つまんないけど大事なこと
流通系企業勤務勤続5年・本年度の有休残8日の香純さん27歳は、3時の体操
の音楽を聞きながら、エレベーターホールを回りこんだ所にある女子トイレに行くの
が日課だ。
しばしのリフレッシュタイム。髪と化粧を整え、終業までの2時間を美しくにこ
やかに過ごすための大切な時間だ。だが・・・。
あづぅっ!
香純は声を殺しながらもたまらず叫んだ。
んもぉぉっ、ったく誰よおっ!
香純はウォシュレットの操作部のカバーを開け、並んでいる小さなダイヤルを調
べた。案の定、温度設定のダイヤルがMAXに合わされている。ダイヤルの周り
を一周する矢印は、高温部分が赤で表示され、やけどの恐れがあるのでその部分
には合わせないようにと注意書きに記されている。なのにダイヤルの目印は、目
一杯回ったところで止まっている。
火傷しちゃうじゃない、ここに合わせちゃだめって書いてあるのにどうしてこん
なところまで回すのよ。やんなっちゃう・・・。バカじゃないの?バカ!どんな
お尻してるのよ!しんじらんないっ!
だけど何?何で合わせちゃだめなのにここまでダイヤルが回るのよ。それがそも
そも間違ってるんじゃん。何のために高温なんかに設定できるのかしら?
香純は一人ブツブツと心の中でつぶやき、そしてダイヤルを適正温度にしてそこ
を出た。
次の日、やっぱり洗浄水は高温の湯だった。
そして次の日も。
香純は怒った。化粧直しもそこそこに、彼女は女子トイレを出て、カッカとヒールを
鳴らしながら、フロアの半分が見渡せる-つまり朝礼の時に社長が立つ位置-通
路の真中まで行き立ち止まると、その場で仁王立ちになって怒鳴った。
いったい誰よッ!ウォシュレットの水温を高温にしてるのは!
お尻、火傷しちゃうじゃないッ!
打ち合わせブースで商談していた若い男も、ゴルフの話をしていた中年の男たち
も、電話中のひげの濃い部長も、コピーを取っていた痩せた男も、みんなが一斉
に手を止め、ぽかんとした顔で香純を見た。
香純は肩を怒らせこぶしを握りしめたポーズのままハッと我に返った。顔からサ
サァッと音がして血の気がひくのがわかった。
どうしよう・・・。
注目を浴びて引っ込みがつかず硬直する彼女の後ろを、小太りの課長代理が通り
過ぎた。彼は両手を組み、ぐっと天井に向けてのばし、伸びをしながらボソッと
言った。
「オレ、最近どうも便秘気味でさ。」
その言葉が合図のように、止まった空気がまた動き始めた。
何事もなかったように人々は仕事をし、雑談を始めた。
香純はそそくさとその場を離れ、自分の席に戻り書類を広げた。
このフロアには、女は5人しかいない。
そして男たちはいつもやさしい。
「ウォシュレットを使うときは、ダイヤルの位置を確認してから」
香純は黄色い付箋に赤ボールペンに小さい字で書くと、パソコンのモニターの角
にぺたんと貼り付けた。