走ったのかメロス?
メロスはゾッとした。
2日前の話だ。メロスは王に捕えられ、処刑されそうになり、妹の結婚式を行うために処刑の延期を願った。戻ってくるまでの間セリヌンティウスを捕えておくようにメロスから提案した。
そして昨日、メロスは妹を祝った。2次会ではたらふく酒を飲み肩を組んで歌い、ビンゴで景品をもらった。
3次会では酔っ払った新郎と一緒に男だけの宴会を行い下品な冗談で盛り上がった。
新郎新婦が帰ったあとの4次会なんて自ら提案した。
結果、メロスは寝坊した。もう信じられないくらい寝坊した。
そもそも寝る気なんて無かった。本当はすぐに旅立つ予定だったのだ。
家に帰った後、少し休憩をしようと思って椅子に座り目をつむって式の余韻に浸った。次に目を開くと何故か太陽が真上だった。窓から注ぐ強い日差しに照らされているにもかかわらず、メロスは体の芯がどんどん冷えていく感覚に襲われる。
寝ていて気付かなかったことにするか。むしろ起こさない周囲も悪いのではないか。
大体、親友の妹が結婚するというときに祝いの言葉一つ送らないセリヌンティウスなんて死んで当然じゃないだろうか。
メロスの中の悪魔が遅刻の言い訳をどんどん囁いてくる。
「いや!駄目だ!」「俺は友情に報いる!」「王様のところに行くぞ!」
メロスは叫んだ。何度も大声で叫んだ。しかし威勢の良い声に反して旅立ちの準備はノロノロと遅い。
ヤル気が無いのではない。酒が残っているだけだ。
メロスが村を出ようとしたとき、出口で門番をしている男と目が合った。
ちなみに彼も昨日の式には参加していたが朝から仕事をしている。メロスの存在に気づいた門番はメロスと太陽の位置を交互に見ながら目を丸くした。門番の口から「ウソっ!」とか「見殺し?」とかいう声が聞こえてくる。どうやら酔いに任せて今日の処刑の話をしたようだ。メロスの心に罪悪感がフツフツとわいてくる。メロスは走った。門番が見えなくなる距離まで全力で走った。
気が付くとメロスは川の前にいた。川は濁流でごうごうといっている。昨日の雨で川が氾濫したようだ。村へ戻ってきた時に使った橋は流されたようで見当たらない。
「これを遅刻の言い訳にすればよいのでは」とメロスの中の悪魔が再び囁く。いや、雨は3次会の頃から降り始めた。これを言い訳にすることはできない。冷静な天使がその提案を却下する。
行くしかない。焦った人間に回り道などという論理的な判断はない。メロスは川の中へ飛び込み、濁流の中をもがいてなんとか向こう岸に渡った。
なんとか渡り終えてビショビショになったメロスは何でこんなことにという気持ちがギリギリになりちょっと泣きそうになった。それでも諦めるわけにはいかない、とにかく向かわねばならんのだ。
しばらく走っていると、先の方でいかにも山賊という格好をした男がタバコを吸っているのに気が付いた。山賊の方もメロスに気が付いたようで、「何故こんな時間に!?」とか言いながらギョッとした顔でメロスの顔と太陽の位置を交互に確認している。ただの山賊がさっきの門番と同じ表情をしているのはおかしい、おそらく王様に足止めを命じられた刺客なのだろう。その事実を察したメロスは体が熱くなるのを感じた。
これを遅刻の言い訳にしてしまおう。天使と悪魔は同時にガッツポーズをした。
メロスは懸命に戦った。そして倒した。言い訳を手に入れ、さっきまでと一転して気力の充実したメロスがそんじょそこらの山賊になど負けるわけはなかった。
殴り倒した山賊に小声でありがとうと呟いた後、再びメロスは走り始めた。山賊に襲われたからと言って向かわない理由になるものか。友の為に走り続けねば。しかし、仮に間に合わなかったら、それは山賊のせいだ。断じて私のせいではない。メロスは心の中で何度もそう呟きながら走った。
街へ着いたメロスは処刑場に沢山の人だかりができていることに驚いた。
間に合わなかったか、どうだ、いやセーフだ。人をかきわけ処刑場の前まで行くと十字架にくくりつけられて高い位置にいるセリヌンティウスがメロスの方を向いた。良かったまだ生きてる。
メロスの到着に気づいた王様が「ギリギリ間に合っただと!」と叫んでいる。
あんまり大きな声でギリギリとか言わないで欲しいなとメロスは思った。
「メロスよ」
声の方を振り向くと、十字架から降ろされたセリヌンティウスがボロボロと涙をこぼしながら近づいてきて、そのままにちょっと大げさに肩で息をするメロスを抱きしめた。
メロスもギュッと抱きしめ返す。良かった間に合った。しかも遅くなった理由もバッチリ。代わりに死ぬ事になるが最早そんなことどうでも良い。
メロスが心の底から安堵していたその時、メロスを抱きしめたままのセリヌンティウスが耳元でささやいた。
「お前なんか酒臭くないか?まさか深酒で遅くなったわけじゃないよな?」
メロスは再びゾッとした。