代行が来て、引継ぎをする。
そこまでがジルムートの仕事だから、終わらない限りジルムートはグルニアから戻って来ない。
出征の目的達成まで、シュルツ様はパルネアと連絡を取りながらポートに留まっている。シュルツ様が戻る時にはミラを妃とし、アドニス陛下から王位を継承する。
愛情深いアドニス陛下は、私の母を王妃様の為に侍女にするなど、家族思いだった。ヴィヴィアンを居なかった事にするなど、納得していないだろう。
一方シュルツ様は、王妃様が私の母をずっと拘束していて、私まで外国に出さねばならない事に強い責任を感じていた。
セレニー様の支えとして親しい侍女である事、そして私の両親はどちらも城に仕えていると言う二つの理由で、私のポート行きは決定された。皆納得していたのに、シュルツ様はわざわざ頭を下げに来た。律儀な方だと思っただけだったが、当時からアドニス陛下と考え方に大きな差があったのだ。
「私はずっと、お父様がやっている事をお兄様から伝えられているのだと思っていました。全て、お兄様の判断だったみたいですね」
セレニー様の政略結婚の際も、最終決定をしたのはアドニス陛下だが、取りまとめたのはシュルツ様だったらしい。セレニー様もシュルツ様の本質に気付いていなかった。
王族の家族と言うのは、仲が良くても、いつも誰かに見守られての交流になる。シュルツ様が自分の本性を隠したかったのだとすれば、セレニー様がその本質を分からなくても当然だ。
そんな訳で、ぼんやり王子は要注意人物へと変貌を遂げた。そんな人物が私の前に立っている。
私はカルロス様を抱っこして、顔を引きつらせながらシュルツ様を見ている。
一人になるなとアネイラに言われた訳だが、カルロス様が一緒だから大丈夫だと思って庭園に出た。カルロス様が物凄く退屈していたのだ。……心底後悔した。一歳児はオマケでしかなく、誰かと一緒と言う扱いにはならないのだ。
「あるく」
庭園で歩き回りたいカルロス様は暴れている。
「私も一緒に見ているから、降ろしていいよ」
シュルツ様に私は逆らう術を持たない。……ぼんやり王子から認識が変わった途端、笑顔が怖い。
歩いて庭園を進むカルロス様の後ろを追いながら、私と並んで歩くシュルツ様は言った。
「ローズ、君の出身であるメイヤー家の事は知っている?」
「知りません。幼い頃に祖父が亡くなって、領地の館を出ましたので」
シュルツ様は言った。
「貴族の役目って何だったと思う?」
「土地を治める事です」
「そう。収穫を徴収して国へ税を納めて、民を支配する。それが貴族の役目だね」
急に方向転換したカルロス様を追いかける。
シュルツ様もそれに付いて来ながら続けた。
「パルネアでは、貴族の仕事は収穫を約束すると言う意味合いもあった」
カルロス様が座り込み、木の葉を拾い始めたので、立ち止まってシュルツ様を見た。
「貴族には貴族の娘を娶り、収穫を祈願させると言う仕事があった。夫である領主ではなくて妻の役目だった。君のお祖母さんはやっていた筈だよ」
「聞いた事がありません」
「そうだろうね。誰も魔法だとは思わない。祈願と言う儀式だと思い込ませ、魔法を使わせていたのだから」
「え?」
「パルネアの土地は肥えている場所と痩せている場所がある。痩せている土地では、貴族がそうやって魔法で土地の補助を行っていた。……何千年も重ね掛けされた魔法の効果は高かったから、まじない程度に扱われ、貴族制度は廃止された訳だがね」
カルロス様が葉っぱを口に入れそうになったので、慌てて止めている私にシュルツ様は背後に立って断言した。
「君の出身であるメイヤー家はパルネア平原で最も痩せた土地を任されていた貴族の家の一つだ。つまり、君にも強い魔法使いの素質がある」
そんな事、聞きたくない。
私はカルロス様の隣にしゃがみ、シュルツ様を見ない様にして言った。
「私は魔法を使いません」
私に魔法を使わせたいのだろう。だとしたら、それは全力で拒否する。
「使ってもらわねばならない」
思わず振り向いて顔を上げる。うららかな空中庭園の光の中に、呑気そうな顔をしながら残酷な事を言う皇太子が立っていた。
「セレニーに使わせたかったのだが、クルルスに拒絶されてね」
当然だ。夫として当たり前の対応だ。この人は自分の妹を何だと思っているのか。私の批判的な視線を感じたのか、シュルツ様は言った。
「一度きりだよ」
「何をさせようと言うのですか?」
「議会の議員達の前で、ミラの髪の毛を染めて欲しいのだよ」
シュルツ様曰く、見た目の色を変化させる魔法があるのだそうだ。一度かけると一生元に戻らない強力な魔法で、かけるには能力の高い魔法使いでなくてはならないらしい。
初代パルネア王シアンは、グルニア人の血が色濃く出て片目が金色であった事から、この魔法で瞳の色を翠色にしたとされている。パルネア王家に伝わるパルネア人の作った魔法。それを私に使えと言っているのだ。
「恐れ多いです。シュルツ様がお使いになるべきかと思います」
シュルツ様は言った。
「私が魔法をかけて見せても、ポートでは意味が無いのだよ。やるならポート国民の気持ちを納得させる者でなくては。クルルスがやると言っていたが、クルルスが魔法を使う事に騎士団が強く反発していてね」
グールを直に見たコピートが賛成する訳が無い。ジルムートも同じ様に反発した筈だ。
「ポート人の魔法適性者はとても少ない。……君は家柄から見ても間違いなく魔法使いで、王家の魔法も使いこなせるだろう。それにミラに罰を与えるにふさわしい立場だ。直接の被害者だからね」
謝罪させるだけだった筈なのに、魔法で髪の毛を染めるとか……先が全く見えない。
「ミラ姫は罪を償わねば安全が確保できない。グルニア統治の要として私の妃にするのだから、ポート人に殺させる訳にはいかないのだよ」
私が拒否すれば、セレニー様が魔法を使う事になるだろう。クルルス様に魔法を使わせるくらいなら自分が使うとセレニー様なら言う。侍女としては、主をそんな苦境に追い込む訳にはいかない。
『お前の命はお前だけのものではない』
ジルムートの声を思い出したけれど、それから目を背ける。……だって側に居ないのだ。逃げたくても、逃げ場所になってくれる人が居ない。私が踏みとどまって何とかしなくてはならない。
カルロス様が、葉っぱを並べるのを眺めながら言う。
「それでパルネアが救われるなら……元パルネア国民として、最後のご奉仕を致しましょう」
今後魔法は一切使わない。今度はポート国民として拒絶する。暗にそう伝える程度の抵抗しか、私には出来ない。
「ありがとう。……では出仕が終わったら、私の元に来て欲しい」
出仕の後。つい、仕事が終わらなければいいのにと思ってしまった。
「分かりました」
シュルツ様はそのまま立ち去った。
アネイラの話で、顔も知らない議員や中層の侍女や従僕を警戒していたのだ。そういう人は上層に来ないし、騎士も見張っているから大丈夫だと思っていたのだ。
庭園に配置されている騎士達は、見知っていた上層の騎士とは違う。上層に詳しくない。シュルツ様がいきなり現れたのも、カルロス様に会いに来ていた。程度にしか思っていないだろう。
『ローズ、お前の警戒は抜けている』
ジルムートに、アネイラの館の護衛を手配しなかった事を指摘され、そう言われた。
ジルムートと四六時中一緒に居たら、護衛が必要だなんて考えもしないのだから、仕方ないじゃないかとあまり反省していなかったが……今、凄く反省している。
カルロス様を庭園で遊ばせて昼寝をさせた後、私の勤務は終了した。リンザに引継ぎをして着替えると、帰宅すると思っている騎士達に礼をして階段を降りシュルツ様の部屋へと向かう。シュルツ様は中層の賓客用の部屋で寝泊まりしているのだ。
嫌だなぁ。と思いつつノックして中に入る。
「待って居たよ。ローズ」
シュルツ様はそう言って嬉しそうに手招きする。警戒しつつ距離を取って立ち止まると、苦笑された。
「君に何かあれば、私はポート騎士団に殺されてしまうだろう。そんなに心配しなくていいよ」
再度手招きされて、仕方なくシュルツ様に近づく。シュルツ様は布の巻物を持っていて、それを私の方に差し出した。
「これが魔法だ。……適性者なら理解出来るから、中を見るだけでいい」
私は、それを恐る恐る受け取る。
「ここで広げて見れば、魔法は覚えられるよ」
本当だろうか。促されるままに、テーブルで綺麗な織物の様なそれを拡げた。綺麗な文様が織り込まれたそれを見ても、何も感じない。
そう思っていたら、いきなり目の前の景色が霞んで頭の中に何かが入り込んで来る。
『シアン様、本当にやるんですか?目の色なんて、もう誰も気にしないのに』
『私はグルニア人じゃなくてパルネア人なの。目の色は絶対に変えるわよ。クロエもやるの』
『いちいち会った人に説明するのですか?』
『そうよ。だから一緒にやるの。ヴィエラ達にも伝えて置いて』
『はぁ~い』
……始祖王のシアンって女だったのか。綺麗な金髪の女性が機織りをしながら、同じ様に片目が金色の女性に眉を吊り上げて言っている。話し相手のクロエって人も女性だ。ヴィエラと言う名前も女性だし、始祖のパルネア王とその側近は魔女の集団だったのだろうか。
そこまで考えた所で、いきなり魔法の内容が元々あった記憶の様に頭の中に残った状態で、目の前にいるシュルツ様の姿と部屋の景色が見える様になった。
「見えた?」
映像みたいな物なら確かに見えた。
「はい」
「だったら成功だ。ローズは魔法を使える様になったよ」
「そうですか……」
あまり嬉しくない。変な気分でいるとシュルツ様は言った。
「ミラの髪の毛を、その魔法で奇抜な色をにして欲しい。罰だからね」
奇抜な色……。
「ご希望はありますか?」
「ローズが考えて。頼んだよ」
酷い宿題を抱えて、私は部屋を出た。




