『人間失格』の回
学園編はあまり時間軸通りに動いていません。むしろ、何気ない日常ということで、思いついたネタをどんどん書いていきます。
「では皆さん、今日は『人間失格』について授業を進めていきます。まずはお渡しした資料の最初のページを開けておいてください。太宰の書いたこの作品に入る前に、簡単に皆さんへの質問を設けてあります。今から一人ずつに聞くので、答えを用意しておいてください。」
ある現代文の授業中の出来事について。まずこの吉本先生の特徴すべき点は、小説を読ませるということだろうか。俺は正直、最初は疑問を持っていたが、実際、読んで、解説を聞き、さらにディスカッションをする。この形式は、割と学ぶにあたってはいい方法だということに気づいた。そんな中、今日から俺たちは太宰治の『人間失格』を読むらしい。
ざっと資料に目を通すと、先生が言っていた質問の一つ目に目が止まった。そこにはこう記されていた。
人間の欲とは何か。
なんとも深い質問だ。恐らく、20人の生徒に聞けば何通りもの答えがあるはずだ。これはしっかり考えることにしよう。そう思いながら、すでに先生は一人目の生徒に聞き始めていた。
「私は金だと思います。人間は金がなければやっていけないので。」
「私は生きることだと思います。」
「俺は金と性欲だと思います。」
などなど、答えは様々だ。今の所、俺は「認められたい」と「生きる」ことの間で揺れていた。そんな時に、川原が、
「私は人間の欲とは様々であり、人それぞれだと思います。私に関して言えば、生きることになります。」
と答えた。また頭いいこと言いやがって。これは俺も「生きる」じゃダメじゃねーか。そう思いつつも、あまり深く、いいことが浮かばない。自分のことを考えていると、気づけば残っているのは林くん、俺、そしてアランだと気づいた。これはまたすごい並びだ。
林くんは絶対に面白いことをいう。実はある日昼食をとっている際、俺たちは何かと似た話で盛り上がっていた。
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「あーそう言えば、お前ら、将来の夢は?職業とかじゃなくて、大まかなやつ。俺の場合はサッカー選手は無理だろうし、公務員になって一定の給料を得て穏やかな人生を送ることかな。」
「いやいや、タロー。それ十分細かくね?俺は海外行ってモテまくり人生を送りたいかな。いてーよ一恵、何すんだよ!」
アランはいつも通りくだらないことをぬかしていると、いつものように川ちゃんに殴られる。まあ、お母さん的な目線で怒ってるんだろうな。うん、そうに違いない。
「バカじゃないのアラン。本当にあんたってバカじゃないのにバカみたい。もう、しっかりしてよね。」
「何だよ、男にとってこれ以上の願望はねーだろ、なぁタローちゃんよ。」
「まあ、確かにそうかもな。でも、川ちゃんの前でそれを言うなや。幼馴染なんだし、俺と真理子みたいに、おかん的存在なんだから、面倒なことになるぞ。」
「ちょっと太郎、それどう言うこと?あんたたち本当に頭いいくせにバカだよね、もう、治、黙ってないでなんか言いなさいよ。」
ここにきて林くんが黙り込んでいたことに気づいた。あ、そっか。聞いてほしいんだ。
「川ちゃんはどうなの?それと、林くんも。皆はどんな願望があるわけ?」
すると、川ちゃんは顔を赤くしながら、
「そうね、将来は、そうだな、海外で仕事しようかなーって、思ってる。」
ほらな、やっぱりおかんだ。真理子と同じこと言ってるよ。これ完全にアランについてくパターンじゃん。
「それは良かったな、アラン。お前の世話係が来るってよ。」
すると今度は俺が川ちゃんに殴られた。そう、いつも俺たちはこうしてお互いをイジリあっている。今度は林くんが話す番だった。
「俺は嫌いなやつ全員ぶっ殺したいなー、アハハ。」
そう言いながら、ものすごくいい笑顔を見せてきた。怖っ。
「ちょいちょい、林くん、それはない。ていうか怖すぎる。それ外で大声で言っちゃいけないやつだよ。」
「そうか、本当にクソうぜーやつぶん殴ったりしたくね。」
もう冗談なのか本気なのかもわからない。ただ、それまで騒いでいた川ちゃんとアランが、苦笑いしながら林くんを見ていたことは、今でも忘れられない。すると、アランが笑い出した。
「ていうか、林くん絶対そんなことする度胸ないじゃん!だって、人前で話せないんだから。」
そう言われると、林くんは「お前マジで最初に殺す」と言い、アランの首を絞めた。この時点で、初めて冗談であることがわかった。しかし、この会話以降、林くんは「暗殺者」志望という噂が瞬く間に校内で広がった。恐らく、アランの仕業だろう。俺が広めた噂と言えば、学力がなくても、暗殺者になれるのかというものだった。
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そんな会話を思い出しながら、俺は林くんの回答を待った。すると、呼ばれるなりすぐ、口を開いた。
「そうですね、人間の欲は、自分よりも上にいる存在を排除し、蹴落とすことです。」
今までにないぐらい、生き生きとした、大きな声でそう述べたことによって、教室は一瞬にして凍りついた。まあ言うまでもない。俺たちが最初に林くんの願望を聞いた時のように、冗談なのかどうか、判断がつかないわけだから。
そう言い切り、少々機嫌わるめにどかっと椅子に座り込んだ林くん。どうよと言わんばかりの渾身のドヤ顔だった。
恐らく、先生に対する反抗の一つだろう。俺はそう結論付けた。林くんは、まだあのことを根に持っているのか。それでも、確かに、笑いではなく、気まずい空気を作り出すことには見事に成功している。これは林くんの勝ちだな。そう確信していた俺だったが、この後衝撃の逆襲が待っていた。
「そうですか。林くんは排除することだと思うわけですね。しかし、そうなると人類はあなた以外いなくなってしまいますね。滅んだも同然です。」
まさに逆転満塁ホームランというところだろうか。次の瞬間、教室には笑いが響いていた。気まずい空気が一瞬にして笑いに変わった。先生は、林くんの意図に気づいたのだろうか。それとも、何なのか。俺もつい、笑いを堪えられず、笑ってしまった。これはかなりの返しだ。俺の予想をはるかに超えた、冷静かつまさに蹴落とす返しであった。
これには林くんもさすがに返す言葉がなかったようだ。これまた先生の圧勝のようだ。それにしても、人がこの世から全員いなくなる、つまり林くんは底辺の人間だと言っているようなものだ。教育上、どうなのかと思ったが、それ以上に、先生にそんなセンスがあるとはビックリだ。そう思いつつ、林くんの方に目を向けると、笑いに包まれる教室の中、先生を睨みつけながら、しかし同時に笑いながら、
「あのババァ」
と言っていたのが、一番心に残っている瞬間かもしれない。