第一話 女王様の命令
「あ、もしもし? 起きてる? 起きてた? 私が誰かは分かってるでしょうね? 貴方の大親友兼第悪友兼永遠の幼馴染、御柳菫様よ……って、ちょっとそこでテンション下げないでよ。盛大にノッて楽しむ所じゃない。感じ悪いわねぇ」
テンション高くマシンガントークを発揮する菫の第一声に疲れが重く伸し掛かる。適当に零している相槌は棒読みで、テンションなどあげられようもない。
電話越しの向こうでプリプリ怒っている姿が安易に想像できるが、お気に召さなかったのは一瞬だったようだ。
「ま、いいわ。今の私は超が付くほどご機嫌なの。もう本当に最高!! 今の今まで生きててよかった、って思うくらいに最高なのよ。そしてそんな最高な気分を大親友の貴方に御裾分けしてあげる為に電話したのよ。感謝してよね」
「なんで感謝しなきゃいけないんだよ、菫。お前の最高な気分はなによりだけどな、こんな真夜中にわざわざ電話で伝えなくてもいいだろうが。伝えたきゃメールで言え。メールで。お裾分けなんてそれで充分だろ」
「そんなの面倒だからお断り」
キパッと即答か。分かってはいたけどもう少し考えてくれてもいい気がする。俺の睡眠のためにも、明日の学校登校の為にもな。
「これはもう直接電話で伝えないと伝わらないっていうくらいの感動なのよ? しかも人生初の体験が待ってるって言うのにどうしてメールで御裾分けするのよ……まぁ、メールも送るつもりだったんだけど、それはそれ、これはこれってね」
ふふん、と鼻歌混じりにご機嫌な様子が電波に乗って耳から脳へと伝わってくる。ご機嫌なのはなによりだな。俺の人生にとっても、菫が不機嫌よりはよっぽどいい。被害が少なくてすむ。
しかし俺は今、物凄く眠い。何度言っても足りないくらいに眠い。そんな状態で彼女の相手をまともにしてやれる筈も無く。とにかく用件を言えと先を促したのがまずかったのだと、この先の出来事を体験した俺は思う事になる――なんて、とにかく眠りたい今の俺が気付く事はなかった。
「凄く眠そうねぇ。ま、時間帯が時間帯だし、しょうがないのかしら……ま、いいわ。それじゃ早速用件に入るわよ。先月の話なんだけど、私が健に履歴書書いてって頼んだの、覚えてる?」
「履歴書? あー、確か急に休みの日に呼び出されたと思ったら「強制的に」書かされたあれか?」
先月の休みの日、何故か唐突に呼び出されたかと思ったら目の前に白紙の履歴書を突き付けて笑顔で「これ書いてちょうだい」と有無を言わさずに書かされた記憶がある。理由を聞いても笑顔で黒のボールペンを差し出し、俺の問いかけには答えない。無言でさっさと書けと言われること数分。俺は早々に白旗を挙げたのだ。
菫のことだから書いても悪用はしないだろうと信じて埋められる項目は全て埋めたのだが……今この瞬間にこの話題が出てくるというのはご機嫌の要因の一つに絡んでいるということだろうか。
「そうそう。私がどうしても貴方の履歴書が必要だからって頼みこんで拝みこんでようやっと書いてもらったやつよ」
俺の強調した強制的にという言葉はあっさりスルーされ、寧ろこちらが下手にでてやったと記憶改竄するような台詞をサラッと言われる。
まぁ、いいんだけどな。菫の言動にいちいち突っ込んでいたら話が進まない。俺は黙って続きを待った。
「あれなんだけど、実はある乙女ゲームの企画に応募する為に書いてもらったの」
――乙女ゲーム。その単語を聞いて脳はすぐさまフル回転。眠気はあっさりと名残惜しむ暇なく消え去った。
菫の言う乙女ゲームとは、所謂女の子向けの恋愛シュミレーションのことだ。男女のカップリングものを主体にBLと言われる男性同士のカップリングのものもある。
一口に恋愛シュミレーションと言えども中身は様々。恋愛特化の学園ものだったり、戦闘も織り交ぜられたファンタジー、歴史ものだったり、推理やホラー重視なんていうミステリアス系もある。
最終的にはキャラと結ばれるという疑似恋愛を楽しむゲームだと俺は思っているのだが、菫に言わせればただの疑似恋愛じゃなく、萌えの詰まった疑似恋愛であり一つの物語であり乙女の幸福なのだそうだが――理解不能。
寧ろ理解したくない。が、それは口には出さない。出した瞬間に理解するまで乙女ゲームをやらされることになるだろう。実際やらされる羽目になりかけたことがあるしな。
遠い過去の記憶を掘り起こしては黄昏てしまった俺に気付かぬまま彼女は嬉々とした声で語り出す。
「そしたら見事に当選!! 当選したのよ!! もう私大興奮よ!! まさかあの企画に当選するなんて思わなくて――」
「ちょっと待て。当選ってどういうことだよ。なんで俺の履歴書がそんなところに提出されてるんだ!?」
「そんなの私の萌えの為に決まってるでしょ」
キッパリ即答第二弾。もう言葉も出ない俺のことを無視して菫の話は進む。
「ちなみに企画内容は開発途中のリアルな仮想空間でリアルな乙女ゲームを体験できるっていう企画よ」
リアルな仮想空間でリアルな乙女ゲーム? おいおい、そんなの聞いたことがないぞ。
仮想空間については小説やらゲームやらで話として触れたことはあるけど、あくまで画面越しに見えるものだろう? リアルとなると話が違う……気がする。
言葉通りに解釈するならリアル――現実と変わらない空間で乙女ゲームを体験出来るってところか? そんな技術が今の日本にあっただなんて初耳だ。
菫には悪いが、怪しすぎる。
「本当はさ、私が参加したいくらいの凄い企画なんだけど、これって男子限定募集だったのよね。なんでも「乙女による乙女ゲームを更に進化させ、男女関係なく楽しめる乙女ゲームへと!!」って言うのがコンセプトらしくて、普段乙女ゲームなんてしないだろう男子を募集してたらしいのよ。推薦応募もありって書いてあったから、貴方を応募したの。まぁ、勝算は低いだろうけど……って駄目元でやってみたんだけど見事に当選しちゃうなんて、私ったら最近運がいいのかしら? 宝くじ買ったら一等が当たったりして?」
キャー!!と黄色い悲鳴を上げながらジタバタジタバタしているのだろう。音が全て携帯越しに聞こえてくるのはいつもの事だが、ここまで激しいのは初めてかもしれない。
しかし今気にするのはそんなことではなく、どうにかして辞退できる方法は無いのかを聞く事だ。
履歴書については、まぁ、送ってしまったものはもう取り返しがつかないから仕方ないとして。これ以上先の話には俺は参加できない。当選しただけならまだ参加は回避できるはず。
俺は一縷の望みをかけてそれを口にしようとしたのだが――菫を侮ることなかれ。幼馴染として俺の思考回路なんてとっくに見透かしているのだから。
「あ、言っておくけどこれ拒否権無しだから」
「はぁ!? 拒否権なしって、ありえないだろ!?」
「ありえるのよ、残念ながらね」
「ありえてたまるか!! 開発途中の仮想空間とか、技術的に怪しすぎるだろ!?」
「……確かに怪しいと言われても仕方ないわ」
拒否権無しとか、怪しすぎる企画内容に納得できないと即反論すれば、ほんの少しの間を置いて俺の言葉に同意をくれた。流石にそこは常識的に考えて同意してもらえるよな、と安堵したのもつかの間――俺はまたも菫を侮っていたことに気付かされるのだ。
「私だってこの話を知った時にはありえないって思ったもの。こんな技術、現代でまだ確立なんてされてない。出来たとしても精々スコープを付けて目の前の仮想空間を楽しむくらいでしょう、ってね」
「それが分かってるんならどうして……」
「だから私、運営会社に直接乗り込んだの」
「……――は?」
待て、今こいつは何を言った?
「だーかーら、直接運営会社に乗り込んで、開発担当者の話を聞いたの!!」
キンキンとした菫の声が残響する。信じたくない言葉の羅列が俺の耳をすり抜ける。呆然としたまま開いた口が塞がらない。
昔から菫は行動力が半端ない。沢山の情報を得るには自ら動くべしを信条にしているのだと目を輝かせながら俺に告げたのはいつの日だったか。それに対して俺は何度も諫めた。突っ走って怪我するのはお前だと言い聞かせた。
あれでも菫は女の子なのだ。怪我の一つ二つは勲章と言える男じゃない。危ない目に遭う前に無理はしないでほしかった。
そんな俺を知ってか知らずか、菫は俺の忠告なんて無視していつも目的のためには努力を惜しまない。必ずそれに見合った結果を掴み取ってきた。その結果がこれだというのなら、俺は一言言いたい。
(一体誰だ!! 菫をこんな猪突猛進に育てた奴は!!)
ベッドの上で項垂れた俺は空いている手を思い切り布団に叩き付け――ようとして、やめた。煩くしたら家族が起きてしまう。
我慢だ、我慢。ここを耐えればきっと俺はもっとまともに菫と話を――
「そしたらね、その人となんだかんだと意気投合しちゃって、本来なら企業秘密だけど、特別に私に体験させてくれるって言って、仮想空間を案内してくれたのよ!! 実体験してみたけどあれはヤバいわ。まさかあそこまでリアルに世界を描いているなんて。しかも、登場人物もリアルに触れる話せる現実と殆ど変わりなし!! ありえない技術がきちんと成立してたのよ!!」
――出来るはずがなかった。そう、何を夢見てしまっていたのか。暴走している菫とまともな話ができた試しがあったか? いや、ない。
もういっそ通話を切ってしまいたい。そうすれば俺は平穏無事に眠りの世界へと戻れ……ないな。次の日には俺自身がご臨終してしまう。
かといってこのまま話を流すように進めてしまえば俺はよく解らない怪しい企画に参加せざるおえなくなる。それだけはごめんだ!!
「――菫」
「何よ?」
「お前、騙されてないか?」
「…………」
「普通だったらそんな技術、そう簡単に見せてなんてくれないだろ。仮想空間をリアルに体験できる技術なんてあれば特許もんだ。ニュースにだって取り上げられる筈だ。にも拘わらず、今の今までそんな話は出てこなかった。噂話の一つとしても、だ。――俺はお前が騙されてるとしか思えない。そしてそんな恐ろしい企画に俺は参加」
「するわよね?」
「いやだから、参加したく」
「するわよね?」
「いや、だからさn」
「す、る、わ、よ、ね?」
通話越しにも分かる菫の満面の笑顔。
あぁ、俺はこの笑顔に弱いのだ。笑顔という名の脅し(…)には。
「大丈夫よ。運営会社は大手の企業だし、悪い事してる会社じゃないことはバッチリ保証できるわ。企画についても中身が中身だから本当に限られた場所でだけ募集を掛けてたみたいでね、ありえないとか嘘だとか騙してるとか沢山クレームをもらってたみたい。開発者の人から色々と聞いたからこれも間違いじゃないわよ。それでも、一部の人は私みたいに本当かどうか、会社まで赴いて確認しに来てた。その上で応募してくれた人もいるんだって、嬉しそうに語ってくれたわ」
「…………」
「体験までは流石にさせてあげられなかったけど、それでも信じて応募してくれた人達を裏切らないように今まで技術を磨いて創り上げてきたんだって、誇らしげに私に機械を見せてくれたわ――ねぇ、これでも私は騙されてるの? 機材を使って仮想空間に入るときに真っ先に会社の人が進んで使い方を教えながら先に向かって、遅れて到着した私に一つ一つ丁寧に全部教えてくれた、親切な人がいるっていう事実、嘘だって言うの?」
先程とは打って変わった真摯な声で訥々と告げる会社での内容に嘘は一切感じられなかった。
菫が俺を本気で騙そうとしているのなら俺には嘘を見破る力なんてないから簡単に騙されてしまうんだろうけど、意味のない嘘を吐くことを嫌う菫だ。ここまで真剣に言うのなら本当にその技術はあって、菫だけ特別に体験させてくれたということなんだろう。
何も言い返せない俺に菫は最後の爆弾を放り投げる。
「それに辞退したいって言っても向こうも体験せずに辞退は認めないって応募用紙の注意事項に書いてあったし。ていうか、そんな美味しい話を蹴るだなんて私が許すと思って?」
瞬時に脳裏を過るのは満面の笑顔で学生鞄(英和、和英、国語辞典入り)を振りかぶった菫――早急に記憶から削除だ削除。
「ま、貴方がこの話を断る、だなんて事は無いわよねぇ。というわけで、早速詳しい参加条件とか纏めたのを携帯にメールで送るから、きちんと確認しなさいよ。そして必ず参加した後は私に内容を連絡する事!! いいわね!!」
それじゃお休みー、と呑気な声を残して途絶えた電波。取り残される、俺。
「……マジかよ……」
信用しきれていない企画内容に強制参加。菫があそこまで興奮していたのだから逃げ出そうものなら――いや、考えるまい。明日の俺の命の為にも!!
ふと、携帯の画面に映っている時刻を確認する。電話に出てから10分も立っていないとは驚きだ。俺としてはかれこれ一時間は話し込んでいたと思っていたのだが。
(今の時間が深夜2時過ぎだから、後4時間はどうにか眠れる、か?)
明日も朝から学校だということを思い出した途端に襲い来る睡魔。しかし俺はまだ眠れない。菫がこちらに送るといったメールを見るまでは。見ないで朝一緒に登校なんてなった日には以下省略。
――ピロリロリン♪
短く鳴り響いた着信音。画面に踊る文字は「新着メールが一件あります」という簡素なお知らせと、差出人が菫であることを告げている。
きっとこれが彼女の言っていた詳しい参加条件の内容なのだろう。
渋々とだが俺はその内容に眼を通し――読み終えた後に大絶叫を上げて家族全員に叱られたのであった。