ローズと耳かき
パルネア王国。
長い間、王族と貴族によって動かされていた政治は、長い時間をかけて緩やかに平民との間の壁を取り去って来た。
貴族の時代が終わりを告げようと言う頃に、私はローズ・メイヤーと言う名前の貴族の娘に産まれた。
私には物心がつく前から、不思議な世界の記憶があった。それが何を意味しているのか、全く理解していなかった。
それらの記憶は多い訳では無いし、今生きている世界と違い過ぎて上手く伝える事も出来ないので、誰にも言う事は無かった。
私はランドセルと言う背中に背負う革鞄を背負って、他の子供達と勉学の為に学校に通っていた。
この世界では平民は学校に行くが、貴族は家庭教師を家に招いて勉強する。
うちは名前ばかりの貴族だから家庭教師を雇えなくて、祖母と両親によって教育されていた。
「どうして学校に行けないの?みんなでお勉強したら楽しいのに」
学校に通う子供達を窓から眺めながら、私は不平を述べた。
「そんな時代は、もうすぐそこよ」
年齢を積み重ねるにしたがって、母の言う通りだと思う様になった。
私は通う事が出来なかったけれど、国の子供が全員学校に通う事が決まりとなったのだ。
領地の国への返還。貴族は、もう土地の管理をすると言う世襲制の役割を終えていた。私が生まれる少し前だ。
領地返還時に、貴族は保証金を沢山もらっている。我が家もそうだったのだが、庶民と変らない暮らしをしている。
私の父は小麦の研究をしている人で、母は王妃様付きの侍女をしている。
祖父が亡くなるまでは領地の屋敷に住んでいたけれど、亡くなった後、大きな屋敷は金がかかり過ぎると言う事で売ってしまった。
今では城下町にある一軒家を借りて、両親、祖母と私で暮らしている。
祖父は貴族と言う立場に誇りを持っていたそうで、最後まで貴族である事にこだわった。……あまり覚えていないが、確かに贅沢な暮らしをしていた気がする。
それが原因で保証金はゼロになり、借金を抱えていた。
父は元々、領民の為に作物の研究をしていたのだが、干ばつに強い小麦を作りだした功績が認められ、城で研究員の仕事を得る事が出来た。
しかし、それだけでは城下町の借家を借りながら借金を返すのは難しくて、母も城で侍女として働く事になった。
母は貴族の既婚女性と言う事で、王妃様の話し相手兼侍女として即採用された。
しかし、城勤めの侍女と言うのは激務だった。貴族のマナーを身に着けていながら、平民と同じ様に働ける女性と言うのが、非常に少なかったせいだ。
何とか借金を返し、借家で暮らして行く目処は立ったものの母は城に泊まる事が多くなり、私は祖母に育てられる事になった。
ところが、祖母は完全に貴族として育ったので、お金の感覚があまり一般的では無い。料理も上手くない。作った事が無いのだ。掃除だってやり方すら分からないと言う有様だった。
それでもお腹は空くし、お金はやりくりしなくてはならない。私は、祖母と試行錯誤して暮らして行く事になった。
城下町へ五歳で引っ越して来て、早十年。
私は明日から城でメイドとして働く事になっている。メイドは、若い未婚の女である事が決まっていて、侍女の命令の元に細々とした仕事をする。そのメイドである間に、貴族のマナーを覚え、城の中でのしきたりを覚えるのだ。
平民の場合、三年がメイドの期間で、その後はそのままリーダーメイドとして新しいメイドの指導や指揮に当たっても良いし、侍女になっても良い事になっている。
幸い、貴族の出身である私はマナー講習等が免除されている為、メイドの期間が一年に短縮されている。一年耐え抜けば、その後どうするか選ぶ事が出来るのだ。
堅苦しいのが嫌で、リーダーメイドになる人も多い。メイドは基本的に、執事や役人、王族と直接話をする様な事が無い。侍女から頼まれた事をやるだけだ。
侍女になると、更に知識を身に着け、王族、外国から来た方々のお世話もこなさなくてはならなくなる。役人などの要望があれば、見聞きした状況等について、書類を書いて提出しなくてはならない。
お給料は、リーダーメイドよりも侍女の方が格段に多い。しかし、激務である事は母を見て知っているから、迷ってしまう。
一年の間にどうするか、考える事にする。
「ローズ!」
手を振るのは、雑貨屋のアネイラだ。
アネイラの家も貴族だが、彼女のお父さんが経営している雑貨屋は不景気続きだ。
アネイラも家計を助けるべく、城のメイドになる。侍女にならないと言っているが、お金に釣られて頑張ってしまう予感がする。
とにかく、城下町に住む幼馴染と一緒に働けるのは、心強い。
「明日の準備は出来た?」
「ばっちり」
アネイラは、黙っていれば小柄で可愛い女の子なのだが、言葉や動作に品と言うか優雅さが無い。今も、ニシシと笑っている。……城ではその笑い方、叱られると思う。
「例の物、持って来たよ」
アネイラの言葉で、私は思わず叫ぶ。
「見せて!」
私達は連れ立って、近くの石段に腰を下ろした。そして、ワクワクして頼んでいた物の登場を待つ。
アネイラがハンカチに包んで持って来たのは、細長い棒。先が小さくスプーンの様に丸くなっている。
「わぁ」
理想の形だったので、思わず声を出すと、アネイラは自慢気な顔になった。……作ったのは木こりのおじさんで、アネイラでは無いのだけれど、まぁいいか。
手に取って調べる。
棒は簡単には折れない。丸くなった部分には、ささくれが一切無い。
「うん。いいわね」
それを耳の中に恐る恐る入れてみる。
カサカサっと音がする。そうよ。これよ。この感じ!
私がたまらないと言う様に身震いすると、アネイラは言った。
「どう?これなら満足でしょ?」
今までで一番、出来が良い。イメージ通りだ。私は今日持って来たお小遣い全額を、アネイラに渡した。
「これの半分を木こりのおじさんに渡して。できれば、同じ物をこれからも作って欲しいって。残りはアネイラにあげる」
アネイラは、いらないと言ったけれど、長年付き合わせた礼も入って居るからと強く言ったら、受け取ってくれた。
この世界で誰も知らない、おかしな道具を作るのに協力してくれたのだから、当たり前だ。
「同じ物作ってどうするの?」
「アネイラの所の雑貨屋に置いてもらう」
「うそ!売れないよ、そんなの」
「い・い・か・ら、お店に置いて。変なお面とか、使い方の分からない道具よりも、これの方が、素敵だから」
私がぐっと顔を近づけて言うと、アネイラは退きながら、コクコク頷いた。
「……耳かきが絡むと、ローズは人が変わるよね」
引きつった顔でアネイラは言ったけれど、私は気にしない。
私の中にある、別世界の記憶の中で、最も強く残っているものがある。それは、誰かに耳かきをしてもらっている時の記憶だった。
その誰かはとても上手で、私はすごく幸せな気分で、膝枕で甘えていた。
あの心地よさをもう一度!
生まれる前から覚えている快感を未だに忘れられないなんて。とは思うけれど、忘れられないのだから仕方ない。
「長かったわ」
私が耳かきを握りしめ、ぐっとこみあげて来るものを我慢していると、アネイラが苦笑した。
「それは私も認める」
昔を思い出す。
……八歳の頃だったと思う。何度も、違う世界での耳かきを思い出すので、どうしても耳かきがして欲しいと言う気持ちになった。
だから祖母に耳かきをねだった訳だが、その時の衝撃は大きかった。
「おばあ様、お耳がかゆいの」
「あらあら、ローズみせてごらん」
そう言って祖母が持って来たのは、金属製のまるで釘みたいなものだった。
先はそんなに尖っていないけれど、明らかに釘の形をしている。
「お、おばあ様?」
「さあ、いらっしゃい」
「あ!もう平気かも……」
「そう」
そう言うと、祖母はそれを自分の耳に入れて、グリグリとまわした。
「私がお嫁に来るときに、持って来たの。ローズが結婚するときには、あげましょうね」
……お嫁入り道具の耳かきが、釘!釘!
私は部屋を出ると、外に飛び出した。
この世界には、本当の耳かきが……無い。
耳に釘を突っ込んで、微笑む祖母の姿が目に焼き付いて離れない。
川べりでしょんぼりしていると、アネイラがやって来た。
「ローズ、何してるの?」
本当に無いのかどうか、確かめたい。だから、アネイラに聞いた。
「アネイラの家では、耳がかゆくなったらどうするの?」
「かけばいいじゃない」
「そうじゃなくて!もっと、こう耳の奥の方。指が届かない所」
「ああ、うちは木の棒」
もしや耳かきか?
「でも私、あれ嫌い。耳が後で痛くなるんだもん」
「何で?」
「先が尖っているからお母さまにやってもらうと、耳から血が……」
「わーーーー!」
嫌だ。絶対にそれは耳かきじゃない。
この世界の人は、耳の中の垢をやさしく掃除して快感を得ると言う事が無いのだ。
釘も、ただの木の棒も嫌。
ちゃんと加工された耳かきが欲しい。
「私、行くわ!」
そう私が宣言すると、何故かアネイラも付いて来た。
最初に行ったのは、町の鍛冶屋だった。包丁や鍋を作っている工房だ。
地面に耳かきの絵を描いて、耳に入る位の物を作って欲しいと交渉した。
「そんな小さな物、うちじゃ作れねぇな」
速攻で断られた。
親方にそう言われたので、次は宝石や金銀の細工職人の所に行った。
「作れますが、錆が体に悪い事はご存知ですか?もし錆びない物となりますと、お嬢様のお手持ちのご予算でお作りできるかどうか……」
子供の言葉に、真面目に相手をしてくれた職人のお兄さんは、優しいが現実を教えてくれた。
祖母が使っていた代物が、高級品だった事だけは良く分かった。釘だが……。
私ががっくりして細工職人の工房を出た後、アネイラは聞いて来た。
「ねえ、何がしたいの?」
「痛くも怖くも無い、素敵な耳かきが欲しいの」
「自分で作るのは?」
あの美しい形を自分で作れるだろうか……。
やってみようと、祖母に小刀を貸して欲しいと頼むと、全力で拒絶された。
「指に、一生残る様な傷を作る気ですか!木を削るなんていけません!あなたは女の子なのですよ」
その後、両親にも怒られてしまった。
最初から、私が失敗すると決めつけている辺りが納得いかない。ちょっとくらい切っても死なないのに。練習もさせてくれなかった。
それを不貞腐れて話すと、アネイラは腹を抱えて笑った。
「本当にやろうとしたの?」
「アネイラが言った癖に」
頬を膨らませてそう言うと、アネイラが背中を叩いた。
「ローズって変わってるよね」
「悪い?」
「ううん。お父様がそう言う変な発想にこそ、商売の種が潜んでるって言ってた」
アネイラのお父さんは、領地を返還してから、雑貨屋を開いている。
保証金で土地と店と凄くセンスの悪い商品を買ってしまった為、生活資金が尽きて、アネイラのお母さんが、学校の先生になって生計を立てている状態だ。
うちと良く似ているけれど、アネイラの家の方が事態は深刻だ。
お金がちょっと入って来ると、そのお金でアネイラのお父さんが、謎な品物を仕入れてしまう。
お父さんは生真面目で、本当に売れると信じて品を仕入れているから、アネイラもお母さんも、何も言えないそうだ。
頑張っていても、どうにもならない事があると子供ながらに思う。
「アネイラのお父さんと発想が一緒って言われるのは、何だが悔しい」
耳かきは、覚えている世界では、ありふれた物で捜せば見つかる品物だったのだ。
「耳の穴に突っ込む棒を探しているとか、変だよ」
そんな事を言われたら、泣きそうだ。
「違うの。物凄く気持ちいいの!たまらなく幸せになれるの!」
アネイラの視線が痛い。
共感してもらうには、何としてでも、本当の耳かきを手に入れなくてはならない。
そしてアライネの家の雑貨屋に、薪を売りに来る木こりのおじさんを紹介してもらったのだ。それが九歳の時だった。
私は下手くそな絵を描いて、同じ物を作って欲しいと頼んだ。
「おー、いいぞ。冬は暇だからな」
おじさんは雪が降る前に、夏に切って乾燥させた薪を何度も町に売りにやって来て、雪が降ると春まで姿を見せない。
冬の間、木こりのおじさんは、山の家で木のスプーンや皿を作っていると言う。そのついでに耳かきを作ってもらう様に頼んだのだ。
優しいおじさんで、タダで作ってくれると言ってくれた。
そして耳の穴に入らない、スプーンに近い物を春に渡される事になった。
それから苦節六年。木こりのおじさんに容赦ないダメ出しを繰り返し、私はようやく前世の記憶と同じ形状の物を手に入れたのだ。
城に働きに出たら、出入りする商人に頼むのも手かと考えていたけれど、これはもう改良しなくて良い出来栄えだ。
「アネイラ、おいで」
「何するの?」
「耳かき」
「え~、いいよ」
「良くない。ここに頭乗せて」
膝の上を叩くと、アネイラは渋々、頭を乗せた。
ふふふ、長年耳かきを馬鹿にしてきた事を悔い改めるが良い!
とか心の中で思いながら、優しく頭を抑える。
「動いちゃだめだよ」
私は最新の耳かきで、アネイラの耳の中を掃除した。
「くすぐったい!」
「大丈夫。痛くしないから」
これは大きい!痛くならないように、丁寧に、丁寧に……。
長年失敗作の耳かきで、自分の耳をほじって練習した腕前でアネイラの耳を攻略する。
あまり奥のものを無理に取ると痛いから、手前から順番に、そっと、そっと。
なんて思いながら、集中する事数分。
「とれた!」
私は大喜びした。
横になっているアネイラの目の前に、耳かきに乗せた戦利品を出して見せると、驚いて目を丸くする。
「うわ!凄い!こんなのが耳の中に?でも全然痛く無かったよ」
「ふふふ、私の腕だよ。う・で」
喜色満面で私がそう言うと、アネイラはむくりと起き上がって言った。
「ちょっとすっきりはしたけど、ローズが言う程気持ちよくは無かったな」
え?そうなの?
アネイラとしては、耳の聞こえが良くなった程度らしい。こんな完璧な耳かきでの掃除なのに、何で?どうして?
手の中にあるのは、日本で見たのと寸分違わぬ耳かき。……腕が足りないのだ。もっと全部の耳垢を攻略し、耳全体を美しくより気持ちよくする方法を考えなくては、耳かきの素晴らしさは伝えられない。
絶対に耳かきをこの国に文化として残すのよ。これがこの世界に産まれた私の存在意義よ!
自分をそうやって焚き付け、私は決心したのだ。耳かき伝道師になろうと。
アネイラの言葉がきっかけで、耳そのものをもみほぐす事を思いついた。
私はそれを『耳ほぐし』と名付け、自分の耳を指で刺激し、どうすればより気持ちよくなるか研究する事にした。
アネイラを何度も実験台にしたが、アネイラは『ちょっと気持ちいいけど、それだけ』なんて言うので、かなりムキになった。
そうこうしている内に私は、メイドとしての研修を終えて、王女であるセレニー様の侍女になった。アネイラと一緒に。
それから三年が経過して、私は十九歳になった。
巷では、セレニー王女の元に王女を癒す不思議な侍女が居ると噂される様になった。
侍女の手が耳に触れると、王女は天国に居る様な幸福感を得て心身ともに安らぐ。そう言われる様になったのだ。
神の手を持つ侍女が居る。……単なる耳かきが、そう言う話になってしまった。
耳かきは全く広まっていない。だからアネイラの実家では、大量の耳かきが売れ残ったままだった。