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第二話 現実逃避に女王様を添えて

 唐突だが、朝だ。チュンチュンと雀が鳴くほど清々しい朝の訪れだ。

 扉の向こうから聞こえるパタパタと響くスリッパの音。誰かが階段を上っているのか、軋むような音も混ざっている。

 キッチンで忙しなく動いて朝食の準備をしているだろう母親の声が、寝坊しないようにと何度か俺の元へと届けられる。

しかし残念ながら、それに応えることは出来なかった。

 それは何故かって?

 今現在進行形で俺は現実逃避をしているからだ。

 深夜の着信があった後、俺は一睡も出来ていない。菫からの電話で強制的に起こされ、その後のメールでブスッと止めを刺された。

 彼女曰くの乙女ゲーム企画に、俺が参加を望むまいと逃れられないという事実に。

 因みに、菫から送られてきたメールの中身はこうだ。


「送信者:御柳菫

 件名:Fairy tale.

 本文

 ハーイ!! 貴方の大親友兼第悪友兼永遠の幼馴染、御柳菫様よ!!

 手っ取り早く参加条件について箇条書きで書いておくわね。

 まぁ、参加条件って言っても仮想空間での貴方の立場だとかそんなのが書かれてるだけよ。

 気負わずにしっかり読んで楽しんできてね♪

 ちなみに件名が仮想空間の名称になってるから、覚えておくように!!


 参加条件

・現実世界で男性であること(学生(16歳以上から)、社会人は問わず)

・乙女ゲームを知っている(趣旨やどんなゲームなのかの簡単な知識だけで十分です)

・乙女ゲームに対して嫌悪感を抱かない

・仮想空間の舞台となる物語をしっかりと把握できる

・物語の趣旨に沿った行動が取れる

・仮想空間の中では性別が反転するが、それに異論を唱えない

・恋愛推奨、友情推奨――とにかく乙女ゲームを現実のように感じて体験し、楽しむべし!!


 次は注意事項ね。これもしっかりと読んで把握しておいてよ。


 注意事項

・応募していただき当選した方には必ず一度は参加する(体験せずに辞退するというのは認められません)

・上記でも述べたとおり、性別反転(現実世界→男、仮想空間→女)は必須事項となる

・仮想空間での一日は現実世界での一時間に該当する

・仮想空間で必ず毎日一日を過ごす(現実のどの時間帯でも構いません)

・一時間以上のログインは認められない為、越えてしまう場合は強制ログアウトとなる

・上記の強制ログアウトに関する罰則はないが、過度な強制ログアウトを発生させた場合は当選権を剥奪する

・安全性が確保されているとはいえ、仮想空間も現実と変わりがない(つまり、怪我を負えば痛みがあるということ)

・仮想空間での怪我や風邪等は仮想空間のみ影響することであり、現実には反映されない(もしも一日過ごしたその日に怪我を負い、現実に戻っても現実の身体は傷つかない。ただし、次の日仮想空間で過ごした場合はその怪我はちゃんと仮想空間での身体に残っている為、痛みはある)

・現実の怪我、風邪等の体調不良は仮想空間では影響を受けない

・必ず攻略キャラと絡むように→絡まない場合は強制イベント発動

・好感度を上げると恋愛必須イベント発生(回避も可)

・当選者は一人ではないので他PCも同じ仮想空間に存在しているが、交流は不可(姿を見かけても声を掛けずにNPCとして解釈願います)

・仮想空間内で現実世界の話題、立場、知識を持ち込むのは原則禁止

・ただし、サポートキャラとの会話中は適応されませんので息抜きの話題活用にご利用ください

・リアルな「恋」を男性視点を交えて楽しんでいただければ幸い


 これで全部よ。分からない事があったら遠慮なく私にメールして。乙女ゲーマーとして徹底的に解説してあげるわ!!

 あ、あと初参加の為の記入要項があるみたいだから、それを書いて会社の人に渡してね。会社の場所と用紙は明日会った時に渡すわ。

 それじゃ、お休みー!!」


 この時点で誰もが思うことはただ一つ。

 無駄に長いなこのメール!!

 え? 突っ込みどころが違う? んなもん分かってるよ。小さな冗談じゃねぇか……って、一人遊びは寂しいな。寧ろ痛すぎる。うん。やめよう。

 とにかく菫が送ってきたメールは俺を悪い意味で驚かせるのに十分だった。

 参加条件や注意事項についてはしっかりした内容だったから理解はしたが、納得はしていない。

 性別反転はまぁ、百歩譲っていいとしても、恋愛を楽しめとはどういうことだ。生まれてこの方、一般男子として過ごしてきた俺には女の気持ちなんて分からなければ、そう言った意味で男に惚れるなんてことは一切ない。にも関わらず女になりきって恋をしろ、と?

 なんという無茶ぶりだ!!

 菫なら思い切り楽しめるだろうけど俺は無理。何が何でも無理!!

 じゃあどうする? 参加の取り消しは出来ない。応募して当選してしまった結果、一度は必ず参加しなければいけないと書いてある。

 では一度切りで参加を終わればいいのでは?

 いや、それだと菫が絶対にキレる。

「健如きが私の顔に泥を塗る気?」と笑顔で迫ってくるのが容易に想像できる。

かと言って注意事項にある当選権剥奪行為をするのは俺としてはちょっと……。

 参加したくないのに長時間参加とか、ないな。ないない。

ならどうする? どうしろと?

 そんな答えの見えない疑問を延々と繰り返し続けていると、俺の脳は俺の精神安定の為に現実逃避を進めてきた。

 深夜に掛かってきた着信は夢で、菫から実際に電話はなく、メールなんてものすら存在しない。

 すべてはリアルな夢――そう、俺はいつもとちょっぴり違ったそれを見てしまったが為に家族全員起こすような絶叫を上げてしまったんだ。

 皆には本当に悪い事をしたと思っている。下手をするとご近所迷惑にも繋がったかもしれないのだから。

 そう考えると朝から家を出るのが億劫だな。いや、本当に外まで響いたかどうかは実際に出てみないと、というか、聞いてみないと分からない訳で――気付けば朝の時間を告げる目覚ましが鳴り響いて冒頭に戻るという訳だ。

 無駄に長い現実逃避だが、よくよく思えばこれはいつもの事だ。

 俺が菫の突発的な面倒事に巻き込まれ、挙句の果てには現実逃避しながら対応を迫られる。黙ったままでいれば容赦なく問答無用で首を突っ込まされる。かと言って逃げたり反論したりしても結果は同じ事で――って、あれ、これ結局は詰んでるんじゃね?

「女王様の命令には俺みたいな奴が逆らえるわけない、ってか?」

「あら、よく分かってるじゃない。流石健ね♪」

「そりゃ今までの流れでいけば何が何でもお前は俺を巻き込む――って、菫!?」

 俺の独り言にすかさず返された返事は聞き覚えのある女の子の声で。慌ててそちらの方を向けば菫がいた。

 ひらりと振られる細長い指先を持った手は白く、緩く弧を描く眉は綺麗に整えられ、キラキラ艶めく唇は色付きのリップクリームか口紅か――どちらかは俺には判断が付かないが――ぽってりと塗られていた。

 肩口から少し長めに伸びている黒髪を左右で一房ずつピンクのリボンで結ぶのが今の菫の流行らしい。

 ここまで語ってみたとおり、菫は意外と可愛らしい女の子だ。外見だけでいうなら美少女とも言えるかもしれない。

 中身については言わずもがな。勝ち気で強気で負け知らず。自己中心的で自分の好きなことに対して猪突猛進。情報収集が大好きな情報通。命令を下す姿は見事ぴったりハマり役とまさに女王様の一言に尽きる。

 対して俺は一言で言い切れる。中肉中背のモブ。これだけだ。外見に特徴はなく、性格も普通。好き嫌いが普通にある何処にでもいる人間――ゲームでいうところの村人Aあたりにはなれると信じている――だ。

「おはよう、健。わざわざ大親友兼悪友兼永遠の幼馴染である菫様が迎えに来てあげたわよ」

「迎えに来たって、おま、どうやって此処まで来たんだよ!? てか勝手に俺の部屋に入るな!!」

「どうって普通に入ってきたに決まってるでしょ? 早く起きたから健を起こしにおば様の許可貰って此処に来たのよ」

 感謝しなさいよね、と言わんばかりのニッコリ笑顔が眩しいです。流石菫様。

 てか、母さんが原因かよ。勝手に部屋まで上げるなよな。

「そんなことより、早く着替えなさいよ。おば様、朝食作って待ってるんだから」

「そんなことよりって……はぁ、分かったよ。分かったからお前は一度俺の部屋を出ていけ」

「えー、別にいいじゃない。見られて減るもんじゃないのに」

「減る!! お前に見られたら色んな意味で減る!!」

「んもう、我儘ねぇ――仕方ない。先に下に降りて待っててあげるから早く着替えてきてよ。待ってあげられるの一分だからね!!」

「はぁ!? 無茶言うなよ!?」

「これだけは絶対に譲らないんだから、早くしてよね!!」

 ぷっくり頬を膨らませて文句を言うも素直に部屋を出ていく菫。指定時間の短さに唖然としながらもそのことに非常に安堵してしまう俺はどれだけ菫に対して弱いのか。一生かけてもあいつには勝てないと分かっているからかもしれない。

 小さく吐いた溜息を切欠に俺は学校へ行く準備を始めた。鞄の準備は事前に終わらせているから制服に着替えるだけ。指定制服は高校ではちょっと珍しい黒の学ランだ。

 近所の高校の殆どはブレザータイプの制服が多いのだが、俺の通う学校は歴史が長く、古きを重んじて制服のスタイルを変えることをせずに昔ながらの学ラン、セーラー服を貫いている。

 ネクタイを締めるのが苦手な俺としては学ランは楽なので有難い。このまま卒業までこれで貫いてくれればなおいいと言うものだ。

 慣れた手つきでパジャマから制服へと着替えた俺は指定された時間内までにどうにか間に合わせて階段を駆け足で降りていく。

「おはよう、母さん、父さん」

「おはよう、健」

「おはよう。早く食べちゃいなさい。学校に間に合わなくなるわよ」

 リビングに入って開口一番に告げた挨拶は両親の元へ。父さんは既に食べ終えているのか新聞を読みながら返事を返してくれた。

 母さんは忙しなく動き回りながら俺の朝食を指差して学校の心配をしてくれる。

 今日の朝食はイチゴジャムを塗ったトーストが二枚に、スクランブルエッグ、ベーコン、サラダとコンソメスープと洋風で纏めてきている。量も朝から食べるには丁度良く、俺はいそいそと席に座って両手を合わせたのだが。

「菫、お前までなんで普通に朝食食べてんだよ?」

「健を待ってる間におば様が気を使ってくれたのよ」

 俺が座った席の隣で俺とは違い主食がクロワッサンになった朝食を頬張っているのは菫だった。

口の中に含んだそれをよく噛んでから呑み込み、俺への返事を終えたらまたパクリ、もぐもぐと食事へと戻っていく。

 そんな菫にお茶を差し出す母さんは俺をジトリとした視線で貫く。

「健を起こす為に朝食抜いて早く此処まで来てくれたのよ?」

「いやいや、別に俺を起こすためにわざわざ朝食抜く必要ないだろ? 元々待ち合わせしてるんだからそれに合わせて動けば」

「待ってる時間が勿体ないから起こしに来てあげたの。どうせ健のことだから待ち合わせ時間ギリギリに来ると思って」

「あー、さいですか……」

「ちょっと健? わざわざ来てくれたのにありがとうもなしでそんな言い方はないでしょ?」

「いいんですよ。おば様。私が好きでやってることですから。それに早く来たお陰でおば様の手料理を食べられるなんて幸せ者にもなれましたし」

「菫ちゃんったら、お上手ね。おばさんの料理でよければいつでも食べに来てくれていいのよ?」

「本当ですか? ありがとうございます!! 嬉しいです!!」

 瞳をキラキラとさせて嬉しそうに笑う菫を見て母さんも上機嫌でニコニコとしている。

相変わらず母さんは菫に甘い。今食べてるトーストに塗ったイチゴジャム並みの甘さだ。

 ちらりと父さんへと視線を向けたら、小さく口元が綻んでいるのを見かけた。父さんも父さんで菫に甘いことを俺は知ってるし、合わせて母さんにも甘いことを知っている。

 え? 俺に対して? そりゃ甘い――訳ないだろ。

 この甘さは菫限定だ。俺に対しては酸っぱいのが当たり前。少しでも甘ければ天変地異が起こるんじゃないかってくらいには甘さなんてものは一切ない。

 かと言ってそれに対して不満があるわけじゃないのでそれはそれとして。

「ご馳走様でした」

 ぺろりと平らげた朝食を前に両手を合わせて締めくくると、食器を纏めて流しの中へ。あとは歯磨きと顔洗いなどを手早く済ませて学校へ向かう準備を整えた。

「菫、もう出るぞ」

「え、ちょっと待ってよ!!」

「早く来いよ。迎えに来たお前が遅れるって変だからな」

「分かってるわよ!! あ、おば様、朝食ありがとうございました。美味しかったです。おじ様、お邪魔してすみませんでした」

「いえいえ、お粗末様でした。また時間があればいつでも食べにいらっしゃいね」

「気を付けて行くんだぞ。健、菫ちゃんを置いていくなよ」

「分かってるって。それじゃ二人とも、行ってきます」

「行ってきます。おば様、おじ様」

 靴を履いて鞄を持てば、菫も同様に靴を履いて俺の隣へと立つ。二人そろって挨拶しながら家を出て学校の道のりを歩き出した。

「――で? なんで急に俺ん家まで迎えに来たんだよ」

 道すがら、朝からずっと気になっていたことを俺は口にした。

 菫と俺の付き合いは長い。家自体はご近所というだけでちょっと離れた場所にあるが、生まれた場所が一緒の病院で、そこで知り合った母親同士が意気投合。気付けば家族ぐるみで十七年もの付き合いを持っている。

 十年以上ともなると過ごした年月の長さに合わせて相手のことがよく分かるし理解もする。そしてそれに合わせて巻き込まれる面倒事は数知れず。

 菫がこれをやると言い出したら止められない止まらない。某お菓子のフレーズがとても似合うのだ。

 今回早く家に来て俺を迎えに来たのも確実にやりたいことがあって、それに対して俺を巻き込むためだろう。いや、もしかしたら既に巻き込まれているのかもしれない。というか、確実に巻き込んでいてその事情説明と言ったところだろうか。

 なんとなく予想はついているのだが敢えて分からないフリをしてみる。

 菫は知ってか知らずか一瞬だけ視線をこちらへと向けたが、すぐにまた前へと戻してしまう。

「朝言ったじゃない。早く起きたから健を起こしに来たんだって」

「お前がそれだけの為に来るわけないだろうが」

「ちょっとそれは失礼じゃない?」

「失礼も何も事実だろうが」

「まぁ、否定はしないわ」

「オイ」

「ふふっ、冗談よ冗談」

 クスクスと楽しそうに笑う菫に項垂れる俺。どうあがいても菫には一生勝てない気がするのは俺の気のせいで合ってほしい。頼むから、マジで。

「私が健を起こしに行った理由、もう分かってるんじゃない?」

「分からないから聞いてるんだけど?」

「嘘吐き。本当はちゃんと分かってる。分かってて、耳を塞いでるのね」

 早足で一歩前に出てくるりと振り返る。と、同時に人差し指を俺の鼻先まで突き付けてくる菫に俺は足を止めた。

 菫に言われたことは図星だ。そして同時にそれは俺の予想が当たっているという答えでもある。

「どうせ健のことだから朝まで起きてて現実逃避してるんじゃないかと思って、いつもより早めに起きたんだけど――起こしに行って正解だったわ」

「お前なぁ……そこまで分かっててどうして深夜に電話してきたんだよ。俺の睡眠時間をどうしてくれるつもりだ?」

「そんなの私の萌えの前ではどうにもできるわけないでしょ」

 キッパリすっぱりぶった切ってくる菫様。相変わらずの自分勝手なキレ味は本気マジで女王様そのものだな。オイ。

「いーい? メールにも書いてあった通り、この企画は当選しちゃえば辞退は出来ないの。寧ろ辞退できたとして私がさせると思って?」

「思ってない。思ってないからお前は性質が悪いんだよ」

「ふふ、それは褒め言葉として受け取っておくわ」

「褒めてもねぇよ!!」

 怒鳴がなる俺に対して菫は小さく肩を竦めるだけ。

 あぁ、こうなってしまえばもう後は何を言っても無駄だ。

 俺に勝ち目はなく、後はなし崩しに諦めて巻き込まれるしかないのだから。

 ふと、空を見上げる。雲一つない青空が綺麗に流れていく姿を見て俺は――

「あぁ、今日もいい天気だなァ」

 棒読みのセリフとともに現実逃避第二弾に突っ走るのであった。

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