朝食
愛知県郊外の山奥にある小さな村。
山奥というだけあって、周囲を木々に囲まれ近くには川も流れている自然豊かな場所だ。
住んでいる住民は主に老人。それも代々この村に暮らしてきた人が大半なため住居の大半は日本昔話にでてくるような古めかしいものだ。
そんな、心なしか都市部に比べて時間の流れが遅いようにも感じられる山村。
そんな、どこを見回しても山か田んぼか川しかない山奥のド田舎の村に、西洋風の洋館が建っていた。
周囲の外観や環境を完全に無視した、凄まじく場違いな屋敷。
その屋敷の主人である少年は、現在朝食を食べている真っ最中だった。
外出時にいつも来ている黒のジャケットは腰かけている椅子の背もたれに乱雑にかけられ、仕事用とは別のゆったりとした白いTシャツに身を包んでいる。
彼の名は不破千尋。
18歳にしてかなりの腕前を持つ退治屋であり、この屋敷の主人でもある。
いつもならこの時間は、千尋の相棒である少女――ネムと千尋で向い合せに座り黙々と朝食を摂っているところなのだが……。
今朝はそのいつもとは違い、客人が来ていた。
客人の名はアーシェ・クレイドル。
退治屋を纏める組織――協会から千尋のもとに派遣されてきた同業者だ。
そんな彼女は訳あって――どんな訳かは千尋も知らない――千尋と一緒に仕事をするように協会の上役から言われ、今も共に仕事を終えて帰ってきたところだった。
「で?結局アーシェは上役のどんな命令でわざわざ家に来て朝飯食う事になったんだ?」
洋館のリビングに相当する部屋で、ネムの作った料理をつつきながら千尋が言う。
スクランブルエッグにフレンチトースト、食後のデザートとしてプリンまである。
「あなた方の監視だそうです。なんでも、情報の秘匿の可能性があるとかないとかで」
そこの所どうなんですか?と小首をかしげながら育ちの良さを感じさせる上品なナイフ捌きでフレンチトーストを手際よく切り分けていくアーシェ。
アーシェの動作に合わせて、後頭部で一つに結い上げられた銀髪が悪戯気に揺れる。
「あー、まあ情報の秘匿なら何件か覚えがあるぞ。昨日……、いや今日か。今日の肉巨人とかな」
「全くあなたという人は!昨日……いや今日でしたか。ああもうどっちでもいいです!昨日あれほど退治屋の心構えについて話したというのに!」
「え?ああ、そんな話もしてたな……」
先ほどまでは比較的落ち着いていたアーシェだが、千尋の言動にまた腹を立てたのか語気が荒くなり声が一段階ほど大きくなる。
戦闘時にはあれほど頼もしかったのに仕事が終わった途端にこれです、全く……。とぶつぶつ文句を言い始めたアーシェを見て千尋は顔を顰めた。
(嫌な予感がする…………。とびきり面倒な事の……)
こういう時の嫌な予感ほど、皮肉なくらいよく当たるもので。
「仕方ありませんね……。私が一から叩き込んであげます!」
しっかりと的中した嫌な予感に、千尋は脱力して背もたれにもたれかかり一言、
「…………パス」
「……すいませんネムさん。この机少し借りられますか?」
千尋の言葉を完膚なきまでにスルーし、今の今まで場を見守りながらアーシェの横で黙々と朝食を食べていたネムに机を使っていいか聞くアーシェ。
無表情を崩すことなく、されど千尋にはわかる程度の感情の変化を見せながら、しばし悩んだ後にネムはこくりと頷いた。
千尋の相棒であるネムは、水色の髪と瞳が綺麗な小柄の美少女だ。
年がら年中無表情なために可愛いとクール、それにミステリアスさが加わった可憐な少女。
無表情と言っても、長年の付き合いである千尋には些細な感情の変化を容易に察することができるのだが。
ほんの少しだけ吊り上った唇の端は千尋に対する少しばかりの悪戯心の表れだ。
今の千尋にとってはとても不都合なものである。
「千尋。片付けは私がやっておくから、アーシェさんに付き合ってあげて」
「はあ……。まあいいか、今日はどうせ休むつもりだったし」
どうせ話の途中で寝るしなぁ。とアーシェが聞いたら烈火のごとく怒りそうな内容を口の中で呟いた。