愛しいあなたへ恋文を
『これを読んでいる頃、あなたはポートを離れていると思います。
あなたが、短くても一年以上ポートを離れてしまう事については、クザートから聞きました。
あなたの口から聞いていたら、泣いていたと思いますが、泣いてもあなたの口から聞きたかったと思っています』
そこでぴたりとペンが止まった。
これから危険な目に遭う人に出す手紙じゃない。くしゃくしゃと丸めて、暖炉の奥へと放り入れる。
これで書き損じは何枚目だろう。アルガネウトの一角にある家で、手紙を書きながらため息を吐く。アネイラは宿に居る。
同室でいいと言ったのに、ジルムートは部屋を別にした。見送りに来る騎士の家族が他にも大勢居ると聞いている。部屋に空きが無かったらしく、私は空き家を一晩借りる事になった。外には地方勤務の騎士が護衛で立っている。一人で使うには広すぎる、凄く綺麗な家に困惑しつつ、序列一席の妻と言う立場を思い出して納得する事にした。
アルガネウトは季節風がいつも吹いている港町で、少し肌寒い。だから暖炉の火がありがたい。
アネイラはルミカからの手紙を読んでから、私に打ち明けてくれた。
「私はルミカさえ一緒に居てくれれば、後はどうでも良かったの。でもルミカはそうじゃなかった」
「どう言う事?」
「大事にしてくれたし、一人の女として好きで居てくれた事は本当だと思う」
アネイラは、目を伏せた。
「ルミカが酷い怪我をして運ばれてきた事があったの。用事で数か月留守にすると聞いてはいたけれど、まさかそんな状態で帰ってくると思わないじゃない」
「そうだね」
グルニアから戻った後の事だろう。
「元々、ルミカが強い事を理由に、厄介事に巻き込む人が結構居たの。私はそれが嫌だった。私のルミカに何をさせるのよって、ずっと思ってた」
大切な相手が、危険な事をやらされるのを不服に思うのは当然だ。
「だから言ってしまったの。……二人で遠くへ逃げようって。あなたさえ居れば、私は他に何もいらないから、もう危険な事はしないでって」
アネイラは、本気でルミカの事が好きだったのだ。
しかしルミカからすれば、見知らぬ土地へ逃げると言う事は、騎士としての義務を投げ出すと言う事だ。……ジルムートやクザートが逃げ出さないのに、ルミカがそれを受け入れる訳が無いのだ。
更にグルニアから敗走した後だとすれば、その言葉で矜持が更に傷ついた可能性もある。
「ローズが言ったでしょ?言ってはいけない事もあるって。私は、ルミカに一番言ってはいけない事を言ってしまったみたい。それが分かったから……もういいの」
「分かったのなら、やり直せるんじゃないの?」
アネイラは首を左右に振った。
「私……夢中になったら、きっと同じ事を繰り返すと思う。ローズやファナみたいに聞き分けて大人しくしているなんて出来ない。きっとルミカが騎士である事自体、嫌になると思う。でも……ポートの騎士以外の生き方は出来ないって、ルミカの手紙には書いてあった」
目じりに浮かんだ涙をハンカチで押さえたアネイラは、にっと笑った。
「だからルミカとは、もう終わり」
アネイラは、好きなだけでは越えられない壁を見たのだ。
「きっとアネイラの愛情を、受け止めてくれる人が居るよ」
「私、不細工は受け付けないの。受け止めてくれるだけじゃダメなのよ」
ルミカもたいがいだが、この女も鼻もちならない部分がある。
「アネイラ、いくら可愛くても、そういう事言ってたら結婚出来ないと思う」
「見た目はまだ二十代前半で行ける。素敵な王子様でなくちゃ、私はダメなの!王子様じゃないなら、一生独身でいいもん」
冗談の様な本気だ。ため息交じりに言う。
「もう好きにしなよ。ポートにはあんたの事を知ってる人が殆ど居ないから、その顔で騙せる内に頑張りなさいな」
「ローズこそ、いい年なんだから奥様らしく振る舞いなよ」
アネイラの言葉の意味を測りかねる。
「私は凄く救われたけど、友達優先で旦那様と別居するとか、普通はあり得ないから」
「恩を仇で返す気かしら?」
低い声で言うと、アネイラは怯みながら言った。
「だって、あんたとジルムート様って何年も結婚している夫婦に見えないのよ。ジルムート様の態度とか見ていると新婚みたい。あんたに対して、余裕無さ過ぎでしょう」
……色々な意味で鋭いアネイラに、内心冷や汗をかきながら、苦し紛れに言う。
「色々あった後だから、心配してくれているのよ」
「ローズはやせ我慢が得意だけど、ジルムート様は大丈夫なの?」
久々に情け容赦のない言葉を聞いて、精神を削られる。
「あんたのやせ我慢に付き合っていたら、ジルムート様の方が限界超えちゃうんじゃないの?今のまま離れたら、寂しくなってグルニアで愛人作っちゃうかも知れないよ?」
思ってもいなかった衝撃発言に、頭が真っ白になった。
「私は次の男を探せるけど、あんたは無理でしょ?それこそ大事にしないと大変な事になるよ」
魂の抜けかけている私に、アネイラは続けた。
「ジルムート様の所へ戻りなよ。まだ出征まで日もあるんだしさ」
「帰らない」
反射的にそう答えていた。
「何で?寂しくないの?」
「ジルは、ずっと側に居るから安心しろって言ってさんざん甘やかしておいて……自分からは何も言わずに一年以上も私を放置するつもりなのよ?不誠実じゃない。その挙句、愛人なんて連れて来たら、ポート湾に蹴り落してやる!」
私が蹴った程度ではびくともしないし、溺れないけど。とにかく蹴る。愛人もだ。
「ごめん。愛人発言は忘れて」
アネイラは、申し訳なさそうに言った。
「そのまま言ってやればいいのに。何で我慢してるの?言ったらいけない事じゃなくて、離れる前に言っておくべき事だと思うけど、間違えてる?」
アネイラの言葉が心の柔らかい部分をチクチクとつつく。情けない声が出た。
「間違えてない……」
アネイラに虚勢は無意味だ。情けない声のまま続ける。
「でも言わない。私が耐えられなくなるのよ」
「ローズ?」
「アネイラは笑うかも知れないけれど、私、パルネアを離れた日からジルと何日も離れた事がないの。それで、凄く不安なの」
「え?……えぇ?」
アネイラのドン引きな様子に、昔の自分なら共感した筈だ。こんなにも私は変わってしまった。完全にジルムートに毒されている。セレニー様の輿入れ以来、私はジルムートと一緒に居た。いきなり一年以上離れ離れになるなんて、耐えられる気がしない。
「城も館もポーリアの町も、どこもかしこもジルとの思い出ばかりなのよ?居ないジルを思い出さない方が難しいくらい。……どうやってこれから暮らしたらいいのか、分からないのよ」
アネイラは不思議そうに私を見てから、笑って言った。
「なんだ。私だけ頼ってるのかと思ってた。ちょっとだけ気楽になったかも」
睨むと、アネイラは真顔で言った。
「私が一緒に居るから心配しないで。……とにかく、ジルムート様とはちゃんと話しなよ」
できればやっている。お互いに、話すきっかけを相手に求めると言う悪循環の末、耐え切れずに会話を終えると言う事の繰り返しだ。毎日が消化不良のまま過ぎていく。
せめて出征先で気持ちを伝え続ける物をと思い、手紙を書いているのだがこれも難しい。
書き損ねた手紙が次々に燃えていく。……このままでは、持ってきた便箋が無くなってしまう。
電子メールならこんな事心配しなくて良かったのに。前世の便利グッズを思い浮かべる時は、大抵心が弱っている。そんな事を考えていると、いきなり背後から抱きしめられた。
「ひっ……」
「俺だ」
そんなのは、言わなくてもすぐ分かった。どれだけ一緒に居たと思っているのか。
気配を消して入って来るとか、マナーが最低だ。絶対に寿命が縮んだ。いきなり来たから、どうしらいいのか分からない。
明日から、この人はいない。
そう思ったら涙が溢れた。便箋に涙がポトポトと落ちていく。ジルムートは何も言わない。ただじっとしている。
涙も拭わないまま、私は言った。
「会いたくなったら、どうしたらいいの?」
答えは無い。答えられる筈が無いのだ。ジルムートのため息が聞こえた。困らせている。分かっていても、言わずにはいられなかった。
暫くして、ジルムートの声がした。
「待たせるが、必ず戻って来る」
「いつ戻って来るの?」
また、ジルムートは黙り込んだ。何時戻ると確約出来ないから、口をつぐんでいる。
涙が止まらない。すると、突然ジルムートの噴き出す声がした。
何かと思っていると、ジルムートは私に絡んでいた腕を外し、書きかけの便箋をつまんだ。
……あ、それはダメ。
慌てて振り向くと、ジルムートはそれを嬉しそうに畳んでポケットにしまっていた。
「あ……」
「女のあり得ない妄想というのは好きではないのだが、これはいいな」
妄想……今、妄想って言った!
「酷い」
「何となく分かっていた事だが……お前の審美眼も、俺の事を言えたものではないぞ」
「私、服のセンスではディア様にお墨付きをもらっているのに!」
「だったら、俺の容姿で浮気をするとか、どうして考えられるのだ?」
筋肉多め。厳つい。威圧感がある。ウィニアが初めてジルムートを見た時、姉のリンザにしがみついたと聞いたのは、お茶会の時だったか。
そう言う人が好みの女も居るのだ。……私みたいに。そんな事は恥ずかしいので言わない。
「序列一席は、昔からモテモテじゃない。美女が寄って来るに決まってる」
ジルムートはため息を吐くと、私の涙を指で拭った。
「何度言ったら分かるのだ。俺は見てくれだけで人を好きになったりしない。権力に媚びる女も却下だ」
「でも、何があるか分からない」
ジルムートは、我慢強く私に言い聞かせて来た。
「いいか?俺は王命でグルニアに行くのだ。パルネアとポートの命運を背負っている。そんな暇はない」
ジルムートの言う通りだ。……アネイラの落とした妄想の種を開花させた今の私は、ジルムートの言う通り立派な妄想女だった。
「ごめんなさい」
「謝るな。俺としては……こんなに別れを惜しんでもらえるとは思っていなかったのだ」
「え?」
「いってらっしゃい程度で別れられては、俺の士気が下がる。……だからわざわざ頼んで、ランバート殿の所有する家を無償で貸してもらった。休暇に呼び出された時の借りを返してもらったのだ」
綺麗な家だと思っていたら、ランバートの家だったらしい。そこで嫌な予感がして、ジルムートを見る。
「わざわざ家を借りてまで、何をする気だったの?」
ジルムートの雰囲気が一変する。怖い。
「分からないとは言わせない。館に戻ってこないお前が悪い」
そこから夜通し、私は洗いざらい心情を吐き出す事になった。感情が高ぶって何度も泣いた。話し声も泣き声も、宿じゃないから気にしなくて良い。それはとてもありがたかった。ジルムートは、そんな私の手をずっと握って離さなかった。私も離さなかった。
泣かない方が良いと思っていたのに、朝になったら黙っていた時よりも気分がすっきりしていた。ジルムートもすっきりした顔をしていた。
「手を出せ」
いきなりジルムートがそう言うので手を出すと、手首に銀色の細いブレスレットを着けられた。
「俺の髪の毛では、同じ物を作れない。それで我慢してくれ」
ジルムートが緊張しているのは、ポート人の男性があまり人に物を贈らないからだ。しかも私はもらった物を二回返品した過去がある。あれ以来、ジルムートは私に物をくれなくなった。密かに、返品に傷ついていたのだ。
今回は、勿論素直に礼をする。
「ありがとう。凄く嬉しい」
ほっと息を吐いて、ジルムートは笑った。
「戻って来たら、それを付けて一緒に出掛けてくれ。……約束だ」
小指を出されて、私は迷わず自分の小指を絡める。
「「指切り。嘘吐いたら、針千本飲ます。指切った」」
ぱっと小指を離して、二人で笑う。私達だけの約束。それだけで頑張れる気がした。
その後、アネイラと合流した。帽子を準備しておいたので、それを被って港に行く。髪の毛を高く結って、帽子の中に隠している人が居るから、こうすれば髪の毛が短いのは目立たないのだ。
港では、大勢の騎士が家族との別れを惜しんでいた。
ルミカは凄く情けない顔をしていた。アネイラが明るく別れを告げたからだ。ルミカとしては、本音を書いた手紙で自分を理解してもらった上で、謝罪して新しく関係を構築したかったのだろう。
「逃がした魚は大きいぞ?ルミカ」
「俺もそう思う」
クザートとジルムートにそんな事を言われて、ルミカはがっくりを肩を落とした後、苦笑して言った。
「俺は小物ですから、アネイラの王子にはなれなかったと言う事です」
アネイラは、騎士を支える妻になりたい訳ではない。自分をお姫様扱いしてくれる王子様が欲しいのだ。アネイラの王子様は何処に居るのだろう……。早く見つけて欲しい。
カランカラーン!
鐘が鳴る。出港の合図だ。
「行って来る」
「行ってらっしゃい」
私達は夜通し別れを惜しんだから、いつも通りの言葉で別れる事が出来た。
+++
荒れ地の様なグルニアで、行軍が続く。俺はいつも眠る前に胸ポケットから便箋を出して拡げていた。見ながら、手首に触れるのも癖になってしまった。
隣に座っていたラシッドが覗いて来るので、慌てて便箋を隠す。
「それ、いつも見ていますよね?ちょっと見せてくださいよ」
「絶対にダメだ」
「え~」
誰が何と言おうと、これはローズから俺に書かれた恋文だ。人には見せない。
『ジルムートの馬鹿。愛人なんか作ったら、ポート湾に沈めてやる』
所々、文字の滲んだそれを、俺は再び胸ポケットにしまった。




