触れたものを傷つけるだけ
「何か騒がしくねぇか」
密かに呟かれた声があった。ここは花神楽高校の屋上。西野隆弘、テオ・マクニール、ノハ・ティクスの三人は放課後よく逃げるようにここへ訪れる。それは生徒たち、いや、教師にすら周知の事実であり、彼らが教室にいなければ屋上へ行けば会えると考えてほぼ間違いはない。
呟きは隆弘のものである。それにテオとノハは顔を上げ、少しばかり周囲に意識を向ける。
「あぁ確かに」
「ちょっと聞こえるね」
「また何かあったのかよ」
「ねぇ」
「どうしたノハ」
「足音聞こえるよ。かなり急いでそう」
屋上へ向かう階段を足早に駆け上る音が確かに近付いてくる。誰か来ることは確実のようだ。三人が扉に注目したちょうどそのタイミングで扉が乱暴に開け放たれた。
「あれっ、珍しいね」
現れた人物を見て、ノハが間の抜けた声を上げた。
鮮やかな桃色のショートヘアを揺れる。息が乱れて全身が震えていた。その表情には疲れと、三人を見つけられたことによる安堵と、少しの期待が含まれていた。
「スロワじゃねぇか。どうしたんだよ、そんなに慌てて」
「のんびりしてるヒマないし…!!」
隆弘も声をかける。スロワは険しい表情で詰め寄った。息が上がって喋るのもやっとという感じだがそれすら今は二の次であるようだ。先程からの騒ぎと合わせるとこれは何か非常事態が起きているらしい。
「灰花の教室に行って!! あの葛城の弟が来てて、ナイフ振り回しててヤバイ!! あのバカ葛城の弟だからって手ぇ出せてないしこのままいくとあいつ…!!」
そこまで一息で言って、緊張の糸が切れたのかスロワはその場で座り込んでしまった。
すぐに動いたのはノハだった。次いで隆弘が走り出す。
「先行ってるね」
「あぁ」
「テオ、スロワ頼む。てめぇ走ったら死ぬしゆっくり来いよ」
「了解でござる」
ノハと隆弘が屋上から消えるのを見届けてから、テオはゆっくりと屈み、スロワと目線を合わせた。
「……怖かっただろ。灰花の彼女といってもこういうのは初めてだろうしな」
「………うん」
「あいつも、お前をそういう目に遭わせたくないっていつも言ってたからな。この間灰花とくずはが大喧嘩したのお前も知ってるだろ。あれ、お前が遠因らしいぞ」
「え……」
「大丈夫だ。灰花はそう簡単にどうこうなるやつじゃない。それに、大事な友達なんだ。何が何でも守る」
「……………アンタ何にもしてないじゃん」
「そう、守るのは隆弘とノハだ」
テオが至極真面目そうに言うので、スロワは思わず少し笑ってしまった。テオからしたらこれが目的だったのだろうが、その気持ちが嬉しかった。
「ありがと。ちょっと落ち着いたわ」
「なら良かった。しばらくここでゆっくりしてるといい。中に入るよりよっぽど安全だ。……さて、俺も行こう。タカちゃんは走るなと言ってたけどな、3年の教室まで走れるほどの体力はあるつもりでござるよ! ではさらば!」
かなり不恰好なフォームでテオは走っていった。
*
隆弘とノハが三年の廊下に降り立つと、辺りは騒然としていた。といっても人はまったく見受けられず、机や椅子が散乱していた。と、またひとつ、椅子が奥の教室から飛び出してくる。隆弘は大きくため息をついた。
「随分派手にやってやがんな」
「後片付け大変そうだねー」
それぞれ思い思いの感想を述べた後、二人は教室に駆けつける。
「灰花!」
めちゃくちゃになった教室の中心に灰花はいた。そして、ナイフを握った葛城くるも。くるの服には赤黒い染みが転々としている。しかし灰花はわずかに腕を切っている程度。どうやらずっと避け続けているらしい。しかし互いに息が荒く、この攻防も終わりに近付いているようだった。いや、終わりにせねばなるまい。
灰花は二人の登場に明らかに驚き、動揺していた。くるはそんなことを気にしてはくれない。再びナイフを手に突き進んでくる。すかさず隆弘が横から飛び込んだ。ナイフを狙った蹴り。長い脚を生かしたそれはくるに届いたかと思ったが、くるがかわす方が一瞬早かった。
「お前らどうして…?」
「スロワにお礼言っといた方がいいよ」
「余所見すんな、来るぞ」
「おい…くるさんに何を…!」
「ナイフ取り上げて捕まえるだけだ! ったく…この葛城厨は…」
隆弘は灰花とくるの間に立ち塞がるように立った。ノハも素早く後ろに回る。
そのとき、くるがふっと顔を上げた。その目は意外にも正気に見えた。その上で、こんなことをしているのだとしたら、何がくるをそんなにも突き動かしているのだろうか。何かを痛切に訴えかけてくるような瞳に、隆弘は一瞬、躊躇した。してしまった。
その一瞬、くるは教室を全速力で横切り、扉の方へ走った。ノハが後を追うが、ナイフを恐れて間合いを取っていたのが災いし追いつけない。くるはあっという間に教室から廊下に飛び出した。聞き慣れた汚い悲鳴が聞こえ、隆弘とノハが廊下に出たときには、腰を抜かしたテオだけがおり、そこにくるの姿はなかった。
「やられたな…」