第七話 集積都市
狭い空間に俺とヤシロは段ボール箱やプラスチック箱と共に詰め込まれていた。ガタガタと揺れているのは道路の至る所に亀裂が入り陥没しているからであり、自分たちを拾ったのは乗り心地よりも耐久性を重視した軍用トラックだからだ。
「運が良かったな」
そう言った運転手の顔はそうそう忘れないだろう。自分たちが偶然ここを通りお前たちを見つけたんだ、感謝しろ……と言いたげな目は俺の自尊心に深い傷をつけた。俺は神様に導かれてキミたちを待っていたと言い返したい衝動に襲われたが、それを言ってしまえば頭のイカれた奴だと独り置き去りにされるに決まっている。
俺は携帯端末を取り出して時間を確認する。老人を路地に連れ込んでから二時間、ヤシロと共に大通りを目指してから一時間半もの時間が経過していた。このトラック群を見つけ、見つけられてから一時間以上も荷台で時間を潰した所為か体の随所がズキズキと痛む。
「やっぱり、アンジさんの携帯も繋がらないのね」
ヤシロの頭が俺の携帯端末に被さる。ヤシロは同じ日本国内で通信が儘ならない現状が不思議で仕方ないのかもしれないが、その理由を知っている俺は当然のようにヤシロの頭を退かし、携帯端末を収める。
「ヤシロ、俺を呼ぶ時に"さん"は要らないよ。短く簡潔に。呼び捨てで構わないから」
「でもアンジさんは年上だし……」
破れた幌の隙間から見える街の景色は凄惨だった。暗闇の中、見える範囲に限界はあるがアスファルトの道路はガタガタになり、他の地域では昼夜問わずに三色の光を放つ信号機も巻き付いた植物に光を吸い取られたかのように沈黙している。建物の廃墟化も深刻で、人が手を加えなければこうも簡単に朽ちてしまうのかと絶句する程だ。東京を中心とした関東圏は今でも写真動画書籍多くの媒体で知ることができ、その繁栄を知る大人たちが目を背けたくなる気持ちも、俺には分からなくはない。
それでもトラックが走っているのは、人が住んでいるからだ。
次第に道路の揺れが減り、月光とヘッドライト以外の光源が闇を緩和していく。
「ヤシロ、分かっているね?」
「言われた通りに、でしょ」
ヤシロがぎゅっと通学鞄を抱き、俺の言葉に頷く。
景観ががらりと変わる。視界の端々に流れるのは誰も触れずに荒れ尽した廃墟の群れから簡易住宅のような簡素な建物になり、多くの建物から生活の証拠と言っていい灯りが漏れ出していた。電線が全て地下に敷設されている所為か電信柱はなく、その代わりに多種多様なバリケードが道端に転がっている。傷付いた小型鉄箱から有刺鉄線の付いたガードレールのようなモノ、果てはテトラポットの骨格のような金属まで鎮座している。
彼らの出迎えがここは戦場――いや、"戦場だった"と俺たちに教えてくれる。
俺は緊張したヤシロの肩に手を置き、そっと囁く。
「俺はキミを見捨てない」
頬を染めるヤシロを横目に、俺は心の中で補足する。
但し、それは神様が見捨てない限り。
トラックが止まり、運転手と前後の装甲車から飛び出した足音がバタバタと忙しなく地面を叩く。トラックの近くで隊員たちの点呼が始まり、指揮官らしき壮年の男性の短い慰労の言葉と指示が聞こえる。犠牲者なしと誇らしげに報告した部隊長の自信に満ちた声に俺の食指がぶるりと震える。
解散を告げられ、運んだ物資を移動させる班員と入れ替わるべく歩く隊員は皆若かった。十代後半から二十代前半が大多数を占め、二十代後半から三十代が残りを占めている。俺と変わらない年齢の隊員たちの多くが肩に小銃を掛け、腰に刃渡り六十センチほどの軍刀とその半分程度の長さのナイフを差している。
彼らは俺とヤシロを一瞥し、自分たちには関係ないと立ち去っていく。
「ふふっ……」
彼らはきっと三年前に東京近辺に住んでいた者の生き残りだ。学校や仕事――退屈な毎日が壊れ斬新な毎日を堪能出来る立場にありながら、彼らは再び与えられた立場に甘んじている。
ヤシロが俺を怪訝な目で見ている。
俺たち見ている指揮官の壮年は何も気づいていない。
ああ、楽しみだ。
神様の干渉出来ないこの場所には、どんな手付かずの美味珍味が転がっているのだろうか。
「初めに断わっておくが、我々がキミたちを保護したのは人道的な理由からではない」
顎に髭を蓄えた男は自らの威光こそ積み上げてきた半生だと言わんばかりに俺たちを威嚇する。大きな椅子に態勢を崩して座り、俺たちが罪人か虜囚なら机に足を投げ出し見下して話す類の人間だ。全体の責任者を任されるタイプではなく、きっと本質的には傍に控える副官の女性と同程度の地位で、司令官のポストを与えると言う名目で後方に回されたのだろう。本人はそれで満足しているが、自らパイを切り分けようと手を伸ばせば副官の彼女が諌め、その椅子から蹴飛ばすに違いない。
「我々は軍隊ではない。市民の徴兵で成り立つ民兵――いや、国軍と合流した自警団のようなモノだ。魔獣とは戦うが、一般市民の救出は任務に含まれない」
「感謝しています」
「礼はいい……が、キミたちをあちら側に送り返す余力は我々にはない。事情は聞いているが、同情はしない。ここに順応してくれ。他の者と同じように」
俺は横目でヤシロの表情を確かめる。相手の高圧的な態度にムッと頬を膨らませていたが、俺に突っかかって来た時のような無鉄砲さは鳴りを潜めている。諦めが良いのではなく単純に素直なのだ。相手の教えをスポンジのように吸収し、見る見るうちに水と同じ色に染まってしまう、歳の割にヤシロは強かで、神様が唾を付けたいと天使を遣わすほど異質な少女だ。
「この子だけでも、親元に返せませんか?」
それでも俺は同情を誘う言葉を口にする。
「辛い目にあって、きっと親御さんも探しています。……途中で逸れた友達と、その親御さんも一緒に」
「……ふむ、キミはいいのか?」
「ええ、俺は大学生です。戻れる見込みがあるなら、祖父母も心配しないでしょう」
敢て"戻れる見込み"という言葉を使い、相手の反応を窺う。余力や順応――端々に聞こえる言葉の持つ意味は単純で、そこから戻れる見込みがあると気付いた俺の察しの良さを相手に悟らせる。
「失礼、貴方の国民IDを」
「2420158、虻川按司」
「そちらの貴方も」
「49532、三上八代です」
副官の女性が鋭く目を光らせ、大きめの電子端末に数字を打ち込んでいく。彼女がディスプレイに表示されたデータを吟味していく間、椅子に座った壮年が男が俺たちに向けて身を乗り出す。
「ハッ、五桁ってことは二等市民様かっ! 虻川……だったか、お前、そっちの女子高生の素性を知っているから戻れるか尋ねたのか?」
「桁数は今知りましたが、概ねその通りです。ええ、見て分かる通り、彼女の制服は有名な女子高のモノです。郊外に広大な土地を持ち、名士の娘や社長令嬢、軍人や政治家が愛人に産ませた子まで在籍しているという噂も耳にしたことがあります。当然いなくなると、騒ぎも大きくなるかと」
「そこまで考えて進言したのか……、ふんっ、実はお前も一緒に帰りたいだけなんじゃないのか。この制服マニアの変態め」
「ふふっ、制服は嗜む程度です」
俺は下衆な笑顔を浮かべる髭面に愛想よく微笑む。
相手がどれだけ下衆だろうと程度を近づけ、自らの裏側を垣間見せれば男と言う生物は同調し、共感を得られる。例えそれが造り物であっても、一度共感を得さえすれば後は自然に解釈を加えて疑惑を抱かせ難くなるのだ。
密かな男同士の遣り取りを見兼ねて、端末から目を離した副官の女性が諌める。
「間ケ部指令、等級については触れないように」
「非常にデリケートな問題です、だろ。分かってるよ」
「それと貴方たち、IDに虚偽はないようですね」
二十一世紀の半分経過した現在、日本国民には一人ひとり番号が与えられた。無作為に見える数字の羅列は国民の出生から学業の成績、果ては診療履歴まで全てを内包し、然るべき人物ならばどんな相手であろうと丸裸に出来る。
施行されて十数年、量子コンピューターにより割り当てられた番号の桁数により一等二等三等……と非公式の階級が生まれ、その便利な判断基準は瞬く間に全国に広がった。もっとも国民の大多数は三等と四等――六桁から十桁の番号が割り振られており、桁数の少ない相手と遭遇する機会もない所為か明確な差別意識を持つ者は少ない。
それでも髭面――間ケ部のように揶揄する者は当然存在し、コンプレックスを少数派の彼らにぶつけることも珍しくない。
「申し遅れました、私の名前は雛形、智天使部隊――所謂憲兵のような、化け物ではなく人間を相手にする部隊に所属しています。普通に過ごせば関わり合いにならないと思いますが、以後お見知りおきを。
そして虻川さん、三上さん、二人の身柄は残念ながら我々『異界駐在軍』で抑えます。消息不明――特にあちら側で捜索願が出されているであろう三上さんと本条さんの消息は、大事件になりますので絶対に漏らせません。内々に処理します。構いませんね?」
雛形は自身の紹介と現状を報告を済ませるが、俺は思わず耳に残った単語を復唱せずにはいられなかった。
「大事件?」
雛形は露骨に説明を渋り、間ケ部も顔を引き攣らせて沈黙を保っている。
「多分、サトミのお父さんが代議士だから……」
二人の代わりに答えを差し出したのはヤシロだ。子を失った親の行動がどういったモノか、それが有力者であればある程に事態は大きく動き、そして厄介になる。周囲が必死に静止しようとしても、迷路のような薄暗い路地に動かせる手駒を差し向け、娘を探し出すだろう。
無論俺には関係ない――――恐らく、今はヤシロにも。
「外の軍隊がここに入ってくるのは歓迎出来ねぇんだ。ここにはここの、俺たちには俺たちのやり方がある。指揮系統がある。武器があり、戦術があり、部隊がある」
間ケ部が舌打ちする。
「無闇に死体を増やされても困んだよ。魔獣の相手は、対魔獣に特化した"天使"たちにやらせるのが一番だ。銃しか扱えない時代遅れは、ここじゃお荷物だ」
ヤシロが驚き、こちらに目を向ける。まさかここでも"天使"という実在しない単語を耳にすると思っていなかったのだろう。俺の"天使"と彼らの"天使"は似て非なるモノだと教えてやりたかったが、この二人の前で神様について喋る訳にはいかない。
「どちらにせよ、間ケ部指令の言葉に誤りはありません。ここは外の世界――日本とは似て非なる世界です。危険な環境に曝された我々に、外界の身分は関係ありません」
「勝手が違うとが思うが、入ってきた以上は順応しろ。自分の適正を見つけ、それに尽力しろ。特にお前たちは運が良い。この街が何て呼ばれているか知ってるか?」
その唐突な問い掛けに、当然俺たちは首を振る。
「集積都市だ。元の市町村の名前は世界変質に合わせて消えた。今は食糧武器兵隊薬品――旧首都圏に広がる全ての物資が集まり、そして出て行く街だ。生命線とも言える物資を蓄えるこの街は、何処よりも安全だ。そして安全な街に与えられる役割は、古今東西こればかりだ」
間ケ部はニッと笑う。
「それは新兵教育、ようこそ俺たちの都市へ」