【第1話】情熱の巡礼者
劇場・・・ 「舞台」というものに立っている。
いやいや、まだ正確には立っていない。
これから立とうとしているのだ、私は。
私:袖中鎮香は、なんとなーく幼稚園の頃から、なんとなーく母親の言われるがまま近所のバレエ教室に通わされ・・・そりゃあまぁ、別に嫌いではなかったしヒラヒラした衣装にトゥシューズ、ティアラなんぞ身に着けてみると、幼いながらにお姫様気分にもなれたし、まぁ、レッスンも厳しかったり厳しかったり、いや、たまにめちゃ厳しかったりもしたけれど、「発表会」というものが近づくにつれ、教室の先生は元より、生徒らもうちの母はじめ保護者に皆々さまにおいては、いわゆる「配役」というものにそわそわはらはらいらいらそわそわ。
私はといえば、まあ、なんとも緊張しぃの性格に加え、人前で【目立つ】なんて行動はなんともアレだったもので、毎年出演を断り(嫌がり)続けていたのだけれど、流石に5年目・・・8歳になった今、断る理由にも限界があり、初めて発表会に出演することと相成ったわけだけれども、
ここ。今、なう。H県立そよかぜホールの舞台袖。去年建造されたばかりの、県がいや、ここ日ノ本ニッポンが誇る最新の技術が投入された(とは後々知るのだが)ぴっかぴかの劇場。そんなところで・・・
なんてことはない、メインの出し物の「くるみ割り人形」では当然ながら役はもらえず(決して下手だったからではない、と思って欲しい。私が傷ついたらどうする)、前半の小品集・・・バレエ関係者なら見飽きた・聞き飽きたであろうコッペリアの「スワニルダのヴァリエーション」をさらっとちょろっと2分少々踊るだけだ。
だけなのだ、が・・・
「ほら鎮香ちゃん、この次よ。しっかりね!」
と、教室の大先生の助手の元教え子で最近先生になったM先生が肩をたたく。
性格はいいが人柄もいい、そして面倒見もいいという、決してこの世界では売れない3大気質を持ったこの若先生は、私の発表会デビューを一番応援してくれたひとだ。
それまで、人並みに緊張なんぞしていた私は、この先生の言葉でもっと緊張してしまった。
ここ、そよかぜホールは大・中・小と3ホールあり、今、私がいるここは「中ホール」・・・ 中くらい、なんてものではない。キャパシティは800人だ。(ちなみに海外からのオペラなんぞも公演できる「大ホール」は2000人だそうだ。「小ホール」でも400人ですってよ。今の私にはここはそよかぜでなく暴風雨だ)
で、周りを見渡すと、訳のわからない機材や備品、そして、人・人・人・・・・・
出演者以外に人、多すぎやろ!!
まぁ、これも後で知ることになるのだが、公演をお手伝いしてくれている先生や保護者の皆さんはもちろん、「スタッフさん」というのがなにをどうやってどんな風にしているのか、いっぱいいっぱい、客席から見えないここ:舞台の袖で動き回っているのだ。
そして・・・ みんな【黒い】
袖は客席から見えないように、本番中はわざと暗くしているのだが、そんな中で黒いヤツらが動き回っているのだから、なんとも怖い。怖いしキモい。なんでこんなに暗い中、そんなに誰にもぶつからずに動けるんだこいつら。忍者か?赤外線ゴーグル着けたSATか? そうか、暗い中でも更に見えないようにみんな黒い服着てるのか。わ、この人、靴下まで黒い。
「ほら、なにキョロキョロしてるの? 緊張してるのはわかるけど、大丈夫!お稽古通りにやればいいんだからね!」
M先生が、人のよいテンプレな励ましの言葉をくれている中、私は黒い黒い不思議な人たちに目を奪われて、実は結構緊張なんぞ忘れてしまっていたのだが、しかし、私の前の出番の子の踊りが終わり・・・
拍手。
暗転。
明転。
ルベランス。 そして拍手。
拍手、拍手、拍手。
しばしの間のあと、判決を言い渡すかのように陰アナが響く。
「プログラム13番。袖中鎮香。スワニルダのヴァリエーション」
ばくんん!!!
舞台に明かりが入る。
板付きなので、私が舞台に出てポーズを決めないと曲が流れない。つまり、
「始まらない」
ばくんんん!!!!!
・・・いや、無理無理無理!!
行かなきゃ、やらなきゃ! って気持ちはあるのに、なんだ?
なんで足が動かない??
・・・らしっかりだいじょうぶできるからじぶんおしんじてせえいいいっぱいおけいこどおりにやればできるほらはやくはやくでておどってみじかいきょくじゃないできるってていうかはやくでなさいよただでさえおしてるんだからたかだかしょうひんしゅうでなにきんちょうとかしてんのよせんせいもうとばしてつぎにいきましょうぶたいかんとくさんどうしまほらでもせっかくのはっぴょうかでももうだめだわこのこだめだわだめだわだめだめだだめだめだめ
ばん!!!!!
と、背中を思いっきり叩かれた。
「ひぇや!!」
なんて幼女のような声がでた。まぁ、幼女だったが。
振り返ると、スラリと背の高い真っ黒な・・・真っ暗な袖の中でも、一際黒い、黒すぎて逆に目立つくらいの漆黒の服を身を纏った青年男性が立っていた。
多分、自分では意識しないまま、目に涙を浮かべていたであろう私に向かって彼は、
彼は、暗闇にサンコンばりに真っ白な歯を見せてにこやかに
「ほら、嬢ちゃん。いってこい」
といって、私のせっかく念入りにセットしてもらった髪をくしゃくしゃっと撫でた。
なんだかぽかーん、ぽかーーんとしたのだが、不思議と彼のその言葉で、
すぅ
となって、
「あ、いかなきゃ。踊らなきゃ」
と、
さっきまでがたがた震えていた足が、
すぅっ
と、舞台に向かって歩み出した。
踊らなきゃ? ううん、
踊りたいな
こんなおっきい舞台で、
こんないっぱいの光の中で、
こんな素敵な曲が流れる空間で、
たった2分だけど、
800人の人が私を観てる。
たった2分のために、
見えないところで必死に働いている黒いひとたちがいる。
・・・舞台に出る寸前、もう一度そのスラリとした黒いひと:スタッフさんの方を振り返ると、
ああ、もう、彼はSSの逆光で全く顔も表情も見えず、
見えず、でもただ、そのときの私の目に焼きついたのは、
その白い歯と、
その細い腰に下げたガチ袋(作註:舞台スタッフが身につける、工具を挿したベルトホルダー)に一際キラリと光る、
紫の、ああ、鮮やかな紫色の、
バール(くぎ抜き)でした。
【紫のバールの人】
そして私は、12年経った今、
ここ、そよかぜホールにふたたび舞い戻ることになった・・・
【黒いヤツら】の一員として!!!
(つづく)