表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
耳かき侍女と港の騎士  作者: 川崎 春
ポーリア騒乱
103/164

コピート・モルグの決別

 マルネーナさんの件で、貸し借りは無いと言っていたランバートだが、アネイラにマルクを紹介する事は拒否できない雰囲気だった。

 ランバートにしてやられた!と思うのに、そう時間はかからなかった。

「私は決して怪しい素性の者ではない。それは保障する」

 マルクは、自分がパルネア人の元貴族から嫁いだ母親とポート人の綿花商の間に生まれた事や、兄が商人を継いでいるので、自分は身軽な次男だと、かなり念入りな自己アピールをした。

 明確に結婚を見据えているのは、年齢的にも職業的にも当然の事だ。

「アネイラ殿の望む様な暮らしを約束する。城に出仕したいなら、今のまま働いても構わない。パルネアの事も一通りは理解しているつもりだから」

 王子様ポイントの高い話を心に留めつつ、私は一つだけ約束してもらう事にした。

「紹介しますが……。アネイラは少し前に深く愛した男性と別れ、とても辛い経験をしました」

「そうなのですか」

 マルクは少し悲しそうな顔をした。

「今はもう吹っ切っているのですが、やはり男性を見る目は厳しいかと思うので、そこは許してあげて下さい」

「厳しいとはどういう事だろうか」

「以前お付き合いしていた男性が、とても顔の綺麗な殿方でして……」

 ルミカの名前はあえて出さずにそう言うと、マルクは納得した様子で頷いた。

「中身を知ってもらえれば、厳しい態度を解いてもらえる可能性があると言う事だね」

 前向きな人だ。

「ポート人の男は誤解されがちだが、女性を大事にしない訳では無いのだよ。大事にする方法が分からないだけなのだ」

 ポート人の夫を持つ身としては、納得行く表現ではあったが少し引っかかる。

「……マルク様は、それを心得ていらっしゃると言う事ですか?」

「遊び慣れていると思われるのは心外だが、この年齢だから、女性との付き合いはそれなりにあったよ。ただ、自分からどうしても縁を繋ぎたいと思ったのは、アネイラ殿が初めてだ」

 今の所、マルクにマイナスポイントは無い。アネイラがどう思うかに関しては、あまり考えない事にした。ルミカを見た目の基準にされたら誰も紹介できなくなるからだ。

 そんな訳で、私はアネイラにマルクと会って欲しいと頼む事になった。

「騎士じゃないよ。議員。それにパルネア人のハーフだから、パルネアの事もある程度は理解しているし、いい感じの人だったよ」

 アネイラは暫く考えてから、言った。

「会わないって言ったら、あんたの顔が潰れるでしょ?……会うよ」

「ありがとう。アネイラ!」

 アネイラに抱き着いて感謝する。こうして、アネイラとマルクは、顔合わせをする事になった。初めての顔合わせは食事をすると言う事で、迎えに来たマルクと一緒にアネイラは出掛けて行った。

 ファナと一緒にお茶を飲みながら、アネイラにマルクを紹介した事を話すと、ファナはにこにこして言った。

「マルクさんは本当に素敵な方です。ここだけの話ですが、私の初恋の人なんです」

 ファナはランバートの館で、何度もマルクに遊んでもらった事があるのだとか。奥手で大人しいファナの初恋はコピートだと思っていたのだが、そうでは無かったらしい。

「マルクさんは幼い私にも優しくて、憧れていました。……ロヴィスに留学されてしまった時には、本当に落ち込みました」

「ランバート様も留学されていたと聞きましたが」

「はい。王の居ない議員主体の政治と言うのは、ロヴィスに学んでおかないと、新しい時代についていけないそうですよ」

 貴族院で貴族が政治をしているから、庶民の議員が政治をしているのとは違うのだろうが……。詳しい事はよく分からない。ただ、政治家がポートでは推薦制度で決まっているのは知っている。日本みたいに、選挙なんてしないのだ。

 コネで議員になる中で、ランバートやマルクの様に、海外留学を何年も経験して本格的な政治学を学んでいる者はそう多くない。正統派の議員と言えるだろう。

「良い人なら、紹介した身としても一安心です」

 アネイラは、私が夜勤に出る前に戻って来た。

「どうだった?」

 私とファナがわくわくした顔で見ていると、アネイラは少し視線を逸らして言った。

「また……会う事になった」

 私とファナは視線を合わせて、にやっと笑う。誰も言い訳なんて求めていないのに、アネイラは言い訳をし始めた。

「私が会いたいって言った訳じゃないよ。あっちがどうしてもって言うから」

「いいじゃない。会えばいいのよ」

「そうですよ。私もそう思います」

 私とファナが言った言葉に、アネイラは我に返って言った。

「まだ……な、何でもないからね!」

 アネイラはそう言い放って、談話室を出て行った。

「マルクさん……何をしたのでしょうか」

 ファナがぽつりと呟く。アネイラの何でもないは、何かあった……なのだ。ファナもそれが分かってきているのだ。

「分かりませんが、嫌がっていないから、大丈夫でしょう」

「そうですね。大人のお付き合いですものね」

 そんな事を言いつつ、私はジャハルの迎えが来たので夜勤に出発した。

 城に到着すると、上層の階段前でコピートが壁を背もたれにして立っていた。以前よりも精悍な感じになっているのは、過酷な勤務状況のせいだろう。

 誰か待っているのかと思ったら……私を待っていたらしい。

「今、お時間ありますか?」

「少しなら」

 早い目に出て来たので、少しなら時間は取れる。

 私を連れて空いている部屋に入ると、コピートは暗い表情で頭を下げた。

「母が、大変な迷惑をかけてしまって……」

 アネイラの事で浮かれて、すっかり忘れていたが、今日も馬車は館の前に停まっていた。

「本当なら、俺がファナを守ってやらないといけないのに、ローズ様に甘えた挙句……館の前で見張っているだなんて、知らなくて」

「忙しいのですから、仕方ありません。序列上位者の仕事を全部引き継いで、ここまでよくやって来られていると思います。頑張っているのですから、そんな風に自分を責めないで下さい」

 コピートは少し泣きそうな顔をして私を見た。

「そんな優しい言葉、母上にもらった事が無いんだよ。俺は。……あんな女、死んでも構わない」

「そんな事を言ってはいけません」

「何でだよ!役に立たないし、誰も一緒に居たがらないじゃないか!」

 拳が白くなる程に握りしめているコピートに私は言った。

「ジルが……父親を殺して、どれだけ苦しんだか分かりますか?」

 コピートが目を見張る。

「ずっと心に傷が残ります。マルネーナさんでは無くコピート様の心に。私も身勝手なので、マルネーナさんを心配している訳では無いのです。……コピート様とファナが傷つくのが嫌なのです」

 コピートは本当に泣きそうな顔になった。

「俺は……もう分からないんだ。ファナと家族として普通に暮らしたいだけなのに、母上がそれを邪魔する。どうしたらいいんだよ」

「マルネーナさんは、あなた達が仲睦まじく幸せそうに見えるから、羨ましいのです。でも、その中に入る事も出来なくて、自分の気持ちをこんな風にしか伝えられないのです」

 コピートはげっそりした表情で言う。

「……面倒見切れない」

「だから、ランバート様の知恵もお借りして、何とか出来る方法を考えましょう」

「もう疲れた」

 コピートは悪くない。精鋭の抜けてしまった騎士団を維持して、ここまで本当によく頑張っている。それを母親が追い詰めるなんて、あってはならない事だ。

「俺が何をしたって言うんだよ」

 殆ど年齢の変わらない男性の頭を撫でるなど良くないのだが、私の手はコピートの項垂れた頭に伸びていた。頭をそっと撫でても一瞬体が強張っただけで、コピートはじっとしていた。

「コピート様はとても頑張っています。私はそれをよく知っています。ファナも。赤ちゃんも順調です。きっと元気に生まれてきます。だから、元気を出して下さい」

 手を離した後、コピートは私をじっと見て苦笑した。

「俺、ジルムート様にも撫でられた事があるんだ。上役の夫婦両方に撫でられるって、どれだけ子供なんだよ」

「すいません。……ただ上手く慰める方法を思いつかなくて」

「俺さ、親に撫でられた記憶があまりないんだ。……ジルムート様は、ルミカ様の頭をよく撫でていたから何とも思っていないみたいだったけど、俺は撫でられて凄く嬉しかったんだ。今も、悔しいけど元気が出た。ありがとう」

 コピートは顔を引き締めて言った。 

「ローズ様の事は十分に頼りにしている。だからこそ、俺はけじめを付けたい」

「けじめを付けるって、どうするつもりですか?」

「必ず何とかするよ」

 一抹の不安を覚えるけれど、コピートはそのまま部屋を出て行ってしまった。

 翌日夜勤が終わり、帰宅して少し眠った後、ジョゼが来たので対応していると外が騒がしくなった。何かと思って外を二人で見ると、いつもの場所に停まっている馬車の前で、マルネーナさんとコピートが対峙しているのが見えた。

「うちの嫁がパルネア人の館に居るから、心配して見に来ているだけよ」

「そんな事を言うなら、何故入れてもらえないのか考えろよ!」

「入りたいなどと言ってないわ。ファナを連れ出したいだけなの」

「連れ出してどうするんだよ」

「私が面倒を見るわ。あなたの母親だから」

「勝手にファナ宛の手紙を読んで、館を相談無く仕切るのが母上のやり方だろう?勝手すぎる」

「勝手なのはあなたでしょう?せっかく産んであげたのに、私に逆らってばかり。だったら、嫁と孫には言う事を聞いてもらってもいいじゃない」

 空気がヒヤリとした。異能漏れだ。コピートは異能を使うつもりなのだ。ジョゼも慌てている。

「ふざけるな!」

 止める間も無く、マルネーナさんの背後にあった馬車が横倒しになった。一緒に転倒した馬が起き上がって凄い勢いで走り去り、飛ばされた御者台の使用人が腰を抜かしている。ジョゼが走り出し、使用人を助け起こす。周囲の人達は、暴れ馬に気を取られ、散り散りに走って行く。

 人の居なくなった通りで、マルネーナさんはぺたりとその場に座り込み、コピートを見ている。

「父上と俺が苦労しない暮らしをさせているのに、まだ足りないのか?もう許さない」

 コピートがどんな顔をしているのか分からないが、コピートの手がマルネーナさんの方へと差し出されるのが見えた。……殺す気だ。

 私が真っ青になってそう思った瞬間、脇を誰かが走り抜けて行った。ファナだ。ファナはコピートの背中に抱き付いて叫んだ。

「止めて!」

「止めるな!」

 コピートの怒声を聞いても、ファナは抱き付いたまま抵抗した。

「絶対にダメ」

「うるさい!」

「私が館で我慢しなかったせいなら、館に戻るから」

「違う。俺がもう母上の顔を見たくないだけだ」

 マルネーナさんの顔が歪んで、乾いた声がした。

「どうすれば良かったと言うの?私は嫁いでも、ファナの様に周囲に優しくしてもらった事が無いわ。あなたは私の話を下らないと無視して、旦那様と話してばかり。命令しなければ使用人は何もしてくれなかった。誰も、私に何も与えてくれなかったじゃない」

 性格的に人に優しくする方法が分からない人と言うのは居る。話が下手と言う人も居る。それでも、人と関わりたいし優しくされたい。マルネーナさんはそういうタイプだ。

 ファナみたいな癒し系の女を目の当たりにして、さぞや腹が立った事だろう。使用人と笑顔で対話をし、夫にも愛されて優しくされている。マルネーナさんにとって喉から手がでる程に欲しい物が、目の前でファナに注がれていく。あのギラギラした怒りの原点をようやく見た気がした。

 同時にコピートがどれだけマルネーナさんを母親として立てて我慢しても、それを当たり前だと思っている残酷な部分も浮き彫りになった。コピートの忍耐は、優しさとは認識されていないのだ。

 与えられる事ばかりを望んでいるマルネーナさんから、コピートには何も与えられない。与えろと何処までもねだられるばかりだ。そして今、妻と子を差し出せと言われたのだから、怒るに決まっている。

 コピートは、必死に抱き付くファナの腕に触れながら、マルネーナさんに言った。

「ファナに免じて殺さない。でも、もう側には居られない」

「どうして……どうしてなの?コピート!」

「さよなら」

 コピートの別れの言葉に、マルネーナさんは半狂乱になった。コピートは館の護衛をしている騎士に命じて、意味不明な言葉を叫んでいるマルネーナさんを何処かに連れて行ってしまった。マルネーナさんは、それきりアネイラの館の前に現れなくなった。

 後日、コピートがファナを館に迎えに来た。

「母は、パルネアにあるボクセンの町に移り住む事になりました。ランバート殿が紹介してくれた宿屋に年単位で部屋を借りられたので、使用人を雇う必要がなくなりました」

 オーディス・マーニーの美術館が出来るのに合わせて、宿屋が新しく作られている。そこを手配したのだろう。使用人が嫌がって辞めてしまう問題は、宿に常に泊まる事で解決されたらしい。お金持ちでなければ考えつかない発想だ。……すっきりはしないが、ほっとしたのは事実だ。

「長い間、妻がお世話になりました」

 コピートはすっかり大人の男性の表情になってそう言うと、ファナを連れて帰って行った。

「ボクセンって牛乳の産地だよね。毎日牛乳飲んで気持ちよく過ごせるといいね」

 酷い修羅場を見た立場としては、呑気なアネイラの発言に苦笑するしか無かった。とは言え、環境が変わって、気分が変わればいいと思うのは私も同じだ。

 ファナが居なくなり、少し寂しくなったけれど城の仕事も忙しい。私達の話はいつの間にか、そちらに移行した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ